「メム、機嫌直せよ」
「別に怒ってないよ」
少し弱ったアクたんの声に溜飲が下がる。
私は自分でも気づかない内に不機嫌になっていたようだ。
まただ。
アクたんは私が自分でも気づいていない私の感情を敏感に察知する。
悲しい、悔しい、ムカつく、寂しい。
飼い主のネガティブな気持ちを感じ取った猫がそっと寄り添うように、アクたんは私に寄り添って、今のように後ろから抱き寄せてくれる。
そんな時、9つも年下なのに、まるで一回りも年上の男の人に抱きしめられているような安心感に包まれる。まるで父親に抱きしめられているような。
お父さんなんて小さい頃に死んじゃったけど。
私はアクたんに体重を預けるように、彼の胸に寄り掛かる。
背中越しに感じるのは、男の人らしい固い感触。男の子の成長って早いななんて少し感慨深くなる。
「黒川あかねにフォローが必要なのはわかるだろう?」
「それは…うん…あの子には本当は合ってないものね」
今、アクたんが出演している恋愛リアリティーショーには、演劇界から黒川あかねが出演している。
テレビ越しにもあかねはとっても真面目で努力家の女の子だということがわかったけれど、番組当初の彼女から受ける印象からは、どうにもああいう「作り」の番組には不向きな様子で、こっちまで心配になる程に空回りしていた。
「でも、随分変わったよねあかねちゃん。アクたん何言ったの?」
番組当初こそ空回っていたあかねだったけれど、今は違う。
アクたんとのコンビが視聴者に受けているのだ。
劇団ララライの若きエースの先輩と、まだ演技の世界には不慣れな後輩。
世話焼きなお姉さんと、少し生意気な弟。
そういうポジションに二人は収まっている。
きっかけは、アクたんとあかねが二人で話している場面。音声こそ拾っていないけれど、その時のあかねの屈託の無い笑顔は、本物で、それを引き出したのはアクたんなのは間違いない。
「大したことは言ってない」
「教えて」
SNSや掲示板の評判は上々。
最初こそ、空気とかいらない子呼ばわりされていたあかねだったけれど、最近ではゆきに迫る勢いで今ガチ視聴者から支持されている。
底抜けに明るいノブユキと、男心を転がす小悪魔のゆきのユキゆきに対して、しっかり者を自称してお姉ちゃんぶってるのにどこか抜けてるあかねと、そっけなくて生意気な態度を取りつつもさり気なくフォローを入れるアクたんのアクあか。
この二つのカップリングはそれぞれファンの支持を集めて、今ガチはかつてない程盛り上がっている。
私にも最初オファーは来た。けれど、B小町としてデビューが決まった時期だから私は辞退した。
アイドルに恋愛はご法度なのは理解しているし、アクたんという恋人がいる以上例え番組上求められる役割だとしても、他の男にいい顔をするのは気が進まなかった。
けれど、アクたんはこれから先にもコネを作っていく必要からも、出演を断ることはしなかった。
アクたんの露出はまだ決して多くは無い。役者の仕事もそこまで多くは無くて、有馬ちゃん曰く「知る人ぞ知る」という立ち位置だ。つまり、まだまだマイナーということ。
今が売り出し時だということはわかってる。
わかってるけど。
エゴサをすると出てくるのは「アクあかいいよね」「お姉さんぶってるあかねと生意気な弟なアクアが可愛い」「ちょっと抜けたところのあるあかねをさり気なくフォローするアクアがカッコいい」「アクアも顔が良いけど、あかねも凄く美人でお似合い」「あのまま付き合っちゃえばいいのにね」といった二人のカップリングを推す声ばかり。
ルビーと一緒にSNSや配信で「アクたんあかねと付き合っちゃうの?気になる~」なんて囃し立てたりした。アクたんの出てる番組の宣伝にもなるし、アクたんと仲良しだけどただの友達だから恋愛応援しちゃえるんですよっていうアピールにも繋がるから、仕事の一環だって頭では理解しているのだけれど、心の中はそんなに単純じゃない。本当は胃の辺りぎゅっと絞られるように苦しくて仕方が無かった。
恋愛リアリティーショーだから、キスだってあり得ると知っていたし、アクたんからも仕事だから気にしないでくれって言われてた。アクたんは「見なくてもいいからな?」って気遣いまでしてくれて、年下の彼にそこまで気を遣わせてしまうのが情けないから、全然気にしていないように振舞っていた。
だけど、あかねとの仲が世間に認知されて、ファンに応援されているのを目にすると、
「妬いてる?」
「うん」
思わず頷いてしまってから軽く後悔。
「…みっともないよね」
25歳なのに。
もう立派な大人の女なのに。
まだ学生の彼氏を私が本当は包んであげるべきなのに。
「いや、可愛い。俺のことでMEMが嫉妬してくれるの凄く嬉しい」
「本当に?鬱陶しくない?迷惑になってない?」
ああ、こんなこと聞いている時点で凄く重たい女だとわかってるのに、聞かずにはいられない。
付き合い始めた頃は、年下との男の子のいい思い出になればいいな、綺麗な思い出になりたいな、そんな格好つけたことを思っていたのに、なんてみっともないんだろう。
縋るような女にだけはなりたくないのに、抱きしめられて、自分の剥き出しの嫉妬を吐露してる。
「迷惑だと思ったら、こうしてない。もっと適当に距離を置いてるよ。俺はそんなに優しくないから」
それは嘘だと思った。
アクたんは自分で思ってるよりもずっと優しいし、献身的な子だ。
それでも、彼がそう言ってくれるだけで心が軽くなる。心の中にこびり付いていたドロドロとした感情が溶けて流れていくような気がした。
「ん」
思わず声が漏れた。
花を散らさないように、そっと優しい手つきで頭を撫でられる。
宝物を扱うように、大切に彼の指先が私を髪を梳き、頬を擽る。
「アクア…」
「エイミ」
耳元で本名で囁かれると、スイッチが入る。
アクアと付き合う中で彼に作られて、埋め込まれたスイッチが。
ちゅっと、痕が残らない程度に優しく首筋を啄まれるだけで、身体の奥から甘い蜜がとろりと溢れてくる。
この後に何をされるのか、私の身体はすっかり覚え込んでしまっている。
我ながらなんてはしたないんだろうと思うけれど、パブロフの犬のように、躾けられた身体ははしたなくダラダラと涎を垂らしてしまう。
「終わったら教えるよ」
「んっ……あんまり激しくしないでね?隣に聞こえちゃうから」
「……そういやリョースケ君が帰ってきてるんだったね」
「そう。だから…ね?」
リっちゃん ─── リョースケは私やお母さんが耳を悪くすると注意しても、いつもヘッドホンを付けて動画を見ているから、大丈夫だと思うけど。
それを言ってしまえば、きっとアクたんはわざと私を啼かせに来る。意地悪く、私の身体を知り尽くした彼は。そうされたいという欲求が脳裏を過るけれど、我慢我慢。
二人分の体重を受けてベッドが軽く軋む。
お母さんの帰りが遅くて良かった。
それを期待してアクたんを私の部屋に入れたのだけれど。
身体の震えが止まらない。
隣室から聞こえてくるのはベッドの軋みと姉の嬌声。
アイツが来ているのは知っていた。
アイツも俺がいるのを知っている。
窓から覗き見る俺に気付いて、アイツはにこやかに笑みを返してきたのだから。
姉の恋人なのだから、姉の部屋に行くのは何もおかしくはない。
けれど、俺がいると知っていて、俺に姉の声を聞かせているアイツの目的はわかる。
俺の家族は既にアイツの手の内にあると、アイツはきっと俺に伝えているんだ。
この家の子供として生まれ変わって、沢山の愛情を注いでくれた温かな人たち。
最初こそ、生まれ変わってしまった絶望、前世の罪の後悔に圧し潰されそうだった俺だが、この家の子として育てられていくうちに、前世の家族よりも大切にこの家の人たちを思うようになっていた。
母さんも姉ちゃんも、兄貴達も、みな優しくて温かな人たち、俺の大切な家族だ。
俺がそう思っていることをわかっていて、そう思っているからこそ、アイツは俺に見せつけるのだ。
母さんから信頼されている自分の姿を、姉が半ば依存する程に自分を愛している様を。
目的は?
嫌がらせ?
そんな軽いものか?
生まれ変わった俺をどういう手段でかはわからないが嗅ぎ付けた奴が。
自分の母親を殺した奴の居場所を突き止めた奴が。
姉や母の前で見せる優しい笑顔と、海のように澄んだ瞳の裏側に、刃物のような笑みと奈落のような瞳があることを俺はこの目で見た。
得体が知れない。
気持ち悪い。
悍ましい。
怖い。
アイツは俺の部屋で、俺の正体を言い当てた時以来、何かを要求することは無かった。
時々この家に呼ばれては、軽く会釈をする程度、簡単な挨拶を交わす程度、家族の夕食に同席した時に気さくに話しかけてくる程度。
それだけだ。
だからこそ恐ろしくて仕方が無い。何をするかわからないから怖い。
俺をどうしたいのか、どうするつもりなのかがわからないから怖い。
そして、何よりも家族にアイツが何をするのかわからないのが怖い。
身体の震えが止まらない。
ここまで追いつめられるようなことを俺はしたのか?
したんだ。
そうされるだけの罪を俺は犯したじゃないか。
母親をアイツの目の前で殺した。
罵倒し、ナイフで突き刺し、逃げた。
俺に、俺の家族に同じことをしようとしても不思議はない。それをしないということは、アイツは俺に何かをやらせたいと思っているのだ。
この俺に。そのために生かしている。
なぜ俺に?俺にしか出来ないから。
こんな子供の身体の俺に。
いや、望月良助じゃない、貝原亮介だからできること。貝原亮介が知っていること。
「そうか…」
一つだけ心当たりがあった。
「俺にアイの居場所を教えたアイツだ…アイツのことを…そのために」
中学生くらいのガキだった。
やたらと顔が綺麗で、もって回ったような言い方が鼻についたからよく覚えている。
そういえば、あの顔を俺はどこかでみたことがある気がする。
テレビ?いや、あの頃の俺はアイ以外誰であろうと目に映らなかった。
ネット?わざわざ俳優や男のアイドルなんて見るわけがない。
映画?映画なんて殆ど見なかった。
デジャヴっていうんだったか、この感覚を最近も俺は感じたんだ。
星野アクアを見た時に。
最初は、アイを殺害した時にいた子供の顔に似ているからそう感じたのかと思った。
けれど、小さな違和感があった。
4歳の子供の顔と15歳の顔、面影があったからって、そんなにすぐに一致するか。
俺は記憶力が特別にいいわけでも、勘が鋭いわけでもない。
しかも、アレから10年以上が経っているんだ。じゃあ何で。
綺麗だったことは記憶に残っているが、あのガキのおぼろげな顔。
何気に星野アクアの顔を並べて思い浮べてみる。
不意に、おぼろげだったあのガキの顔が鮮明に浮かび上がった。
「そうか…」
俺はデジャヴの本当の理由に気付いた。
そして、俺が完全に利用されていたことにも。