月明りを浴びて白銀に輝く髪を魔かせながら、少女は楽しげに見つめる。
まるで大好きなアイドルのステージを見つめる少女のように。
推しの俳優の舞台を見つめるファンのように。
意中の男子に遠くから熱い視線を送る乙女のように。
何処かうっとりとした眼差しで。
視線の先は古ばけた民家が一軒。
田舎の山奥の更にさびれた一軒家。
元々お金のある家だったのだろう、家屋の外見やデザインから読み取れる年季に反して、家の作りは頑健で、ちょっとやそっとの災害等で崩れるということは無いことがわかる。
「腕の良い大工に建ててもらったらしい」とは家主の言葉。
らしいというのは、家主自身も直接目にした訳ではなく、彼の祖母の言葉とのことだ。
少女には家の良し悪し等わからないし、はなから興味も無い。
ただ、そう語る家主の表情が微かに寂し気であったことの方が遥かに気を引いた。
視線の先では、家主が庭先でばんやりと月を見上げていた。物憂げに月を眺めるなどという風流な振る舞いとは程遠い。
火花を散らす赤々とした炭に温められた七輪の上で、焦げ目の付いた二尾の秋刀魚が香ばしい匂いを立てている。
焼き上がるのを待つ間、ただやることも無く月を見上げているだけなのだろう。
家主の興味は月よりも七輪の上の肴と、傍らに置かれた日本酒にあるようだ。
少女が木の上から飽きもせずにそれを眺めていると、肩に停まっていた鳥が少女に何かを知らせるように一声鳴く。
「おや」
少女が珍しいものを目にしたように声を上げる。
月明かりのみに照らされた道を金紗の少年が歩いてくるところであった。
その足取りは何処か重く、苦痛にも似た苦い表情が少年の丹精な美貌をゆがめていた。
「よう」
突然の来訪者に、男はほんの僅かに驚いたものの、旧知の友に会ったように親しみの籠った笑みを口の端に浮かべる。
少年の表情とは正反対のその様に、覗き見ていた少女は声を立てずに笑う。
男は少年を手招きすると、自分の隣を指さす。
男の傍らにある杖を一瞥すると、少年は小さく頷いて腰掛ける。
男の年齢からすれば、親子と呼べる年齢差なのだが、男は実年齢を耳にすれば誰もが目を剥く程度には若々しい。
故に、縁側に並んで腰かける二人は、身長差や年齢からくる外見から、年の近い親子、或いは年の離れた兄弟のようにも見える。
「秋刀魚が丁度焼けたところだけど、食うか」
「いらない」
「若い子は魚食わないかぁ〜」
気にした様子も無く男が秋刀魚を皿に取ると、丁寧に身を解して口に運ぶ。
しっとりと結露で濡れた酒瓶をタオルで拭うと、小さなガラスの猪口に注いで一息で飲み干す。
美味そうに眼を閉じる男から視線を逸らすように、少年は男の手の中の猪口に目をやる。
こころなしか羨ましげなのは、酒の味を少年が知っているからだろう。
「やらんぞ未成年」
「ケチだな」
「未成年の飲酒を医者が勧めるかよ」
喉を震わせて笑う男を、少年は恨めしそうに睨む。
暫し、男が秋刀魚を解して口に運び、酒を煽るのを横目に、少年は月を見上げていた。
「で、宮崎くんだりまで来てどうした?また頼み事か?」
綺麗に骨だけになった秋刀魚を端に寄せると、二尾目の秋刀魚を皿に乗せたところで、男が
箸を置いた。
「MEM母親のこと⋯助かったよ」
「いいよ。俺としてもずっと心残りだったし」
「元カノだから?」
「いちいち付き合ってきた女に金払ってたら破産するわ。ただ、あの子だけは⋯嫌い合って別れたわけじゃなかったからな⋯どうせ金なら余ってたし」
「あの様子だと、まだ未練はありそうだったけど⋯復縁しないのかよ」
「今更だろ。彼女が健康になってくれたなら、それ以上言うことは無いさ」
「MEMがアンタの子っていう可能性は?」
「⋯正直わからん。確認してないからな。年齢的にはあり得ないこともないが⋯なんだ、自分の娘と寝てるんじゃないかって気にしてるのか?」
「そういう訳じゃ⋯いや、そうなのか」
「お前は俺の割に倫理観が低い方だと思ってたんだが」
空になった猪口に酒を注ぎ足すと、男が皮肉気に笑う。その笑顔が自分の作り笑いに何処か似ているような気がして、少年の神経を逆撫でする。
「スワンプマンの思考実験って知ってるよな」
「アイの子どもの身体を泥人形と一緒にするなよ」
「わぁ、強火オタ怖。けど、あれと違うのはお前にはちゃんと名前があるだろ。星野アクア
っていう名前が。お前は雨宮吾郎じゃないよ」
「だけど、俺の中には雨宮吾郎としての記憶も知識も存在する。星野アクアなんて名前を与
えられたけれど、俺の意識は生まれた時から雨宮吾郎のままだ」
「けど、俺はここにいる」
ぎゅっと少年 ─── アクアが唇を噛む。
「ダビングしたテープにもマスターテープにもそれぞれ録画し続けていったら、その2つは同じテープか?違うだろ」
「例えが古すぎる。その例えなら、俺からすればアンタは正に呪いのビデオテープだよ」
「懐かしいな。アイなら貞子役もやれそうだ。話が逸れたな。つまるところ、雨宮吾郎としての26年間の記憶に星野アクアとしての16 年間の人生を重ねたお前と、雨宮吾郎として42年間の人生を歩んできた俺とは全くの別人だよ。俺に言わせれば、お前はたまたま一つ余分にセーブデータを持ってるだけの子どもよ」
「そう簡単に割り切れるかよ⋯俺はずっと自分を雨宮吾郎だと思ってたんだ、『俺』が生きて
いると知るまでは」
「それで、悩める青少年アクア君はこんなところまでおじさんに相談に来たって訳か。さり
なちゃんが寂しがるぞ」
そう思うならアンタが会ってやれよ、そう言葉には出さないものの視線で訴えてくるアク
アに苦笑を返すと、男 ─── 雨宮吾郎は手の中の猪口に視線を落とす。
猪口なかで揺らめく酒に映る自分の顔を飲み込むように、一気に飲み干す。
熱を帯びた酒臭い吐息を吐きながら、吾郎は自嘲するように笑う。
「せっかく第二の人生を歩んでるんだ。過去のしがらみなんてあの子にとっては邪魔だろう。こんな何もできなかった無力な医者なんてあの子がこれから歩いていく輝かしい道の上に転がる石ころと同じだ。無駄に躓かせてケガをさせるだけだ」
「そうかもな」
「さすが俺。話が早い」
「さっき別人って言ったじゃねーか」
「そうだっけ?」
「ボケたのかおっさん」
妹はこんな男の何処かいいのか。
兄としての心が心底憤りと妹の見る目の無さを嘆く。
「その顔だと、復讐とやらは諦めてないんだろ」
「当然だ」
「それなのに悩んでる。やりたくないのに使命感でやってるからか?」
「わかったようなことを」
「俺ならそう考える。お前の立場ならな。お前はブレすぎなんだよ。息子としても男として
もファンとしても、いずれにしてもアイへの思いが半端でブレてる。それなのに、感情自体は強い⋯っていうか、それをお前は自分の拠りどころにしようとしてる。拠りどころがブレるからお前自身もブレるんだろ」
「アンタが生きてていて、俺の中の雨宮吾郎が単なる記録でしかないとしたら、アイを母さんと呼んでこなかった俺は、何を以ってアイへの想いを証明する?ルビーはアイドルになって証明すればいい。けれど俺に出来るのは復讐しかないだろう」
ファンとして、男として、息子として。
スタンスが曖昧だとしても、せめて気持ちそのものは本物だと証明したい。
吾郎は虚ろな少年に憐れみを帯びた眼差しで見やると、そう当たりを付けた。
「復讐自体は止めんけどな。アイを殺されて腸煮えくりかえってるのは俺も同じだ。お前と違って多少話したことがある程度の一ファンに過ぎない。彼女の中に何の痕跡も残らない通り過ぎただけの俺と違って、お前はハッキリと愛してるって言われたんだろ?俺とは比較にならんだろまったく羨ましい」
憐れみを覚えるが、少年の歩みを止めるつもりはなかった。
推しの少女に愛を告げられ、唯一無二の少女の生まれ変わりが幸福に生きる様を間近で見てることへの嫉妬もある。
いずれにせよ、どれだけブレていようとも、やるべきこととして自分自身を駆り立てるものがあるだけ、今の吾郎には少年は羨ましく映った。