初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
「光あれ」
こうして光があった。
(創世記 1章1〜3節)
ーー深い海の底へと堕ちていく。
いや、海というのは正しくないだろう。
視界一面に広がるのはひたすらに分厚い雲の壁だ。
ただ「雲海」という言葉もあるとおりこの雲の層の厚さと広がりは海と呼んでもあながち間違いでもないか。
下へ下へと落ちていくごとに重くなる空気、総身に感じる圧力は深海へと潜るような手応えだ。
魔界と人界に跨る領域である『断界』はまさしく海のように二つの世界を隔て、やはり海のようにその内に深い層を湛えている。
ここは断界積層・第100層目。
この深みまで到達したものは二界の歴史においても存在しないという、世界の底。
俺はその領域にただ一人で先行していた。
本当に一人だった……かと言うと若干語弊があり、ここまで俺を送り届けてくれた多くの人々のこれまでの努力の賜物というのが正しいのだろうが。
断界探査に関しては魔界の魔人達の方が上手であり、人界勢力である魔法少女達は彼らの探査経路を後追い……もとい追撃しながらこの深みまでやってきた。
ここのすぐ上ーー99層では今頃、幹部級魔人達と俺の同胞である魔法少女達の一大決戦が行われているはずだ。
リーダーに魔法少女全代表ことゴールデンジラフ、参謀役にアズールサフィー、切込隊長にクリムゾンフレア、他多数。
断界遠征部隊の最高戦力をかき集めたチームは幹部級魔人達の討伐が目的であるが、同時にその真の目的は俺を第100層に送り出すための時間稼ぎだった。
この俺ーー全魔法少女の中でも単独最強戦力として扱われる、ジェミニジェネシスのために。
「近いな……」
呟く声は荒ぶ大気と魔力の乱流の中に消えていく。
並の魔人か魔法少女であれば立っているだけで息が詰まって昏倒する程の濃密な魔力が満ちている。
これは深みに潜れば潜るほど水圧の代わりに大気中の魔力の圧力が増える断界の特性もあるだろうが、最たる原因は他にある。
この雲海を抜けた先にそれがあることを確信した俺は目を細めた。
ーーやがて雲の層を抜ける。
雲の海を上から下へと抜け出た俺の姿は、上下反転させれば水上に跳ねたイルカにでも見えるだろうか。
空から落ちてきた俺の視界に映るのは、コールタールのように真っ黒な海とどこまでも続く黄昏の陽だった。
一体どこまで続いているのかーー水平線さえも見えないだだっ広い黒の海は、海と雲の間を埋める永遠の夕日の明かりを照り返して漆塗りのような輝きを放っていた。
灰色の雲、金色の夕暮れ、漆黒の海。それらが果てしなく続く、ただそれだけの永遠の静寂の世界。それが第100層の風景だった。
世界の底の底という割には開放感と美しささえ感じる光景。
だが、俺がここにきたのはその景色を満喫するためではない。
そこに倒すべき敵がいるのを俺はすでに感じ取っていた。
「見つけた……
眼下、漆黒の海の中心(どこが真ん中なのかはわからないが、雰囲気だ)に一つの巨大な影が屹立している。
それは生物的な外観と質感を持っていたが、既存の如何なる生命にも該当しない見た目をしていた。
魔界の生き物ですらないだろう。これまでの魔界勢力の戦いでもあのような姿のものはーーましてはあのような
それは蛇のような下半身と人間のような上半身を持っていた。
腰の下から伸びる蛇型の胴は、黒い海の中に浸かっているため果たしてどれくらいの長さと太さを持っているのか判別がつかない。
だが、海の上に身を起こしている上半身だけでも常識外れのサイズであることは確かだ。
周りに基準となるものが存在しないので測るのは困難だが、山くらいはあるだろう。上半身だけで1km、2kmはあるかもしれない。
その体を覆う筋肉の隆起とその表面を護る鱗の質感は岩肌、岩盤のそれ。上に乗っていればその体自体を地形の一種と錯覚しかねないだろう。
ビルなど引っこ抜いて握り潰してしまいそうな腕はまさに巨人だ。
しかもよく見れば腕は二本だけでなく脇の下や背中に大小無数の副腕が備わっている。生え揃ったそれらはまるで身を覆う衣のようだ。
背中には六対の蝙蝠の翼、太陽を直接背負うかのような眩い光輪。
頭部には王冠じみた
顔の造りは鰐か、熊か、鷹かーー最も近い表現をするならば「竜」だろうか。
これこそが俺の探していた相手。
遥か昔、断界の第100層に封じられたと魔界の伝説に語られる神。
名をーー魔神ネガゼニス。
「ーー双克せよ」
呪文を口にしながら、俺は眼下の魔神に向かって吶喊した。
たった一人で、などと無謀に思われるかもしれない。
相手は神と言われる存在。その巨体は生物としての常識を外れて最早地形の領域に達している。
近づけば近づくほどにその魔力の質も量も桁が違うのを理解する。
奴がただそこに存在しているだけで大気中の魔力が荒狂っているのがわかる。大時化の海と大差が無い。普通なら満足に飛ぶことすらできずに吹き散らされる。
これに人間が挑むのは、台風に向かって殴りかかるのと同じくらいの無茶だろう。
「尾を喰む蛇の頭を落とし、崩れる秤に錘を載せる」
一目見ればそれくらいはわかる。
だが、生憎と魔法少女は人間を超えた存在。
不条理を奇跡を持って殴り飛ばすのが仕事でありーー。
俺はその魔法少女の中でも、とびきりの
手のひらの中に2本の
右手に赤と黒の螺旋模様。左手に青と白の螺旋模様。
2つの杖を柄尻で接合させると、それぞれの先端部から魔力の刀身が伸びて
「ロゴスの礎、水鏡の波紋。波立つ雫が虚無より湧き立ち光を放つ」
その瞬間、今まで静寂を保っていた魔神がこちらに顔をあげた。
奴から見れば人間大の生物など羽虫ほどにしか見えないだろうに、どうやら俺のことを認識したらしい。
奴の顔に尋常の生物のような目はない。その代わりに存在する中世の騎士甲冑の
地獄の谷底に湧き立つ溶岩のように、鮮烈な朱色と橙の禍々しい眼光。
それがこちらを向いただけで大気中の魔力が指向性を持って押し出され殺到する。
波濤というよりは爆風。これだけで前線基地の一つや二つは吹き飛びそうなそれをーー俺は真っ向から相殺していつもと変わらぬ勢いで飛翔した。
飛翔するーーというよりは落ちていく。真っ逆さまに、あの巨大な魔神の眼前にまで。
「流れ出せーー
一つの呪文が完成し、人界での使用を固く禁じられた極限の魔法が放たれる。
その刹那、俺は確かに魔神と真正面から視線を交わしていた。
表情も窺えない、言葉も通じない、
意思の疎通のできようもない、神の如き怪物。
だが、その交錯の一瞬、俺達は確かにお互いの瞳を見つめ合っていた。
「相手が自分のことを見ている」、その確信だけは
俺の魔法が炸裂し、永遠の黄昏の世界を純白の極光が塗り潰す。
それを合図にして、世界の底ーー世界の果てで、世界の命運を賭けた
******
この世界で人界と魔界との戦争が始まっておよそ10年経つ。
正しくは衆目に触れて周知される形でこの戦争が表沙汰になったのが10年ということで、人目に付かないような散発的な戦闘自体は更に以前から繰り広げられていたらしい。
夜の路地裏、人気の失せた石材採掘場、そういったところで人知れず侵略者と戦う
断界を渡って魔界から侵略してくる魔人達の攻勢は10年前を境にそれまでの比ではないほどに激しくなり、結果としてそれは一般人社会にも知れ渡るものとなった。
聞くところによると魔界の方はかつてから進んでいた現地の環境汚染がいよいよのっぴきならないレベルにまで達したとのことで、新天地として人界を目指しているのだという。
その新天地への移住の手段として、人界を侵略して植民地化、という政策を取っているので全く相容れないのだが。
人界も人界で、魔人に対抗するために政府があらゆる政策を講じて魔法少女の資質ある人間を集め、組織的運用を行なっている。
今日では魔法少女とは夢と希望を胸に抱いて人類を護る不思議の使者ではなく、高額の給料や退職金に年金、各種税金控除に或いは将来的就職支援等々のボーナスを目当てに就く兵役のようなものに成り果てている。
勿論、それ以外にも強い個人的な動機で魔法少女を志願するものも多いーー大抵が身内や親戚を魔人に傷つけられた、殺されたといった物騒な理由だったりするのだが。
そんな時代、そんな世相にあって俺はかなり異質な魔法少女だったと言えるだろう。
学校の健康診断で行われた血液検査、それが名前のせいで偶々間違われて女子生徒のものに紛れ込み、魔法少女適性検査に掛けられて。
何度も何度も照合がやり直されてどうやら適性ありらしいと認められてーー本当になれてしまっただけ。
そしてそれをそのまま続けていただけ。
できたからやっている。やれるからやっている。
そんな真面目に命懸けで魔法少女やってる連中にしてみれば噴飯ものの理由で、戦い続けているーーそれが俺だった。
それが俺、
******
……最初に感じたのは強い熱、そして寒気だった。
手足が酷く寒い。冷え切った手足は鉛のように重たい。全身の筋肉の隅から隅にまで濁った泥を詰め込まれているような感覚。
どこかに力を込めて動かそうとしても、あちこちの神経が断線したかのように反応がない。まるで自分の体ではないよう。朦朧とする意識だけが頭蓋骨の中に閉じ込められている。
そして体は冷たく萎えているくせに、心臓だけは異常に熱い。
胸骨と肋骨を切り開いて中に太陽を捩じ込まれたのではと胡乱な頭でそう思う。
心臓が一拍鼓動を打つごとに耐え難いほどの熱が痛みを伴って、胸を内側から罅割っていくような錯覚。
体が裂けてしまいそうなのにその理由もわからず、ただただそれに耐えるしかないというのは殊更に酷い気分だった。
心臓の熱さに対して体に滲む汗が氷のように冷たく、思考は寝起きのような微睡の中で深い霧が立ち込めている。
……そこでようやく、俺はついさっきまで自分の意識がなかったこと、今しがた覚醒したことを理解する。
何を言っているのかと思うのだが、それに思い至るまでさながら自分が虚空から生まれ出でて直接この熱さと冷たさの苦痛の海に放り込まれたような心持ちだったのだ。
霞がかった脳味噌を腑分けして、どうにかものを考えるだけの意識を手繰り寄せる。
俺はさっきまで何をしていた?何が起こった?今どこにいる?
疑問のヒントを得るためにどうにか目を開く。
瞼を上下に開けるだけでもなんとも重労働だった。
酷く億劫で、倦怠感がすごい。起きよう、という意思を保つだけでも音をあげそうな自分を叱咤しながら……どうにか目を覚ます。
「…………起きた、か」
だが、自分の目で状況を確認する前に何者かに声をかけられた。
確証はないが、聞き覚えはない声……だと思う。
酩酊しているような思考ではそれすらも確証がない。
ピントがボケたように浮ついた視界の中で、声の主を探す。
相手は自分のすぐ横にいたようだ。顔を振り向けるだけの余裕はないので、視線だけそちらにちらりと寄せる。
「……あまり、無理、をするな。まだ……安定していない」
その人物は男性だった。耳に馴染む、落ち着いた深みのある声。古木の表面を叩いて中の樹洞に響く音のような、そんな声音だ。
ただ喋り方自体はどこか辿々しい。口を開くのも初めてで舌と喉の調子を確認しながら話しているようだ。
ぼやけた視界に映るその男は、椅子に腰掛けてこちらを見つめている。
シンプルなグレーのシャツに黒いジーンズ。荒野の大地のような荒々しい色合いの褐色肌に、黄昏時の空を彷彿とさせる黄金色の頭髪。
座っているから正確な身長はわからないが、上背は結構な高さがあるのではないだろうか。肉体は筋肉質で、シャツの襟元や捲った袖口からは均整の取れた生身が覗いている。
しかし、なによりーー俺の目を引いたのは、その男の目の色だった。
どうやら今の時間は夜のようで、周囲は暗いが月明かりと思しき銀色の淡い灯りのおかげで物を見るのに不自由はない。
その薄暗さと明るさが同居する視界の中で、その男の目は朱色と橙を合わせたような色合いでほのかに光っていた。
……まるで地の底から湧き出してきた溶岩のような、その色合い。
それを見て一つの記憶が鮮烈に思い出される。
あり得ないだろう、と一瞬思うが、思い違いだとしてもその閃きを吟味している余裕のない俺は咄嗟にその名を口にした。
「……ネが、ぜニス……?」
「わかる、か。そうだ、
その燃えるような色合いの目を見て咄嗟に出てきた名前。男はそれを否定しなかった。
全長数キロメートル、無数の腕に翼を生やした竜のような姿の魔神と……目の前の褐色肌の人間。
姿形は似ても似つかない筈なのに、その眼光は共通項となって二つの姿をオーバーラップさせていた。
……そう。少なくとも俺はあの魔神のことを見間違えることはないだろうという確信はあった。
なにせーー体感時間で
「ーーーー……っ!」
そのことにようやく思い至りーー心臓が
赤熱していく頭の中でどうにか思考をまとめようとする。
そうだ、俺は魔神ネガゼニスと戦っていた。激戦だった。死闘だった。
ーー結果はどうなった?戦い続けて、限界を迎えつつあって、それで俺とアイツは何をしたんだった?
俺は負けたのか?勝ったのか?自分の体に何が起こった?なぜあいつは人間の姿になって、敵である俺の横に腰掛けているーー?
「もう少し、寝ていろ。体が落ちついたら、話をする」
「…………っ……」
熱と痛みでバラバラになりそうな意識の中に、男のーー人間の姿になったネガゼニスの声がスッと染み渡る。
仮にも宿敵のはずなのに、その辿々しさの中にこちらを労るような色を感じて、体の力が抜けるのがわかった。
そしてソイツはすっと手を伸ばして俺の頭を撫でてきた。
撫でる、というよりは頭に手を置くだけの不器用なものだったが……それはそれは本当に繊細で、ガラス細工に触れるような静かな手つきだった。
核ミサイルみたいなパンチを打ってきたあの剛腕とは随分な違いだがーーそこに敵意が無いということは伝わってきた。
妙に素直に納得いった俺は、そのまま意識を手放してもう一度眠りに落ちていった。
……眠りは深く、それでいて回復は浅かった。
底なし沼に引き摺り込まれるような眠気が全身を飲み込んでいて、寝ても寝ても寝足りない感覚。
夢すら見ない睡眠の中で意識は多少の浮き沈みを繰り返すが覚醒には至れない。まるで真っ暗な深い海の底から浮上しようとして失敗している難破した潜水艦のよう。
そんな眠りをどれだけ続けたのかわからないが、ようやく再び目を開けることができたときには、まだ夜だった。
……目を閉じる前と何も変わっていなくて、本当は寝入ってなどいなかったのでは無いかと錯覚してしまいそうだ。
薄暗い部屋、窓の奥から差し込む月光。
そしてベッドの横に座る男……ネガゼニス。
こいつに至ってはなんと俺の頭に手を置いたままだった。
……自分がどれだけ寝ていたのか全くわからないが、その間ずっとこの体勢だったのか?
こいつは何をしたいんだ?
「起きた、か」
「…………ぉは、よう」
「『おはよう』。知っている。意識が睡眠……から覚醒状態に、移行した者が使う挨拶」
「……起きた人間に向かって、他の人間が向ける挨拶でもある」
「……ふむ、では……
「よくできました……えらいえらい」
「あぁ、
「…………」
寝起きの、酷く気だるい心地の中で脊髄反射的な言葉を吐きながらネガゼニスと会話を交わす。
……なんというのか、随分と毒気を抜かれる奴だった。
口調は辿々しく、語彙は豊富なようだが言葉の使い所に経験値が足りない感じがする。子供か、或いはちょっと知恵が回るくらいの動物と会話を交わしているような気分だった。
これが、
その間、大きく、無骨で、温かみを感じる掌がずっと俺の頭を撫でていた。
褐色の肌に覆われたその指先が、そっと
砂遊びをしている少年が掌を流れ落ちていく砂を眺めているような、そんな無垢な仕草だった。
少しくすぐったいが、悪い気はしなかった。
俺も
不躾に触られるのはごめん被るが、そんな邪気のない手つきでされると怒るに怒れんな……と思いながら、俺はゆっくりと自分の腕を掲げた。
相変わらず全身の筋肉は泥のように重く、末端に血を巡らせようとした心臓と血管が張り裂けそうに痛い。
だが、全く動かせなかった先ほどよりはマシだーー俺は自分の体にかかっていたシーツから腕を引っこ抜いてそこに視線を向ける。
白木の枝のように、小さく、華奢で、ほっそりとした腕。……
だが、意識を集中させてもそこにあるべきつながりを感じることができなかった。
「お前との戦い……俺はどうなった」
「
「そうか」
ネガゼニスはあっさりとそう答えた。食器の位置を聞かれて、戸棚にマグカップが入ってるぞ、と答えるくらいのあまりに気安い返事だった。
その気安さ、その当然さを感じさせる言い方がかえって真実味を増して俺に迫る。
……どうやら俺は死んだらしい。
ショックを受けていないといえば嘘になる。
繋がりを感じられない杖のことも含めて、背筋が寒くなるような喪失感と空虚感が去来する。
だがーーその感覚はどこか他人事のように遠い。
レンズ越しに『そう感じている自分』を自分が観察しているような、そんな感覚。
現実を受け止めきれていないのか。信じることができないのか。
そうではないだろう。俺は自分が死んだと言われて、それが腑に落ちたのを感じている。少しずつ
他人事のように感じているのはこのことだけじゃない。
俺にとってはーーーー何事も、いつものことだった。
「……思い出した。俺は、お前と戦ってるとき……」
「そうだ。お前は……『命を懸ける』誓約、を立てた」
ネガゼニスは俺の頭からそっと手を退けた。
代わりにベッド横の椅子に深く腰掛けて、こちらに眼を向けてきた。
月明かりの逆光の中、溶岩色の瞳が浮き上がって見える。
表情に乏しいこいつの顔からどんな感情を伺うべきなのかはわからない。
だが、目線を合わせていると不思議と伝わってくるものがあった。
冬の海のような、灰青色の物寂しいイメージ。はらはらと胸の裡から心が零れ落ちていくような印象。
これはーーーー悲しみ、か?
「……体感どのくらい戦ってたのかわからないけど……もう埒があかないと思ったんだ……。それこそ、命を捨てるくらいじゃないと、お前は倒せないと思った……」
「…………そう、か」
『誓約』は魔法強化を行うある種の儀式だ。
その名の通り、何かの誓いや約定を立ててそれを遵守することで力を得る。ケルト神話における『ゲッシュ』と同じようなものだと言えばわかるものにはわかるだろう。
この手のものとしてはよくあることだが、その縛りや代価が重ければ重いほど効果量は跳ね上がる。
俺は『この一戦に命を懸ける』という単純にして強力な誓約を結びーーそのまま死んだようだ。
だが、ネガゼニスが健在であるところを見るにーー俺の命懸けの戦いは敗北に終わったらしい。
正直なところ……かなり悔しいな。いいところまで行ったと思うんだが。
あれだけ賭けてもなお届かなかったと思うとやるせなさすぎて嫌になる。他の魔法少女たちに会わせる顔がない。
人類最強とチヤホヤされた挙句にこのザマだ。情けない。
「お前は……強かった。今まで、
「……それは……どうも」
「お前を蘇生するために、残り四分を消費した。もう一分も残っていない、だろう。
「…………」
少なからず沈んだ気分になっていると、ネガゼニスが語りかけてきた。
口調はつっかえつっかえではあるが、そこには真剣味が感じられた。
慰めやお為ごかしではなく、本心からこいつは俺のことを強いと感じていてそれを率直に伝えようとしているのは感じられた。
そのことが、ちょっと面映い。
……気を遣われたのだろうか。
なんだか気恥ずかしさを感じて、ため息を一つ吐く。
「お前に、は
「ーーはぁっ!?」
いきなり投下されたその爆弾発言に大きな声が出た。
その拍子に胸が
心臓を渡したーーーーということは、この胸の痛みはつまり……。
「心臓といっても……人間の物理実体を伴う、臓器とはまた違う概念的なもの……
「魔神とやらがどんな生き物かは知らないが……そんなの人間の規格に合うわけないだろうが普通……」
「そうだ。
胸元の痛みで目がチカチカする。言葉を口にしたり、息をしたらその拍子に喉から血が迫り上がってきそうな錯覚がして怖気が走る。
脳裏によぎるのは断界100層で戦ったネガゼニスの本来の姿のことだ。
全長6kmほどの超巨大な半蛇の竜人のような巨体、一発でキノコ雲が吹き上がるだけのエネルギーを伴う拳、周囲の大気がプラズマ化する光輪の発光、中性子線とγ線を撒き散らしながら断界の層をぶち抜く超威力の炎の息。
そして何度も何度も……それこそ、何度も何度も何度も何度も全力の攻撃を叩き込んでも倒れず再生してくる異常極まる生命力。何回疑似ビッグバンで頭を吹っ飛ばしたことか……。いい加減に早く死んでくれ……。
ーーともかく、そんな存在を支えていた生命力を、死にかけの体からとはいえ移植されたのだ。
耐えきれずに俺の体が内側から爆散していてもおかしくはないし、そうなっていないのが奇跡的なのだろう。
そう思えば今の起き上がることすらできない状態も納得がいく。
「なんで……わざわざ、そんなことを……」
「お前と話してみたかった」
「……そ、そうか……」
「…………」
「…………」
ネガゼニスはじっとこちらを見つめてくる。
その視線と言葉がやたらと真剣なもので、なんだか気恥ずかしくなった俺は押し黙ってしまった。
話したかった、という言に反して沈黙が続く俺達。
何か話題が無いかと考えを巡らせると、重要なことをまだ聞いていないことに気がついた。
「ところで……ここは、どこなんだ?」
「断界101層」
「そんなところがあるとは初耳だ」
「一応そう、名付けただけだ。
ベッドに横たわったまま左右に目を向けると、ここが広い空間であることに気がつく。
一般的な学校の体育館くらいはあるだろうか。天井は高く、壁までは遠い。素材は大理石だろうか、つるりと磨かれた石材で床は顔が映りそうなほど磨かれている。
柱や窓枠などの装飾は凝っており……様式はよくわからないが、ロココ調だがゴシック調だが民調だが、そんな感じだ。
大広間と言うべき場所だが調度品の類は一切なく、そのど真ん中にポツンと俺のベッドとネガゼニスの座る椅子が置かれているのは、かなりの殺風景だった。
左手にある椅子よりずっと奥には窓とテラス。そのさらに向こうには異様に大きな眩しい月と、深い紺色の夜空が垣間見えた。
「この、世界は
「……いや、瀕死じゃん……なんでまたそんな……」
「人間を寝かせるにはベッドと布団が必要だと知っているから、だ」
「……」
「こういうのを……『礼を尽くす』と言う、のだろう。
「……どうしてそこまでする」
呆れた声で尋ねる。
自分の命を俺に移植したことといい、残ったほんのわずかなそれを俺のベッドのためにさらに削ったことといい、こいつは俺のために体を張りすぎである。
こいつを殺そうとしていた俺が言えた義理では無いかもしれないが……そうまでされると困惑する。
ただ得体の知れなさ、それに伴う薄気味悪さは感じなかった。こいつがこいつなりに真摯に俺に向き合おうとしていることだけは感じ取れたからだ。
真剣さが……不器用な言葉の奥に隠された本音の断片が伝わってくる。
それは、俺がこいつの命を与えられているからだろうか?
「……
「まぁ……あれだけ図体デカかったらな……」
「大きさ、ではない。生命の規格として、だ。…………初めてだ。初めてだったんだ。触れられるのも、傷つけられるのも……命の危機を感じたのも、殺されるのも」
「…………」
「同じ
「残った命を削って瀕死になってでも?」
「残り一厘、捨てても惜しくない程度には」
「…………」
燃える焔の、朱と橙の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。
嘘偽りのない言葉だというのが肌で……いや、
興味、関心、期待。そういった感情があいつのくれた命を通して伝わってくるよう。
……なるほど。話慣れていない子供のような喋り方をする、と思ってはいたが当たっていたようだ。
おそらくネガゼニスは他の生き物とまともにコミュニケーションを取ったことがない。正確には
虫や鼠を話し相手に考える人間はいないだろう。話しかけることはあってもそれは独り言の延長線上だ。会話ではない。
こいつの言っている、同じ格の生き物に会ったことがないというのはおそらくそういうことだ。
「……わかった。どうせしばらく起きれないだろうし、話し相手になるくらいはしてやるよ。……一応、命の恩人でもあるしな」
「そうか、ありがとう。……うむ、こう言う時に使うのだろう?『ありがとう』」
「……あぁ、合ってる」
俺がそう答えると、ネガゼニスの顔の上で影が一瞬動いた。
それがそいつなりに笑顔を作ろうとした結果だと気づいたのは、もうしばらく後になってからだった。
******
「お前の名前は……なんというんだ?」
「そこからか。俺は……魔法少女としての名前はジェミニジェネシス」
「ジェミニジェネシス。……人間としての名前は?魔法少女とは、人間から変わるものなのだろう」
「……綾辻巴」
「トモエ。ジェミニジェネシス、トモエ。覚えた。だが名前が二つあるなら……どちらで呼ぶのが、適切だ」
「あー……魔法少女の名前でいいよ」
「ジェミニジェネシス」
「長いからジェミニでいい」
「わかった、ジェミニ。そうする。お前のことはジェミニ、だ。
「知ってる。ネガゼニス」
「…………」
「なんだよ、押し黙って」
「……いや、なんでもない。…………そうだ、ネガゼニス、だと少し長いかもしれない。
「ゼニス、でいいんだな。わかった」
「あぁ、こうやって名前を略したりして呼ぶことを『仇名』……と言うのだろう?親密で距離感の近いもの同士では仇名で呼ぶのが慣わしだとか」
「…………まぁ、そうだな(ジェミジェニとか、ジェジェとか、そういう仇名もあるけど言わん方がいいな)」
「俺たちの戦いの後、どうなった」
「どう、とは?」
「魔界の魔人と、人界の魔法少女。すぐ上の99層でも戦ってただろ。100層が崩れた時にはみんな避難してたが」
「……全軍撤退だ。損害はどの程度出たかは、知らん。断界の層は
「…………そうかぁ……。しかし、なんだ。お前って断界の底から上の層のこと把握してるのか?」
「概ね。断界で起きていることは全て見聞きできるし、覚えている。千里眼、地獄耳というやつだ」
「それは……凄いな。じゃあ、この10年くらいの断界で起きてた戦いとかも把握してるわけだ」
「多分」
「なんで自信ないんだよ」
「魔人も魔法少女も、
「あぁ、なるほど……お前から見ればアリの縄張り争いみたいなもんだろうしな……」
「そもそも……お前たちは、なんで断界を降りてきた。情報は把握しているが因果関係がわからない」
「えーと……どこから話せばいいか。魔界の連中は断界を渡って人界に侵攻してきているわけだ。ただ、連中も一枚岩じゃなくて『将軍派』と『司教派』に分かれている」
「何が違う」
「手段。将軍派は自分たちの武力で戦おうとしている。司教派は侵略のために魔神を呼び起こしてその力を使おうと考えていた」
「断界を率先して降りてきていたのは司教派」
「そう。俺たち断界遠征組の魔法少女はそれを阻止するために連中を追撃していた。何分、断界は広いから基地を建てたり逆に壊したりしながら……」
「…………なぜ、司教派とやらは
「ん?お前って魔神ていうくらいだから魔界の神じゃないのか。断界の1番底に封印されている魔神を呼び起こしてその力で人界を掌握してうんぬんかんぬんと言っていたが……」
「
「封印されていないぃ?…………いや、確かにお前と戦いながらこんなバケモンどうやって封印したんだよって思ってたけどさ……」
「他の生き物は
「あー…………なるほどなぁ……。……お前って優しいんだな」
「優しい?」
「他の生き物が傷つかないように配慮できるってこと。普通の生き物がお前に近づいたら大体死ぬだろ?そういうの気にしてるって、お前が優しいからじゃないのか」
「優しい。そう言われるのは初めてだ。だが嬉しい。……ふむ、これが『嬉しい』という感覚か……クセになりそうだ」
「それ、ほどほどにしとけよ。承認欲求モンスターになるからな」
「承認欲求モンスター」
「人に褒められて嬉しくなりたすぎて、頭がおかしくなった哀れな怪物のことだ」
「そうか。だがきっとお前なら倒せるのだろう。お前は
「……褒められてるんだよな、これ?」
「お前を蘇生した時に気づいたことがある。お前、その姿は本来のものではないだろう」
「魔法少女だからだな。今の体は変身後のものだよ」
「そういうのではなく、もっと根本的な体の作りとして」
「……俺が男だってのは、わかるのか」
「男。人間には二種類の性別というものがあって、それらが
「そうだ。あってる」
「人間としてのお前は男で、魔法少女としてのお前は女」
「あってる」
「それはよくあることなのか?」
「ーーいいや、それはない。全魔法少女で俺が唯一の例だとよ」
「なぜそうなった?」
「………………」
「どうした?」
「いや、話そう。ーー俺は元々、双子だったらしい」
「双子。母胎の中で胎児が二体発生し、成長。そのまま二体産まれてくる事例」
「そうだ。…………ただ、俺の双子の妹は産まれてくることができなかった。いや……それどころか母さんの腹の中で育つことすらできなかった」
「どうなった」
「
「お前の中、か」
「奇形嚢腫、というやつらしい。双子の胎児の片方が、もう片方の中に取り込まれて肉の一部になってしまうんだとさ。……小学校のときに健康診断で見つかったけど、体に問題はないんでそのままにしてある」
「変身しているのは、
「…………そう。そう考えると、俺の魔法少女としての姿は、もしも妹が生まれていたらこうなっていたのかも……という姿なのかもな」
「ふむ。ーーなるほど、納得したことがある」
「何が?」
「お前は誓約で命を懸けて、死んだ。だが、命が完全に消えきるまでに僅かな猶予があった。あれがなければ蘇生が間に合わなかったかもしれん。お前の話を考慮するとーーーーお前は微少ながらも、もう一つの命を持っていたのだと思う」
「そうか。…………そっかぁ……」
「………………」
「お前、性別とか初めて意識した、みたいなこと言ってたけど……お前の性別は男じゃないのか」
「この体か?大昔、魔界で生きていた頃の記憶を元に適当な魔人の体をそのままそっくり再現しただけだ」
「そっくり再現……てサラッと言ってるけど凄いことやってるな」
「今風に言うと、こういうのをコピぺというらしいな」
「変なところの語彙を拾ってくるな、お前……。ならこの城も?」
「やはり、昔に魔界で見たものだ。景色も含めて。……途中で飽いたので内装が手付かずだったのを後悔している」
「他に何か作れそうにないのか?」
「創造するのには生命力を消費する。今の瀕死の
「うーむ……そうかぁ」
「欲しいものがあれば今のうちに言っておけ。創れそうになったら最優先で創る」
「いや、そういえば起きてから何も食べてないと思ってな……」
「そうか。普通の生き物は飲食という行為が必要なのだったな。だが安心しろ。
「!? ーーいや、もっと早く言えよそんな重大な事実は!!」
「そうかそれはすまなかった。……これは『謝罪』という行為だ。合ってるな?」
「あぁ、合ってる合ってる。………………はぁ、知らないうちに、魔法少女じゃなくて改造人間になってたとは……」
「好きな食べ物というのはあるのか?」
「コーヒーゼリーパフェとカップ焼きそば。お前は?」
「知らん。食料というもの自体口にしたことがない」
「……人生の楽しみの九割五分は損してるぜ。あの御大層な口は何のために付いてたんだ」
「さぁな……火を吹くためだと思うが」
「お前のアレ、本当に火って言っていいのか?天体現象かなんかじゃなくて?」
「熱を放っているのは確かだ。昔、魔界で一度戯れに撃った時は魔人達がそう言っていた覚えがある」
「司教が言ってた、『かつて魔界を滅ぼした天を穿つ業火』ってやつかぁ。お前のアレ放射線凄かったからな……文明が滅んで再興するまで千年かかったらしいけど」
「
「あぁ、俺の魔法特性は『双克』って言ってな。指定した何かと対になるものを用意できるんだわ。応用すれば害になるものは全部相殺して無効化できる」
「なるほどいくら火を吹いても殴っても手応えがなかったのはそれか。では攻撃面はどうしていた。最初に撃ってきたあの光はどうした」
「アレは『有』と『無』に対する双克だな。まず量子力学の不確定性理論に基づくと完全に何も存在していない虚無というのは存在せず、無の中に揺らぎがあってだな……」
******
俺はネガゼニスと色々な話をした。
俺が寝ていた間のこと、お互いの氏素性のこと、能力のことや、趣味に特技に好きなものなどあれこれ。
必要な話からくだらない話、プライベートな話までだ。
暇だったから、というのもある。
なんせ俺は蘇生したての死に損ない、あるいは半死人のようなもの。
あいつから与えられた命がまだ体に馴染みきっていない今は、胸が痛くて体が怠くて堪らなく、口は動かせてもベッドから身を起こすのも辛い有様だ。
おまけにこの101層には娯楽などと呼べるものが何一つとして存在せず、回復までの時間潰しの手段といえば隣に座っているこいつと話をする以外に何もなかったのである。
スマートフォンの一つもないと手寂しくて落ち着かなかったものだが、それもじきに慣れた。
話してわかるのは、ネガゼニスはものをよく知ってはいるものの、それに対してまるで経験が伴っていないということだった。
言葉を交わす相手も今までいなかったというのは事実なのだろう、知識とその運用に
その様は覚えたての単語を使ってみたくなる子供か、好奇心旺盛な子犬のようで、なんだか微笑ましくさえあった。
恐ろしい魔神で、今は褐色肌の偉丈夫。その実、内面は無垢で素直……微笑ましくさえある。
その上で察しが悪いわけでもなく、頭が悪いわけでもないので飲み込みも早い。合いの手を打つようにストレートな質問が飛んできたり、こちらの発言に率直な感想を言ってくれるのも悪くない。
話していてストレスがなく、そのせいかこちらもするすると言葉が出てきて、つい喋り疲れてしまうくらいだった。
……そう、悪くなかった。
ーー有体に言って、俺は結構こいつに好感を持ち始めていた。
「…………で、ゼニス。……これは?」
「見ての通り……着替えだが、何か?」
「いや、いいんだ。いいんだけどさ……」
そうやってお互いに話相手になることが板についてきて、ネガゼニスの喋りも辿々しさが随身抜けた頃……である。
俺はようやく久しぶりにーー本当に久しぶりに、ベッドから降りて自分の足で立ち上がることができた。
普通、長くベッドで寝たきりになっていると全身の筋肉が萎え衰えてフラフラになってしまうものなのだが、そんな兆候はなかった。
蘇生の影響で生命としてネガゼニスに近いものになりつつある……というのは本当らしい。結局、療養中もトイレにも行ってないし何も食べてないしな……。
さて、俺が問いただしているのはベッドの横に誂えられた小さなテーブルと、その上に雑然と積まれた衣類一式だった。
世間知らず魔神のこいつに服を畳むという発想はなかったらしい。教えればできるようになるんだろうが……また今度の話である。
「
「それで机と服を用意してみたと」
「あぁ、そうだ。生命力が心許なかったので、お前の中の分も少し使った」
「さっき妙に寝苦しかったのはそれでか……」
まぁ、なけなしの命をまた消費して「寝苦しい」で済んでるのはだいぶ復調してきた証拠……というふうに捉えよう。
しかし、問題なのはこいつが用意した服の方である。
机の上に積まれた衣服は、俺にとっては非常に馴染みのあるデザインをしていた。
「俺の魔法少女衣装じゃないか、これ」
「そうだ。記憶にある情報から転写して忠実に再現してみた。コピペだ。人間が着る衣服についての知識はあまりないから、これくらいしか今は出せない。それにーーーー」
「それに?」
「この服を着ているお前が、1番記憶に焼き付いている。もう一度、お前にはこれを着て欲しい」
「…………」
そう語るネガゼニスの視線は真っ直ぐだった。
こいつに限って、何か言い淀んだり、話を躊躇ったりして、話し相手から目を逸らすなどという行為は見たことがない。
こいつはいつでも正面から、あの溶岩色の厚く燃える目で俺を見据えてくる。
俺は一つ溜め息をついた。
……こいつは気づいていないんだろうな、要は「俺が覚えている限りで1番似合う服を用意したから、お前に是非着て欲しい」と言っているだなんて。
そこまでストレートに好意を示されて、
「わかった、わかった。着替えるからあっち向いててくれ」
「? なぜ違う方向を見ている必要がある」
「ーー女の子が着替えるときに男が近くにいたらいけないんだよ、普通は!」
「お前は男だろう」
「体は女!!いいからさっさと反対向け!!」
「わかった、お前がそう言うのなら。そうしよう」
お前の着替えにも興味があったのだが……、という人間社会ならお縄必死なことを呟きながらネガゼニスが後を向いて視線を逸らしたのを確認し、俺は服を着ることとした。
ちなみに寝ている間に着させられていたのは無地のワンピース……みたいなやつだった。
「人間は確か布で体を包んでいるものなんだったな」みたいなことを確認しながら適当に作ったとしか思えない、着ると言うよりは包む、と表現すべきだったその寝巻きを脱いで魔法少女衣装(レプリカ)を手にとった。
「……うわ、ご丁寧に下着まで再現されてる……」
「何か問題が?」
「いや、なんでもない!!」
あいつがせっせと女物の下着を作っているところを想像する。
その上であいつに気恥ずかしさなどという情緒はまるでなかっただろうと断言できる。俺自身は複雑この上ないが……。
気を取り直して身につけていく下着……ブラジャーにショーツは黒地の絹のような布に白いフリル飾りをあしらったデザイン。
少し大人っぽいけど、基本は可愛い。そんな感じの作りだ。余談だが、下は紐。
魔法少女の衣装は変身した際に下着まで含めて構成されるので、俺が1から指定したデザインでないことは留意してもらいたい。
……俺の魔法少女生活もおよそ2年。
女物の衣服を着ることにもさして抵抗がなくなってきたことを空恐ろしく感じてしまう。
魔法少女の変身は魔力が切れたら解除されるものではなく、解除のための専用魔法を行使する必要がある。
なので一旦変身したら非戦闘時でも基本はそのままなのでーー遠征をしていると変身後の姿のまま数日から数週間過ごすのもザラだ。
……あぁ、そういえば。
ーー今の俺は魔法が使えなくなっているから変身解除もできないし、すっとこのままか。
ーーずっと……
ええい、今はその件は置いておこう、
重要なのは俺も数年の魔法少女生活で自然と服の脱ぎ着くらいは慣れてしまった、と言う話だ。
ただ、下着を着る時はまだ少し緊張する。
顕になった、少し膨らみのある胸元をブラで覆って留め具をするときの感覚。
これは男のままでは一生涯経験することはなかっただろう感覚で……自分の体が女になっているのだと、改めてそう感じることになる。
あれこれ思い返したり感慨に耽る思考とは別に、体はテキパキと一式身につけていく。
白いブラウス、黒地に白いフリルのリボンを胸元に。
同じく黒の生地、白い襞飾りのハイウエストスカートとコート。
白黒ボーダーカラーのニーソックス、黒革に銀色のチェーンを飾ったショートブーツ。
「鏡……いや、いい。床で十分だ」
姿見でもあればよかったが、ピカピカに磨き抜かれた大理石の床がその代わりになった。
確認しながら髪をリボンで結ぶ。
俺の髪は頭の正中線を境に左右で色が分かれている。右が漆黒、左が白銀。
余談だが、髪質は問答無用のサラサラした手触りで、こうやって髪を括ろうとすると手の中からするすると水か砂のように零れていきそうで難しいのだ。
同輩の魔法少女から「くっそ羨ましい」と毒吐かれたこともある。
……まぁ、触り心地がいいので自分でもお気に入りの体だったりする。
閑話休題。
腰まである長い左右互いの髪をリボンでツインテールに結っていく。
右の黒髪は赤いリボン、左の白髪は青いリボンだ。
鏡代わりの床で見て左右の高さが違っていないかどうか、その他に歪んでいる所がないかどうか確認する。
反射の中でこちらを矯めつ眇めつしている俺の目はいわゆるオッドアイだ。
右が
左が夏空めいて澄んだ青。
白黒の衣服に差し色で赤青。
これに魔法少女の証である
何はともあれ、これで魔法少女ジェミニジェネシスの(ガワだけ)復活である。
「よし。もうこっち向いていいぞ」
「あぁ、わかった。…………」
「いや、何か言えよ。どこか変か?」
ちゃんと律儀に後を向いていたネガゼニスに声をかける。
普段通りの鷹揚とした態度のままゆっくりと彼は振り向いてーーそのまま無言だった。
そんな態度を取られると少し不安になる。いつも使うような鏡じゃなかったから髪型歪んでたりしてないだろうな?
そんな俺の気を他所に、あいつは考え込むような時間を置いてから口を開いた。
「すまない、こういう時にどういう言葉を使えば良いのかわからなかった」
「そうか……。じゃあ、どうだ。俺の服……変だったりしないか?」
「変じゃない。あの時に出会ったお前のままだ」
「髪型とか歪んでないか?」
「整っている。問題ない」
「それじゃ、似合ってる、で良いんだよ」
「似合ってる。衣服や装飾などの外装が適切な時に、あるいは魅力的な時に使う言葉。……似合ってる」
「そう、それでいい」
いつもの語彙不足だとわかって安心する。
胸を撫で下ろした安堵感ーーその隅に、少し浮き足立つような気持ちが混ざっているのに気がつく。
春になって巣穴から出てきた野うさぎが跳ねるような、小さくも確かな逸る鼓動。そのむず痒い感覚は…………
…………うん、まぁ、容姿を褒められて嬉しい気分になるのは誰からでもそうだしな。
俺だって広報担当のアイドル魔法少女ほどじゃないけど、小規模ながらファンクラブだってあるし。
魔法少女としての自分が魅力的な女の子だっていう自覚はあるしーーそういうのを第三者から改めて口にしてもらうってのは、いつだって良い気分になるものなのだ。
「……綺麗。可愛い。美しい。愛らしい」
「ーーーーえっ、どうした、急にっ」
そう考えているところに、ネガゼニスのそんな言葉をぶつけられて動揺する。
心臓がドキっ、と音を立てる。野うさぎがびっくりしてダッシュする。
「見目の魅力を言い表す言葉だ。どれが適切なのか、確かめたい」
「…………ぉ、お前なぁ」
「記憶の中で用例を検索するに最有力候補は……うむ、可愛い、だ。ジェミニ、可愛い」
「ーーーー〜〜〜〜……っ」
可愛い、とあいつの言葉が脳内で反響する。
同輩や先輩の魔法少女、或いはファンからはよく言われる言葉なのに何故だろうか。
ネガゼニスの口から言われたその言葉はーー酷くくすぐったくて、顔が熱くなる心地がした。
「なぜ違う方向を向く。
「いや、そういうのじゃないから……悪い、ちょっと待って、ちょっと待って、もう少ししたら落ち着くから……っ!」
多分、実際顔が赤くなってしまっているのだと思う。
その顔を見られるのがなんだか妙に気恥ずかしくて、俺は落ち着くまであいつからそっぽを向いて呼吸を整える必要があった。
なにも察していない、あいつの無垢で真っ直ぐな瞳が、なぜか今はやたらと憎たらしく感じたのだった。
******
断界101層、ネガゼニスが創造したこの領域は常夜の国だ。
時刻はいつでも夜で朝が来ることはなく、日が昇ることはない。
太陽の代わりにあるのはそれに匹敵するほど明るい、大きな大きな満月だけ。
濃紺の夜空の中心に輝く銀色のそれは天井に備え付けられた電灯のようでさえある。
「時間が経過しないのは流石に技術的に限界があったからか?」
「いや、やろうと思えばできたのだろう。だが、そこまでの手をつける前に飽いた……正確にはそこまでの手間をかけるものでもないな、と妥協したのだったか」
「職人魂とかとは縁遠いのな。
「記憶にあるものをそのまま貼り付けてみただけだ。大したものじゃない」
そんないつまでも空の真ん中から動かない満月を見上げながら、俺はネガゼニスと連れ立って歩いていた。
指差して示したのは城ーーついさっきまで俺が療養していた場所である。
一旦外に出て外観を眺めてみると、なんとも荘厳な作りをしている。建築の様式には詳しくないのでなんとも言えないのだが、内装と同じく中近世のスタイルでありながらなんとなく、既存のどれにも当てはまらないような独自性を感じる。
ネガゼニスによると大昔、魔界にあったものを再現してみたらしい。こいつが焼く前の世界にあったものだとか。
俺たち2人は現在、散歩の途中だった。
ようやくベッドから起き上がって、自分の足で立って歩けるようになったことだし丁度いいだろうと思い立ってのことだ。
男児たるものいつ何時でも冒険や探検というのは心躍るものである。
大理石の床にブーツの足音をコツコツと響かせながら城の内検を終えて、今は外に出たところだった。
「こんなことならもう少し作り込んでいればよかった」
「まぁ、結構寂しい作りだったしな。でもこういう廃墟感みたいなのも嫌いじゃないぜ、個人的には」
「廃墟感、というのは褒め言葉なのか?」
「一般的には褒めてない。廃墟が好きなやつにならいいんだが」
一歩後をついてきているネガゼニスはいつもと変わらない様子で喋っているが、結構真面目にいたたまれない気分になっているのを何故だか強く感じた。
自分の感覚でいうと、辺りを更地にするくらいの攻撃を撃ったら意図せずして味方を巻き込んでしまったときのそれに近い……事前に対策しとけば何も問題なかった自分の怠慢に他人を巻き込んでしまったとき特有の、胸に穴が開きそうな感じ。
それに共感した俺は咄嗟に擁護するようなことを言ったが、別段嘘というわけでもない。
絨毯もなく、カーテンもなく、椅子も机も、生活感のかけらもない城はうすら寂しささえ覚えるが、その空虚感が独特の味を醸し出していた。
こつんこつん、と革靴が床を叩く音が無人の城にどこまでも反響していくあの感じは、まるで自分が世界の支配者になったような気分さえ覚える。
……その上で、たった1人であることの孤独のようなものは感じなかった。こいつがちゃんと俺の隣にいたからだ。
「この花畑も昔の再現?」
「そうだ。大昔に魔界の片隅にあった。この城と一緒に、だ」
「再現したのに理由はあったのか」
「自分1人だけの世界を作ろうと思ったとき、印象に残っていた風景がこれくらいしかなかったんだ」
「ふぅん。……まぁ、気持ちはわかるよ。綺麗だもんな」
そうして俺たちは今、連れ立って城の外まで来ていた。
中で療養していた時には気づいていなかったが、外の景色はなかなかに見事なものだった。
一面の花、花、花ーーーー。花畑、という言葉ですら形容としては不適格だろう。
見渡す限りに地平線の先にまで花が咲き乱れているのだ。
銀色の月光に映える純白の花弁に、夜の闇に溶けるような暗緑色の茎と葉。
それらで構成された白と緑の絨毯が月明かりの下に地平の果てまで続いているのは幻想的としか言いようがなかった。
「綺麗、か。そうか。そう言ってもらえると嬉しいものなのだな」
「おう。これを見るととずっと夜っていうのも悪くないんじゃないか」
城の窓から見たときも見応えがあったものだが、こうやって直に触れられる距離で見るのもまた味がある。
花を避けて歩くなどという器用な真似が許されるほど
一度しゃがんで観察してみるが、これまた花に詳しくない俺はこれがどういう品種かわからない。魔界産だとすると向こうの固有種かもしれない。
大ぶりな白い花弁は百合か蘭のようにも見えて、ほのかに甘く、それでいて鼻の奥にすっと抜けるような香りを放っていた。
「今度、ピクニックでもできたらいいな」
「ピクニック?探検や散歩とは違うのか」
「散歩に似てるけどな。こういう風に外に出て、景色とかがいい感じのところを見つけて腰を下ろして、弁当食べたりするんだよ」
「弁当。食事か」
「……まぁ、それも追々な」
食事、という言葉を呟いてネガゼニスは難しい顔をして黙りこくってしまった。
この世界なら食べ物を創造することもできるのだろうが、それをするには魔力のリソースが必要になってくるし、そもそも生まれてこの方食事などという行為をしたことがないと言っているこいつがまともに食べ物を再現できるのかというとなかなか不安なところでもある。
なので、その辺を加味して追々、ということである。
ーーーー幸いにして時間はいくらでもあるのだ。
将来的な展望や懸念は、今は置いておこう。
俺はその場に腰を下ろした。ちゃんとスカートが捲れないように気を遣いつつ、である。
白の花畑に座り込んで、空を見上げる。
世界の天井に据え付けられた蛍光灯のような、大きな大きな眩い月と群青色の夜空がどこまでも続いている。
風さえ吹かない静寂の中、ざくり、と微かな音が聞こえた。
目を向ければネガゼニスも同じように座っていた。
手を触れれば届く、というよりは肩が触れ合うほどのすぐ近く。
もうちょっと間取れよ電車の座席じゃあるまいし、なんて悪態が脳裏に浮かんだが、別段口にするほどのことでもないなと思った。
今はその、すぐ隣に感じられるその体温が暖かった。
隣にこいつがいることがなぜだか無性にしっくりくる自分に気がついてーー少し、気恥ずかしい気持ちになる。
「……聞こうと思っていたことがある」
「どうした」
「なぜ死のうと思った?」
「あぁ、戦ったときのことか」
しばらくそうやって言葉もないまま月を見上げていたところで、彼が口を開いた。
藪から棒だな、と思いながらも答えることにする。
「前にも言ったと思うけど、あのまま俺たちが全力で戦い続けてたら世界の方がもたなかったろ。それ以前に上の方の層でこっちの味方がどれだけ避難できてたかもわからなかったしな。普通にやっていても埒が開かないと判断したら、無茶をしてでも早く決着をつける必要があった」
「……本当に、それだけか?それだけの理由で人間というのは命を捨てられるものなのか?種全体の利益のために個体の命を擲つ生態を持つのは人間もそうなのか?」
「…………」
あの時のことを思い返しながら返答する。
ネガゼニスとの戦いでは、体感時間で2日ほど過ぎたあたりで断界の層が次々と崩落を始めていた。
まだまだ戦い続けることもできたがーー断界の層を壊し尽くしてそれでも終わらないのでは?という懸念が浮かんだ時、俺は命を捨てる誓約で速攻をかける道を選んだのだった。
そのことに嘘はない。嘘はないのだがーーどうにもネガゼニス自身は俺のその答えに疑問符がついているようだった。
蟻や蜂のように、兵隊の役割を持つものが捨て身の戦いをすることで群全体を守る……そういう生き物もいる。
そして人間という種も、時としてそういった選択を良しとする。
その上で彼は「お前は本当にそういう判断を良しとする人種か?」と問うてきているのだった。
……月を見上げながら、黙考する。
あの時の自分の心情を思い起こす。
俺はなんで命を懸けることを決めたのかーーもっと言うと、何故
「多分、俺はーーーーずっと前から、死ぬことを考えていたんだと思う」
その言葉は案外すんなりと口から出てきた。
今までの人生で一度たりとも他人に話したことはないが、それでもいつも心の片隅にあったもの。
そしてそれを実際に口にすることに抵抗がなかったのは……隣で聞いているのがこいつだったからだろう。
「死んでしまいたかった、と?」
「そこまで積極的なものじゃないよ。ただ……いつも心のどこかで、命の捨て所とか、そういうのを考えていた」
俺はそっと自分の胸元に手を置いた。
肌触りの良いブラウスの下には柔らかく張りのある女性的なーーじゃない、それは今はどうでもよい。
思いを巡らせるのは自分の肋骨の下、内臓の隙間の小さな肉の塊としてそこに在った……双子の妹のこと。
「俺は
「贖罪、というやつか」
「そこまで殊勝なもんじゃないと思うけどな」
そう、その事実を知ったのは小学生の時分だった。
生命として成立する前に俺の体の一部に取り込まれて、奇形嚢腫という形として定着した肉塊。
自分の健康に何か影響があったわけでもない、生命倫理においても医療倫理においてもなにか禁忌を冒したわけでもない。ーー何が悪かったわけでも、ない。
けれど、生まれるはずだった双子が
明確に強い罪悪感に囚われたわけでもない。
自分が死んで妹が生き残るべきだったとかそう言っているわけでもない。
ただ、魚の小骨のように「自分が殺した」という想いが刺さって抜けなかっただけ。
それだけのこと。
「生まれる前の命を踏み台にして生まれてきた人間なんだーーどこかで、きっと
だからまぁ、魔法少女に選ばれた時は少しだけ嬉しかったーー命の使い道が定められたような気がして。
変身して少女の姿になった時も少しだけ嬉しかったーーほんの一時、自分が死なせた妹に体を返せてやれた気がして。
だから、あの時もそうだった。
今が
「俺が誓約で死ぬ間際に猶予があったっていう話を前にしただろう?それを聞いて、不甲斐ないなぁ……って思ったよ。結局俺はまた、妹を犠牲にして命を拾ったんだろうな、ってそう思うと」
「…………」
ネガゼニスは何も言わずにただ黙って俺の独白を聞いていた。
俺は遠い月を見ていた。大きく、明るく、手を伸ばせば触れれそうなのに本当はとても遠い。
月の光は太陽を反射したもの、生きていない死者の光だ、などという形容をどこかで聞いた覚えがある。
そう考えるとこの世界は死者の国と言っても過言ではないのかもしれない。
生きているものは俺たち二人しかいないーーその二人も死に体の死に損ないという、死の世界。
そしてその世界の静寂が今の俺にはとても心地よいものに感じられた。
「
「殺し合った相手なのに?」
「そうだ」
しばらくの沈黙を経てネガゼニスはそう言った。
常識的に考えればちゃんちゃらおかしい話だ。
俺たちは全力でお互いに殺し合った仲だ。その余波で世界が滅びかけたほどの衝突。
それだけのことをやっておいて死ななくてよかったとはどういう神経なんだという話だ。
しかし、俺は口では揚げ足を取りながらもそれを笑うつもりはなかった。
殺し合うことはしてもーーそこに殺意も憎しみもなかったことはお互いがわかっていたことだからだ。
「前にも話したことだが、
「……生き返らせたのはお前だろう」
「礼を言われるほどのことではない。
隣に座るネガゼニスが、こちらに視線を向ける。
覗き込んでくるようなその眼差しは節目がちに揺れている。
湧き立つ焔のような激しい色合いの瞳が、なんだか今は風の前に靡く蝋燭の火のよう。
あぁ、こいつは不安なんだな、と思うと胸の奥にひやりとした冷たい心地が染み渡る。
冬の海のような、灰青色の物寂しいイメージ。
今ならよくわかるーーこれは、悲しみだ。
「『死んでもよかった』と『死にたかった』は違うよ。だから、迷惑はしていない」
「……そうか、よかった」
「俺は別に、お前との戦いが死に場所でもよかったって思ってたけどな」
「それは困る。
俺はネガゼニスの
見ようによっては俺たちは一つの命を共有している間柄と言えるだろう。
だから、その心臓を通して伝わってくるものがある。
感情。心の動き。心が零れ落ちるような悲しみもーー心が弾むような喜びも。
「あの日、あの時、あの瞬間。
「…………」
「お前が放った魔法と、その光が
目を閉じてその言葉に聞きいる。
胸の内に収めた
灰色の世界。永遠の微睡み。ざらざらと砂絵のように消えていく風景。
そして閃光。鮮烈な痛み。色づいていく世界。瞼が開いて、腕が伸びる。
触れ合える相手がいるーー触れても壊れない相手がいるその喜び。
もっと触れたい。見たい。聞きたい。期待が、希望が胸を打つ。
鼓動が弾む。生まれて初めて、自分が生きていることを知る。
「ーーありがとう」
「……」
「そういえば、生き返らせてくれたこと自体の礼はまだ言ってなかったっけな。……だから、ありがとう」
「あぁ……」
俺はただそれだけを口にして、手を伸ばした。
横に腰掛けているネガゼニスの手に、自分の手を重ね合わせる。
思えばあいつの方から触れてきたことはあっても俺の方から触れたことはなかったな、と思い返す。
自分の手で初めて触れるその手は大きくて少しゴツゴツとしていて……形は全く似ていないのに、なぜだか魔神本体の巨人のような大腕を連想させた。
「触れて、いいか」
「……いいよ、そうしたいんだろ?」
おずおずと聞いてくるその声音が戸惑う子犬のようでおかしくて、俺は少し笑いながら返事をした。
彼の手が指を開いて、俺の手を握り返してくる。
重なり合う指先、掌。交じり合う体温、熱。
手先から染み入るそれがなんだか無性に心地よくて、俺は少しだけぎゅっと力を込めた。
穏やかで温かく、それでいて逸るような。
胸の内がじんわりと熱くなり、俺は無意識に吐息を一つ溢した。
「……っ」
息を呑んだ、その音はどちらのものか。
ネガゼニスは握った俺の手をそっと引き寄せて、その上に唇を落とした。
そっと口を寄せただけの、キスというにはあまりにも自然で無垢なそれ。
子供や動物がものの形を確かめるために口に含むような、幼い仕草だった。
「……ゼニス」
「ジェミニ」
お互いの名を呼ぶ。吐息混じりの小さな声。
いつしか俺たちは月明かりの下で、顔を寄せ合う程にまで近づいていた。
月光があいつの顔の上で陰影を作り、焔の色をした瞳がそこから俺を覗いている。
握り合う掌は今もまだ固く合わさっている。
その上にもう一度落とされる口付け。
人間の感覚神経では手の指と唇が一番感度が高いんだっけ、という雑学が脳裏に過ぎる。
もっと感じたいから指で触れる、もっと触れたいから唇を寄せる。
原初の
「お前を感じたい、お前に触れたい。もっとお前を知りたい。いつまでも視界に収めていたい。叶うならーー
「ゼニス…」
「この気持ちは何と言うんだ?お前は知らないか?知っているなら教えて欲しい」
「……」
もう片方のあいつの手が伸ばされて、俺の頬をそっと包む。
厚くて、熱い、その手のひら。男にこうも密着されているのになんだか嫌悪感の一つも湧かないな、と今更ながらに思う。
それはきっとネガゼニスと同じ気持ちを自分が共有しているから。
逸るように高鳴る鼓動。胸を掻きむしりたくなるほどむず痒いのに、そのことがちっとも不快に感じないという不思議な気持ち。
こんなにも切なくて息が詰まりそうなのに、その苦しささえ喜ばしい。
そんな心地が分け合っている
そして同じように俺がそれを感じていることを、向こうもわかっているだろう。
……俺は頬に当てられている手の上に、自分の手を添えた。あいつの気持ちを受け入れるように。
その心を定義すれば、一線を越えるだろうとわかっていながらーー彼の気持ちに名前を付けた。
「それはな、『好き』って言うんだよ」
その瞬間、心臓が
重たいのに軽やかに、痛々しくも快く。胸を内側から弾ませる脈を打つ。
ぎゅう、と胸元が締め付けられるように切なくなる。詰まる吐息が甘酸っぱい。
「……好き。
「うん……」
「好き、好き、好き。……あぁ、なんとも、素晴らしい響きだな。好き、好きだ。ジェミニ、お前が好きだ……」
「…………っ!」
自分の頬がかぁっと赤くなるのがわかる。
好き、好き、好き、と馬鹿の一つ覚えみたいにネガゼニスがその言葉を連呼する。
馬鹿みたいだ。けれどそうやって何度も好きと言われる度にーーあぁ、なんてことだろう。俺自身の心臓も、鼓動が弾むのだった。
「ジェミニ、好きだ」
「ん……っ!」
唇を奪われたのは突然だった。
胸の鼓動に気を取られている間に頬に寄せている手を引き寄せられて口付けられた。
口先に感じたのは柔らかいのに火傷しそうに熱くて痺れるような感触。
口に口を押し付けるだけの単純極まる一瞬だけの接触に、全身の全神経を持っていかれた。
離された直後から唇が熱っぽくて、激しく疼く。
「やめろよ…急に、そんな……」
「キス、というらしい。好き合うもの同士がする身体接触の一種と記憶している」
「でも……」
「でも?」
「でも、俺、一応、男……。んぅ……」
せめてもの抗議は、改めてのキスで封殺された。
ちゅ、ちゅっ、と口先の触れ合う音がする。耳に届くそれが酷く気恥ずかしくて、でもなんだか面映くて。
再度唇が離される頃には頭の中まで真っ赤に茹で上がったような心地になってしまっていた。
「嫌か?」
「……いや、じゃない」
「
「……きらいじゃない」
「キス、してもいいか?」
「……しても、いい……」
ネガゼニスの詰問に俺はこくりと頷くことしかできなかった。
自分の喉からこんなに弱々しい声が出るのだと初めて知った。屈辱だ。
……でもそのくせ、胸は内側からはち切れそうなほどドキドキと高鳴っていた。
甘酸っぱい桃色の血が、胸の奥から全身に流れ出して俺の体を駆け巡る感覚がしていた。
ーーあぁ、絶対に今の俺は普通じゃない。
ネガゼニスの心臓を共有しているせいだ。
あいつの俺を好きだという気持ちがそのまま流れ込んできて、それを自分の心臓が自分のものだと勘違いして……。
いやーーあぁ、それでも。
ーー自分のことを好きだと自覚して、それでこんなに幸せな気持ちになれる人がいるというのは。
ーーそれはそれで……なんていう幸福なことなんだろうか。
「ジェミニ」
「……ゼニス」
あいつの声が耳を打つ。
囁くような小さな声が、
首筋の産毛が粟立つようなくすぐったさ。
名前を呼ばれること、ただそれだけがこんなにも気持ち良い。
同じようにこちらも名前を呼び返すとそれだけで胸が弾むのがわかった。
ただの一言を紡ぐだけで唇が歌うよう。それを口にすることができるだけで、無性に幸福感が込み上げる。
「ん……っ♡」
もう一度、唇を重ね合わせる。
自分の意思で受け入れたキスは例えようもないほどに熱かった。
たまらず漏らした声は自分のものとは思えないほどに甘かった。
そしてそれが何度も何度も、繰り返された。
触れ合う熱さと甘さを求めて、どちらともなく唇を重ね合わせる。
一度重ね合わせるだけでこんなにも胸がいっぱいになるのに、ほんの一瞬息つぎのために離れるだけでどうしようもなく切ない。
触れれば触れるほどに飢え乾く。キスにはそんな中毒性があった。
……そう、気づけば俺は自分からもキスをしていた。
正直、すごく恥ずかしい。男の筈なのに男(に見える生き物)と熱烈にキスして、好きって言われて嬉しくなって。
今まではこんなこと一度もなかったし、普段の自分は絶対こんなんじゃないし。
そんな文言が脳裏を何度も過ぎるけれど、それでも触れ合う心地よさには嘘がつけなくて。
気づけば、俺は顔を真っ赤にしながらネガゼニスと向き合っていた。
頬に火がついたように熱く、荒い息は吹子のよう。
「ジェミニ……」
「んっ……」
体を抱きすくめられる。
俺の体は女子にしては小さく、あいつの体は男性基準でも大きい。
抱きしめられるというか覆い被さられる、と言っても過言ではないくらいの体格の差があったが、そこに苦しさは感じなかった。
あいつの腕の中に……胸の中に収められることに、途方もない安堵感さえ覚える。
自分の中にある心臓が、元々の持ち主のことをすぐ傍に感じて喜んでいるのがわかる。
息が詰まるほどの多幸感に後押しされて、俺は腕を回して抱き返した。
厚い胸板、大きな胴、太い腕。それとほのかな汗の香り。
そんなものになぜだろう、無性にドキドキしてしまうのが気恥ずかしくて、それでもやめるという選択肢は自分にはなかった。
「……お前は温かくて、柔らかいな。小さくて、細いのに、生きている」
「それは……生きてるよ。生き物なんだから……」
「
そう言ってネガゼニスは一層強く俺の体をかき抱いた。
その強さが……圧迫される感じが、少し窮屈だけど、嫌じゃなかった。
どれだけ今、俺と触れ合うことであいつが喜んでいるのか共有した命を通じて流れ込んでくる。
この手の中にあって壊れないもの。触れても崩れ去らないもの。その上で美しく、眩く、可憐でーーーー美しいもの。
そういったものとして俺があいつに見られている、感じられているという事実が、たまらなく、嬉しかった。
「ぅ、わ……っ」
気の抜けた声が漏れて、体が後に倒れ込む。
とさっ、という軽い音と共に背中が地面につく。花畑がクッションがわりになって痛みはなかった。
白黒のツインテールと黒いコートの裾とフリルが花の上に広がる。
見上げれば変わらぬ満天の銀の月と、藍色の夜空。
だがそれ以上に視界に広がるのは俺を見下ろすネガゼニスの顔だった。
朱色と橙色が入り混じる溶岩色の瞳が熱っぽく俺を見つめている。
顔の横の地面に突いた手と腕は覆い被さってきているその体躯と相まって檻のよう。
あぁ、これは逃げられないなーーと何処か他人事のように思ってーー胸が、ひどく高鳴った。
「……っ♡」
どっどっどっ、と心臓が早鐘を打つ。耳の奥まで脈が血管を打つ音が聞こえる。
ごくり、と息を呑む。わずかに吐いた息は、鼻にかかった甘い音を漏らした。
「一つになりたい」
「……」
「……どうすればいい?」
その囁きにこくん、と頷く。
一つになる、というその言葉の意味するところを想像して一層胸がざわつく。
もっと密に、もっと近くに、もっと一つに。そんな狂おしいまでの衝動がネガゼニスの中に生まれていて、流れ込んでくるその熱の激しさにくらくらする。
俺は、自分のスカートの中に手を伸ばした。
裾が捲れて太ももと尻にまで空気が触れる感覚にひやりとする。
今自分が何をやっているのか、どういうことをしようとしているのか、その意味を脳みその隅の隅の冷静な部分で俯瞰して、顔から火が出そう。
だが、それ以上に胸が熱くて、期待感が凄くて、彼を求める気持ちが止まらなかった。
するり、と下着の紐が解けて落ちる。
「……っくす、……て、しってる?」
「知っている。交尾。
「ぅん……」
自分から口にすること、正面から定義を述べられること。
どちらも頭がくらくらしそうなほどの羞恥を伴った。
セックス。えっちなこと、なんてオブラートに包んでも同じこと。
俺はーー女の子として、
「あぁ……なるほど」
「…………っ♡」
ネガゼニスの意識がどっと流れ込んでくる。
もっと一つになりたい、という漠然とした欲求に明確な方向性が与えられたことで情動の流れが一つに集約される。
股座がひどく熱かった。突き上げてくるような熱感。重くてむず痒い、心地よささえ伴う疼き。
それが男の頃に俺も慣れ親しんでいた
目の裏がチカチカと白んで明滅する。ぎゅぅっ、と自分の同じところにも力が入って、甘くて痺れるような感覚が走り抜ける。
腰の奥から、どろっとしたものが吹き零れていく気がした。
「ジェミニ、ジェミニ……」
ネガゼニスの言葉は熱に浮かされているかのよう。
俺の今の感覚も気持ちも伝わっているのだろうか。だとすると、どうしようもなく恥ずかしくて、少し嬉しい。
あいつがガバッ、と勢いよくズボンを脱ぎ捨てた。辛抱たまらないというように、下着ごとである。
まろびでた陰茎は既にはち切れんばかりにそそり立っていた。
他人の勃起を正面から見たのは初めてだし、それが眩い月明かりに照らされている姿はなんだか非現実的なまでに前衛的で、俺はなんだか少しおかしく感じてしまった。
だが、その一方でお互いの熱はもう冷めやらない。
手を握り合ったように、唇を押し付けあったように……もっと原始的に、もっと深いところまで、互いの最も感じあうところをお互いに擦り合わせたかった。
「んっ……」
ネガゼニスが、俺の足の間に入ってくる。
……セックスするのなら、そう、脚を開かないといけないのは自明の理だ。
でも今しがたショーツを脱いだばかりのそこを、相手に見せるように開かなくてはいけないというのは……もう、なんというのか凄まじく恥ずかしかった。
というか今にして思えばこんな屋外で?照明がついているみたいに明るい月の下で?下着だけ脱いでてあと服全部着てるのって冷静に考えると変態的でないか?などと様々に雑多な情報が思考を通り過ぎていく。
恥ずかしさのあまりノイズのような思考を走らせて現実逃避をしているだけだ。わかっている。
だが、その甲斐あって緩く、ゆっくりと動いていた脚はネガゼニスが間に割って入っても大丈夫なくらいに開いたようだった。
「……どうした?」
「はずかしぃ……」
「顔を見せてほしい」
「ばか、むり……」
もう流石に羞恥心が限界で、俺はいよいよ袖で顔を覆った。
魔法少女の衣装をきて、下着だけ脱いで地面の上に寝っ転がって、スカート捲って脚を開いているとか想像するだけでもう駄目だった。
エロ本とかそう言うので当たり前に見るその姿勢が、いざやる側になるとこんなにも恥ずかしいというのは思いもよらなかった。
その癖、心臓は《ドキドキ》とこの上なく高鳴るように鼓動を打ち続けているのが始末に悪い。
下腹の奥が、腰の奥がひどく甘ったるい。
気づけば膝の間、太腿の間にネガゼニスが割って入ってきたのを感じる。もう戻れないな、と
顔を覆って目を閉じたのも失敗だったかもしれない。視界が暗くなった分、他の感覚が馬鹿に鋭い。
間近に感じるネガゼニスの体温、ほのかな汗の香り。そして心臓を介して伝わってくる熱の奔流……俺への好意であり、性欲であり、そのいずれでもあってそれ以上に大きな炎のような感情の流れをより鮮明に感じる。
それほどの感情で求められていることがーーーー酷く、嬉しい。
でもなんだか、嬉しいのが恥ずかしい。恥ずかしいことも、恥ずかしい。でもやっぱり、嬉しい。
頭がぐわんぐわんと感情の波に晒されて揺れて、俺はぎゅっと手のひらを握りしめた。
「中に、入る」
「……ん、」
「ジェミニの、中に、入る」
「わかったから……じっきょうするなばかぁ……」
そっとスカートが捲られる。布地に触れる手つきが優しいのがわかる。
太腿の内側に手のひらが触れて、自身の体が分け入る場所を作るように手が脚をどかす。そっと優しく、割れ物に触れるような力加減。
でもニーソックスと太腿の境に感じるその手はじんと痺れるほどに熱いのが伝わってくる。
視線が、曝け出された股間に集中するのがわかる。
人の視線というのは案外見られている側にも伝わるものだ。
だが、これほどまでに熱っぽく、甘ったるい、溶けた飴のような視線は初めてだった。
見られている場所が炙られるよう。その視線が絡みついて、熱して、肌とその奥が熱くなる。
もうすでに
そしてその股座に、焼けるように熱い、棒状のものが近づけられていく。
痒みに近いが、もっと退廃的なもの。下腹が芯の部分から
ーーーーこれをかき混ぜてほしいと思った。
ーーーーぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに。
ーーーーお胎の中を、掻き回してほしいと。
「ふぅ……っ、ふ、ぅ……っ!」
「ん……っ♡ んふっ……ふーっ……♡」
動物めいた荒い息が聞こえる。ネガゼニスの興奮の吐息だ。
それに合わせて股座に押し付けられた熱いものがーーーー表面でつるり、と滑る。
もう一度、押し付けられてはつるり、と滑る。
そんなことが一度、二度と繰り返されるともう辛抱たまらなかった。
焦らそうとしてやっているのではないとわかる。彼の焦りが俺にも直に伝わってくる。
悪気はないのだが、それに合わせてこちらの焦らされているような気分が相手にも伝わってまた滑る悪循環になっていた。
だが、そんな事情は理性で分かっていても、体の方は限界だった。
体の芯の部分が飢えに飢えていて、一刻も早く一つになりたくて仕方がなかった。
ふーっ♡ふーっ♡と絶え間ない荒い吐息は発情期の猫のよう。
ああもう頭が馬鹿になってる、と思いながら俺は意を結した。
「……んっ」
「ここ、か?」
「んっ……!」
俺は手を伸ばして、あいつの陰茎に触れた。
手で引っ掴んだそれは、熱くて硬くて、それでいてぐにぐにとした弾力があり、そしてびくびくと脈打っていた。
そして大きく、太かった。記憶の中にある自分の竿を自分の手で握った時の感触が当てにならないほどだった。
嘘こんなの人体に入るの?という一抹の不安が脳裏に過ぎるのと同時、下腹の奥が
大きな
激しいその疼きは飢えに似ていた。求めるものの形を知った体が深刻に飢え乾いてはしたなくも涎を垂らしている。
俺は手で掴んだそれを、自分の股間の中心に添えた。
ぬち……っ、といういやに粘っこい音が耳に届く。
お互いの
掻き立てられる羞恥心を無視して、俺は「
自分の体の奥まで続く、その
ここを真っ直ぐに貫けば通る、というところを指し示す。
「……入れるぞ」
「……ん」
ーー最初に感じたのは肉が潰される圧迫感、次に感じたのは肉が押し広げられる拡張感。
股座の入り口部分の肉の段差が、男の性器の先端を押し当てられて、ぐにっと変形してその奥にある狭隘な孔を広げられていく感覚。
そこは既に内側からの水分でたっぷりと潤いを含んでいて滑らかでさえあったが、そこに抵抗なく入っていくにはその肉の棒はいかんせん大きく、太かった。
挿入する……というか差し込む、押し込む、捩じ込む。そんな表現の方が正しい。
そもそもの規格が合ってないんじゃないのか、設計者出てこい、なんて文句の一つも出てきそう。
だけど、
「ふっ、ふっ……! ふっ、ふぅ……っ♡」
「……ん、っく……!ぅ……っ!!」
だけどお互いに「やめよう」だなんていう意見は露ほども浮かんでこなかった。
苦しさ以上に猛烈な充足感があった。幸福感があった。一体感があった。
相手を中に受け入れている。相手の中に入っていく。今まさに、重なって一つになっていく。
生き物としての原始的な幸福を満たすことの本能的な喜びがあった。
たとえ、俺も彼も、たまさかその形を取っているだけのーーそう生まれついたわけではない紛い物の性別でも、雌雄一対の
「ふっぐ、ぅ……っ!!」
「……大丈夫か」
「だいじょうぶ、続けて……っ!」
中を進まれて程なくすると、それ以上入ることを拒むような何かの手応えがあった。
厚紙で蓋をしてあるような感じ。そこにネガゼニスが力を込めると、皮が破けて裂けるような痛みが走る。
あいつは心配そうな声をかけてくるが、俺は迷わず続きを促した。
俺を誰だと思っている。人界最強の魔法少女で、
こんな程度のことで心配されるほど
「〜〜〜っ、ぅっ……!!」
「……!!」
ふ゛つ゛っ、という音が体の中から聞こえた。
障子紙ほどの壁が圧力に耐えかねて破断する手応え。
思わず漏れ出た声を、服の袖を反射的に噛んで堪える。目尻に涙が浮かぶのがわかる。
文字通りに体が裂ける痛み。それも体内でのこととなると内臓が傷ついたんじゃないか、みたいな心配が過って不安になる。
しかしその痛みが引くまでの間ゆっくり待つなどという選択肢はなかった。
障壁を貫いたネガゼニスが、そのままの勢いでまた一段と俺の中の奥深いところにまで入り込んできたからだ。
ずずず……っ、と互いの粘膜と肉が擦れ合う。
体重をかけて串刺しにされるのは、押しピンで縫い止められる標本の気分だ。
肉を掻き分けられながら刺し貫かれていって、体が裂けそうな感覚に息を殺してじっと耐える。
ーーやがて、内臓を押し上げられるような感覚と共に、ネガゼニスが体の動きをぴたりと止めた。
「…………はいった……?」
「一応、入った……。平気か」
「少し、おちつくまでまって……」
「わかった……。少し、ゆっくりしよう」
「ん……」
おずおず、と目を開けると月夜を
ふぅ、ふぅ、と静かに息を整えながら眉間に皺を寄せていて、額には一筋汗が伝っている。
橙に燃える色の瞳が真剣な眼差しでこちらを見下ろしていて
俺の方も息も絶え絶えという感じで、
静かに息を吸って吐いて、を繰り返す。股座にじんじんと痛みが走り、体の中がいっぱいっぱいではち切れそう。
少しでも力を抜いたら内側から弾け飛びそうなイメージがあって、息を吐くのにも苦労する。
「ん……っ」
息を整えながらバグっている感覚との折り合いをつけようと格闘していると、ネガゼニスがそっと手をかざした。
そのままの手で、指先でそっと俺の頭を撫でてくる。
うつ伏せで、向こうが覆い被さってきてるのだからなんだか頭を抱え込まれそうな構図だ。
けれど繊細な、優しい手つきで撫でられているとすっと心が落ち打ちてくるのがわかる。一杯の澄んだ水のよう。
人差し指でゆっくりと乱れていた前髪を払われる。その時の手応えで自分も汗をかいていたんだな、と他人事のように気づいた。
「ジェミニ……」
「んんっ……♡」
熱っぽい囁きが耳朶を擽る。お互いの吐息がかかるほどの距離。汗の香りが鼻腔を心地よく通り抜けて、なんだか気恥ずかしい。
頭を撫でていた彼の大きな手が 頰まで降りてくる。
優しく、それでいて抵抗できないくらいの力加減で顔を抑えられて、キスをされる。
かぶりつくようなキスだった。唇だけでなく、口の中まで合わせるような深い、深い、キス。
ディープキスの知識なんてないだろうに、それでももっと奥深いところまで互いを貪りたいという本能で辿り着いたそれ。
体格の差と、組み伏せられている体勢もあってなんだか彼に食べられているような気分だった。
でも、それが心地よかった。
「んふっ、んっ……♡ んんっ、んぅ……っ♡」
口を割られて彼の舌がこちらの中に入ってくる。
大きくて分厚い舌の感触、少し辛く感じる唾液の味。
自分の口の中を舐め回すように舌が踊りうねって、こちらの唾もぢゅっ、と音を立てて吸い上げられる。
まるで餌皿に口を突っ込む犬のよう、なんて感想が浮かぶ。
必死に、がっつくように、そうして求められることがなんだか嬉しくて仕方がない。
こちらからもお返しするように精一杯舌を伸ばして舌を絡める。
口先と口内。
ぴちゃぴちゃ、くちゅくちゅ、と混ぜっ返される唾液の音が気恥ずかしくて、それ故になんだか興奮する。
反響するその音で脳味噌が水飴になって撹拌されていくような錯覚がする。
「もう、いいか……?」
「……ぅん、わかった。……でも、」
「でも?」
「やさしく、してほしい……」
時間の感覚がわからなくなるほどキスに没頭して、やがてお互いの顔を話した時には互いに荒い息を吐いていた。
はぁ、はぁっ、と動物のような息をするネガゼニスの唇の端から銀糸のように涎の滴が垂れていて、淫猥だった。
間近でこちらの顔を覗き込みながら彼が問うてくる。
その意味合いを俺は特に説明されずとも理解していた。
流れ込んできたそれに
「保証はできない」
「してくれよ、そこは……」
こっちの弱々しい要請に対する返答の代わりに、ネガゼニスは手を握ってきた。
花畑の上に投げ出された俺の手の上に、あいつの手が重ね合わされる。
指と指を絡ませて重ねるとその一体感が手のひらに染み入るよう。
それでもサイズ差のせいで磔にされているみたいになっているのが少し滑稽だった。
きゅ、と指に力を込めると、ぎゅっ、と力強く握り返される。
その一拍後にーーーーネガゼニスが動き出す。
「ふぎゅ……っ!」
あまり出したことのない声が肺から絞り出される。
あいつが腰を引くと共に俺の中に入り込んでいたあいつの一部が僅かに抜け出る。
その僅かがまるで内臓を引っこ抜かれるような感覚だった。
中を苦しいほどにいっぱいにされて、それでもようやく馴染んできたところでそれを抜かれるのは、猛烈な勢いで梯子を外されたかのようだ。
腹の中に感じる空疎感に恐怖さえ覚える。
だが、それに怯えるだけの猶予もなく、今度はもう一度中に突き込まれる。
どんっ、と内臓を押し上げられるーー押し潰される感覚が走って息が詰まる。
抜けたところにできた空白をまた埋められて、戻ってきた体内の膨張感と拡張感に息が詰まる。
かはっ、と締められる寸前の小動物みたいな声が漏れた。
そしてそれが何度も小刻みに繰り返される。
そうなると気分はもう荒波にさらわれる小舟だ。
引いては押して、抜いては入れて、のその律動に合わせて呼吸と意識が混ぜっ返される。
体の中に鉤棒でも引っ掛けられて内臓を揺さぶられているようなーーような、じゃなくて直喩だなこれ。
「ふぅ、はぁっ……。っ、っく……!」
「んんっ、……ぁっ。はぁっ、は……」
けれど、そうして揺られることの息苦しさも少しずつ失せていく。
抜出と挿入。抽送のタイミングに合わせての息の入れ方というのがわかってくる。
ネガゼニスの腰の動きと息を合わせる。それは特段それは難しいことではなかった。
俺たちは同じ一つの命を共有する間柄。二体一心の
「んっ……、んっ、く……♡」
そうやって呼吸のリズム、息の仕方がわかってくると、体から余計な強張りが取れていくのがわかる。
内臓が揺さぶられる感覚が、まるでハンモックで揺られているような安らぐような心地よさに変わっていく。
余裕が出てくると感じるのは擦れ合う部分のむず痒さ。
少しひりつくような、くすぐったいような。肉と粘膜が絡み合う重たい感触が下腹から響く。
そしてその中に一瞬、火花が散るように痒みが弾ける。
痒み……というか痒みと勘違いしそうになるもの、というか。
「ん、あっ♡」
意識を
ぱちっ、ぱちっと目の裏で熱い光が散って幾度も弾ける。
ラジオのチューニングを合わせるように、捉えようと意識するほどに感覚が鮮明になる。
吐息の中に甘いものが混じり始める時に、俺はようやくそれが快感だということに気づいた。
「あっ、ぁっ♡ ん、ぁっ♡」
「ジェミニ、可愛い。もっと聞かせてくれ」
「ゃっ、ぁ……っ♡」
内臓から搾り出されるような喘ぎ声は自分のものとは思えないほどに色っぽくて、婀娜っぽくて、ひどく恥ずかしい。
口を覆おうとしても片手は塞がれているし、さっきのキスの時から顔に手を添えられているしで逃げ場がなかった。
可愛い可愛い、と連呼されながら俺は何度も中を小突き上げられて、鳥のように鳴かされた。
そうやって何度も俺を褒めそやすネガゼニスの気持ちは間違いなく本心で、それが胸の内から伝わってくるから尚更に頭が湯立つような気分だった。
「……っ、はぁっ♡ ぁっ、んぁっ、あ……っ♡ ゼニス……っ」
「ジェミニ、ジェミニ……」
体の中で快楽の火花が弾けて、快感の電流が背筋を駆ける。
目の裏に桃色の電気が走って視界がちかちかとブレて、涙で滲む。
その度に自分の下腹の辺りにぎゅっ♡と力が入ってネガゼニスのものを締め付けるのがわかった。
熱くて、硬くて、大きくて、太くて、力強く逞しく動いている肉の棒。
意識的に力を込めて締め付けるとそこからじんわりとした心地よさが広がってきて、快感の火花がより鮮明さを増す。
肉を押し潰され、刺し貫かれることの苦しさはもうどこかに消え去っていた。
拡張感と圧迫感。広げられながら満たされていくことの充足感。
敏感な、最も感じる部分の粘膜を擦れ合わせる単純な心地よさに耽溺する。
ぎゅうっ♡と中を締めるように力を込めると、ついでに脚の方にも力が入ってしまう。
両脚を閉じるように内腿に力が入ってもそこにはネガゼニスの体があるので閉じられずーー結果として脚ごと彼の体に縋り付くようになってしまう。
ただ全身どこもかしこも敏感になっているのか、そうやって体を使って彼に抱きついているとなんだかとても気持ちよかった。
内腿を彼の腰に擦り付けると、その逞しい律動を感じられてドキドキした。
「はぁ、っ♡ はっ、はぁっ……♡ は……っ♡♡」
「ふーっ……!ふぅっ、はぁっ、はぁ……っ!!」
もうここまで来ると完全にお互い無言だった。
ただただ動物のような荒い息遣いが無人の花畑に響くばかり。
その中に混じる、ぐちゅっ、ぐちゅっ、という水の音。
それが自分達の交じり合う音なのだと思うと嫌に興奮した。
実際、心地よさに溺れ始めてからはもうひっきりなしに体の内側から
果汁を搾り出される果実の気分。硬い
それで股座が濡れそぼっているのがわかるのが、粗相をしたみたいで無性に恥ずかしい。
でもそれすらも気にならない勢いでもう快感には火がついて止まらなかった。
下腹部から散った火花は神経を電流で焼きながら飛び火して、全身を熱く燃え上がらせていた。
吐く息が熱い。
階段を二段飛ばしで駆け上がるように快楽のボルテージが高まっていく予感がする。
上がりきった先に見える真っ白な光の存在を感じて、俺はネガゼニスの体に全身でしがみついた。
「ゼニス……っ♡」
「ジェミニっ……!」
俺達はお互いの名前を呼んで、果てた。
ばぁん、と勢いよく、命綱もなしに上空に打ち上げられたようなイメージ。
意識が飛ぶようなそれが快感の一種だと脳味噌が処理することができずに、ただただ高みに放られたような感覚に翻弄される。
全身がびくびく震えて喉から嬌声が搾り出される。陸に打ち上げられた後いきなり電流を流された魚のような気分だった。
「ふーっ、ふぅーっ♡ ふぅっ、ふぅー……っ♡♡」
「ん……っ、く……!ぅ……っ!!」
そんな感覚に翻弄されながら、俺は確かに温かいものを感じていた。
どくっ、どくっ、どくっ……!!と脈動のようなリズムで下腹の奥に流し込まれる何かの感覚。
ネガゼニスの命の
そう思うと白熱してバカになりそうな頭が幸せな気分で満たされて、より強く彼を抱きしめてしまう。
お腹の奥の方も、それに合わせてぎゅうっ♡と彼を締め付けているようだった。
「ふぅっ……♡ はぁっ、ふっ、はぁ……っ♡」
「くっ……!はぁ、はぁ、はぁっ……!はっ……」
「……ふふっ♡」
「……なにか、おかしなことが?」
「いや、なんでも……♡」
俺はなんだか笑いたい気分になってネガゼニスの頭を撫でた。
ふわふわと滲む視界の中であいつは全力疾走をくりかえしたかのように汗を額に滲ませていた。
褐色の肌も赤らんでいて、触れる皮膚は血が通っていて温かい。
真正面から見つめ合うと焔の色を宿した瞳にうっすらと俺自身の顔が映り込んでいる。
赤と青のオッドアイに白黒の髪の少女が、顔を真っ赤にして涙を流して、それでもひどく幸せそうに綻んだ顔で笑っていた。
鏡の形、顔の形、命の形。
自分を写すものを覗き込んで、初めて自分の形を知る。
俺はこんなふうに笑うんだな、とあいつの目を覗き込んで初めて知った。
ーーーー見上げれば、月が綺麗だった。
「……死んでもいいよ」
「生きていてはくれないのか?」
「お前が俺の死に場所だよ。お前が俺に生きていて欲しいっていうんなら……お前が死ぬまで生きているよ」
「なら大丈夫だ。俺は死なない。俺を殺せるのはお前だけだ」
見つめ合いながら、初めて会った時のことを思い出す。
世界を滅ぼす
言葉もないままに俺達は確かにお互いに視線を交わし合った。あの時の感覚を思い出す。
きっとあいつの世界も、俺の世界も本当はあの時に始まったのだ。
互いの瞳を合わせ鏡にして、互いに触れ合い、命の形を知った。
「キス、していいか?」
「聞くまでもないだろう?」
抱き合って一つになりながら、俺達は口づけを交わした。
呼吸も鼓動も、体も心も一つに重ね合って、相手がそこにいることを確か合う。
世界の果ての世界の底。
月の天蓋、花畑の絨毯。
俺たちだけの二人きり。
全ての戦いが終わった後の最果ての地でーー俺たち二人は、自分たちの世界がようやく始まったことを感じていた。