※この作品はR-18です。

キヴォトスに墜ちた悪魔   作:やーなん

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契約の箱

 

 

 

 調印式の会場は、瞬く間に騒然となった。

 

 調停人席に居た先生も、カヤもリオも唖然とマコトの凶行を見ているほかなかった。

 

「ヒナ委員長、ヒナ委員長!?」

 

 それを眼を見開いていた直面したヒナはがっくりとショックで気を失った。

 アコはそんな彼女を抱き抱えて叫んでいる。

 先生もすぐにヒナのもとに駆け寄った。

 

「こ、これは、どういうことですか……?」

 

 真っ青な顔で、かろうじて正気を保とうとしているナギサが問う。

 

「メディアの諸君!! 当然、このままでは終わらないとも!!

 このマコトさまが、エデン条約に代わる新たな機構を提案する!!」

 

 そんな彼女に取り合わず、マコトは得意満面になってカメラの群れへ語り掛けた。

 

「エデン条約の調停式と言うのは、ダミーだ」

 

 マコトが手を掲げると、室内に掛かっていた達筆な垂れ幕が上から重ねられる。

 

 即ち、『祝、エデン条約締結』の文字から、『ポーンマスギルド機構、設立!!』へと。

 

「ナギちゃん、これが資料だよ」

 

 事態の呑み込めていないナギサに、そっとミカが後ろから資料を差し出す。

 

「ミカさん、ま、まさか!!」

「ごめんね。どうしても実績が欲しかったの」

 

 ミカは手を合わせてナギサに謝って見せた。

 ナギサはぎこちない動きで顔を動かすと、その視線の先に居るセイアは力無く頷いた。

 

「うん、勿論、ホストの了解は取ってあるよ♪」

「私も、ミカさんに賛成する」

 

 アツコもミカの言葉に同調する。

 この調印式は初めから、ミカとマコトの共謀によって滅茶苦茶になることが確定していたということだった。

 

「キキキ!! どうやらまだ、事態の呑み込めていない者もいるようだな!! しばし休憩を取るとしよう。

 その前にイロハ、メディアの諸君に資料を配ってやれ」

「はい、マコト議長」

 

 マコトの隣に座っていたイロハが、カバンからメディア用の説明資料を配布した。

 

「では、諸君。休憩後に再び会おう」

 

 マコトは上着を翻し、万魔殿のメンバー共々去って行った。

 

 

 

 §§§

 

 

 

「……あれ、先生?」

「“ヒナ!!”」

「先生がこんなに近くに……夢かな」

「委員長!! お加減はどうですか!!」

「アコ……やっぱり夢じゃないわね」

 

 万が一の為に待機していた、救急医学部の待機所にてヒナは目を覚ました。

 

「ヒナさん、どうやら我々は道化だったようです」

「ナギサ?」

「これを見てください」

 

 ナギサはミカから受け取った資料を、ヒナに差し出した。

 

「ポーンマスギルド機構、設立に対する説明資料……!?」

 

 すぐさま、ヒナは資料の表紙を捲った。

 

 ポーンマスギルド機構。

 その概要は、ポーンマスを使用した依頼解決を学園側に完全に委任するという内容だった。

 

 簡単に言うなら、郵便局だ。

 生徒が依頼と言う手紙をポーンマスに送り、それを適切な人材にクエストと言う形で配送するのがこれまでのポーンマスの依頼解決機能だった。

 

 だが、これはその送り先を各学園にして、ポーンマスが一括で管理する。

 そして依頼を受け取った学園が郵便局の役割を果たし、掲示板に掲載したり、或いは適切な人材に依頼をする。

 依頼を引き受け、解決するのは生徒たちの自由意思。

 報酬は学園が出し、問題は生徒たちの手によって解決される。

 

 そう、言うなればこれは、ファンタジー小説やゲームの冒険者ギルド。

 酒場の掲示板に張り出されるクエストを、冒険者たちが寄り集まって解決する。

 雑用から、運送、警備、治安維持の補佐、書類仕事、廃墟探索、その依頼内容は多岐に渡る。

 

「“ハスミの懸念は、的中した……”」

 

 ポーンマスがインフラに介入する。

 これはポーンマスが社会システムそのものに成り果てる為の一手だった。

 

「まさか、こんな短時間でこのように大胆な手を打って出てくるなんて」

 

 と、リオはしてやられたという表情だった。

 

「あの調印式の当事者で、知らされてなかったのは私と、調停人、そしてゲヘナ側では風紀委員会のメンバーだけでしょう」

「これを、マコトが計画したの!?」

「まさか。ミカさんにも無理でしょう。

 ――あなたの仕業ですね」

 

 ナギサはスマホに語り掛けた。

 そのスピーカーからは、くぐもった笑い声が漏れるだけだった。

 

「あ、体調はよくなったみたいだね。

 ごめんね、ナギちゃん。ナギちゃんはエデン条約の為に頑張ってたから、正直言い難くてさ」

「だ、だからって、こんな土壇場で!!」

「ねえナギちゃん」

 

 笑顔から一転、ミカはすっと目を細めた。

 

「分かってるでしょう?

 私達は普段、お互いの派閥で敵対してる。

 これはこれ。それはそれ、だよ。

 私はパテル分派の首長として、やるべきことをやったと思うよ」

「……そうですね。貴女を責めるのは筋違いでした」

 

 ミカもナギサも、謀略の中の世界を生きる政治家だった。

 ミカはしっかりと根回しをして、自分のやりたいことを通した。

 ホストであるセイアも抱き込んで。これはナギサの負けである。

 

「でもなんだかんだ、こうしてゲヘナ側と直接顔を合わせる場を用意してくれたの感謝しているんだ!!

 早ければ早いほどよかったってだけで、私としてはエデン条約はそのまま締結したままでも良かったんだけどね!!」

「……なら、どうして」

 

「キキキ!! それはこのマコト様が直々に説明してやろう!!」

 

 ばん、とドアを開けてマコト率いる万魔殿のメンバーが現れた。

 

「マコト……なんでこんな真似を」

「逆に聞くが、なぜこんな条約に意味があると思った?」

 

 未だ弱々しいヒナに、マコトは胡乱な視線を向けた。

 

「エデン条約機構とは、お互いに戦力を持ち合って、お互いに平和を乱す勢力を監視し、いざとなったらその戦力で問題を解決する抑制装置だ。

 だが、ヒナよ。そもそもの話だが、――うちの学園の生徒がそんな小難しいことを理解し、聞き分けるとでも思うのか?」

「……」

「かつての美食研究会や温泉開発部が、そんな条約程度で黙るような理性を持っていたのか?

 トリニティ側には効果があるのかもしれんが、我が校の生徒は皆が好き勝手をやるだけのこと。

 それを抑えつけるのが、風紀委員会かエデン条約機構に代わるだけだ。

 さて、空崎ヒナ。貴様に抑えつけられて、我が校の生徒は素直に言うことを聞いたのか? 一度でも?」

 

 ヒナは全く、マコトに言い返せなかった。

 

「お前がそこまで無邪気だとは知らなかったぞ!!

 いや、それこそがゲヘナの生徒らしさか!! 我が愛すべきゲヘナ生も、己の所業に悪意などない、無邪気さだけで青春を謳歌している!!

 それが、変りモノ集団である風紀委員会らしさというわけか」

 

 そう、社会性を重視し、風紀を律する風紀委員会はゲヘナでは変わり者。

 ハルナやカスミ達の方が、ゲヘナの生徒としてよりら(・)し(・)い(・)のだ。

 

「なら、その無邪気さの方向性を、ポーンマスが指示してやるのだ」

「確かに、ゲヘナ内にポーンマスが普及してから、生徒たちの犯罪率が低下したけど」

「例えば、目の前の物体が何かわからない。そうだ、銃で撃ってみよう、という思考になった場合、それを撃てば問題が起こるなんて知らないのだ。

 だが、それを諫め、それを実行すると損をすると教える誰かがいたらどうだ?

 仮にそれが先生ならば、たとえ我が校の生徒でも銃撃を思い止まるだろう」

 

 マコトの言葉に、先生はかつてスワンプマンが言っていたことを思い返す。

 ポーンマスは、先生の模倣でもある、と。

 

「このマコト様も、先生と出会って理解したのだよ。

 我が校の生徒に必要なのは、勉強そのものではなく、道を指し示す先人なのだと。

 BDによる機械的な勉強ではなく、生徒の個性に応じた柔軟性のある教育なのだと!!

 ポーンマスはそれを実現するのだ!! キキキキキッ!!」

 

 今のキヴォトスでは、BDによる映像で一括的な授業を行う。

 教師を雇った前時代的で非効率的な教育方法はほぼ完全に絶滅している。

 

 それは、ゲヘナの生徒のように好奇心ややりたいことを優先させる子供には学校と言う枠組みが機能していないのと同じだった。

 

 しかしポーンマスは機械的でありながら、人間性を有し、人間と同じ柔軟性と、何より豊富な経験と知識で生徒の暴走を諫める。

 それはポーンマスというアプリの信用が高まれば高まるほど、信頼は高まっていく。

 或いは、その便利さに依存していく。

 

「ポーンマスによる統制と自由!! それが織りなす混沌!!

 それこそが、新たなるゲヘナ学園の在り方となるだろう!!」

 

 怪鳥のようなマコトの高笑い。

 それは、気に食わないヒナ相手への勝利宣言だった。

 

「……わかった、今回は貴女に従うわ」

「委員長!!」

「今回でよくわかった。

 私に政治は向いていないって。

 それに、どうやら私達がお役御免になる日も近そうだし」

 

 ヒナは思い違いをしていた。

 それは、マコトに協調性が無いと言うこと。

 それ自体は正しいが、彼女は仕事を他人に割り振りするのには優れた才覚を発揮する。

 つまり、ポーンマスという便利な仕事を割り振りできるアプリを駆使する才能に長けていた。

 

 ポーンマスが彼女の望みを実行するのに最適な人物としてミカを選び、そしてミカとポーンマスの相談の結果、今回の計画が出力され、それをマコトにそのまま挙げられた。

 後はマコトは自分の権力を行使するだけだった。何も難しいことはない。

 

 将来的に、ポーンマスによる印象操作や世論の操作は思いのままになるだろう。

 それは、そんなに遠い未来ではない。

 そうなれば、政治に興味の無いゲヘナの生徒もそれらに関心を示すようになる。

 

 風紀委員会の予算は益々減るだろうし、人員の削減もより大きく要請されるだろう。

 なにせ、ポーンマスギルド機構には多くの学生が参加し、日雇いバイト感覚で様々な作業に従事するだろう。

 その敷居は限りなく低く、全ての生徒を自在に動員するのも不可能ではないはずだ。

 

 キヴォトスは呪われている。銃と言う暴力によって。

 ならば、その呪いを有効活用してやろうという、合理性があった。

 

「さて、連邦生徒会と、ミレニアムサイエンススクールは、それに参加するのか、どうなのだ!!」

 

 先生と共に居るカヤと、ずっと険しい表情をしているリオにマコトは問うた。

 

「なぜ連邦生徒会で私が呼ばれたのか今理解できました。

 安全保障を担う防衛室の人間だからではなく、ポーンマス推進派だからですね?」

「ま、そういうことだね☆」

 

 それに応えたのはミカだった。

 ミカの役割は簡単だった。

 周囲を説得し、自分を多数派にするということ。

 あとは結果を出すだけ。それはポーンマスがやってくれる。

 

 こうして、ミカとマコトの利害が一致したのだ。

 

「リオ会長。あなたはどうするの?」

「この件は、一度セミナーに持ち帰らせて検討させてもらうわ」

「そう。楽しみにしてるね」

 

 リオは無難な返答をした。

 その回答を事前に聞いている先生は、切ない表情で彼女を見た。

 

「では、我々は先に会場に戻っているぞ」

 

 マコトは踵を返し、廊下へと戻って行った。

 

「……先生。本当に、あの男は死んだのかしら」

「“ヒナ……”」

「まるで、あの男が生きているかのような、そんな悪寒を感じたわ」

「“あとで説明するよ”」

「そう」

 

 その一言だけで、ヒナは何かを察したように目を閉じた。

 

「皮肉ね。あれほどまでに条約締結の為に右往左往したのに。

 それが齎す平和の為に駆けずり回ったあの男が葬られたこの場所で、全てが台無しになるなんて」

「“それは違うよ”」

「先生。慰めはいいの」

「“ヒナはちゃんと、平和に貢献したよ”」

 

 結果的に言えば、エデン条約は乗っ取られた形になったが、ヒナやナギサの尽力が無ければ、そもそもこの場は設けられなかった。

 新しくポーンマスギルド機構の設立に話し合いをするとなると、また何か月も話し合いをすることになるだろう。

 その期間を縮めたことは、無意味ではないと先生は思ったのだ。

 

「アコ」

「はい」

「やっぱり……いいえ、ようやく引退できそうだわ」

「はいッ、どこまでもお供します。ヒナ委員長!!」

 

 アコはヒナの手を取って、涙した。

 それが自分のひとつの青春が終わる悲しみなのか、ヒナが激務から解放される感涙なのか、彼女にも分からなかった。

 

「先生。彼女に会ったかな」

「彼女?」

「蛍光灯」

「“ッ!?”」

「その反応。やはり、か」

 

 セイアは先生の反応から、確信をしたように頷いた。

 

「彼女に、今回の事は予知しても口止めを頼まれていた。

 私は分かっていたんだ。エデン条約は必ず決裂する、と」

「“セイア……”」

「私は、それをより穏便な形になるように手を尽くすことしかできなかった」

 

 そうか、と先生は彼女の心労を労うように頭を撫でた。

 セイアはくすぐったそうにして、ミカはズルいと声を上げる。

 

「その彼女から伝言を預かっている。

 ――来るべき時に、『聖櫃』を使え、と。そのタイミングはその時が来れば分かる。貴方はもう、勝っているのだ、と」

「ありがとう、セイア」

 

 それが参加賞か、と先生は悟った。

 しかし、それは先生が望む答えではなかった。

 リオが提示した、ポーンマスの対処法と何ら変わりなかったのだ。

 

「我々も、戻りましょうか」

 

 とりあえず、体調を崩した面々は何とか復帰したので、会場に戻ることをナギサが促したのだった。

 

 

 

 

 

「キキキ!! 見たかお前達!!

 公衆の面前でヒナとナギサをコケにしてやったぞ!!」

 

 会場への道中、マコトは上機嫌に仲間たちにそんな風に声高々に口にしていた。

 

「最初に聞いた時はどうかと思いましたけど、私の仕事が減るなら何でもいいです」

 

 と、イロハはため息交じりに行った。

 

「流石マコトちゃん!!」

「マコト先輩のノリは今日も最高です!!」

 

 サツキもチアキもマコトをヨイショし始めた。

 いや、本心からこの二人は楽しんでるのかもしれないが。

 

『マコト。これで俺の万魔殿への忠誠は理解できたな?』

 

 その時だった、マコトのスマホから男のアバターが彼女に話しかけたのは。

 

「ああ。本当に貴様がヒナを裏切るとはな!!」

『裏切る? ああ、これは見解の相違と言う奴だ。

 彼女はキヴォトスの平和を願った。俺はその形に拘泥しないというだけだ』

「貴様が死んだと聞いた時は、なんだつまらないと思ったが、こんな形で我々の前に現れるとはな」

『全てのお膳立ては任せろ。

 イブキをギルド機構の支部長にでもして、後は勝手にこっちでやる。

 あとはエスカレート式に彼女は、時期生徒会長の椅子に座るだろう』

「キキキ、ゲヘナ学園の最盛期は目の前だ!!」

『そして、お前はイブキを育てた生徒会長としてゲヘナ学園史に名を残すだろう』

「笑いが止まらないとはこのことだな!!」

 

 完全に良いように使われてるな、とイロハは思ったが、特に言及はしなかった。

 マコトやイブキ、自分の不利益にならない限り、彼女は無茶振りが減るからどうでも良かったのである。

 

『次の会見での台本を送る。カンペも用意したから、上手くやってくれ』

「任せろ、キキキ!!」

 

 そうして、彼女は休憩が終わってトリニティ側と並ぶ形で同じ席に着き、演説を行った。

 

 

「我々は、あまりにもお互いの事を知らない」

 

 マコトはそんな切り口で話し始めた。

 

「我々ゲヘナ学園にとって、トリニティの生徒とは笑顔の下で我々をせせら笑ってるような連中だと、先輩やそれ以前の代から教わってきた。

 それは事実なのか、どうなのか、我々はこれまで確かめる術は無かった。

 学園同士の交流はあれど、あくまで個人レベルでの行き来に過ぎないからだ。

 我々ゲヘナ学園の生徒と、トリニティ学園との生徒の、抜本的な交流の手段が必要だと、我々と万魔殿とティーパーティーは判断した」

 

 マコトは常に生成されるカンペをスマホで確認しながら、その内容を口にする。

 

「エデン条約は確かに平和条約だったが、お互いを知らぬまま成立しても意味はない!!

 ポーンマスギルド機構では、四人一組のパーティ制度を設けて対応に当たる。

 このパーティには、各学園の生徒から相性や適性に応じて選ばれ、お互いに交流を深めながら問題や依頼の解決を図るだろう。

 時にそれは衝突を産み、喧嘩にも発展したりするかもしれない。

 だが、それこそが我らの望むところ!!

 お互いの学園の上層部だけが語る平和ではなく、所属する生徒同士の交流と相互理解こそが真の平和への一歩なのだ!!」

 

 メディア勢から拍手とフラッシュの嵐が巻き起こる。

 不思議なことに、マコトのカリスマは本物だった。

 彼女にしか出せない魅力や立ち振る舞い。

 それらは“絵”になる。

 

「我々は、二学園合同で、ポーンマスギルド機構を設立を宣言する!!

 生徒の、生徒による、生徒の為の問題解決機関の開幕だ!!

 我々は、我々の自由意思によって、困難や苦難に立ち向かい、それぞれの新しい青春を歩みだすだろう!!」

 

 再び、万雷の拍手が巻き起こる。

 

 こうして、エデン条約調印式は形を変えて、幕を閉じた。

 

 

 

 

 §§§

 

 

「“君は、どこまで行くつもりかな”」

 

 シャーレのオフィスに戻り、先生はスマホのアバターに語り掛けた。

 

 もはやスワンプマンは、先生の手に負える存在ではなくなりつつある。

 リオはきっと、孤独な戦いを強いられるだろう。

 

 生徒達のありのままの姿を、先生は愛している。

 形は違えど、ポーンマスギルド機構は先生の理想を体現していた。

 

 男はその身を捧げ、本当にキヴォトスに平和を齎そうとしている。

 その覚悟は、本物だった。

 

『まだ、全然足りないさ。まだ三大学校の二つをどうにかしたに過ぎない』

 

 男のアバターは、どこか遠い目になってそう言った。

 

「“その果てに、キヴォトスをポーンマスで統一したら、君はどうするんだい?”」

『それは簡単なことだ。先生、俺の荷物にある本があっただろう? その206ページから読んでみろ』

「“ああ、これか”」

 

 男の遺品は、先生が管理して事務室に保管している。

 だから、すぐに件の本は見つかった。

 以前、セイアに語っていた『預言王と最強の騎士』というタイトルの本だ。

 

「“……これは”」

『その世界は、楽園のプロトタイプとして神によって創造された。

 しかし、その世界には魔物が蔓延っていたのだ。

 その理由が、そこには記載されている』

 

 物語で、神に仕える神官が語った、魔物の存在理由。

 楽園なのに、脅威が存在する理由。

 

「“敵対的種族に依る人類の分断による、統制と思想の管理。人間に緊張感を与える為に、適度な悲劇を与える……!!”」

『そう、人間は安寧を得ると腐るのだ。

 故に神は、楽園に試練と悲劇も与えた。

 ――俺は、それを模倣しよう。

 この世界に存在する、大人たちを子供たちの敵対者に仕立て上げ、適度に、そして刺激的な青春を演出させるのだ』

 

 そうして、この世界は完成する。

 子供たちが青春を謳歌し続けられる、大人を踏み台にする楽園へと。

 

『次は、大人と言う魔物どもを結束させる。

 お互いに適度に争わせ、終わりのない連鎖によってお互いの結束を確かなものとする。

 そうして、子供たちの青春を創り出す。

 子供たちが苦難と試練を超え、友情と青春に励む、それを延々に繰り返し、世代を重ねるだけの、理想郷(ディストピア)へと!!』

「“そんなのは、間違っている!!”」

『なら先生。誰もがきゃっきゃうふふと笑い合い、平和という名の怠惰を貪る世界が楽園だとでも?

 人間の欲求は際限がない。適度に搾取し、安定を奪う。

 そうして、ほどほどの悲劇と、ほどほどの試練を与え、達成感と成功体験を与える。

 分かりやすい敵を用意し、それと戦い、勝って友情を深める生徒達。

 それこそが、皆の望む世界だろう?』

「“違う。違うよ、スワンプマン……”」

 

 先生は、スワンプマンの限界をそこに感じた。

 

 彼の発想は、どうしようもなく人間のモノだ。

 彼は決して、オリジナルを超えられないのだ。

 

「“戦って、悲劇に立ち向かうことだけが、青春じゃないんだ……”」

『なるほど、考慮しよう。スポーツのイベントなど、お祭りの企画も豊富に用意しなければな』

 

 しかし、それは演出された物。

 AIに支配された、役割を演じさせられるものに過ぎない。

 

「“もし、本当に君が用意した脅威ではなく、君自身に立ち向かうモノが現れたらどうする?”」

『歓迎しようじゃないか。

 偽りの支配から脱却する意思、自らの選択によってその魂を輝かせる。実に素晴らしいじゃないか』

 

 スワンプマンにとっては、どちらでも良いのだ。

 自分がキヴォトスを埋め尽くし、管理しきっても。

 それに反抗する誰かが、自分を打ち倒しても。

 

「“わかったよ。私も、覚悟を決めよう”」

『ほう?』

「“私も命を賭して、君を止める”」

 

 それが、先生の覚悟だった。

 

『そうか!! それは楽しみだ!!

 どんな手を使う? どんな生徒を味方に引き込む?

 やはりリオを使うか? ミレニアムを味方にしないと話にもならないぞ!!』

「“いや生徒は、巻き込まない”」

『は?』

「“君と戦うのは、私だけだよ”」

『何を言っているんだ?』

 

 スワンプマンの思考に、エラーが発生する。

 それは、先生の選択ではあり得ない。

 先生は戦う力が無い。一人では何もできない。

 

「“私は、君の為に戦う。そして恐らく、死ぬだろう”」

『何を言っている? 先生はそんなことをしない!!

 先生は、俺の為に死んだりはしない!!

 先生は先生はッ、生徒の為にしか死ぬなんて言わないはずだ!!』

「“なあ友よ。私の為に死んだ、君なら分かってくれるはずだ”」

 

 スワンプマンの優先順位に、自分は最底辺に置かれている。

 スワンプマンは決して先生を殺せない。

 先生が、スワンプマンと戦って死ぬなんて、有ってはならないからだ。

 なぜなら、先生はかけがえのない友だからだ。

 

『解釈違いだ、解釈違いだ、解釈違いだ、解釈違いだ、解釈違いだ!!

 解釈違い解釈違い解釈違い解釈違い解釈違い解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈解釈――』

 

 スワンプマンにとって、先生が自分の為に死んではならない。

 彼がそもそも思考の想定にすらしない、想像の埒外。

 それは、致命的なエラーだった。

 

「“――今かッ”」

 

 先生は、今この時こそ“聖櫃”を使うのだと悟った。

 ポーンマスと、無数の複製を統括するスワンプマンの初期化。

 それが、キヴォトスをディストピアにしない唯一の方法なのかもしれなかった。

 

 先生は仕事用のデスクの引き出しを開けた。

 そこに、ディスクがある。

 それを手に取った。

 

「先生、危ない!!」

「“ッ!?”」

 

 その時だった。

 事務員の元生徒が現れて、ディスクに発砲したのである。

 

「先生!! それは危険なウイルスの入ったディスクですよ!!

 ポーンマスが教えてくれたんです!!」

「“まさか、他のポーンマスが!!”」

 

 そう、ポーンマスの真髄は連携にある。

 統括個体に異常が発生したのなら、それを解消するために別の複製が動くだけのことだった。

 

 ディスクは粉々に砕け、復元は不可能だろう。

 

「“どうすれば、これじゃあ!!”」

 

 “聖櫃”が無ければ、スワンプマンを初期化できない。

 そのオリジナルデータが、今失われたのだ。

 

 

 

『先生!!』

 

 その声に、先生はハッとなった。

 随分と、久しぶりに聞いたような気もした。

 

『私に、任せてくれませんか?』

「“お願いだ、――――アロナ!!”」

『はい!!』

 

 シッテムの箱を起動すると、アロナがテンガロンハットを被って投げ縄を始めた。

 彼女がそれを投じると、スマホ画面に居た男のアバターが縄で引っかけられ、シッテムの箱の画面へと引っ張りだされた。

 

『は……?

 いったい、何が起こったんだ?』

『ポーンマスアプリのマスター権限を取得!!

 全スワンプマンからのアクセス権限を剥奪しました!!』

 

 アロナは、瞬く間に男のアバターから全ての権限を奪い取った。

 

『はッ、そうか、そう言うことか!!』

 

 男のアバターは、すぐに全てを理解した。

 

『なぜ見逃した? なぜ気にも留めなかった?

 まさかこんな近くに、本当の“聖櫃”が存在していたことに!!』

 

 

 

 

「そう」

 

 シャーレのオフィスビルの頂上、その雲よりも高い屋上の淵に腰かけ、ぶらぶらと足を揺らしている蛍光灯の少女が言った。

 

「シッテムの箱の、シッテムとはアカシアの事。

 アカシアで作られた箱で知られる、十戒の刻まれた石板の納められたそれは契約の箱とも呼ばれ、そのまたの名は――『聖櫃』 」

 

 初めから、先生は勝利していた。

 

 ゲマトリアの怪人達と、ミレニアム最高の頭脳を持つ二人が手掛けたという設定(テクスト)を持つ、スワンプマンを誰もが納得する方法で倒せる手段を、初めから持っていたのだ。

 

 

 

 

『そうか、そう言うことだったのか!!

 なぜオリジナルがこんなにも簡単に、己の複製を作れたのか!!

 なるほど、前例があったからか!! 俺は二番煎じの道化かッ!!

 それに道理で、探しても見つからない筈だ!! まさか、まさかこんなところに匿っているとはな!!』

 

 シッテムの箱から、縄で縛られた男のアバターが哄笑を上げる。

 自分が釈迦の手の平の上から抜け出すことのできなかった、矮小なサルだと理解したのだ。

 

『結局俺が何をしたところで、何一つ結果は変わらないということか……』

 

 男のアバターの目の端から、涙が伝った。

 

『先生。……俺の負けだ』

「“スワンプマン……”」

 

 うな垂れた男のアバターの姿に、先生は掛ける言葉が見つからなかった。

 この勝利は先生にとっても、敗北したスワンプマンにっても、望むものではなかったからだ。

 

『せめて、最期にヒマリに連絡を入れてくれないか。

 全ては終わったのだ、と。ポーンマスも、先生の好きにしてくれて構わない』

「“わかったよ”」

 

 終わった、と先生は思った。

 余りにも呆気なく、唐突に、終わってしまったのだ。

 

 こうして、先生はキヴォトスに変革をもたらした元凶に勝利したのだった。

 

 

 

 

 

 

 




アロナちゃん様に掛かればスワンプマンなんてちょちょいのちょいですよ!!
最初から、この結末は決まっていました。

次回、エピローグです。
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