こんな俺が生きていていいのだろうか。
何度も何度も問い掛けた。
二度目の意味は何かあるのか。
今日は気分が良い。
体調だけの話ではなく、正社員の話を打診されたからだ。
『望月さん。最近は体調も良さそうだし、貴方の仕事ぶりはそもそも以前から本社の方でも評価が高かったんですよ。お子さんも一番下の子も来年は中学だって聞いていますし、どうですか?』
以前より、何かと目を掛けてくれて、私が体調を崩した時にも休職や、部署異動を進めてくれた上司からの言葉に胸が温かくなった。
今より子どもたちに楽をさせてあげられることが喜ばしいのは言うまでもなく、自分の頑張りが認められたことが素直に嬉しかった。
子ども達も大きくなってきたし、本格的に仕事に比重を置いてもいいかもしれない。
火を止めると、シリコン製のへらの先に付いたソースを味見する。
少し甘めのソースは我が家で良いことがあった時の定番メニュー、煮込みハンバーグの味付け。家族全員の好みの味付けだ。
トマトの酸味が苦手なので、砂糖を多めに入れて、それからハチミツも加えてある。
娘に今夜のメニューを伝えると、すぐに返信。
「じゃあバゲット買ってくるね」と短いメッセージと可愛らしいキャラクターのスタンプ。
嬉しそうな文面に思わず顔が綻んでしまう。
昔は炊飯器でお米を炊いていたのだが、「お米よりもバゲットに合う味付けだから」と、娘が買ってきたバゲットで食べてみたら家族全員が大ハマり。それ以来煮込みハンバーグの日にバゲットを買ってくるのは娘の役目だ。
何をませたことを言ってるのかしら、と思ってゴメンね。
焦げ目の付いたハンバーグを肉汁ごとソースに入れて再び火をつける。
子ども達が帰ってくるまではもう少し時間もあるし、温めていたポットからティ―パックにお湯を注いで紅茶を入れる。もらい物だけど、後で調べたらまぁまぁお高い品。どうりで美味しいはずだと納得する。しかも、値段を知ってもこちらが恐縮するほどでもないところが実に心憎い。これをくれた人 ―― 娘の彼氏くんはなかなかなセンスをしてると、娘の男を見る目に得意な気分になる。
そんなことを思っていると、玄関から物音が聞こえた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「今日はハンバーグなの?どうしたの?」
「お母さん、正社員になれそうなの」
「マジで?おめでとう、お母さん」
思春期になって、普段はむすっとしてることが増えた我が子の仏頂面が笑顔に変わる。
無愛想になっても素直なところは昔から変わらない。
「今日はお姉ちゃんも早くに帰ってくるみたいだから、一緒にお夕飯食べましょう」
「わかった」
「お菓子は程ほどにしなさいよ」
「わかってるって」
夕飯前なのに、冷蔵庫から2リットルの炭酸飲料のペットボトルを取り出し、スナック菓子の袋を物色する子に付け加えると、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
「それから、ちゃんとコップに入れて飲みなさいね」
「もう、わかってるって」
ペットボトルに直接口を付けないように釘を刺すと、いよいよ煩わしそうな返事が返ってきた。
きっと、早く配信が見たいのだろう。
子のいわゆる「推し」のユーチューバーの配信がそろそろ始まる時間だ。
「今日もMEMちょの配信?本当に熱心ねぇ」
「笑わないでよ」
口を尖らせる子に笑みがこぼれてしまう。
「それに、今日はルビーも出るんだよ」
「あら、その子って確か」
最近、ずっと追いかけているアイドルがいると以前話していたのを思い出す。
「だから、お母さん、絶対部屋に入ってくるなよ?」
「はいはい」
アイドルやユーチューバーの配信を見てることを恥ずかしがるくせに、見ていることを報告するなんて、我が子ながらなんと可愛いのだろう。
階段を慌ただしく駆け上がっていく音を聞きながら、紅茶を一口飲む。
いつの間にか、紅茶は少し冷めてしまっていた。
ニヤニヤと笑うお母さんの笑顔から逃げるように自室に滑り込むと、部屋の鍵を掛ける。
ランドセルをベッドに放り出すと、PCに電源を入れる。
PCが立ち上がっている間にコップにコーラを注いで、スナックの袋を開ける。今日はコンソメパンチの気分だ。
宿題は休み時間に終わらせてある。
『こんメム~~今日もMEMちょの配信に来てくれてみんなありがとう~~!!』
YouTubeを開くと、タイミングよくMEMちょが開始の挨拶をするところだった。
コメント欄が瞬く間に【こんメム】で溢れかえる。負けじと俺もキーを叩く。
ニコニコとしたMEMちょの笑顔に、思わずこっちまで笑顔になる。
美人かどうかと聞かれれば文句無しの美人で、美人か可愛い系かと聞かれれば間違いなく可愛い系。
とはいえ、圧倒的な美少女………
……
………嘗てカリスマ的な人気を誇っていた…あの『アイ』のような見るもの全てを惹きつける無敵の存在感や、強烈な輝きを持っているわけじゃない。
クラスに探せばいるかもしれない、そんな子だ。
けれども、だからこそ馴染みやすいし、そんなMEMちょの笑顔だからこそ、ほっとする。
そんな現役JKユーチューバーだ。
現役JKユーチューバーという“設定”だ。
現役JKユーチューバーという肩書を覚えている限り2年前から使っているので、矛盾はしていない。矛盾はしていないが、それが大嘘なのは知っている。結構な数のファンは薄々察している。察した上で推しているのだ。いつも一生懸命な姿、全力で楽しもうとしているポジティブさ、そして視聴者を楽しませようとする振る舞いは見ているこちらまで元気が貰える。だから、みんなそんなMEMちょの嘘に乗っかって楽しい時間を過ごしているのだ。
いつもよりもコメント欄が賑やかだ。
同時視聴者数の数字が普段の倍近く増えている。前回から告知していたゲストの人気であることを考えるとMEMちょのファンとしては少し複雑だけど、このうちの何割かがMEMちょのチャンネルの視聴者になってくれると自分に言い聞かせる。
『さぁてさて。オープニングトークもそこそこにして、みんなお待ちかねのゲストのご紹介!どぞ!』
『みなさ~ん、こんにちは~~。はじめましての人ははじめまして~。現役JCアイドルの星野ルビーで~す!!』
サイドテールに結んだ蜂蜜色の髪を揺らしながら、息を呑む程の美少女が満開に咲いた花のような笑顔で現れた瞬間、コメント欄は絶叫のような言葉で溢れかえり、堰を切ったようにコメントが流れていく。
【ルビーちゃん!!】
【ホントに来た】
【かわいい】
【ルビーちゃん!ルビーちゃん!星野ルビー!!】
【おかわわわわ】
【こんルビ~】
【JC!!MEMちょと違って本物のJCだ!!】
【可愛い過ぎる】
【美少女にもほどがある】
【きゃわたん】
【リアルJCハスハス】
【絶対いい匂いする】
【ルビーちゃんの腋ペロペロ】
【カワイイ!!!】
「……うへぇ…」
隠そうともしない欲望の銃弾爆撃のようなコメント欄に若干うんざりとする。
このコメントを打っているのはどんな年齢なのだろうか。
子どももいれば、いい年をした大人だってきっといるだろう。
現に、コメント欄には既にスパチャがいくつも確認されている。
軽いノリのものやMEMちょのチャンネルでは馴染み深いテンションのコメントも多いが、中には割とガチ恋気味のものもある。
そういうコメントには上手く説明できないが、湿度の高さというか粘度のようなものがあるのだ。触れるだけで糸を引くような、妄執じみた感情が。
「…うっ…」
嫌悪感に胸が少し苦しくなるのをコーラを飲んで誤魔化す。
随分と“もらって”しまった。コメント欄に意識を向け過ぎていたらしい。
動画ではMEMちょがルビーとカラオケに行った日のことを話していた。
この二人はプライベートでも仲がいい。
互いの配信でそれぞれプライベートのエピソードが語られているが、こうして二人が同じ画面でそのことについて触れていると、また感慨もひとしおなのだろう、コメント欄は先ほどのような剥き出しの欲望こそ落ち着いたものの、勢いは増すばかりだ。
『ルビーが37点で私が49点だったよね』
『違うよ。私が43点でメムちょは28点だったじゃん』
『それこそ違うよぉ!私の方が点数高かったって』
『高いって言っても50点切ってたじゃん』
『私はまだヘタウマのレベル。ルビーはただの音痴でしょ!』
『変わんないよ!私が音痴ならメムちょも音痴だって』
『味だから。個性。聞いてて癖になるっていうか』
『わぁ~それ言い訳でよく聞くやつ』
『ぐぅぅぅ…で、でもでも、ルビーだってよく言うじゃん。だんだん成長していくのを見守る楽しみがファンにはあるとかそれっぽいこと言ってるけど、成長しなかったらファンの人たち呆れるんじゃないかな』
『ぐふっ…わ、私は本番じゃないと燃えないから。ボイトレじゃ本領発揮できないの!』
『トレーナーさん泣くよぉ』
『それにダンスレッスンはばっちりだもん』
『この前のダンス動画かなりバズってたよねぇ確かに』
『へっへーーん』
『後ろで一緒に踊ってたぴえヨンさん効果のような気もするけど』
『何とでも言うがいいよ。どんな手段でも使えるものは使って目標を達成するのことが大事だってお兄ちゃんも言ってたし』
『それは悪役のセリフだよね。アイドルのセリフじゃないでしょう。まぁ、らしいけど』
『お兄ちゃんちょっと悪ぶったところあるからね~だけど、迷惑系じゃない限りバズらせた奴が正義って言ってたし』
『それはそう!!』
『あ、初めての人、お兄ちゃんって私が言ってるのは彼氏のカモフラージュとかじゃなくて、本当にお兄ちゃんだからね』
『この子のお兄ちゃん、この子のマネージャーみたいなことしてるんだよぉ。うちのチャンネルにいつも来てくれる人は今更の話かもだけど』
男の話題に過敏なファンでも、親兄弟に対しては寛大だ。
それどころか、父親大好きエピソードや兄妹仲が良いエピソードが好きなファンは多い。
弟へのブラコンアピールを率先してメディアで話すアイドルや声優も珍しくない。
彼氏ならば嫉妬や憎悪の対象でしかないが、親兄弟だとまだ恋に奥手な子だと安心できるからか、或いは親兄弟の立ち位置に自分を当てはめて妄想しているのかもしれない。
星野ルビーには双子の兄がいるというのは彼女のファンにとっては基礎知識だ。
動画に登場こそしないが、星野ルビーの双子であるのだから、美形でないはずがないという共通認識も根付いている。
それに、星野ルビーと兄の兄妹仲が良いのも事実だろう。
親がいない兄妹だからこそ、互いに寄り添い合い、支え合って生きてきたのだから、仲が悪いはずがない。
苺プロのネット事業からネットアイドル部門をするという発表があり、その第一弾としてデビューしたのが、ユーチューバー兼ネットアイドル【MEMちょ】だった。
MEMちょの配信は一回目から欠かさず必ず見ている。
ネット配信に不慣れだった頃から、毎回俺はハラハラしながら彼女の配信を見ていた。配信を重ねる度に、生き生きとしていくMEMちょを嬉しく思いながら見ていた時だった。
『うちの事務所にすごく可愛くていい子でダンスが得意な子がいるんだ~』
その時、名前は出なかったが、間もなく苺プロの公式チャンネルから配信されたぴえヨンのチャンネルの動画に彼と一緒に登場した女の子。
筋骨隆々で長身のぴえヨンの隣にいる、小さな女の子。
それが当時12歳だった星野ルビーだった。
小さな体に似つかわしくないスケールの大きさを感じさせるダイナミック且つキレの良いダンス。
そしてぴえヨンのマスクをしているのに動き全てから感じる生きていることへの喜び。
マスクを外した時の息を呑むような美しい顔立ち。
星の煌めきにもにた輝きを秘めたその名の通りの色をした宝石のような瞳。
そして、人生のすべてを謳歌しているような生命力溢れる笑顔に完全に魅了された。
似ていた。
彼女に ────
──── アイに
その時、既に「伝説のアイドル」と今では呼ばれるアイが殺されてから8年経っていた。
アイドル業界は暗黒期と呼ばれ、未だに彼女を超えるアイドルは現れていなかった。
それが変わる。
彼女を超えるアイドルが現れる。そんな予感がしたのだ、ルビーを見たときに。
彼女を応援しよう。
心からそう思った。
自分の義務であり、使命のような気がした。
『リっちゃん、夕ご飯よ~~ 』
階下からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。
配信はとっくに終わって、PCはそのまま連続再生でお気に入り動画を再生していた。
生前のアイのLIVE映像。
死んでしまったアイドルの映像を流し続けることに難色を示す声もあったが、それらを無視して苺プロの公式チャンネルが上げ続けるアイのLIVE映像。
モニターの向こうで踊っているのは、奇しくも今の星野ルビーと同じ15歳のアイだ。
「やっぱりそうなんだ」
胸を刺すような痛みと、苦みを伴う後悔と共に、その動画を閉じた。
「あ~~遅いよ~リっちゃん~もう、待ちくたびれちゃったよぉ」
「ごめん、ごめんお姉ちゃん。ちょっと動画見てた」
「えっちゃん、この子ったら、またMEMちょの配信を見てたのよ。遅れないように慌てて帰ってきたんだから」
「ちょ、お母さん!!言わないでよ」
「ふ~~ん?へへへぇ~~そうなんだ~~~?」
お母さんが余計なことを口にする。
ほら見ろ、お姉ちゃんが嬉しそうに、意地悪そうにニヤニヤと笑っている。
猫がネズミをいたぶる時に浮かべそうな笑みだ。
これは、後で相当ウザ絡みされるな。
そう、少しばかり憂鬱になっていると、トイレの方から水を流す音が聞こえた。
よくよく見ればテーブルには四人分の食事の用意がされていた。
兄達のどっちかの分だろうか?いつもバイトでこんな早い時間に帰ってくることが無かったのに。
「お手洗いお借りしてすみませんでした」
リビングにやって来た顔に、俺はデジャヴを覚えた。
蜂蜜色の柔らかそうな髪に、青みを帯びた深い海のような瞳が目を引く。
「まぁ、いいのよ。それより、もう食事の用意が出来てるから座って座って」
「本当にお邪魔してよかったんですか?ご家族の団欒なのに」
男なのかと問いたくなるような綺麗な顔立ちにスラリとした身体つきの男は、柔らかな物腰で頭を下げると、お母さんに勧められるままに、音を立てずに椅子を引いて座る。
一つ一つの動作が丁寧な男だと感じだ。
「いいよぉ。お母さんいつも今度はいつ来るのいつ来るのって急かしてくるんだもん」
「だって、この子全然連れて来てくれないんだもん。紅茶のお礼だってしてないのに」
「そんなこと言って、お母さんが会いたがってただけでしょ!」
食卓に就いて、切り分けたバゲットの入った大皿をテーブルの中央に置きながら、お母さんが拗ねたような表情をする。
嬉しいことがあったと言っていたさっきよりも、今の方が浮かれているように見えるのは、目の前にとびきりのイケメンがいるからだろう。
お母さんは清楚でしっかり者のような印象に反して、割と面食いで趣味がミーハーなところがあると家族は皆知っている。
エイミ姉ちゃんが連れてきた、おそらく彼氏は俺が知る限りとびぬけてイケメンだ。こんなに美形な男、今の人気のモデルや俳優でもいないんじゃないだろうか。
そういえば、姉ちゃん、割と趣味が乙女チックだから、こういう王子様系に弱いんだっけ。
「いっつも惚気るだけ惚気て、独り占めするのはよくないわよ?」
「独り占めしたっていいでしょ。だって、その、か、彼氏だし」
お姉ちゃんが顔を真っ赤にして、俯くと、彼氏と言われた男が優しく姉の頭を撫でる。
兄弟のこういうやり取りを見せられるのは正直辛いし、面白くない。
しかし、お母さんはどうやら違うようで、仲睦まじい様子に寧ろテンションが上がったらしい。
「まぁまぁまぁ、この子から15歳の子と付き合うことになったって聞かされた時は、色々覚悟したけれど」
「覚悟って何!?」
「でも、大人びてるから丁度お似合いじゃないの。あら、やだわ。私ばっかり一人で喋って。紹介してなかったわね」
「エイミさんからお話しは伺ってます」
「……」
「もう、何そのぶすっとした顔。ごめんね、この子お姉ちゃんが取られたみたいで拗ねちゃってるの」
「別に…そんなんじゃ…ねぇし?」
「お姉ちゃんの配信をいつも見てるのに、今更カッコつけないの」
「エイミさんの配信は俺も大好きですよ」
「ちょ、ねぇ、いい加減その呼び方は止めて。いつもみたいに呼んで。なんか落ち着かないから」
「わかったよ ──── メム」
甘ったるい潤んだ瞳で姉が見つめる男は、ふわりとした笑みを浮かべると、姉のもう一つの名前を口にした。
簡単な自己紹介を済ませると、夕食は始まった。
主にいつもよりテンションが高いお母さんが姉ちゃんを無視して姉ちゃんの彼氏に話し掛け、それを姉ちゃんが窘めたり、恥ずかしがってフニャフニャになっているのが凄く新鮮だった。
そういえばお姉ちゃんが家に彼氏を連れてきたのって初めてだが、そもそも彼氏が出来たことだって初めてじゃないだろうか。
そう考えると、お母さんも姉ちゃんもそのテンションの高さの理由がわかったような気がする。
お姉ちゃんの彼氏は、スマートで綺麗な外見とは裏腹に、かなりこってりしたドルオタらしい。
特に、その若さでよく知ってるなと言いたくなるような古いアイドルのことにも詳しく、時々姉ちゃんよりも母さんと話が弾んでしまうせいで、姉ちゃんがずっとお母さんに嫉妬していた。
「その、やっぱり彼氏だから見てるんすか?」
同じドルオタだという同族意識のせいか、最初の警戒心はすっかり薄れていた。
「メムの配信のこと?」
「共通の話題として把握してるのかなと」
切り分けたハンバーグを口にしながら、姉の彼氏を見る。
気合を入れ過ぎたのか、随分と作りすぎだと思ったハンバーグは気が付けば兄達の分を除ければもうすっかり残っていなかった。
白馬にでも今すぐ跨りそうな王子様然とした見た目に反して、食いっぷりが良いらしい。
時々ご飯を作ってあげているらしく、姉ちゃんもそれはとっくに知っていることのようだ。
「そもそもメムの配信は面白くて見てるし。もちろん1番の理由は大好きな彼女が生き生きしてるところを見てたいのがあるけどね」
「アクたん」
大好きな姉であり、推しのユーチューバー兼ネットアイドルMEMちょは、恋愛禁止というアイドルの掟はどこへ行ったのかと言いたくなるようなトロトロに蕩けた顔で隣に座る恋人を見つめる。
「あと、仕事の一貫だからというのもあるかな」
「仕事?」
大人びてはいるけれど、どう見ても高校生くらいなのに、働いているのかと、そんな疑問が顔に出ていたのか、姉ちゃんが悪戯っぽく笑った。
「そっか、言ってなかったっけ。アクアはね、苺プロに所属してるの」
「え?」
「今は妹ちゃんのマネージャーやったり、動画編集とかの裏方メインだけど、歴とした役者さんなんだよ」
「妹…え、いや、まさか…」
「星野ルビーのお兄ちゃんだからね、彼」
デジャヴを覚えたのはそれか。
どうりで見覚えがあるはずだ、と納得と共に目の前に座ってハンバーグを美味しそうに平らげているイケメンを見つめる。
「アクアだって?いつもみたいにアクたんって呼んでいいぞ」
「そういう意地悪言うと、マリンちゃんて呼ぶよ?星野アクアマリンくん」
軽口を叩いてじゃれ合う横顔は
夕食を終えて、自室に戻ると改めて今日の出来事を反芻する。
MEMちょの ──── 姉の配信を見ていたら、そこに推しのアイドルが登場して、
配信を見終えて晩御飯を食べに降りたら、姉が彼氏を連れて来て、
その彼氏が推しの兄だった。
嘘みたいな一日だ。
俺は中断していたLIVE、アイのLIVEの動画を再生する。
目を逸らすことが出来ないとびきりの笑顔で、沢山の嘘をばら撒きながら眩しく輝く推しアイを見る。
自分の人生でこんなにも目まぐるしい出来事に遭遇するなんて、昔だったら信じられなかった。
この俺に。
こんな俺に。
動画の
人を惹きつけるアイのような瞳。
だけど、アイとは異なる輝きを放つ瞳。
ルビーのように目を奪われる瞳。
だけど、ルビーとは異なる煌めきを宿した瞳。
不思議な瞳だった。
始めて目が合った時、背筋に細い針のような氷柱を刺し込まれたのかと思った。
蒼い瞳に射抜かれた気がした。
まるで、一瞬のうちに胸の奥まで見透かされたような焦燥感が胸を内を駆け巡る。
思い耽っていると、不意に部屋の戸をノックされた。
「お母さん?」
『ゴメン、アクアだけど。ちょっといいかな』
「アクアさん?どうぞ。鍵開いてますから」
ドアを開けると、アクアさんは一人でそこに立っていた。
姉ちゃんはいない。
階下から談笑が聞こえるから、姉ちゃんはお母さんに捕まってあれこれ聞かれているのかもしれない。
しかし、どうしたのだろうか。
居づらくなったとか。
それとも姉ちゃんのことで話でもあるのだろうか。
もしかして、結婚とか。
姉ちゃんも23歳 ─── もうすぐ24歳だし、あり得ない年齢じゃない。
いや、でも、ネットアイドルMEMちょはまだ高校生だ。
きっと来年も高校生だ。
アイドルでしかも高校生なんだから、結婚はおろか、恋人だってNGだ。
いや、24歳で15歳と付き合ってる時点でNGだけど。
お母さんもよく賛成したよな。
「へぇ、ルビーのポスター飾ってくれてるんだ」
「一応推しなんで」
「メムのポスターは?」
「流石に姉のポスターは飾らないっす」
「俺はルビーのもメムのも飾ってるけど?」
「ヤバいっすね。ルビーちゃんに何か言われません?」
「シスコンにも程があるって。メムにも」
「やっぱり」
「でも、推しの可愛いポスターは飾るしかないだろ」
「それについてはわかりみがふかいっす」
カーペットに腰を下ろしたアクアさんがPCを覗き込む。
「アイのこれは15歳の頃のLIVEか」
目を細めて、アクアさんは懐かしむように小さく笑みを浮かべる。
悲しそうな、切なそうな、嬉しそうなそんな表情に、俺は妙に落ち着かない気分になる。
姉の恋人と二人という奇妙な空間のせいだろうか。
「ねぇ、教えてくれるかい?なんでルビーが好きなのか?」
ぽつりとアクアさんが呟いた。
「可愛いですし。それに」
「それに?」
「笑顔が…太陽みたいで」
「ああ、確かに」
「それにパフォーマンスも…」
「完璧なパフォーマンス」
「まるで無敵に思える言動…」
「吸い寄せられる天性の瞳……まるでアイみたいだな」
「……そうっすね」
俺の考えを言い当てられているような気がした。
「アイが好きかい?」
「はい、大好きです」
「推しだった?」
「今でも…推しです」
「アイドルのくせに子供なんて作ってたのに?」
──── 心臓を握り潰す音が聞こえた。
「ファンを裏切るふしだら」
「ファンの事蔑ろにして」
「裏ではずっとバカにしてたんだろ」
「この嘘吐きが」
アクアさんがぽつんぽつんと言葉をこぼす。
小石を投げて水の波紋を確かめるように、口を噤むと、モニターに釘付けだった紺碧の瞳が俺をまっすぐに見下ろした。
「もう一度聞くよ。教えてくれるかい?なんでルビーが好きなのか?」
「
デジャヴの理由がわかった気がした。
見覚えがあるような気がしたけど、見てたんだ。
だって、俺達は会ったことがあるから。
もっと彼が小さかった頃。
今の俺よりももっと小さかった頃。
そう、アイが死んだ11年前、15歳の彼が4歳の頃に。
身体の震えがさっきから止まらない。
カチカチと耳障りな音に気付く。
俺の歯が小刻みにぶつかる音なのだと遅れて理解する。
あの日、怯えていたか弱い4歳の子どもは、美しく成長した。
人形のように愛らしかった子供は、今俺の目の前で、真っ暗な海のような瞳を三日月のように細め、刃物の美貌に氷の笑みを浮かべていた。
こんな俺が生きていていいのだろうか。
何度も何度も問い掛けた。
二度目の意味は何かあるのか。
多分、意味など無い。
一度目で全てから逃げ出した俺に、そんな意味などきっと無い。
Mochizuki Eimi ──── だからMEM。