アイツとまた会えた。
あの星野アクアと。
アイツは私のことなんてすっかり忘れていたようだったけれど、私は忘れるはずもない。
今でもはっきりと覚えてる。まるで天使のように愛らしく、悪魔みたいに不気味な演技をしていたアイツのことを。
私の価値観を全部ぶち壊しにするだけして消えていったアイツのことを。
暫くはアイツに引っ張られて思う通りの演技が出来ずに苦労したこともある。
その時は恨みもしたけれど、結果的に見ればアイツとの出会いは私にとってはプラスに働いたのだろうと思う。
少なくとも、今もこうして細々とだけれど芸能界で生きていくことが出来ているのは、アイツに出会って、周囲に目を向けることを学んだからだ。
便利な役者扱いされているとしても、誰の目にも触れることのない天才役者なんかよりもずっとマシだ。
アイツは知らないだろうけれど、星野アクアは割と名前が売れていたりする。
子役時代の私を知らない人、YouTubeばかり見ているような人なら、寧ろ私よりも知ってる人が多いんじゃないだろうか。
アイツの妹は、現在売り出し中のネットアイドル星野ルビー。
ここ最近では、人気ユーチューバーのMEMちょの相方のようなイメージが強くなってきているけれど、この星野ルビーのマネージャーとして、ちょくちょく出てくる姿が拡散されているのだ。
アイドルに男のマネージャーとなると、厄介なファンが騒ぐだろうけれど、それが兄となれば話は別。アイドルや声優が彼氏を兄弟と言ってカムフラージュすることはよくあるけれど、星野アクアを見れば兄妹だと一目で納得できてしまう。
最近は二人のチャンネルのアシスタントだったり、企画のMCをやっているせいか広く認知されてきているわけだ。
美女二人に囲まれてもほとんど無表情に淡々と、けれども絶妙に面白さのツボを付いた毒舌が受けている。おまけに顔がすこぶる良いのだから、注目はされる。
それに、星野アクアは役者としても密かに注目をされている。
出演頻度はそこまで高くなく、五反田監督の映画(低予算の単館上映ながら良い作品が多い)や、たまにネットドラマに出るくらいなのだけれど、これが妙に印象に残る。
不知火フリルみたいに思わず注視してしまう外連味があるわけでもない、黒川あかねのような圧倒的な演技力に目を奪われるわけでもない。
演技は作品への理解度に裏打ちされた丁寧な演技で、それだけでも好感が持てるけれど、多分アイツが注目されているのはそんな些細な点ではないだろう。
見たら焼き印を当てられたように記憶に焼き付いてしまう、そんな不思議な存在感が星野アクアにはあった。
アクアが出てくる時の配信は全部見ているし、作品もチェックはしている。
初めてアクアの姿を見つけた時は、不覚にもときめいてしまった。
子供の頃にいくら天使のように愛らしくても、成長すると冴えなくなる例は山ほどある。
天使のように愛らしかった子供が、悪魔みたいに綺麗な少年に成長するのはズルい。
二人きりで話せる場所に、五反田監督の家を指名してきたのには驚いた。
監督が実家に寄生してることにはもっと驚いたけど。
「一人、役者が決まってない役があるんだけど?偉い人に掛け合ってあげようか?」
恩着せがましいなとは自分でも思う。
本当はアクアと接点を持ちたくて、何でも良いからと繰り出した手だ。
手持ちのカードの貧弱さに我ながら情けなくなる。
「今の時期に決まってないってことは…役者が逃げたか?」
「う…」
アクアの的確な一言に思わずうめき声が出る。
「つーか、半分放送終了してんのに決まってない役があるって、本読み、撮影、編集、即納品くらいのペースじゃねーのか?」
監督の呆れた視線が痛い。
アクアも食事の手を止めて、目を丸くしている。それはそうだろう。
「本読みはすっ飛ばして即リハね」
「予想以上に終わってんな」
一瞬でアクアに看破されてしまった。
リアルタイムで放映中のドラマの配役が決まっていないままなんて、普通は無い。
それも、出演者の私の一存で決まるなんて、はっきりと言えば誰でもいいくらいでないとあり得ない話だ。事実、鏑木プロデューサーは「顔さえよければいいよ」なんて言っていた。
放送中のドラマの配役が決まっていないとしたら、スポンサーの事情で脚本を変更することになったか、役者が何らかの都合で出演できなくなったかのどちらかだけど、前者は売り込みたいタレントの起用とセットだから、実際のところは後者のケースばかりだ。
そして、出演が出来なくなった事情が出演者側にあるにせよ、番組側にあるにせよ、今の時点で撮影が完了していないのは予算もスケジュールもカツカツの現場だということ。
「やっぱり嫌よね、そんな現場」
多少なりとも露出して、顔と名前が売れれば何でも良いというならともかく、アクアは既に認知されつつあるし、仕事に飢えている様子もない。
予算が必ずしも作品の質に直結するとは思わないけれど、少なくとも『今日あま』は低予算とスケジュールの余裕の無さが作品の出来に直結している。
出演することで寧ろマイナスイメージ、黒歴史になるかもしれない。
それを承知の上でのダメ元、縋るような思いの提案。私の浅ましいアクアへの執着でしかない。
「別にいいよ」
アクアはこともなげに言った。
「鏑木さんは知らない仲じゃないし。貸し一だな」
「アイツ嫌な顔するぞ。また寿司たかられるって」
「寿司如きで面子が保てるなら、大人には安いもんなんだろ?」
「大人の弱点を熟知したガキほど嫌なガキはいないな」
「ってわけだから、プロデューサーへの連絡は頼んだ、有馬」
「ちょ、ほんとにいいわけ?」
「何だよ、お前が誘ってきたんだろ」
「そうだけど、そうだけどさぁ…」
事もなさげに言われると戸惑ってしまう。
得する話ではないのに、私の勝手な執着に巻き込んでしまうことに引け目を覚える。
「なんだ、今更コイツのイメージダウン気にしてんのか有馬」
ビールの缶を傾けながら五反田監督が口の端を意地悪く吊り上げる。
「いい機会だ。恵まれた現場ばかりじゃないことを知っとけ。そういう現場でも可能な限りパフォーマンスを発揮できるよう工夫することも役者として経験の一つだ」
「別に役者を続ける気はねぇよ」
「じゃあ、何で引き受けたよ。有馬のためか」
「えっ」
思わず胸の鼓動が跳ねた。
結局アクアは何も答えなかったけれど、顔が熱くて私はアクアの顔を見れなかった。
家まで送ってくれると言ったアクアの言葉に甘えて一緒に帰る道々でも引き受けてくれた理由を口にすることは無かった。
私も何も聞かなかった。
勘違いしてしまうのが怖かった。
勘違いと知らされるのが怖かった。
月明かりを浴びて、青白く輪郭を浮かび上がらせるアクアの横顔を盗み見る。
綺麗な男。
仕事柄、イケメンモデル、美形俳優、人気歌手の顔を見てきて、美形には免疫があるつもりだけど、そんな免疫があっても尚心を掻き乱すような美しさと、匂い立つような色気があった。
15歳の男の色気じゃない。
今共演してる鳴島メルト、アイツは顔は良いけど浮ついたところなんかは年相応のガキだ。
アクアはそういうものが無い。
月明かりを浴びて静かに輝く湖面のように、自分の美しさを誇示したり、ひけらかすわけでもなく、ただ美しくそこに佇んでいる。
再会したアクアは幼い頃よりも表情に陰があって、その癖物腰は年齢に不釣り合いなくらいに柔らかくなっている。
私が歩んできた十数年があるように、コイツにも色々なことがこの十数年にあったのだろう。
お互い様なのに、私の知らない十数年の積み重ねた結果が目の前のアクアだと思うと、胸の奥がざわめく。
今日あまの最終回、目を背けたくなるような深淵の闇と、怖気立つ様な色香を見せたアクアの演じるストーカーは、一部の界隈で話題になった。
アクアは私をアイドルに誘ってきた。既に売り出しているルビーとMEMに私を加えてデビューさせたいそうだ。
心の中まで見透かすような藍玉の瞳に見つめられてはそれを断ることは出来なかった。
いや、それ以前にあの魔性に魅入られた私にはアイツの頼みを断るという選択肢は最初から無かった。
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「有馬ちゃんを勧誘したのってアクたんなんだよね?」
私の胸に顔を埋めている
ミヤコさんから聞かされたのはルビーと私と有馬ちゃんの3人でアイドルデビューをするということ。
そして、有馬ちゃんをスカウトしてきたのはアクたんだということ。
「そうだけど」
汗ばんだ肌と肌が触れ合う感触、私は嫌いじゃない。
互いの境界線が無くなる心地が堪らないのだ。
もぞりと、微睡む猫のように私の胸の中から顔を上げたアクたんの顔は普段の大人びた彼よりも幼くて、この顔を見る度に優越感と満足感が満たされていくのを感じる。
散々身体を重ねた後、いつもアクたんは私の胸に幼い子供のように顔を埋めてくる。
年下の癖に私に主導権を握らせず一方的に啼かせてくる悪い子なのに、情事が終わると年相応に甘えてくるこの恋人を、痺れるような甘い倦怠感に包まれた身体で抱き止める時間は、私に眩暈がする程の多幸感と女としての充実感、そして向けどころが無くなっていた母性が満たされて行くようで、何物にも変え難い。
「それって、やっぱり気に入ったから?」
怪訝そうな顔のアクたんから目を逸らす。
「別に有馬とはそんなんじゃ」
「有馬ちゃんは少なくともそうじゃないでしょ?」
あの子がどうして苺プロに入ると決めたのか、アイドルを引き受けたのか、そんなの誰でも勘付く。女ならわからないはずがない。アクたんに向ける目を見れば余程鈍くない限り察する。
そして、多分アクたんも気付いてると思う。
この子は自分に価値があるとは思っていない節があるけど、自分が何故か女の子にモテるらしいということは"経験として“理解してる。
「昔共演した事があるって有馬ちゃん言ってたんだ。子役時代は知ってたけど、凄く可愛くなってるよね。アイドルでもあんなに可愛い子ってそんなにいないし…それに…若いし」
私はもう25歳。アイドルとしては旬を過ぎてる年齢。有馬かなちゃんは今年で17歳。アイドルを始めるのに何の問題も無い。
いや、そんなの建前だ。
怖いんだ私は。
アクたんの心変わりが。
私か有馬ちゃんか、アクたんの隣にいて自然なのは、お似合いなのは有馬ちゃんだろう。
有馬ちゃんに比べれば私なんておばさんに片足突っ込んでる。
若くて可愛くて自分に気がある女の子にアクたんの心が移らないか怖いのだ。
付き合い始めた時、私は彼といつか別れることを前提にして付き合おうと決めていた。
彼は幼いと言ってもいい年齢で、年上のお姉さんに憧れやすい年頃だから、彼にとって美しい思い出になれればいいと自分に言い聞かせていた。
私は彼のように綺麗な男の子で初めて男の人を知る事ができて、沢山の幸せを貰えて、それだけでも十分過ぎる。
そう自分に言い聞かせて、分を弁えているつもりだった。
それなのに、いざとなったらこの腕の中の温もりを手放せなくなっている自分の浅ましさに気付かされてしまった。
彼に捨てられるのが怖くて仕方が無い。
「エイミは俺と別れたいの?」
「そんなわけないよぉ!」
「そうか。俺も別れたくない。だからそんな悲しそうな顔するなよ」
大人びた笑みを浮かべると、アクたんは頬、額、唇と順にキスしてくる。
最後に目元に彼の唇が重ねられたところで、初めて自分が泣いていたことに気付いた。
「アクアぁ…」
「普段飄々としてるくせに実は泣き虫だよなエイミは」
アクたんの胸に抱き寄せられた。
頰に触れるアクアの胸板、少しずつ大人の男らしい厚みと硬さを持ち始めてきた胸板の感触に胸がいっぱいになる。
さっきまでとは逆の立場だ。
「ルビーとMEMだとネット人気は高いけど、TVの露出はまだ少ないからな。有馬は名前だけは売れてる。芸能界での経験値も高い。2人の足りない部分を補ってくれるからスカウトしただけだよ」
喉を震わせて笑うアクアの首元に痕に残るほど強く口付ける。彼のスケジュールは把握してるし、見えにくい位置なのもわかってる。
私の不安も独占欲もお見通しなのか、アクアは咎めることなく黙ってそれを受け入れてくれる。
それだけで、嬉しくて涙が零れた。
「ねぇアクたん。もう一回しよ?」
「明日朝早いって言ってなかったかMEMちょは?」
「配信時間になったら起こしてくれるでしょ?マネージャーさん?」
「制服念の為持って来て正解だったな」
そう言うとアクたんは私の上に覆い被さる。
明け方近くまで啼かされ続ける頃には不安は消え去っていた。