舞台稽古を撮影した動画はかなりのものであったが、まさか目当てのモノが公演されたものでも何でもない練習の一場面を切り取ったものだとは思わなかった。
金田一がそれとなく自分に促したのは、彼自身も何かを感じたからだろう。
演技のプロが見れば、或いは才能豊かな者が見れば何かを感じたのかもしれない。
しかし、
感じたのはせいぜい、血の繋がりを思わせる自分と著しく類似した容姿と、演技の端々から感じる胡散臭さ。
自分に教えた金田一の表情がすぐれないものであったのは、その胡散臭さに起因するものだろう。
確かな血の繋がりを感じ、その男の現在の場所について情報を入手した時点で、ララライの動画ヘアクセスする方法を聞いた目的は果たされた。
黒川あかねの稽古風景もあったが、それはアクの興味を引くものではない。
そもそも「星野アクア」は演技に情熱も無ければ思い入れも無いのだから。
それでも、動画を見続けていたのは、そこにアイの姿があったからだ。
それでも、動画を見続けていたのは、そこにアイが愛したであろう男の姿があったからだ。
アイがどう振舞っているのか、アイがどう映っているのか、そこで出会った男とどんな風に接しているのか、
その男はどのような男なのか。
それが知りたかったからなのだろうか。
アイを知りたいと思った。
アイがどんな男に惹かれたのか知りたかった。
アイがどんな風に惹かれていったのか知りたかった。
アイはくだらない男に引っかかっただけなのか。
アイは男を愛していたのか。
単なる肉欲だったのか。
外見が好みだったのか。
映像から読み取れないよう内面に惹かれるものがあったのか。
男はアイを愛していたのか。
アイの身体だけが目当てだったのか。
彼女の境遇に同情したのか。
輝きに中てられたのか。
2人の間に愛情は存在していたのか。
一方通行だったのか。
愛していたのならば愛する男に殺されたのか。
愛していたのならば愛する女を殺したのか。
何故愛する男に殺されたのか。
何故愛する女を殺したのか。
愛を弄んだからアイは殺されたのか。
アイを弄んで男は殺したのか。
愛情が裏返ったのか。
憎しみは?
怒りは?
妬みは?
理解したい。
理解したい。
アイを理解したい。
男を理解したい。
わからないから理解したい。
知らないから理解したい。
理解する必要がある。
アイを、愛を。
理解しなければ理由が生まれないから。
復讐の。
復讐の理由が必要だから。
理由があれば復讐するのか。
理由がなければ復讐をしないのか。
理由はる。
アイを殺されたから。
殺されたから恨む。
誰を恨む。
殺した男は自殺した。
自殺して生まれ変わった。
あの子どもを殺すのか。
唆した男も殺すのか。
それでいいのか。
それがあるべき復讐なのか。
いや、
それだけじゃない。
アイの無念を晴らしたいから。
無念。
無念はあったのか。
彼女は満足して死んでいったのではなかったのか。
じゃあ晴らすべき無念はどこにあるのだ。
違うのか。
そうじゃないのか。
復讐に理由を求めることがそもそも間違っているのか。
本来頭で考えてするものではないのかもしれない。
本でも漫画でもドラマでも、復讐を取り扱ったものは皆、強い衝動に駆られている。
自分にもあった。
アイのいない世界では生きていても仕方が無いと思ったから、それを繋ぎ止めたのは復讐への衝動だったはずだ。
生きるために復讐を誓ったではないか。
この無駄な命を生き永らえさせるための理由として、復讐があったはずだ。
復讐とはそういうものだ。
死者のためといって、自分のためにするのが復讐たるべきものだ。
自分のため。
自分の怒り。
自分の恨み。
自分の憎悪。
無いのか?
無いはずが無い。
あるはずなんだ。
雨宮吾郎の記憶が、
自分を突き動かす。
そうあるべきだという。
だから、あるはずなのだ。
復讐すべき理由が。
復讐のための意味が。
自分が生きる意味が。
「あれぇ?何か見てるね」
カウンターで一人でスマホを眺めていたアクアが気だるげに振り向く。
ちらっと見えたのは演技か何かの稽古の様子。役者だもんね。
ちょっとした空き時間にも演技の勉強をするのは、少し意外だった。
あかねはともかく、彼にはそんな勤勉さはイメージに無い。といっても怠け者というつもりは無い。
彼が演技の勉強に没頭するのが意外に見えたのだ。今ガチでも彼から受けた印象は役者というよりも、監督とか演出家という印象の方が大きい。
けれど、こうして打ち上げの時にも演技の勉強をしているのならば、彼は私が思っているよりもずっと演技にひた向きなのかもしれない。
「てっきりあかね用のキャラ付けかと思ってたよ」
「何一人で納得してるんだよ」
見ていた動画を消すと、アクアが怪訝な顔をする。
「演技に興味津々な後輩君って、割と素だったんだ」
「⋯ああ、これは別に、ただの暇つぶし」
「暇つぶしねぇ。暇つぶしで演技の稽古の動画を見るのは、割と勉強熱心だと思うけど。暇つぶしに良いチャンネル教えてあげようか?」
「言っとくけど、コスメとかネイルの動画には興味ないからな」
「あははは。ネイル動画見てるアクアとか、面白すぎでしょ。何なら妹ちゃんと見たら?星野ルビーちゃん」
「やってくれってねだられそうでダルいな」
「女の子のネイルをデコデコにするアクアって配信に流したら受けると思うよ」
割と本気でそう思う。
人気急上昇中のアイドル星野ルビーはアイドルに然程詳しくない私でも知ってる。
あの綺麗な子の差し出した爪に、アクアがネイルアートを施すアクア。
美しい妹の爪を美しい兄が丁寧に彩る姿はさぞかし絵になるだろう。
なんなら「私もやって!!」っていうコメントが殺到しそうだ。
アクアが実はかなり面白い子って知ってるのは、私以外ではそういないだろう。共演者も
含めて。
カメラが回っている時の『ロの減らない後輩君』、『生意気な黒川あかねの弟分』とは打
って変わって、撮影外の彼は寡黙で大人びた男の子。
クラスの男子みたいにスカしてるとか、斜に構えてるのとは違う、「必要が無いなら話さない」という感じ。
なんだろう、省エネ?
打ち上げに参加はするから付き合いは決して悪くはないのだろうけど、率先して輪に入ろうともしない。
寂しそうでもなく、ただ騒いでる私たちを眺めている。
海のように深い青みを帯びた瞳で。
静かに。
彼の視線に気づく度に、私は少しばかり気持ちが落ち着かなくなる。
あの美貌で、あの静かな瞳で見つめられていると思うと、それだけでも浮ついてしまいそうになってしまうのだ。
黙っているだけで絵になるのだから美形というのはつくづくズルい。
「⋯いいのか?」
「ん、まぁね」
やましいことは無いけどなんとなく言葉を濁す。
アクアが何を聞いてきたのか、視線の先でわかる。
ノブユキのことを気にしてるんだろう
アクアがノブユキから撮影後に密かに相談を受けていたことはわかっていたから。
撮影は関係無い。私のことを私とよく話すアクアに。つまりは、そういうこと。
今ガチは、仲良し姉弟な先輩後輩関係に落ち着いたあかねとアクアがノブを焚き付け私に告白して玉砕。
で、番組中盤からじっくりと距離を詰めていたケンゴが手堅くもう一人に告白をしてカップル成立という結果に落ち着いた。
男女3組のうち、1組が告白失敗、1組がカップル成立、そして1組がほんのりとその後の関係の進展を匂わせつつも仲良しコンビを維持するという三者三様の着地点に至ったのは番組的になかなか満足の行く結果だったらしい。
ネットの反応を見るに、前半空回り気味で少しばかりヘイトすら稼いでいたあかねが、アクアと絡むことでお姉さんぶるようになったのが一つの契機になったのか、『空回りする地味な子』から『張り切るけど少しポンコツなお姉さん』という役回りを得たあかねはみるみるうちに人気になっていった。
当初は私一人が目立っていた今ガチだったけれど、最終的にはいい感じの群像劇って形になったのは良いことなのだろう。
「そっちこそ、あかねはいいの?」
「”黒川先輩"とはさっき話したさ」
「ふ〜ん、そっか」
「おかげ様で、それなりに名前も売れたよ俺も」
「それはなにより」
わざとらしく鷹揚に頷いて見せると、アクアが小さく笑った。
綺麗な頬を少したけ緩めて、例な瞳を柔らかな弧を描く彼の笑顔を見る度び、トクンと心臓が慌て出す。
それが苦しいのにどこか甘くて、私は必要以上に彼の前では余裕たっぷりの小悪魔ぶってしまう。
「本当は知ってるんだよ?あかねが炎上しそうだったから、君が助けたかったんだって」
あかねのことをウザイとか空気といってバカにする声がチラホラとSNSで見え始めた時、私は嫌な予感を覚えた。
誰かのネガティブな声は、他の誰かのネガティブな声を引き出してしまう。
初めは特に意識して無かった色々なものが、「悪い意味で」気になってくる。
あかねを気に留めずに見てた人には、あかねの空回りぶりが目に付くようになり、他に気に入りの子がいる人は、それを遮るあかねが目障りに感じるようになる。
炎上という言葉は本当によく表してて、一度火が付くとあっという間に炎になって歯止めが効かず燃え上がってしまう。
「ホント…大事にならなくて良かったよ。ずっと心配してたものね」
「それを言うならゆきも一緒だろ。っていうか、ゆきが最初に気づいたんじゃないか、黒
川がヤバいかもしれないって」
「私の先輩にもいたから⋯炎上で苦しんでた人」
私のモデル事務所の先輩にも、人気があったのに炎上して無期限休止になってしまった人がいる。事実上の引退だ。
だから、私は胸がさわざわした。
私は自分で言うのもなんだけど、番組当初から結構上手く立ち回れたと思う。私は自分が一番大事だし、仕事が無くて暇してたのは事実だったから、今ガチをカンフル剤にしたかったのは本音だ。けど、だからといってあかねの状況に何も思わないはずもない。
自分が人気の一方で、炎上に苦しむ子がいても平気に振舞うなんて出来ない。
「SNSは怖いな⋯ある意味で人との距離が無いからな。どんな声でも拾おうとすれば拾えるし、悪意だってモロに食らっちまう」
「うん⋯うちの事務所の先輩もエゴサなんて自分が傷つくだけってわかってたのに、それでも気になって止められなかったって」
「優しいんだな、ゆきは」
「そんなことないよ。私は自分が一番大事。私が一番目立ちたかった。あかねを引き立て
役にだってしたし」
「けど、決して貶めたりはしなかった。少なくともお前はあかねにも見せ場は作ろうとしてたし、何より出演者でお前ほど黒川を気に掛けてた奴はいなかったよ」
「だけど、実際にあかねを引っ張り上げたのは君でしょ?誰も気に掛けてなかったあの子を君だってずっと心配してたじゃん」
少し妬いてしまうくらい ──── その言葉は呑み込んだ。
「お前の立ち振る舞いを見てればわかる。誰よりも番組を俯瞰で見ていて、それでいてスタッフのように体よく利用してやろうと思うような底意地の悪さも無い。どう動けば人にどんな印象を与えられるのかも理解してる。その上で人のことをきちんと気に掛けてやれる。だから信頼できると思った」
「ちょっと褒めすぎじゃない?誰だって上手くやって行きたいって思うでしょ」
「上手くやりたいのと、上手く立ち回れるのは違うだろ。ゆきはその辺りのバランス感覚が凄いよ、その若さで」
「何それ。タメじゃん」
「……まぁ、そうだな」
年上のおじさんみたいな物言いがおかしくて笑ってしまう。
大人びたアクアはたまに何歳も年上のような話し方をする。先生が生徒を褒めるような感じ。
見下してるわけじゃなくて、自然な物言いだから、誉め言葉が素直に入ってきて、少しばかり気恥ずかしくなる。
アクアから今ガチについて相談を受けたのは、番組が始まって間も無い頃。
彼は番組での役割以外に、あかねの焦りから来る行動に危うさを覚えていた。
正直、びっくりした。
そして、同年代の男の子がまさかこんなに冷静に全体を見渡していることにも勿論驚いた。
けれど、それ以上に彼があかねを気に掛けていることに驚いた。
物静かで他人に無関心な男の子、それが星野アクアへの印象だったのに。
その実、彼は思いやりに溢れていて、細やかな気配りが出来る優しい男の子だった。
互いに番組についての意見交換、今後の立ち振る舞い、炎上しそうなあかねをどうやってフォローするのか、それを相談することは楽しかった。
私と彼で番組を作って行ってるような気がして、ワクワクした。
何より、彼と2人だけの時間を持つこと自体が楽しかった。
例えそれがあかねのためだとしても。
「私があかねを気に掛けてたから、私に相談したの?」
口にしてから軽く後悔した。
これじゃあまるで嫉妬してるみたい。
「火種は事前に処理したい。体調不良で降板ならまだマシだが、最悪のケースだってあるだろ」
それが私の先輩みたいな引退ではないことは彼の昏い表情から察することが出来た。
日本でも芸能人が何人もSNS上の誹謗中傷で自らの命を絶つケースは年々増えてる。
あかねがそうならなかった保障はどこにもない。
私の脳裏に、一時ひどく焦っていた顔のあかねが思い浮かぶ。
素直で真面目なあの子が、ビルから飛び降りる、或いは手首に刃物を当てる光景がやけに
リアルに想像できて、自然と身体が震えた。
「どうした」
「ううん⋯今更怖くなってきた⋯自分が結構怖い番組に出てたんだなって思って」
「そうだな⋯テレビを見てる視聴者は俺達に親近感を求めてるくせに、何処か人間として見てないところがある。何を言っても傷つかない人形とでも思ってるのかもしれないな…」
アクアはグラスに半分くらい残っていたオレンジジュースを一気に飲み干す。
これがウイスキーだったら様になったのにね、なんて思った。
「けど、結果的には杞憂に終わった。視聴率は上々。俺たちの見せ場はある程度平等に確保出来たし、知名度も上がった。特にスキャンダルも無く円満に終わったんだ。誰も損はしてない」
「アクア君的には良かったのかな。彼女ができなくて」
「ビジネスカップルだろ、こんな番組でくっついても。私生活を定期的にSNSに上げてアピールっていうのは、俺には向いてないよ」
「じゃあビジネスじゃなかったらいいんだ?」
「ゆき」
藍玉の瞳が僅かに見開かれる。
椅子を引いて、アクアとの距離を縮める。
肩が触れる距離になると、そっと彼の耳元に口を近づける。
「私、君とだったら⋯いいよ?キスだって」
吐息が届くギリギリまで顔を近づけて、囁いてみせる。
ちょっとした悪戯心もあった。
隣にいるのは私なのに、あかねの話題を口にする彼に何となく面白くないものを感じた。
話題を振ったのはそりゃあ私だけれど、だからって淡々と仕事の話ばかりしなくてもいいじゃない。
勿論、アクアが「あかねの話はいいだろ。今は俺とお前の話をしようぜ」なんて言うキャラじゃないのはわかってるんだけど、もっと私に踏み込んでみてもいいんじゃない?一緒に番組に貢献した仲間でもあるんだし?おっぱい大きい子の方がお好きな感じ?という色々ともやっとしたものがある。
故に、そんなモヤモヤを発散させたくて揶揄ってみたとしても、それは仕方が無いこと。
この綺麗な仮面を照れさせてやりたい、そう思うとしても許されるはずだ。
「へぇ…」
短い言葉だったけれど、そこに含まれた響きに喜悦が混じっているのがわかった。
近づけた顔から離れるそぶりも見せず、薄い唇が愉し気に歪んだのが。
「キスだけ?」
「え⋯?」
「それ以外してくれないの?」
甘い声が鼓膜を震わせたかと思うと、脳みそをたちどころに痺れさせ、お腹の奥がじわりと熱を帯びた。
あ、これヤバい。
細められた藍色が刃物みたいに妖しく光る。
耳元で囁かれた声で痺れていた脳髄は既に無防備で、ぶつけられた瞳の色に、お腹の奥がきゅんと疼いた。
「俺は、ゆきとはもっとしたいよ」
「な、なにを」
馬鹿みたいにオウム返しになった言葉が擦れる。
喉が渇いて、声が震えた。
怖い。
クラスの男子からぶつけられるガツガツした性欲交じりの視線に感じる怖さじゃない。
もっと、得体の知れない穴を覗いたような、だけど、穴の底にあるのが何か確認せずにはいられないような、好奇心と背中合わせの恐ろしさ。
「キスも、キス以上のことも」
「いじょうって⋯な、なにかな」
「知ってるくせに聞くのか?それとも言わせたくて聞いて来た?いい趣味してるよ」
「ち、ちが」
「じゃあ、何だと思った?」
私が今どんな顔をしてるのかわからない。
けど、私の顔も耳も首も真っ赤になってるのは鏡を見なくたってわかる。
だって、こんなに熱いんだもん。
アクアが顔を近づける。
逃れようとした身体が動かない。
アクアの左手が私の右手の上に重ねられていた。
それは殆ど重みを感じないくらい、優しく添えられていた程度だったのに、それだけで私は手を杭で縫い付けられたように動けなくなっていた。
ちがう、
私は動きたくないんだ。
顔を寄せる彼から離れたくなくて⋯
「 ──── ん⋯っ」
思わず目を閉じる。
確かな予感に、緊張と不安、そして期待に耐え切れずそうしてしまった。
柔らかくて少し冷たい唇の感触は程なくして訪れた。
私の唇 ──── をギリギリ避けた頬に。
「……へ」
予想外の感触。
期待外の感触。
思わず間抜けな声が出た。
目を開けると、アクアが私から顔を背けて、肩を震わせていた。
声を出さないように彼が必死に笑いをこらえているのがようくわかった。
「か、揶揄ったの!!」
「うん、揶揄ったの」
笑みに歪む口元を抑えながら、アクアがわざとらしく私の口調をなぞる。
「ひ⋯ひど」
「ひどいとか言うなよ?女心を弄んだのは悪いが、男心を弄ぼうとしたお前はもっと悪
い」
「う⋯」
「打ち上げだからって油断しすぎだぞお前。ここのスタッフは底意地も根性も汚いから
油断したところでこっそり撮影してた映像を流すとかやりかねないから」
「!」
思わず周りを振り返る。
スタッフ達は今はそれぞれ小さなグループになって、酒宴を開いている。
誰もカウンターの隅にいる私達を見ている人はいない。
「ま、カメラ回ってないのは確認済みだけど」
「やっぱり揶揄ってんじゃん!」
一瞬、本気で焦ったじゃないの。
恨みを込めてアクアを睨むと、実に楽し気に、そして実に美味しそうにお代わりしたオレンジジュースを傾けている。
「つーかさ、揶揄う相手はちゃんと選べよお前」
アクアの声が少しだけ、低くなる。
揶揄いの色が薄れた声にドキリとする。
「小悪魔ムーブかなんだかしらんけど、お前みたいな子にその気にさせられた野郎が誰でもノブユキみたいに笑って流すとは限らないからな。
マジになって抑えが利かなくなる奴だっている」
「ガチ恋させるつもりは無いようにしてるもん」
「つもり、だろ?ガチ恋する奴はそんな些細なことで簡単に恋に落ちる。ガチ恋して、舞い上がるだけなら良いかもしれないけど、洒落にならない奴だっている。つまり…」
「つまり?」
「恋のひとつもまともにしたことが無いお子ちゃまは、小悪魔ぶるのも程ほどにしとけって忠告だよ」
「勝手に恋したことが無いって決めつけんなし」
「いや、番組当初に自己申告したろ」
そうでした。
「う〜〜…むかつく。恋愛上級者感だしてるのが腹立つ。君はパクパク食べ放題なんだろうけど」
「おい、人を勝手にヤリチンみたいに言うなよ」
「違うの?」
「そう見えるのか」
「チャラいとは思わないけど⋯」
「引っかかる言い方だな」
誰彼構わず声を掛けて、チョロい子をヒョイヒョイ食べるような軽くてゲスいイメージは
無いけど、来るもの拒まずな空気はあるんだよねアクアって。
「俺は意味も無く、性欲だけに溺れてそういうことはしないよ」
「嘘は吐いてなさそうだね」
「あのなぁ」
言い訳がましいとは思わなかった。
そうなんだろうなと何となく納得できる。
嘘は吐いてない、けど本当のことを伏せているような気がした。
「いいよ、信じる。忠告も素直に受け取っておく」
「そうしてくれ。戦友がおかしな男に引っかかったら寝覚めが悪い」
「でも、私も嘘は吐いてないから。信じてよね」
「どのセリフについて言ってるんだ」
「それは自分で考えてよ。君は賢いんだから」
アクアの唇が触れた箇所を、彼にばれないようにそっと指でなぞる。
そこだけまだ残り火のように熱い。
きっと、今の感触を私は暫くの間何度も思い返すんだろう。
そして、感触の記憶が薄れる頃に、恋しくなってしまうんだ。
・
・
・
懐かしい歌が聴こえる。
あの歌は ────
「あ、起きたんだ」
開けた視界に映る見覚えのある天井から、視線を声のする方へと巡らせると、肘をつきながら自分の顔を覗き込んでいる片寄ゆらと目が合う。
「……ゆら、さん?」
「その顔、さては覚えてないなぁ〜星野少年」
少し上擦った声が、彼女が酔っていて且つ機嫌が良い時のものだとアクアは知っていた。
ゆらが酔っているのは彼女が呑兵衛だから容易に理解が出来るが、何故機嫌が良いのかは見当も付かない。
そう、アクアの視線が物語っていたのか、ゆらは楽しげにくすくすと笑うと手にしていたグラスを干す。
「そんなに不審そうな顔しないでよ少年。お姉さんちょっと上機嫌なだけなんだから」
「それがわからないから不審な顔をしてんだけど」
ゆらが金紗の髪を掬うように指先で弄ぶままに、視線だけを警戒する猫のように見開くアクアに、ゆらはキスしてやろうかという気持ちになる。
そんな可愛げの無い可愛い顔を無防備にお姉さんの前に晒しおって、そんな気分だ。
「初めて会った時と逆の状況だったのがなぁ〜んか面白いやら嬉しいやら。どうしたもんかな、うーん、そうだ、まずは飲もう、このかぁいらしい寝顔を肴に飲むしかねーな、ミキさんのLINEなんかブッチ余裕ですってね」
「何一つわからんが、ミキさんとやらには少し同情するわ。アンタいつもその人の約束蔑ろにしてないか?」
「甘やかそうとしてくれるおじさんより、甘やかしてくれるし甘えてくれる年下の男の子に、ゆらさんはすっかり参ってるんですよ」
「はいはい」
「本気にしてないね?」
「酔っ払いの口説き文句を真に受けるなってミヤコさんが言ってた」
「マザコンがよぉ」
酔った勢いでなきゃ少しばかり大胆になれないクソ雑魚だって大人にはいるんだぞ、と言ってやりたい気持ちは酒と共に流し込む。
片寄ゆらは、目の前で自分のベッドで無防備に眠る少年の前では余裕のある大人の女でいたいのだ。
ドラマ以外で最後にキスをしたのは高校時代(女子校)の練習キスで、開通済の子達の恋愛相談に未開通なまま乗っているとはまだ知られたくないのだ。
「君が私のマンション辺りでフラついてた時はヒヤッとしたよ」
「悪い…撮られてなきゃいいけど」
「じゃなくて、悪い大人に飲まされたのか心配だったの」
「いつかのアンタみたいにか」
「アレは私の自爆もあるけど。君、今日打ち上げだったんでしょ?あの恋愛リアリティショーの」
「何で知ってるんだよ」
「お姉さんの情報網をお舐めでないよ。だからね、君みたいな子をパクッと頂きたい大人達に飲まされたのかとヒヤヒヤした訳。飲んでないみたいで安心したけど、死にそうな顔してるのは変わらないし、で、部屋に連れ込んだわけ」
「…警戒心無さすぎだろ…放っておけば良かったのに」
「怒るよ?」
「……」
「ま、怒るのは体調戻ってから。今はとりあえず寝ときなさいよ。あ、家族には連絡入れとくのよ?」
「うん」
うん、て。可愛い返事だなぁ全く、これは本格的に弱ってるな?
アクアの微かに汗ばんだ額を撫でながら、内心溜息を吐く。
マンションの前でふらふらと倒れそうなアクアを見た時は、冗談抜きで心臓が止まりかけた。
放っておけばいいって?
冗談じゃない。
あんな捨てられた猫ちゃんみたいな顔してる子、放っておく選択肢なんかない。
保護するか、お持ち帰りするか、囲い込むかしたくなるに決まってる。
華奢とはいえ立派な男子高校生に肩を貸しながらヒイヒイ言って自分の部屋まで連れ込むのは骨が折れたが、可愛い寝顔でチャラだ、チャラへっちゃらだ。
余程参っていたのか、アクアは再び寝息を立て始める。
「ごめんね。少年が何か思い悩んでるっぽいのはわかってるけど、それでもお姉さんはちょっと、いや、かなり嬉しかったのよ。弱りきった君が私を頼ってくれたのがね」
アクアのオデコにキスをすると、ゆらは上機嫌に再び歌を口ずさみ始めた。
調子外れの懐かしい ──── アイの歌を。
アクアの表情が少しだけ悲しげに歪んだのに気付かず。
・
・
・
「君は哀れだね…」
月明かりを浴びて輝く透き通るような髪を靡かせながら、少女が呆れるように、憐れむように囁く。
視線の先には鉛色の建物。
その先に眠る少年を想い、少女は豪奢な睫毛を微かに伏せる。
「自分を産んだ母親の年頃の女の子に近付いて、試して、自分を擦り減らすなんて…そうしないと確認すら出来ないのかな…復讐もトラウマも…」
少女は見ていた。
余裕ぶって少女の頬にキスをする少年が、その裏で吐き気すら堪えていたのを。
そうやって自分を試していたことを。
自分を産んだ頃の、子供と言える年頃だった母親を彷彿とさせる少女へ惹かれる気持ちと、強烈な拒否反応の狭間に敢えて自分を落とす少年を心から哀れだと思う。
「そうやって擦り減らした自分の破片を見ないと自分がいる実感すら持てないなんて…君は…」
小さな唇を噤み、続くべき言葉を断ち切る。
烏を伴い少女は身を翻した。
眠る少年にそれ以上何かを言うのは酷なことだと思ったのかは誰にもわからない。