「たかみーにね、よく叱られてたの」
汗ばんだ肌をぴとりと少年に重ね合わせながら、ニノはぽつりぽつりと呟く。
少年はニノのしっとりと湿り気を帯びた髪を撫でながら、無言で続きを促す。
「あの頃の私は本当に世間知らずの子供だったからね、叱りたくなる気持ちも今ならわかるの。だけど、そんなこと当時は理解できないじゃない。だって、自分が子供だって一番認めたくない年ごろなんだもの」
「…それは、わかるよ。俺もムキになるから」
「そうだね。アクアと同じくらいの年だった。毎日毎日辛くて。私が至らないのは一応わかってるつもりだったから上手く言い返せなくて。でも、ずっと嫌だった。私の為を思って言ってやってるっていうたかみーの顔を見る度に吐き気がした」
大人の男へと変わりつつある、固さを帯び始めた少年の胸板に頬を擦りつけながら、ニノは小さく笑う。
あの頃の自分は想像もしなかっただろう。
自分が毎日抱え込んでいる昏い感情を冷静に誰かに話せる日が来るなんて。
結婚をしている自分も想像できなかれば、年の離れた少年とこうして逢瀬を重ねていることも想像なんてできなかった。
「何もかもが上手く回ってなかったんだろうなって今ならわかるの。毎日怒ってくるたかみーも、笑って見てる他の子も、私よりももっとおかしいくせに私よりもずっと人気のあったあの子も、全部が私を惨めな気持ちにさせた。凄く疎ましかったなぁ」
「ニノさんは惨めなんかじゃないよ。少なくとも、俺には素敵な人にしか見えない」
「アクア…優しいのね」
悲し気に揺れる藍玉色の瞳に口づけると、ニノは危うく陶酔しそうになる。
同じ大きさの宝石よりも遥かに美しく価値のあるこの瞳が、こうして悲し気に揺れながら自分を見つめるだけで、嘗て得られなかった自尊心が満たされていくのがわかる。
私はこの子と出会うために生まれてきたんだわ。
ニノは心の底から、運命を感じていた。
「そういえば、ニノさん相談があるんだけれど」
「どうしたの?」
「マコさんって知ってる」
「アザミマコ?」
「最近知り合ったんだ…って妬かないでよ。たまたまね、MEMの収録に付き合ってて」
「そういえば、マネージャーみたいなことしてるんだっけ?」
「ああ。それで、マコさんが役者に転向しようって相談を受けてさ」
「ふ~ん。優しいアクアはお仕事の紹介が出来ないか悩んでるんだ」
「実績が無いマコさんに大きな仕事は無理だろうけど、この業界最初の取っ掛かりとスタートダッシュが肝心だろ」
「そうね…爪痕が残せないと消えてしまうけれど、残せれば」
アイのように、と言いかけた唇をそっとアクアの指が抑えた。
ニノがその名を痛みと苦い思いと共に口にすることを知っているからだ。
15歳という年齢にそぐわない気遣いを生意気と思うが、背伸びをした振る舞いへの愛しさが遥かに募る。
「そうだ、じゃあ一人監督を紹介しよっか?」
「映画監督?」
「うん。今絶賛注目を浴びてる人でね ──── 」
★★★★★
「島政則でしょ。知らないの?アクアったら」
「知ってるに決まってるだろ。この業界で裏方やってて知らなかったらモグリだ」
「ふふふん、拗ねないの。可愛いんだから」
つい先ほどまで身体を重ねていた余韻を噛みしめながら、胸元に抱き寄せている蜂蜜色の髪に指を潜らせる。
嘗て憧れ、妬んだ
もっとも、娯楽と呼ぶのはプライドの高い女にとって最後の意地に過ぎない。
「アクアが言っていた子、マコだったかしら?気を付けた方がいいわよ?」
「そんなにヤバい奴なのかよ?」
「ヤバいっていう訳じゃないけど、どうせ女に見境の無い人だから。喜んで食いつくわよ」
「なるほどね」
「いい作品を撮る人なのは確かね」
「詳しいんだ」
「一度ね」
短い言葉の裏に込められた意味を察して、アクアの表情から温度が消える。
それがこの少年が嫉妬を抑える時の精一杯の虚勢だとわかっている女は、美しい唇を綺麗な弧にする。
最近では自分自身でも感情の制御が出来ないほどに深入りし、抜け出せなくなりつつある自覚はあった。ただ、プライドの高い女には、一回り以上年の離れた少年にハマっている事実を素直に認めることに抵抗がある。
女の自尊心をよく理解しているのか、少年は育ちの良い猫のように目を細め、女の指先のなすがままに、髪を弄ばせている。一見気位の高い少年の見せる従順な姿は、自分だけのものだと思うと女は堪らない幸福感に満たされる。
まるであの女を好きに扱っているような快感があった。
次第に少年そのものを女が必要とするようになった。
赤子の頃から知っている少年と気付けば、このような関係になっていた。
頬に薄紅色が差す幼い子供の頃、母を持たない少年が自分に母を求めてきた少年を愛しいと思った。それから日々成長し、天使のように愛らしい子どもは怜悧な美貌を持った少年へと育っていった。
それを眺めながら、女は奇妙な満足感を覚えていた。
美しい動物が育っていくのを眺め、子猫のように愛らしい子供がしなやかな豹のように凛々しく美しく育っていくのを、見守り、愛で、そしてその過程を味わえることの多幸感。
これまでの幸福を反芻するだけで、軽く絶頂に達してしまいそうになる。
「もしかしたら、島監督に感謝されるかもね。可愛い子を紹介してくれたって」
「女衒みたいで嫌なんだが…感謝の言葉はマコさんが上手く期待に応えてくれたら受け取るよ」
「彼面白い子が好きだから、アクアにも興味持つかも」
「役者としてのコネクションになるならありがたいけど」
「自分のコネはついでなのね。一番は妹のコネ作り?」
「アザミマコはなんだかんだと売れてるアイドルだからね。事務所も大きい。少しずつコネクションは作っておくのに越したことはない」
「いいお兄ちゃんしてるのね。ルビーちゃん、アイドル頑張ってるものね。あの子見てるとアイを思い出すわ。不思議なくらいそっくり…親戚だから当たり前か。小さな頃からアイを見てきたから振る舞いまで似てるし…でも、アイよりも」
「ルビーの方が才能ありそう?」
「自惚れないの。アイよりも笑顔に嘘がない子よねあの子」
「嘘が嫌いだから、アイツ」
妹を語る時、少し表情が和らぐことをこの少年は自覚しているのだろうか。
自分にすら見せない温かな表情に、いい歳をして嫉妬していることに女は気付く。
嫉妬させてやるつもりで島政則との過去の関係を匂わせたというのに、自分は彼の妹の話だけでこうも心を掻き乱されてしまっている。
そのことが少し悔しく、女は抱き寄せていたアクアの額に口付けを落とす。
「もう少し時間あるし、続きしましょう?」
昔よりも固さを帯び始めたままの頬に手を当てると、じっと藍玉を見つめる。
「明日仕事あるんじゃなかったの?」
「どうせ端役よ。片寄ゆらが主役なんだもん」
例えアイが居なくなっても、才能に満ち溢れた人間はゴロゴロいる。
そのことに虚しさを覚えない訳ではないが、あの頃よりも自分がその事実に割り切って、その上で人生を謳歌していると女は思う。
それはきっと、自分を見てくれる人がいるからだ。
「高峯さんの演技、俺は好きだよ」
真っ直ぐに見つめてくる、透き通るような輝きを持つ藍玉の眼差しに、高峯は終ぞ
★★★★★
「アクア、貴方が手を引いたのかしら?」
PCのモニターを横目に呆れたようにミヤコが溜め息を吐く。
【人気監督淫行か?】
スキャンダラスな見出しと共に書かれた記事には、映画監督島政則が未成年を深夜に自宅に招き入れている様子を撮った写真と共に、島政則の過去の女性遍歴と、今回18歳未満の少女を深夜に自宅に招き入れた経緯が書かれていた。
「なんで俺の仕業だって思うのさ?」
「記事が詳細過ぎるもの」
記事の内容は、島政則が連れ込んだとされる未成年と飲酒に及んだこと、またその未成年とは某事務所に所属するアイドルであり、映画のオーディションについて相談していた少女を島政則が連れ立ってタクシーに乗って行くことまでが「その現場を見ていたかのように」詳細に記されていた。
「18歳未満の少女との飲酒及び性行為…これだけでもダメージは大きいわね。もっとも、関係の強要が無ければ罪には問われないけど」
「アザミマコは俳優転向について悩んでいた。その彼女に役をチラつかせた上で提示した提案にどれ程選択の余地があるのかは、記事の受け取り手次第だろうな」
記事はあくまでも事実“と思われる"ことを淡々と書き並べているだけだ。
注目度No. 1の監督が、女優活動に思い悩む少女の相談に乗り、その上でオーディションのことを仄めかした。その状況で自宅に誘った事実をもって、どれほどの人間が対等な人間同士の純然たる付き合いと受け取るのか、ミヤコには並べられた事実そのものが読み手の解釈を誘導する悪意に満ちていると思えた。
「てっきり島政則とコネクションを作るのかと思っていたのだけれど」
「見返りに身体を求めてきかねない奴とのコネクションなんかルビーにつけられるかよ」
アクアは鼻で笑う。
「アザミマコは多分島監督に強要されたとは答えない。ただ、自分の活動について相談して、島監督に縋るしかなかったと、同情を買うような振る舞いをするかもしれない」
「それは貴方の入れ知恵かしら」
「まさか。相談に乗っただけだよ」
ミヤコの髪をくすぐる様に指先で撫でると、アクアは唇だけを緩める。
笑みのつもりで形だけ取り繕ったような、歪な曲線を描く唇をミヤコはじっと見つめる。
「けど、枕営業か淫行か問わず、アイドルとしてのアザミマコは致命傷を負った。少なくともイメージ悪化を恐れるスポンサーは彼女の起用を避ける」
「空いた枠にルビーとMEMを捩じ込むつもりかしら?」
「提案はするつもりだよ。アザミマコの事務所も自分のところのアイドルを起用しろとは言えないだろうけど、代替案くらいは出さないとメンツが保てない」
「悪い子ね」
自身の髪を撫でるアクアの手を取ると、ミヤコはその手を頬に当てた。
「最初から役者としてのコネクション作りなんてウソだったのね。ルビー達の為の『枠だけ』が欲しくて」
「表舞台に出るつもりは無い。演じるのはもうお腹いっぱいだ…」
「そう…」
ミヤコの柳眉が悲しげに寄せられるのを、アクアはただ薄く笑って見つめる。
「それに、役者としてのコネならまだあてはあるから」
そう言うと、ミヤコの唇にそっと口付けを落とした。
★
「ねーねー、少年。今日泊まって行きなよ〜」
「ゆらさん、飲み過ぎだよ」
行儀悪くカーペットに直に座り、ソファーにもたれ掛かる女に、少年が呆れたようにため息を吐く。
「ぜーんぜん、まだ飲み足りないくらいだから」
ズレた眼鏡を直そうともしない上機嫌なその姿には、一切の説得力が欠落している。
少年のじとっとした目に気付かぬフリをしながら、空いていたグラスに勢いよく焼酎を注ぐ。
焼酎の中を小さくなった氷が心細げに浮かぶそれは、殆どストレートと変わらなかった。
「入れ過ぎだって…」
「へーきへーき。酔ってません」
「出たよ酔ってる奴の常套句」
「嘘じゃないもーん」
事実、少年に見せている振る舞いは半ば演技で、彼女はまだ殆ど酔ってなどいなかった。
ただ、こうすれば少年が自分を甘やかしてくれることを片寄ゆらは理解しているのだ。
「ゆらさん、そう言ってこの前も二日酔いで苦しんでたろ」
テーブルから次々と空いた皿を手際よく片付けていく少年の後ろ姿を眺めながら、ゆらは手にしたグラスの中身を飲み干す。
自分をいつも甘やかす少年が、こうして呆れながらも甲斐甲斐しく世話してくれるのが、何よりもの肴になる。
女の自分でさえ嫉妬する程に美しい少年と出会えたことを、ゆらは奇跡とさえ思っている。
知り合いの女癖の悪い監督のいる飲みの場に共演する女優の誘いを断れずに参加したところ、ねっとりとした視線から逃れるように飲み過ぎた自分は酔い潰れてしまった。
偶然居合わせたのが彼でなければと思うと、想像するだけでゾッとする。
「私を拾ってくれたのが君でホント良かったよ」
その彼が下心など出さずに自分を介抱してくれたことは運が良かったたしか言いようがない。
そうでなければあの女癖の悪い監督にお持ち帰りされていたか、或いはもっと酷いスキャンダラスな事態になっていた。
「島監督ってさー、パパラッチが張ってるので有名なんだよね。あのままお持ち帰りされてたら間違い無く不倫疑惑とかでスキャンダルだったわ」
「未成年を部屋に連れ込んでるのは十分スキャンダラスだろ」
「えぇ〜だって、ご飯一緒に食べてるだけだもん。平気平気」
ケラケラと笑ったかと思うと、一転してニヤリとした意地の悪い笑みを浮かべる。
ソファーに腰掛けた少年は、自身を見上げる瞳を見てギクリと身体を震わせた。
その目が獲物を嬲る時の猫のように妖しく、無邪気に、残酷に輝いていたからだ。
「それとも〜、スキャンダラスなことをお姉さんにしてくれるのかな?少年は?」
少年の膝に頭を乗せると、イタズラっぽくゆらが上目遣いに見つめると、途端に少年の頬に朱が差す。
「何言ってるんだよ!」
「あー、赤くなった〜君は初心で可愛いなぁ〜」
ゆらは匂いを擦り付ける子犬のように、少年の膝の上で頭をグリグリと押し付ける。
自分の持ち物だと主張するような子供じみた仕草に苦笑する赤みを帯びた表情を見上げながら、彼と出会えた奇跡に心から感謝する。
「やっぱり少年いいよ。ミキさんなんかより全然一緒にいて楽しい」
「俺はおもちゃにされてるような気しかしないけど?」
「んもぅ、膨れないでよ〜。後でお姉さんが一緒に寝てあげるからさ」
「その警戒心の無さが俺は心配だよ」
「初心な少年を信じてるから。でも、襲ってくれてもいいからね?私、君なら良いから」
「ハイハイ。嬉しい嬉しい」
口では雑に流しながらも、白い肌が薄紅色に染まっているのは誤魔化せない。
片寄ゆらはそんな純粋な少年を愛しく思う。
「アッくんの笑顔って好きよ。子供っぽいのに大人びてて、嘘が無い、優しくて温かい笑顔。うん、大好き」
そう言って、ゆらは
「初心か…男見る目が無いなアンタ…」
自分の膝枕の上でうとうとと眠りに落ちかけている片寄ゆらの頭を撫でながら、