男勝りロリコンドマゾ女退魔師 赤坂燈火 作:お金ナイダー1号
その家庭は平凡な家庭だった。
例えば燈火の赤坂家と比べれば、その平凡さは一目瞭然になる。
燈火の家庭は、母親が命がけの職業に従事していたという点だけでも十分に特殊だ。
しかも退魔師。
無条件に民衆から尊敬される職であり、さらに『民間退魔師のエース』と評されるほどの凄腕だったという点も、その特殊性に拍車をかけた。
その多忙な母に代わって、父が専業主夫として家事・育児に専念し、家庭を守っていた点も特殊な点に数えていいだろう。
長女の燈火を将来――本人の希望でもあったとはいえ、命がけの職業である――退魔師にするために厳しい訓練をしていた点も特殊だろう。
この家庭は違う。
父は中小企業の会社員。
母は美しい緑色の髪によって、平均より上と言える容姿をもっていたが、その社会的立場と言えば近所の個人商店のパート兼主婦である。
両人とも特別な技能は何ももっていない。
経済的にも中流階級といった位置で、退魔支給金で一戸建てを一括払いで購入した赤坂家とは比べるべくもない。
ただひとつ、他の家庭とは明らかに違うところがあるのだとすれば『家族仲の良さ』くらいだろうか。
例えば父は、妻と娘に危害が加えられようものなら、たとえ死んでも身を挺して二人を庇う事ができると確信していた。
母の方も、夫と娘を守るためなら自分は何でもできると考えていた。
母から緑色の髪を受け継いだ娘もまた、幼いながらに両親を愛し、二人がいれば幸せだと思っていた。
もっとも、この不破さなぎという八歳の少女は、たまに
「パパ、ママ? さなぎね、お誕生日にはお姉ちゃんが欲しいの」
などと言って、両親を困らせることがあったが。
ともかくも、この三人は普通の家庭であり、普通の幸福を謳歌していた。
「パパ、お休みのチューしてー?」
「おっと、悪いな。ほらさなぎ、チュー♡」
「ママも、さなぎにチューだよ?」
「はーい♡ さなぎちゃん、チュー♡」
夜、寝る前になると、さなぎが「チュー」をねだるのも、この不破家の幸せを象徴する文化だと言えるだろう。
しかしこの家が平凡でいられたのも、この日までだった。
***
不破さなぎにとって、それは突然のことだった。
妖魔は突然現れる。
これは世界の常識であるが、まだ8歳の彼女は、まだ常識に慣れていなかったのだ。
その日は、すこし父の帰りが遅かった。
しかし不破家のルールとして、家族は揃って食事する、という物がある。
この日も、いつものように父の帰宅を待ってから夕食を摂った。
メニューは母の作ったオムライス。
母が家族のために愛情を込めて作る、さなぎと父の大好物である。
当然、今回のオムライスも美味しかった。
仕事で疲れてきた父もたちまち笑顔になり、今夜の家族団欒も素晴らしい時間になった。
その最中である。
鼓膜がやぶれそうになるほど大きなサイレンの音がした。
さなぎが何だろうと思っていると、両親が顔を青ざめさせた。
そして父が、父も楽しみにしていたはずの食事を中断するように言った。
むずがっていると、父は今までみたこともないような剣幕で
「さなぎ、すぐに逃げるぞ」
と、さなぎを無理矢理に抱えて家を出た。
家を出ると、同じように嫌がる子供を抱えて走っている家族がたくさんいた。
(何でこんなに焦っているんだろう?)
さなぎは思った。
その瞬間、爆発音がした。
一瞬遅れて、土埃を含んだ突風が駆け抜けていった。
突風を追って、どこの物かもわからない鉄パイプが不破家の前の家の窓ガラスを突き破った。
次いで、世界の全てを憎む猛獣の雄叫びのような声が、鉄パイプの飛んできた方向から響いてきた。
(あっ……、逃げないと、死んじゃうんだ)
さなぎはそう悟り、咄嗟に父の顔を見た。
それは不安を感じた子供が、咄嗟に守ってくれる人を見て安心したがる当然の防衛反応。
父は応えてくれようとした。
さなぎの視線に気付くと、さなぎの目を真っ直ぐに見返して、微笑んだ。
大丈夫だ。
そういうメッセージを表情で伝えようとして、失敗した。
再び飛んできた瓦礫の砲弾が、彼の頭を打ち抜いたからだ。
幼いさなぎには、その意味が理解できなかった。
叩きつけられるように倒れた父。
彼の腕に抱かれていたさなぎも地面に打ち付けられた。
その昔、さなぎが階段から滑り落ちたときには、十メートルは離れていたであろう距離から抱き留めてくれた腕。
なのに今回は、文字通り腕の中にさなぎがいたにも関わらず、さなぎを庇ってはくれなかった。
「パパ……?」
幸い、さなぎの怪我は軽かった。
頬のあたりの擦り傷だけで済んだ。
さなぎは自力で体を起こすと、倒れた父のもとまで歩み寄った。
やはり意味がわからなかった。
頭がない。
首から上に付いているはずの。
人体にとって最も大切なはずの部位が、そこにない。
そんなわけがないのに。
そこには優しい笑みがなければならないのに。
ついさっきまで、あったはずなのに。
ない。
「さなぎ! 逃げるわよッ!!」
今まで聞いたこともなかった、母の怒鳴るような声。
それに気圧されて、さなぎは少しだけ現実に戻ってきた。
母を見た。
その母の左の太ももに、鉄筋が突き刺さっていた。
そこから下が真っ赤に染まっていた。
「ママ、足がっ……なんで……?」
「大丈夫だから……っ。 ママは、大丈夫だから……っ」
そう言いながら母は、さなぎの手を引いて歩いた。
一歩動く度に鉄筋の刺さった部分から赤い物が吹き出してきて、顔が青白くなっていった。
「ママぁ……」
「大丈夫よ、さなぎ、大丈夫……。いまは逃げることだけ考えましょう?」
ふたたび爆発音が響く。
その音は最初と比べて、遙かに近い。
バッと母がさなぎを掻き抱いた。
またさっきと同じ突風が吹き抜けていった。
獣の雄叫びが風の方から鳴り響いた。
さなぎは咄嗟に母の体を確認した。
「……」
今度は大丈夫。
太ももに鉄筋が刺さったままだが、新しい怪我はない。
「さぁ、さなぎ……っ、行きましょうか……?」
「ママ……」
「大丈夫、大丈夫だから……っ」
母に手を引かれ、さなぎは再び歩き出す。
一歩ごとに血の気のなくなっていく母の顔をチラチラと窺いながら。
数分おきに来る、背後の爆発を気にしながら。
その爆発の飛散物が、また母に当たらないようにと神に祈りながら。
どんどん近づいてくる爆発に、絶望の念を深くしながら。
そうやって30分も歩いただろうか。
ついにさなぎは爆発の発生源と思わしき妖魔の姿を見た。
その妖魔は赤い鬼のような姿をしていた。
人間に似た、しかし2メートルは優に越えようかという雄偉な体格。
赤い肌と頭から生えた二本の角。
人間で言う白目の部分まで赤く染まった目からは憎悪しか感じられない。
死。
その文字が鬼の姿を取って、迫ってきたような感覚がした。
一方で、母も妖魔の姿を見たのだろう。
彼女は覚悟を決めたようだった。
「さなぎ、あとは一人で行きなさい」
「えっ……?」
「わたしはもうダメ。でも、あなた一人なら逃げられるかもしれない」
母は決然と告げて、さなぎを暖かく包んでいた手を離した。
「大丈夫よ。安全な場所に着いたら、教会に行きなさい」
「そこで『助けてください、困ってるんです』って言うの」
「そうしたらそこにいる人たちが、さなぎを助けてくれるから」
「大丈夫。そこにいるのは世界の平和を守る退魔師様のお仲間よ?」
「さなぎも言ってたでしょう? 『大きくなったら退魔師様になりたい』って」
「さなぎのなりたかった退魔師様のお仲間だもの。絶対に困っている人を見捨てたりしない」
「だから、さなぎ。行って?」
母は微笑んだ。
そうしてさなぎと決別するように振り返って、赤鬼の妖魔の方を見た。
妖魔の距離は、さきほどよりもさらに近くなっている。
「行きなさいっ!」
もう歩くのも精一杯だったとは思えない鋭い声。
さなぎはその声に押し出されるように駆け出した。
また爆発音がした。
突風が吹いた。
瓦礫や鉄筋が砲弾のように飛んでくる。
さなぎは身をかがめて躱し、風が収まると振り向いた。
もとの場所には母の姿がなくなっていた。
代わりに何か一抱えほどの石のようなものが、さなぎの足下に転がってきた。
それには何やら緑色の繊維質が大量に巻き付いていて、よく見ると何か既視感を呼び起こされる形をしていた。
そう、この“石”は、人間であればほとんど誰もが毎日見るもの。
人の頭。
そして、さなぎにとっては最も親しみのある人物のそれ。
「ママ……っ!」
悲鳴を上げる暇はなかった。
声がした。
「……ミツケタ」
赤鬼の声だった。
あと50メートルは離れていたはずだが、何故かさなぎには赤鬼が自分を見て言ったのだということが明確にわかった。
赤鬼がドンっと地面を蹴った。
この妖魔は目にも止まらぬ速さで、さなぎの目の前にやってきた。
ああ、わたし、死ぬんだ。
さなぎは思った。
赤鬼が手を伸ばした。
さなぎの視界に黒い影が差した。
咄嗟にギュッと目を閉じた。
抱え上げられた感触があった。
グイっと重力がかかって、ピタッと静止した。
きっと赤鬼は、わたしを食べるつもりだ。
もう今度こそ死んでしまうのだ。
さなぎがそう思ったとき、また声が聞こえた。
すぐ近くで。
しかし意外にも、女性の声だった。
「テメェ……中級妖魔ごときが派手に暴れたじゃねえか」
声質は低く、言葉遣いは荒いが、たしかに女性の声。
目を開けると、凜々しい顔立ちと鮮烈な“赤”の髪が視界を占領した。
「無事か? もう大丈夫だ。アタシは赤坂燈火、退魔師なんだ」
どうやらこの女性に助けられたらしい。
それ以外に状況を飲み込み切れていないさなぎに女性が言った。
さなぎは我に返って、女性の姿を観察する。
女性の服装は一般に退魔師がしている服装ではなかった。
上は赤いシャツの上に黒いジャケットを羽織り、下には黒いホットパンツに黒タイツというラフな格好。
それだけ見れば、どこかのやんちゃなお姉さんといった格好だ。
しかし胸元に銀のロザリオがあった。
これが教会の流れを汲む退魔師の証拠だということを、退魔師に憧れていたさなぎは知っていた。
だが、だからといって、さなぎがすぐに安心できた訳ではない。
この退魔師だって、妖魔に負けてしまうかもしれないのだ。
「で、悪りぃんだけど、ちょっと降りてくれるか?」
しかし、さなぎの心配を余所に女退魔師は余裕綽々といった様子だった。
さなぎを優しく地面に下ろすと、安心しろとばかりに微笑みかける余裕すらあるようだった。
もしかしたら、この人は本当に妖魔を倒してくれるかもしれない。
そんな期待がさなぎの中で大きくなった。
「退魔師さん! お父さんとお母さんの仇を取って!」
さなぎの言葉に、退魔師は一瞬目を開いて動きを止めたが、すぐに
「まかせとけ」
と応えると、妖魔に向き直った。
やはり自信満々で、後ろから見ているだけで心のそこから安心してしまうような雰囲気を、この退魔師は持っていた。
そしてそんな退魔師の自信は油断でも虚勢でもなく、本物だったようだ。
女退魔師が腰の退魔刀を抜いた数秒後、赤鬼の首は宙を舞っていた。
と同時に、張り詰めていたさなぎの気力も限界を迎えた。
赤鬼の首が地面に落ちるころ、さなぎの意識もフラッと落ちた。