私は愛というものがわからなかった。
お母さんに愛された記憶が無いからなのかもしれないし、お父さんがいなかったからなのかもしれない。
元々、私自身が人として欠陥品なのかもしれない。
お母さんも人として大概ろくでもない人間だったと思うし、お母さんが連れてくる男もお母さんと一緒になって殴ったり、罵倒したり、身体を触ってきたり、酷いものだった。
お母さんがろくでもない人間だからろくでもない人間しか傍にいなかったのだとしたら、そんなお母さんにすら愛されない私はそれ以下なのだろうか、なんてことも何度も思っていた。
友達がいればもっと違ったのか、それとも恋人でもいれば変わったのかもしれないけれど、お母さんのように私もろくな人間じゃないから傍には誰もいなかった。
お母さんが逮捕されて、施設に預けられて、その施設もそんなに良いものでもなかったけれど、ご飯にガラス片や虫の死骸が入ってないのと、毎日殴られないのだけ遥かにマシだった。
かといって、そこで出会った人達のことは誰一人として覚えていないのだから、まぁ、私にとっては「その程度」のものだったんだろう。
学校は楽しくなかった。勉強にはついていけなかったし、クラスに友達もいなかった。
告白されたことは何度もあったけれど、付き合うっていうのもよくわからなかったし、お休みの日に出かけるのは面倒だし、それでお金を使うことは億劫だから断っていた。
そんな風に過ごしていたら、別に鼻にかけたつもりもないのに、「綺麗だからって調子に乗ってる」なんて陰口を言われたり、「お金さえ払えば誰とでもヤるってマジかな」なんて男子が話してるのも聞いた。
調子に乗ってるつもりもないし、お金もらって身体を売ったことだってないんだけれど、私の言葉は誰にも届かないだろうし、そもそも私のことをわかってほしいとも思わなかった。
アイドルにスカウトされた時、何かが変わるかなと期待はした。
学校に行ってるよりは楽しかった、と思う。
多分アイドルは私に合っていたんじゃないかな。
佐藤社長をお父さんと思い込もうとしたり、ニノや高峯と仲良くしようとしたけど上手くいかなかった。
カミキヒカルという男の子と出会って、何か通じるものを感じた。
何かが変わる予感?そんなものがあって、彼と付き合って、身体を重ねてみたりもした。
避妊という考えは頭に無かった。知識にはあったけれども、具体的なやり方ってよくわからなかったし、直前で抜けばいいのかな、くらいのもので。
カミキ君も避妊するつもりは無かったみたいだから、子供が出来たのは当たり前の結果だったのかもしれない。
結局、私は子供が出来たことがわかる前にカミキ君とはお別れした。
だって、やっぱりなんか違うって、不思議なんだけど愛を知らないくせに私はこれは違うという気持ちがあって、一度違うと感じたら、もう恋人関係でいる必要も無いって私はすっぱりお別れを言った。
カミキ君は一瞬びっくりした顔をしたけど、何か納得したようにお別れを受け入れてくれた。彼は出会った頃から私よりもずっと大人で、別れてほしいと私の勝手な都合で告げた時だって大人の対応だった。
シュラバとかいうのを覚悟していた私は、もしかして一発くらいは殴られるかなぁ、とか、収録あるから顔は止めてほしいなとか思っていたのだけれど、彼は「アイがそう望むのなら構わないよ」と笑って頷いてくれた。
カミキ君は私よりも年下なのにずっと大人で、セックスの経験だってあって、私をリードしてくれた。
セックスは特に気持ちいいとか思わなかったけど、彼が私の身体を丁寧に扱ってくれたことは嫌じゃなかった。
隣にいる人に恥ずかしい思いをさせちゃうのはいけないことだって学んだから、服装とかに気を付けるようにしたし、ちゃんとした振る舞いというものを意識するようになった。
彼と付き合うようになって得たものは多くて、彼を愛することはできなかったけれど、過ごした時間は無駄じゃなかったと思う。
それに、私と彼に似た子供ならきっとかっこいいし可愛いに決まってる。醜い子どもが嫌とかそういうのはあんまり思わないけど、どうせなら綺麗な子どもの方が愛せる気がする。
子供が出来た時、私が感じた予感ってこれだったのかなとぼんやり思った。彼を愛せる予感じゃなくて、愛せる存在を私が生む、そんな予感。
子供が出来たと教えてくれたのは、田舎の病院の若い先生だった。
先生はアマミヤゴローっていう名前だった。
私のファンらしいと聞いたのは看護師さんから。正直びっくりした。だって、センセはそんな素振り少しも見せなかったから。
でも、私のファンだとわかる前から、私はセンセが嫌いじゃなかった。
16歳で妊娠した女の子が、世間でどんな目で見られるかなんて馬鹿な私でもわかる。
興味本位か、軽蔑の目、もしかして、エッチな目で見てくるかもしれない、そう思ってたし、男の人がそういうもんだって私は理解しているつもりだった。
だけど、センセは私の予想とは全然違っていた。
私を大切にする。そりゃあ、お医者さんだから当然だけど、センセは心から私を大切に、守ろうというのが態度や表情、眼の光から伝わってくるのだ。
まだ子どもな私が子どもを産むことを心配する気持ちも、アイドルを続けたいという私の意志を応援する気持ちも、どっちも本物で、この人は絶対に私の味方なんだと、会ってそんなに経っていないのに心から思えた。
だから、クールな感じの看護師さんから「雨宮先生何か変な行動してません?奇声を上げたり、妙にテンション高くなったり」なんて言われた時には誰のこと言ってるのかわからなかった。
センセが私のファン、それも凄くこってりしたオタクだと知って更にセンセに興味が沸いた。
だって、センセが私に寄越す視線は、LIVEや握手会で見るファンのような粘っこいものとは全然違うんだもの。もっと、大切な、眩しい宝物を見るような、そんな目。
私を好きでいてくれるファンがみんなこんな目をしてくれるなら、私はもっとアイドルを頑張れる気がした。
入院している間、センセとは色んなことをお話しした。
私の家庭の事情も話したし、センセの家庭の事情も教えてもらった。
センセを産んで死んでしまったお母さん。
近所の人に陰口を叩かれながらセンセを育てたお祖母ちゃんへの申し訳なさや、センセを疎ましく思うお祖父ちゃんから向けられる冷たい目。
「何で自分は生きてるんだろう。そう何度も思ったよ」
センセと全く同じことを私も何度も思った。
私とセンセはとっても似てる。似てると思った男の人はカミキ君も同じだったけど、カミキ君の時とは全然違った。
カミキ君といる時は、彼といることで私は変われるんじゃないか、私は愛をしることが出来るんじゃないか、そんなことばかり考えていた。
だけど、センセといる時は、ずっとセンセのことを考えてた。
お母さんがいるのに愛されなかった私と、お母さんを知らないから愛されることを知らないセンセのどっちが悲しいんだろうとか、愛されようとアイドルをしている私と、愛そうとして色んな人を助けようとしているセンセのどっちが嘘吐きなんだろうとか、私の頭の中には私が抜けてスケジュール調整に四苦八苦してる社長や、大変な思いをしているB小町の子達よりもセンセのことを考える時間が増えていった。
センセのことを考えると、鼓動が早くなって、胸がぎゅっと苦しくなった。風邪を引いた時のように身体が熱くなった。
センセのことを考えただけなのに、カミキ君とセックスをした時よりも遥かに私の心臓は鼓動を刻んで、そのことが私を混乱させた。
だけど、センセのことを考えることは嫌じゃなかった。
いつの間にか、私の周りの景色は変わっていた。
素敵な自然に囲まれた静かな場所だとは思っていたけれど、センセのことを考えることが増えるにつれて、私の目に映る世界はもっとキラキラして見えるようになった。
周りの景色が華やかに見えるようになって、吸っている空気が甘く感じるようになった。
センセとお喋りしていると、時間が口に入れたマシュマロみたいにあっという間に溶けて、甘い余韻だけが残る。
センセのことをもっと知りたい、センセのことをもっと教えてほしい。
センセに私をもっと知ってほしい、センセに私のことをもっとお話ししたい。
センセに私のことをもっと知りたいと思ってほしい。
私がセンセを知りたいと思うのと同じくらい、ううん、それ以上に、もっともっと貪欲に、欲張りに、我儘に私を知りたいと思って欲しい。
お腹が膨らんでいくのに反して、私の興味はお腹の中の子から離れていった。
センセがどうしたら私をもっと知りたいと思ってくれるのか、センセは私のことを知ってどう思うのか、センセなら、センセに、センセだったら。
センセのことを考える時間が増えるにつれて、私は生まれてくる子どもを自分が愛せるかどうかなんて、考えることもなくなっていた。
この胸に灯る熱はなんなのだろうか。
私は自分でも自分の気持ちがよくわからなくなっていた。
出産には絶対にセンセに立ち会って欲しい、言葉にした自分にびっくりした。
誰かにどうこうして欲しいなんて、誰かに何かを期待するなんて、誰かに執着するなんて、生まれて初めてだった。
結局、センセは出産に立ち会ってはくれなかった。
煙のように姿を消してしまったセンセを、社長は無責任だと怒っていた。
看護師さん達は女関係のトラブルで逃げたんだろうなんて言いながらも、すごく心配していた。
私はただ、「ああ、またか」と諦めにも似た気持ちになっていた。
まただ。また、私が執着した人が私の前からいなくなった。
お母さんと同じだ。
裏切るような人に執着した私に見る目が無かったのか。
私が裏切りたくなるような救いようのない嫌な人間なのか。
お母さんと同じように、センセも私を愛せない人だったんだろうか。
私は愛されるような人間じゃなかったのだろうか。
私にわかるのは、あれほど執着したセンセがいなくなってしまったこと。
そして、興味の薄れかけていた双子の子どもを育てていかないといけないということ。
愛せるかもわからない、愛したいのかもわからない二人の子どもを。
★ ★ ★
愛は中毒になる。
知らなかった愛を、知ってしまうとどこまでも僕は貪欲になった。
肉欲の果てにとはいえ、結ばれたあの人は、僕を何度も優しく抱きしめ、愛撫し、甘い言葉をささやいてくれた。
求められればなんでも応じた。
命じられたらなんでも従った。
必要とされることがとにかく嬉しかった。
求められることがひたすら幸せだった。
けれども、愛は呆気なく僕の手の平から零れ落ちた。
捨てられたのは一瞬のことだった。
冷えた頭で考えてみれば、それは当然のことだ。
女優として成功を収めつつあった彼女にとって、未成年との関係など足枷でしかなかったのだから。
怒りは無かった。
悲しみすら感じなかった。
僕の中にあったのは、ただ「痛み」だけだった。
僕の中に植え付けられ、芽生え、根を張っていたかけがえのない「愛」が無造作に引き抜かれてしまったことへの痛み。
僕という人間の中に張り巡らされた根は、僕の血肉や臓腑、骨と癒着していた。
奪われた愛という名の花は僕の内臓も、肉も、骨も、血も何もかもを巻き込んで僕の身体から引きちぎられ、残ったのは醜い空洞と、穿たれた穴から血を滴らせた僕の心だけが残った。
愛を知ったことで、僕は愛を失う痛みを知った。
愛に満ちた世界の温もりを知ったことで、僕は愛の無い世界の凍えるような寒さに気づいてしまった。
愛が欲しい。
愛が無ければ生きられない。
愛の無い世界には耐えられない。
身体に走る痛みと狂おしいほどの飢餓感に眩暈がした。
だけど、愛を求めずにはいられない。あの幸福をもう一度手にしなければ僕は生きてはいけない。
アイを一目見たとき、僕は歓喜した。
失った愛を、取り戻せる予感に打ち震えた。
アイも僕を見て何かを感じたようだ。きっと、彼女も愛を得られる確信を抱いたのだろう。
僕の予感通り、アイと僕は急速に親しくなり、知人から友人へ、友人から恋人へと関係を変えていった。
アイが僕に愛を求めているのはすぐにわかった。
彼女もまた僕と同じ愛に飢えている人間だからだ。いや、愛を知っているだけ僕の方が愛についてはよく理解している。だから、僕が導いてあげればいい。
僕と付き合うことで、身なりに、振る舞いに、食事に、日々の行動に気を配り、アイが変わっていくのを見ているのは、僕の心を満たしてくれた。
あの人に求められていた時とは違う喜び。
僕を必要としてくれる人に変えられる喜びではない、僕が変えていく喜び。
愛にはこんな形もあるのかと、愛というものの奥の深さに感動すらした。
アイと初めて身体を重ねた時、誰の手も触れたことのないアイの美しい身体に僕という人間の痕跡を残していく快感に背筋に甘い痺れが走ったのをよく覚えている。
アイという人間の人生に、自分という存在の爪痕を残していく行為に堪らない多幸感を覚えた。
あの人と何度も交じり合った時以上の喜びと幸福、そして快感に僕の飢えは完璧に満たされ、更なる愛の味に陶酔し続けていた。
だけど、別れは突然だった。
アイが僕と別れたいと言ってきたのだ。
彼女はとうとう僕と愛を育むことはできなかったのだと、僕はようやく知った。
僕だけが感じていた愛を、彼女も同じように感じていると思っていたのは僕だけ。
再び、僕を襲ったのはあの「痛み」だった。
僕という人間を構成する血肉を剥ぎ取っていかれるような、あの痛みと喪失感。
僕という人間の価値が、心が、命が引きちぎられた分だけ軽くなっていくような狂おしいほどの喪失感。
何ということだろう。もう二度と手放したくないと思った愛を、僕は再び失ってしまった。
愛無くして僕はどうやって生きていけばいいのかわからないというのに。
理不尽に奪われてしまった痛みに涙する日々が続いた。
どうして、僕が感じていたように彼女アイは愛を感じることが出来ないのだろう。
哀れな彼女はきっと心が不感症なのかもしれない。
だとすれば、それはどこまでも哀れで嘆かわしいことだ。
愛、あの甘美で幸福な味をアイは決して知ることが出来ないのだから。
そう思うと、涙が零れた。
愛を知ることが出来ない不憫な
自分のために流せない涙を、
僕の失った愛のためには堪えることが出来た悲しみに、愛を感じることが出来ない不感症なアイという人間の悲しみには耐え切れなかった。
僕という人間は、人のために悲しみ、涙を流せるのだ。
それはまさしく僕が愛を知る人間であり、彼女を愛していた証でもある。
何という皮肉なのだろうか。
愛を知るからこそ、僕は愛を失う痛みを知り。
愛を知るからこそ、僕は愛を感じることが出来ない人の悲しみがわかる。
愛とは何という素晴らしく、残酷な感情なのだろうか。
それを手にしながら、失ってしまった僕はなんと哀れな人間なのだろうか。
そう思うと涙が止まらなかった。
とても可哀想な僕