※この作品はR-18です。

湊友希那と変態シリーズ。   作:美肉。

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湊友希那が風邪をひいた彼氏くんに口移しをする話。


湊友希那看病。

 彼が風邪をこじらせた。

 電話越しにそれを聞いた湊友希那は、胸元の位置にちくりとする質感を得ていた。明確に情緒が崩れていた。それは彼への心配だった。ひたすら彼の身を案じていた。体力を消耗しているのなら、会話をするだけで辛いはずだ。そのため「そう、お大事に」と言ってさっさと通話を終了しようと思った。

「今から家に行くわ」

 友希那は素早く呟いてから強引に通話を終了した。

 

 自宅で療養している彼は思ったよりも軽症に思えた。着ているパジャマはよれよれと変な波を作っており、色も相まって荒れた海のように視えた。電話口だとかなり辛い中に居るような雰囲気だったが全て杞憂だった。彼は友希那を認めるとすぐに身体を持ち上げた。動きは素早く顔にも笑みが在った。友希那はひとまず彼の顔が視れたこと、そして一大事ではないらしいことを知ることができて、ホッと安心していた。

「大丈夫そうね」

 ベッドの隣についた椅子に腰かけた友希那は訊ねた。すると彼はまず喉が痛いと話した。熱も咳の機能のうちに無くなったが、喉の痛みだけは続いているとのことだった。

「喉の不調はいけないわ。しっかり治さないと」

 友希那はテーブルの上に置いたビニール袋から品々を取り出しながら彼の話を聞いた。体力自体は回復しているが、喉の痛みと微熱、そして若干のだるさがいまだに残っていると彼は話した。

「いろいろ買っておいて正解だったわ」

 友希那が広げた品々は、道中のスーパーマーケットで購入した風邪薬や軽食だった。薬は使うとして、軽食たちは最終手段のようなものだった。身体が弱っている時にこんなものを食べるのはありえなかった。

「来なくてよかったのに……」

 彼の目はめずらしく申し訳なさで埋まっていた。今なら普段のふざけた行為について咎めれば、以降おとなしくなるかもしれないと思った。

「あと、それのお金も……」

「恋人を気遣ってる余裕があるのなら、治すことに注力して」友希那は彼を見つめた。いいから安静にしていてほしかった。

「もしかして、心配してくれるの?」

「やっぱり薬代、請求しようかしら」友希那はビニール袋をくしゃくしゃに丸めながら硬く放った。

「……ありがとう」

 彼は一気に破顔した。晴天に浮かぶ雲のような笑みだった。

 しかし友希那は平常な顔を続けた。

「感謝なら後でたっぷり聞いてあげるわ。……それよりあなた、今日は何か食べたの?」

 友希那が覗きながら訊ねると彼は腹で答えた。遅れて彼は発火した。素早くテーブルに目をやった。

「それ食べるから」

「台所、ちょっと借りるわ」

 友希那は淡々とした口調で部屋を出た。

「あの、ありがとねっ」

 閉め切った扉の向こう側から彼の声がした。喉が辛いはずなのに声を張っていた。友希那は聞きながら歩き出した。

 グウゥ。という音だった。

 腹を鳴らした後にサッと目を逸らし、適当なところを視てから思い出したようにテーブルの上を視る彼が可笑しかった。後の声は震えていたし、そのなんとも居心地が悪そうな、とにかく恥ずかしそうな彼の赤面が、友希那の脳裡でずうっと、濃く浮かんでいた。

 

 友希那のお粥づくりは苦戦そのものだった。

 彼のために意気揚々と台所に立ったものの、そういえばお粥の作り方など知らなかったため、スマートフォンを使って調べるところからはじめた。いくつかの記事に目を通していると、共通して『一合』という単語を使っていた。聞いたことはあったがそれが具体的にどれくらいの量なのかまでは知らなかったため、それについても調べた。

 彼の家自体は何度か訪問したことがあった。しかし台所はじめての場所だった。当然食器類の定位置もわからず、そのためありとあらゆる棚を開き、ひっかきまわすように鍋などを探した。途中、何度か食器を落としそうになった。ステンレス製ならともかく、硝子製の皿が素手からするりと抜けていく瞬間、冗談ではなく本当に悲鳴を上げた。

「て、手伝おうか……?」

 彼の、いかにも心配していそうな声が台所にまで聞こえた。喉の辛さはどこへ消えたのだろうか。

 それに対して友希那はいちいち「問題ないわ」だとか、「心配しないで」や、「あなたは横になっていて」と軽く制した。病人はおとなしく寝ていてほしかった。

「あっ……!」

 材料を入れて火をつけた時だった。実は火力を間違えていたことに、友希那は数秒遅れて気付いた。本当に肝が冷えた。ここで間違いを犯せば全てが水の泡になる。彼の腹を満たすことができなくなる。それだけは、それだけは絶対に嫌だった。

「少し、お粥を軽く視ていたわ……」

 四苦八苦しながら完成させたお粥を持って、彼の自室に入った。待たせてしまった申し訳ないと思っていた。

「いい匂いがする」

 彼は、先ほどと変わらずに上半身だけを起こした体勢だった。友希那はお粥をテーブルに置いた。慎重だった。どんぶりの中でお粥がぐわんぐわんと動いていた。大きく動く度に腹の底が冷えた。しかし友希那は負けなかった。絶対にこぼすものかと慎重だった。全ては彼のためだった。このお粥は彼のものだった。

 どんぶりとスプーンを乗せたおぼんは、コトンと音を立てて着地した。

「ふぅ」思わず声が漏れた。

「お疲れ様」

 横から彼の声がした。ちらりと視ると笑みだった。じっと視ていると、再び腹が鳴った。彼が声を出して腹を撫でた。

 友希那は素早く彼の額に手を伸ばした。冷静に素手で彼の体温を察知した。熱は料理前に診た時と変わっていなかった。

「よかった……」友希那は思わず呟いていた。しかし眼前の彼は何も反応しなかった。

 友希那はそんな彼の顔を困惑しながら視た。

 彼は目を閉じており、口をきゅっと尖らせていた。

「何よ、急に」

 困惑を声にすると、彼はそのよくわからない顔をやめて友希那を見上げた。

「キス、されるのかと思って……」

「冗談はやめて」友希那は強く彼を刺した。

「本気なのに」

 彼はうっとりとした口調だった。この状況で恋人らしい触れ合いが展開される可能性を本気で主張しているようだった。

 呆れた。

 この人は自分の状況も理解できないのか。

「私に風邪をうつしたいのか、そうじゃないのか、はっきりしてほしいわ」

 友希那は冷静に返した。彼の緩んだ意識を突いて矯正していた。

「でも君が風邪になったら、僕がちゃんと看病するよ」

 彼の瞳は真剣だった。

「その時はリサにお願いするから、あなたは来なくていいわ」

 友希那はきっぱりと放った。彼の顔が一瞬で硬くなった。何か喪失を得ているような雰囲気だった。

「僕も看病したいんだけど」彼は小さな声だったがにやついていた。

「そもそも私は風邪なんてひかない。そんなもので立ち止まるほど、私は暇じゃないの」

「確かに」彼の笑みがさらに強まった。確信めいた意識を内包した顔だった。「君は強いから」

 褒められた気がしたが友希那の表情は動かなかった。

「お粥、そろそろ食べてほしいのだけれど」友希那はテーブルの上のお粥をちらりと視た。ぼやっとしている湯気が上がっていた。「せっかく作ったのに、冷めてしまうわ」

「ああ、そうだね。そっち行くよ」

 彼もテーブルの上の粥を楽しそうに視ていた。そのままベッドから降りようと身体を動かした。いかにも重そうな雰囲気だった。

 友希那は彼をぎゅっと止めた。

「あなたはそこに居て」

 彼の瞳をじっと見つめて制した。病人は動かないでほしかった。

「え、でも――」

「そこに居て」強い語気で彼の言葉を切った。「私が、あなたの口に運ぶから」

 友希那は彼をベッドに戻すと、振り返ってスプーンを握った。掬おうとしていると後ろから、彼の「お願いします……」という控えめな声が聞こえてきた。友希那はそれを意識しながら粥を掬った。どろりとしているため簡単に適量を持ち上げることができた。ほかほかとした熱気にふぅと吐息を放って湯気を退けてから、手を添えて彼のもとに進めた。

「ほら、口を開けて」

 友希那は彼の口元に粥を突き出した。むわりと広がる湯気が、彼の鼻先を撫でた。

 彼はなかなか口を開けてくれなかった。お粥をじっと見つめ、それから友希那の方を向いた。

 その瞳には煌めきがあった。風邪を受けているというのに、光だけはいつもの、男児のような純真さだった。

 友希那は焦っていた。唐突に背中一面に汗が浮き、脳がひやりとしたが身体の芯は熟していた。

 なんだか嫌な予感がした。

「ちょっとあなた――」

「口移しをしてほしい」

 友希那は口から息を吐いた。身体から生命力のようなものが逃げ出していく感覚だった。力が抜け、手に持ったスプーンを落としそうになった。

「口移しをしてほしい」彼は真顔で口だけ動かした。

「どうして――」

「口移し」

「……あなた、自分の状況わかってるの? そんなことしてる場合じゃないと思うのだけれど」

「友希那ママの口移しじゃないと食べれないよー」彼はわざとらしく高い声を出した。

「やめて」友希那はおどける彼を突き刺すような調子で放った。今までの情緒から考えると明らかに異質であり、くっきりと黒色の冷たい声だった。友希那は彼を視界に入れて眉間を絞った。表情筋が歪み、顔全体がひしゃげた感覚だった。

 彼の表情はピンと静止していた。瞳が冷たく、萎れた情緒で友希那を視ていた。

「ごめん……」

 彼の口から湿った声が落ちた。

 友希那は再びため息を吐いた。

「何度も言ってるでしょう? ママ呼びはやめて。不愉快よ」友希那は彼を視るのではなく彼を眼光で撃った。

「ごめん」

 彼は沈んだ質感の瞳を下に向けた。がっくりと、身体そのものが縮こまったような雰囲気だった。

「……口移し」友希那がぽつりと囁くと、彼の身体がぴくりと反応した。頬がカッと熱を発揮して、衣服が煩わしかった。「一回だけしてあげるわ。一度だけよ。それで満足してちょうだい」

 友希那がめいっぱいの慈悲を声に出すと、その途端、彼はパァッと明るくして顔を上げた。そして何かを言うよりも、まず最初に口を大きく開いて見せつけてきた。自分の願いが叶うとわかった途端これなのだから、本当に、どこまでも欲望に忠実で調子のいい男だと思った。

 しかし言ったものはしょうがない。友希那はスプーンを自分の口に入れてお粥を含んだ。舌の上で感じ取れる温もりと、控えめではあるがしっかりと居る味は我ながら上出来だと思った。友希那は彼の頭を左右から握った。がっしりと固定するような情緒だった。

 友希那は彼の瞳を見つめた。彼はきらきらとしていた。

「ぐふふっ。ふふっ」

 騒がしい彼を左右から握り、無理やり落ち着かせた。

 それでも不気味に嗤う彼は期待感に満ち満ちていた。友希那がしっかりと応えてくれると確信しているようだった。

(はぁ、仕方がないわね……)

 友希那の口角はニッと上がっていた。

 するべき行動は決まっていた。

 友希那は顔を触れさせた。彼に接近し、口を押し付けた。

 真面目に触れ合う接吻は久々だった。

「んっ……」

 なんとなく、今の彼の唇は熱いような気がした。風邪はひかないと言ったが、これでは本当に、彼から貰ってしまうかもしれないと思った。

 貰ってもいいかと思いはじめている自分が居た。途端に耳の辺りがぼうっとした。友希那はそれを誤魔化すように、とにかく彼についた。ぐい、と顔で彼を圧すようにし、唇と唇を連結させ、一つの空間にするとお粥を流した。移すというよりは吐き出すような勢いだった。

「んんっ……。んむっ」

 いつの間にか、彼に両肩を抱かれていた。下から伸びる太い腕にがっしりと固定されていた。口では素早く粥を受け取っていた。健康な友希那よりも、なぜか激しい舌の蠢きを意識した。

「んんふ。ん……」

 全てのお粥を流した友希那はすぐに彼から離れようとした。もう役目は終了したはずだった。

 しかし彼は粥を口内でかき混ぜながら、なんと友希那と舌で触れ合った。

「んっ! んん……」

 彼の元気な舌がなぜか絡みついてきた。もはや口移しなど関係無い情緒だった。彼の舌は病人でも何でもなかった。しつこい情緒だった。友希那を絶対に離さなしてくれなかった。肩をさらにぎゅっと握られた。固定ではなく拘束だった。彼の方から顔を突き出してきた。友希那はそれを受け止めた。受け止めるしかなかった。友希那は抗えなかった。予想外の接吻だったが拒絶するという意識が薄かった。そのため彼に対応して舌を動かしていた。彼は舌で触れ合っていた。お粥はすっかり前に飲み込んだようだった。彼は食後の口直しのように友希那の唾液を吸いはじめた。

「んぢゅっ。んんんっ……。ん」

 じゅるりと激しい音が鳴っていた。明確に吸引されている意識があった。奪われているような感覚でもあった。

 その後、友希那はようやく解放された。

「んはっ」

 口と口を糸が繋いでいた。ただ食べさせてあげただけのはずなのに、漂う互いの情緒が、いつものいやらしい行為のそれと大して変わっていなかった。

 友希那はキッと彼を睨んだ。

「食欲と性欲を同時に満たすなら、事前にそう言ってほしいわ」

 友希那は強い語気で責めた。

「いや、あの……、ごめん……」

 彼は目を逸らしながら呟いた。一応罪悪は在るようだった。

 しかし、やったことはやったこととしてしっかりと存在していた。

「ふざけないで。口移しの時点で十分おかしいのに、そのうえ普通にキスをするだなんて。あなたっ、風邪を長引かせたいの?」

 友希那は迫真に彼を見つめた。接吻なら完治した後にいくらでもすればいいだけだった。それをなぜ今行うのか、その神経が全く理解できなかった。

「ごめんって……。でもね、きっと友希那さんの唾液はさ、僕にとって、何よりも強い薬になるんだよ」

 彼はにこやかに友希那を見つめた。そこに危機感というものは皆無だった。

「私の唾液が薬? 風邪のせいかしら。いよいよ本当に、どうしようもない思考になったみたいね、あなた」

 友希那は彼を嗤った。

「でも、唾液がないとおいしく食べれないよ。だぶん」

 彼は友希那を求めた。

「そんなわけないでしょう」友希那はため息を吐いた。腹の底から這い出る深い息だった。友希那は彼をちらりと視た。真っ直ぐな顔だった。こちらが強く意見しても、すぐには態度を変えないだろうと思った。友希那はお粥をちらりと視た。「なら、このお粥に直接唾液を垂らして、混ぜて、あなたに食べさせればいいのね。それで何も問題無いはずよ」

 友希那はお粥に向かおうとした。

「え、なに言ってんの、それは駄目でしょうが」彼は唐突に真顔になった。しかしすぐに笑みに戻った。「口移しがいいし、さらに言えば口に入れた後、ぐちゅぐちゅとかもしてほしいんだけど」

 彼は楽しそうに語った。心なしか、友希那の音楽について語る時よりも生き生きとしているように観えた。

 風邪をひいているはずなのに。

「……時々、あなたの性癖がわからなくなるわ。なによ『ぐちゅぐちゅ』って」

 なんだか阿呆みたいだなと思ってしまった。

「性癖なんてそんなもんだよ。とにかくお願い。それしてもらわないと僕、今日は寝られないかも」

「本当に変わってるわ、あなた……」

 友希那は彼の異質な性癖と、それを自分に対して所構わず滲み出す人間性に、どっと呆れた。しっとりと息を吐いた。ぐらっと視界が歪んだ。空気が抜けきった風船になったような気がした。

 それでも、この縋るような、彼の意識は嫌いではなかった。頼りにされているような、忠誠の熱を多大に含んでいるような瞳を視ていると、どうしても何かしてあげたいと思ってしまう。自分の行動で彼が満足するのなら、それも自分の喜悦の一つだと確信していた。

 彼には、もう永遠に逆らえないのだろうと意識した。

 

「んれぇっ……」

 一度口に入れたお粥を、友希那は唾液と共に彼へ流した。彼はベッドの上、そこで仰向けになっていた。友希那は彼に覆いかぶさるように向かっていた。彼の頭の左右の位置に両手を置いていた。こんなふうに彼の頭の両側に手をつくと、まるでこちらが彼を押し倒しているような雰囲気になって、ムッと熱くなった。どうせ彼も似たようなことを考えているのだろうと思い込みながら、友希那は顔を落としていた。

「んっ。んんっ……」

 友希那は口を重ねながら、左の長髪を耳にかけた。しかしその薄紫はすぐにほどけてしまった。艶やかな髪が彼の頬にさらりと垂れた瞬間、彼が微細な欲情を放った。しかし友希那は構わず彼に口を押し付けた。

 今回のお粥は、ただ自分の口に入れただけではなかった。含んだ後、一度、口内の唾液と混ぜるように、お粥を洗濯するように、何度も何度もぐちゅぐちゅと揉んだ末のものだった。

「んぇぇ。んっ」

 彼曰く『友希那特製お粥』を造る際、友希那はわざと音を響かせて粥と唾液を融合させた。卑猥に誘惑するように音を立てるのは、もちろん彼からの注文だった。彼は菓子をねだる男児のように、どうしても、どうしてもと煩かった。はっきり言って面倒臭かった。もう無視して帰ろうかと思った。

 友希那は結局彼に従っていた。

 彼の口内の奥にまで刺し込んだ舌にお粥をどろりと流し、きちんと食べさせた。

「んぢゅ」

 全てを終えた後に、一応離れようとしてみた。しかし欲望にまみれた彼が素直に帰してくれるわけがなかった。友希那は結局、自分の唾液が混ざったお粥だらけの口の中で、彼の舌に愛撫された。友希那はあえて彼にされるがままになった。互いの唾液と、舌と、さらにどろりとしているお粥が混ざった中で、彼から激しくしつこく迫られた。彼の舌は、友希那の舌の形や柔らかさを探って記録するような徹底した情緒だった。粘ついており執拗さを窺える接吻だった。

 少しして、友希那は彼から離れた。さすがに酸素が無くなったため、束縛の彼も帰してくれた。

「はぁ……」彼から顔を上げた友希那は彼をじっとりと睨んだ。くすぐったい羞恥が脳を焦がすのはいつもこの瞬間だった。「こんな行為が続くの?」

「んふふっ。美味しい……」

 お粥を飲み込む彼は、ベッドの上でひたすらにやにやとしていた。彼は感情がよく表に出る人間だった。顔で嘘がつけない人間であり、そのため今も、この行為が本当に幸福だと思っているようだった。

「……あなたが嬉しいならそれでいいわ」

 こんな重労働を強いられていると、肉体的だけではなく精神的な疲労もそれなりに在った。

「僕が嬉しいならそれでいいって、やっぱり友希那さん、僕のこと結構好きだよね」

「おめでたい頭ね」テーブルの上のどんぶりの、まだ残っているお粥を視て声を吐いた。

「おめ、え、なに……?」

 友希那はお粥を見つめていた。量は着実に減っているがそれでもまだ多かった。

「ねぇおめでたいってなに? 僕まだ誕生日じゃな――」

「次、いくわよ。はやく完食してちょうだい」

 鉄のような質感で答える友希那は残りのお粥にスプーンを突っ込み、掬った。口の中にあらかじめ唾液を溜め、そこにお粥を投げるように入れた。

 彼の方を視て口を動かしはじめた。ごぢゅごぢゅごぢゅ、と派手な音が鳴っていた。蠕動する肉の空間の中で蠢く粘液のざらついた音だった。とろりとした米と唾液が混ざり、それの全体がかき回されているため口内のあちこちで粒を意識できた。友希那は舌を動かしてさらに廻した。すると彼の目が爛々とした友希那はそれに集中した。目を合わせて頬を動かした。それは傍から顔を視ただけでもわかるほどに大げさな動きだった。口の全ての空間を使ってお粥を揉みしだいていた。唾液たちがお粥と共に蠢き、順調に混ざり合って融合していった。

 友希那は仰向けになっている彼に再び迫った。顔の横の位置のマットレスが、両手によってぐぐっと沈んでいた。

 友希那は目線で口を開けてほしいと誘った。

 しかし彼は口を開けてくれなかった。

「んんっ?」

「待って……。いいこと思いついた」

「んふん」何よ、と動かせない口で呟いた。

「ええとね……。まず僕が口を開けるからさ、君には、そこに落とすみたいにやってほしいの。口はつけないで、お粥をただ落とすだけ、みたいな感じがいい」

「んー……」

 また、彼が妙なことを言い出した。それを実行したとして、たとえば上手く粥が口の中に着地せずに、シーツにこぼれて汚れたらどうするつもりなのだろう、と彼の寝具を危惧した。

 しかし当の本人はそのまま、少なくとも自分の寝床の心配などは一切していないであろう口調で続けた。

「お粥を落とす時の雰囲気は、『ほら餌よ。感謝して』って感じてお願いしたいな!」

「……ん」

 友希那は、今すぐこの変態を矯正したい衝動に在った。

「あ、やってくれる?」

 同時に、ここまでこじらせた変態性はもうどうやっても治らないだろうと思った。もう無理だ、という確信めいた意識に到達していた。

「んん!」友希那は目元をぎゅっと締めた。

 ――はやく口を開けて。せっかくのお粥が冷めてしまうでしょう?

「んへへ。あー……」

 彼は瞳でにっこりと笑いながら大きな口を開けた。病人だというのに本当に楽しそうで幸せそうだった。彼は舌をだらりと伸ばし、完全に友希那からの『餌』を待つ体勢に入った。

 友希那は慎重に、本当に慎重に動いた。両手にぐっと力が籠った。もしこれで寝具が汚れた場合、「汚れたのは友希那さんのせいだから、責任を取ってほしい!」と適当な難癖で騒ぎだして、お泊り会や添い寝を企んでくるに違いない。そんなことになったら、おそらくこちらの身が持たない。だから友希那は真剣だった。沸きたての風呂の面に、様子を見ながら足先を触れさせようとする女児のような情緒だった。ゆったりと狙いを定めて上半身を進めた。

 左の長髪を耳に乗せて押えた友希那は、両手で彼の頭部に触れていた。彼の口の開き具合がどうにもなさけなかったため、右手で頭をがっしりと掴んで、左手で顎を強引に動かした。こちらのお粥を受け取りたいのなら、これくらいは自発的にやってほしい、と鋭く強く思った。

 友希那は彼の目を見つめながら角度を調節した。慎重に口を開き、舌を突き出した。口内に収容されていた長い桃色が、まずそれだけ姿を現した。現役音楽家の新鮮な舌だった。活動と彼への奉仕を兼任している舌を、彼に見せつけた。

 友希那は顔を傾けて口の中を吐き出した。

「んべぇっ……」

 どろりと、粥が下っていった。友希那の長く鮮やかな肉の上を進んでいた。よく視ると粥は泡立っていた。唾液による泡立ちだと思った。今まで、泡が立つほどに混ぜられた粥を彼に注入していたのかと思うと、友希那はカッと熱を帯びる羞恥を意識した。この行為が湛えている真の卑猥さに、ついに触れてしまったような気がした。

 粥は一滴も逃れずに、無事に彼の口へと到着した、友希那の舌を進み、その先端からだるんと落下して、びちゃりと彼へと落ちた。それはもはや口移しの類ではなかった。人間ではない彼への餌やりだと思った。家畜の餌付けのようだと思った。落下と同時に耳にかけた髪がゆったりと落下していた。毛髪が彼に触れたことで、彼は再び腰の位置で欲情を弾かせていた。

 そんな行為が数回続いて、ようやく完了した。友希那はすぐに舌を引っ込めたが、彼はなかなか口を閉じなかった。

「キスはしないわ。言うこと聞いて舌に落としたのよ? それで我慢して」

「んへ!」

 彼は呻くだけで口を閉じなかった。

 友希那はなんだか察してしまった。彼の、この何かを待っているような、何かの登場を心の底から望んで、故にひたすら辛抱しているような瞳から、彼の求愛を自主的に意識してしまった。

「……食べていいわよ」

 精神的な力がすーっと引いていった。

 友希那はぼんやりとした気味の悪さの中に居た。じとりと睨みながら低く許可を出した途端、彼は満足げに口を閉じてぐにぐにと動かしていた。大きく喉を鳴らして嚥下する動きが続いた。

「んっ、ふぅ……。やっぱり友希那さんから命令されると、美味しさも倍増するねぇ」

「どういう原理なのかしら」友希那は真顔で訊ねた。

「ええと、まぁやっぱり好きな人に命令されるとさ、興奮するんだよ」

 彼はしっかりと答えた。にたついていたが口調は真面目だったため、ふざけているとは思えなかった。友希那は思考していた。愛する相手とはいえ、自分の行動すらも強制してくるのはなんだか窮屈なのではないかと思った。

「なんもわかってない顔してる」

 気づくと彼がじっと視ていた。表情ではなく心の中そのものを観察しているような調子だった。

「そうね。よくわからないわ」友希那は冷静に放った。これ以上考えても無駄だと判断した。

「そのうちわかるようになる」

 彼はなぜか確信しているような声で強く頷いた。

「別に理解はしたくないけれど……」

 理解しようとしても、途端にさらなるおぞましさをみせてきて、より難解が極まるような気がした。

 それから三度目の注文を受けた。友希那はいそいそとお粥を含んだ。すでにお粥は冷めかけており、目立つような湯気は無かった。スプーンで白濁のそれを掬い、迷わずに頬張った。口内の舌の上お粥をに残して、スプーンだけをにゅるりと抜いた。

 ここまで従順だと、もはや、ただ都合が良いだけの使用人だった。しかし行動はやめられなかった。どうしても彼のことを、本気で嫌うことができなかった。

(よくわからない人だわ)

 友希那はベッドの上でそわそわとしている彼を眺めた。瞳の輝きが熟れており、とびきりの愛玩を意識した。この目こそが原因なのかもしれないと思った。この目で見つめられると、どうにも拒否ができないような感覚に陥っているような気がした。

 友希那は口で音を奏でていた。今、まさにこの口の中で、粥と唾液が一体化している。それを、彼だけに示している。口からは音が鳴っていた。食べ物をこんなふうに使用するだなんて明らかに道を逸れていた。そのうち天罰のようなものを受けるのではないかと思った。その時は彼も絶対に一緒だと思った。

 友希那の頬から鳴るのは彼の欲望を満たす卑猥な音だった。口の中で唾液とお粥が弾け合って、じゃぶじゃぶと混ざっていた。このお粥には唾液以外にも、友希那の中で丁寧に温められた熱や臭いが籠っているはずだった。好きな人の唾液が欲しいという心理は理解できたが、それと食事を掛け合わせる趣向には疑問を感じていた。しかし彼にとってはこれこそが極上の食事であるようだった。ならばやってあげようと思った。眼前で期待感に満ちている彼を視ると口の動きが加速し、口が激しくなると鼻息が漏れた。蒸気機関車のようでみっともなかったが、彼はむしろそれに夢中になっていた。故に友希那は激しい撫で上げを続けた。右の頬を膨らませてそこに全てを溜め、歯列を洗浄するように混ぜると次は左の頬に流し、再び歯列を洗うように、歯列に擦り付けるように何度も混ぜて中心に戻した。舌を動かしたがそれはかき混ぜるのではなく、舌の質感をお粥に混入させるためだった。

 次に友希那はお粥をぐにぐにと噛み潰しはじめた。その瞬間彼がにやにやしはじめたが無視して行為を続けた。お粥により強い自分の痕跡をつければ、彼はもっと興奮するだろうと思考していた。だから友希那は彼を睨みながら口でお粥を潰した。一粒一粒を確かめながら、それを粉砕する意識を持った。お粥はすぐにただの粘液に変換された。舌でかき混ぜると本当にどろりとした触りがあった。もう固形の質感は皆無だった。赤子専用の離乳食のようだと思った。友希那は改めて口の中を流動する液体に唾液を混ぜ合わせた。どこからともなく流れてくる唾液を意識して混ぜていた。それから口そのものを動かして廻していた。

「んぐっ。ぐうっ」

 友希那はお粥を少しだけ口の奥に流した。喉にぎりぎり達さないような具合だった。いや、若干は達しているかもしれない中途半端な場所だった。しかしその位置がよかった。そこがちょうどよかった。あと少しでも力めば、そのまま全てのお粥がつるんと食道を下って、落ちてしまうような絶妙な位置こそが、今は唯一の至高だった。

「んぐっ。んんっ」

 その地帯までお粥を押し込んで温めると、友希那は一気に、お粥を舌の上へ戻した。喉奥から、奔流のような勢いで口内に広がった。大きくどぅろどぅろと蠕動しながらお粥が動いていた。

 今の口の中のお粥は、確実に唾液だけではなかった。友希那の痰も微量だが含んでいた。おそらく彼はこれで喜ぶ。

 さすがに好きな人のものとはいえ、つまり彼のものとはいえ、痰で喜ぶような性癖は、友希那のほうには芽生えていなかった。だが、こんな彼にとってはこれも褒美の類だろうとすぐに納得できた。

「んっ、ふぬっ」

 融合を終えた友希那は再び彼に向かった。這うように迫ると本当に押し倒しているように思えて恥ずかしかった。先ほどのように一度髪を耳にかけ、それから彼の頭の左右に手を置いた。

「ふんふうっ」

「え、何?」

 彼が困惑しているのを無視し、友希那は彼が居るベッドに乗り上げた。四つん這いになって真下に彼を意識した。友希那は彼を雰囲気で拘束した。

 友希那は自分の身体そのものをぐっと押し付けるようにした。顔を、彼に向けて突き出した。

「あ、じゃあ次は『いいから黙って食べて』って感じでお――」

「んんっ!」

 友希那はぐいぐいと顔を押し付けた。もう黙って口移しを受けてほしかった。両手で彼の頭と顎を強引に動かし、口をこじ開けてそこにすぐに接吻した。その瞬間髪がパサリとほどけ、左右から彼を髪で包むような形になった。

「んむっ……!」

 すると彼の両手が動いた。妙にごつごつとしていて男らしい両腕が友希那の背をするりと這った。友希那の細い背の絶妙な起伏を指先で嗜んでいるような情緒だった。蛇のような彼は最終的に友希那の後頭部に触れた。彼は友希那の毛髪や頭皮を揉むような動きをみせたが、しかし押し込むだとか、抱きかかえるというような意識は皆無だった。ただ友希那を触っているだけのような優しい質感だった。

 友希那はそんな彼の頭頂部のあたりに両手を這わせた。彼を熱く抱きすくめるようにした。頭部ではなく上半身で彼に落下するような勢いだった。口内では執拗に熱っぽく絡みついた。すると彼の素手が、それに応えるように強くなった。這っていただけの意識が明確な掌握の意識に変貌して友希那を引き寄せていた。彼の体温が触れていた。やはり少しだけ熱かった。この食事が終わったらもう寝てほしかった。

「んっ。ふむっ、んっ……」

 友希那は口移しを続けた。お粥を流し終えても口を離さなかった。そんなに唾液が好きならば、もうそれだけを味わえばいいと思っていたため唾液だけを自分から注入した。彼の舌を吸いながら、そこに唾液を垂らして喉に落としていった。強制的に嚥下させた。

「んぶっ。うっ。んぐっ。んんっ」

 量で考えるとすでに限界のはずだった。このままだと彼が溺れる可能性もあったが、もうあまり気にせずに唾液を充填した。彼の口の中をお粥と唾液でたぷたぷに満たした。本当に完成した特製のお粥を、さらに舌でかき混ぜた。彼の口にじっくりと馴染ませて、濃厚に染み込ませた。

 友希那が彼から舌を上げた。彼の口と友希那の舌に、ねっとりと太い唾液の糸が在った。ぽっかりと開かれている彼の口には白濁の液体が満ち満ちていた。粒のようなものが浮いており、それが米粒だろうと思った。彼は恍惚としていた。この状況に対して心の底から喜悦を得ているようだった。

 友希那は舌舐めずりをした。自分の胸の位置で、何か不健全な意識がどっぷりと満たされていくのを感じた。

「良し」

 友希那は低く呟いた。鋭い目で彼を操作した。一瞬、身体がぞくりと震えたように見えた。

「はやくして。冷めてしまうわ」

 彼は、ばくんと口を閉じた。ゴクリという強い音が鳴った。喉という管の肉が大きく一度だけ蠕動していた。硬く、生々しく、しなやかな美しい生命の音だった。

「おいしいよ」彼はしっかりと芯の通った声だった。

「料理が上手くいったみたいで、よかったわ」友希那は冷静に感想を述べた。

「はじめてだったんだよね? 頑張ったじゃん」

「馬鹿にしないで。私だって、お粥くらいなら作れるわ」

「でも食器落としそうになってた」

「あなたが雑にしまっているからだと思うわ。整理整頓くらいしたらどうなの?」

「へへっ……」

「どうして笑うのよ」

 ため息交じりに困惑しながら、友希那は彼の頭部を撫でた。すると彼がニッと笑った。反射的に従順な犬のようだと思ったが、彼にそんなものは似合わないと反論して打ち消した。しかし対面する彼の目は飼い慣らされた犬そのものだった。自分に命令したいのか、自分の命令で動きたいのか、一体どちらなのだろうかと友希那は思考した。どちらの側面も持っているのだろうと結論を出した。

 彼を見下す友希那は口角が上がっていた。彼という一人の雄の手綱を握っている感覚に脳が痙攣していた。友希那は満足するまで彼を撫でた後、次は彼の顎を持ってグイと引いた。

「んげっ」

 ぱかっと開いたことで覗いた口内には何も無かった。友希那は詳しく口内を視た。彼の口には本当に何も無いようだった。上下の唇や歯列を繋ぐ透明で細い唾液の糸だけがいくつか在るだけだった。友希那はそれでも隈なく彼を覗いた。歯医者のように慎重に顔を落として彼の喉まで観察した。

「んっ……」

 彼の口蓋垂の形に関心していると、香ばしい臭いが鼻孔に漂った。彼の口臭だった。鼻呼吸をすると友希那は腰が少し跳ねたのを意識した。友希那は続けて彼の口を嗅いだ。鼻頭が敏感にひくついているのがわかった。ハスハスと音が鳴っていた。股間に湿った意識が集結して意識が上擦っていくのを感じた。

 友希那は彼の顎から手を離した。

「そんなに視なくても、僕はちゃんと全部食べたよ」

「そうみたいね」

 友希那は冷静だった。しかし鼻孔には、彼の口の臭いが舞っていた。蒸れた唾液の濃厚な激臭が、いつまでも鼻梁を漂っていた。

「ねぇ、褒めてよ」

 彼が唐突に咲いた。

「? 何をかしら。あなたは、ただ食事をしているだけでしょう?」

「病人だから何もできないんだよ。もう友希那さんに全部やってもらいたいくらいだから」

「自分の人生の舵ぐらい自分で取ってちょうだい」友希那は彼からするりと離れ、テーブルの上の残りのお粥を掬った。「……隣になら、居てあげるから」

 声は友希那の口の中で溶けてしまった。空気に触れることは無く、そのためもちろん彼にも届いていなかった。

「次は、僕からキスしにいこうかなぁ。僕から友希那さんの中のお粥を奪う」

「動かないで」

 キッと彼を睨んでから、そのままお粥を口に含んで、ぐちゅりと音を放った。

 胸中で、もどかしい蒸れを意識していた。

 

 結局、彼はお粥の完食に友希那を起用し続けた。

 口移しなんて、数回こなせばそれで満足するだろうと思っていた。そのため、次で最後、次で最後と意気込んでいるうちに、いつの間にか最後の一口を終えていた。

「ごちそうさま。凄くおいしかった」

 空になったどんぶりにスプーンを置いた友希那の背を、そんな言葉が覆った。

「……よかったわ」

 友希那はさっさと答えた。必要以上の言葉を出そうとすると、この鉄面皮が錆びて崩れてしまうような気がした。

「ねぇ、本当においしかったよ」彼の声は硬かった。踊っている質感が無かった。勇ましい顔が、視なくても脳裡に浮かんできた。「味について全然言ってこなかったけどさ、味の濃さがちょうどよかった。なんかふざけたけどさ、イチから作ってくれたんだよね? 僕、それだけですごく嬉しいよ。ありがとう」

「……よかったわ」

 ずるいと思った。こんなにも、こんなにもさんざんやりたい放題をしたというのに、その後に唐突に、まるで今までの変態が、丸ごと全部嘘みたいに引っ込めて、ただ暖かく絡みついてくるだなんて、それは正真正銘のずる賢さだと思った。

「ねぇ、友希那さん」

 彼の、いまだに真剣な声が再び聞こえてきた。しかし友希那は振り返ることができなかった。

「ねぇ、ちょっとこっち向いてよ、友希那さん」

 彼の声に幼さが宿った。身体が、脳が反応していた。こういうところもずるいと思った。友希那は振り返った。

「どうしたの」友希那は彼を見つめた。ベッドの上、上半身だけを起こしている彼は珍しくおどおどとしており、せわしない視線の運びだった。

「こ、このままさ……」

 彼はいつの間にか赤面していた。声にも震えがあった。据わっていない雰囲気だった。

「ええと……」

 その瞳には獰猛な火炎が在った。獲物を探す野生の肉食動物の圧だった。それを目撃した友希那はごくりと喉を鳴らした。彼の体調はほとんど治っている。友希那は自分の臓器が、股間の蕾が蠢いたのを意識した。

「あのさ……」

「はっきりしたらどうなの?」友希那は彼に詰め寄るようにした。彼から言葉を引き出そうとした。

「――添い寝とか」

「しないわ」

「頭の臭いとか」

「嗅がせないわ」

「むう……」

 友希那は無表情だった。身体の火照りはすっかり収まっていた。

 彼はひとしきり唸ってがっくりと身体を縮めた後に、すっと目を友希那に合わせた。

「ねぇ、ちょっとひどくない? 添い寝もしない、臭いも無し? 友希那さん、本当に僕のこと甘やかすつもりあるの? やる気ある?」

「私、ここに来たことを後悔しはじめているわ」

 ぽっと脳に浮かんだ言葉を、友希那はあまり考えずに口にした。

「友希那さんさぁ、あんまりふざけてると僕、これから本気で赤ちゃんに成るけど」

「どう解釈したってふざけてるのはあなたのほうでしょう?」友希那はいつもの勢いで声を出した。意識しなくても棘の雰囲気を成した声質だった。「喉だけじゃなくて、頭まで痛いみたいね。もう寝るべきよ。身体を休めないと、それこそ本気で治らないわ」

「でもぉ」

「治らないと、デートも当分の間、延期にするわ」

「それは、絶対にいやだ……」

「私もよ。だからはやく治して」

「わかった……」

 彼は低く溶けながら上半身を落とした。ベッドに身体を倒したのを視て、友希那は毛布をかけてあげた。

「……今日はもう帰るわ。お願いだから、安静に過ごして。完治のためよ」

 友希那はすっと立ち上がった。これ以上居座ると今の彼はふざけてしまい、完治が遠退くだろうと判断した。故に素早く鞄を持って、玄関に向かおうとした。

「い、いかないでっ、友希那ままぁ……」

「さようなら」

 後方からの声を切ってから、友希那は廊下に出るために室内の扉のノブに手をかけた。

「あ、待って! ちょっと待ってほしい……!」

「……子守唄なら歌わないわ」

 ノブを回す前に友希那は立ち止まった。

「帰るならさ、パンツの色だけはちゃんと申告してほし」

「ピンク」

 彼はそれからすんなりと、友希那の子守唄に導かれるように、眠りについてくれた。

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