※この作品はR-18です。

WATCH ME BURN   作:オリスケ

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第2話

 

 

 ドクターはいない。各国の外相との事業締結に伴う渉外活動で、ロドス本艦にすら長いこと顔を見せていない。

 僕はロドス・ターミナルに勤務する医療オペレーターだ。それなりに長くロドスに務め、幾度かの昇進を貰ったが、転勤により最悪の外れクジを引かされた。そんなただの従業員の一人に過ぎない。僕はここで働く三十人弱の医療オペレーターのひとりとして、エイヤフィヤトラをはじめ数十人の末期感染者の担当となり、治療と経過観察を行っている。

 まかり間違っても、ロドスのトップの一人、ドクターなどではない。顔も声も何もかも違う。似ている点は、せいぜい同じ男性である事くらいだ。

 

 

 そんな僕がエイヤフィヤトラから『先輩』と呼ばれるようになったのは、ひと月前。ロドス・ターミナルに入院した彼女が四回目の発作を起こした日の事だ。

 まず、この発作が災害と同じ意味である事を理解して貰うには、幾つかの補足が必要になる。

 鉱石病が引き起こす症状は多岐に渡るが、主立った傾向は判明している。初期は身体の内外に露出した源石が肉を抉る激痛に、炎症。病状が進行して源石濃度が増大すると、源石は感覚器官にも悪影響を与え、酷い譫妄や幻覚、幻聴に悩まされ、精神疾患を発症する事になる。

 一方で、源石結晶が与えるのは悪影響だけではない。源石結晶は高密度のエネルギーを蓄えた鉱物であり、数々の機械の動力源になる他、テラの文明に欠かせないアーツの触媒になる。

 鉱石病に感染した術師が、その病状の進行と共にアーツ能力を飛躍的に上昇させるのは有名な話だ。血中を巡る源石結晶が触媒となり、まるで身体そのものが一つのアーツロッドとなったような、猛烈な規模のアーツを放てるようになる。感染者の術師は、死の目前に興隆の時を迎えるのだ。もっともこれは、呪い以外の何物でもないだろうが。

 

 

 末期状態に発生する、激しい精神疾患。病症の悪化に比例して上昇するアーツの威力。

 これがロドス・ターミナルという移動都市が建てられた理由であり、エイヤフィヤトラに付けられた『特級潜在性危険患者』という呼び名の理由だった。

 

 

 卓越した術師であったエイヤフィヤトラが錯乱を引き起こすと、彼女の炎を操るアーツが暴走し、周囲の温度は数千度まで上昇する。

 痛みに呻き、悪夢に苛まれる度に、エイヤフィヤトラは猛烈な炎で周囲の全てを焼き尽くす。発作である以上、その発生を抑える事も、予知することも難しい。

 もしロドス・ターミナルへの移送が一か月遅くなっていたら、どれだけの数の罪のない命が奪われていたか知れない。エイヤフィヤトラは、死んで活性源石の粉塵になる前にも、十分に災害と呼んでいい脅威なのだ。

 ロドス・ターミナルには、設計当初から、エイヤフィヤトラの死を看取るための特別病室が作られていた。壁も天井も、耐超々高熱性の素材でできた隔離室だ。彼女の放った炎も悲鳴も全てを閉じ込める箱は、いつも圧迫感と焦げた匂いで満ちている。

 

 

 彼女の四回目の発作は、エイヤフィヤトラの担当医である僕が彼女の診察をしている真っ最中に発生した。僕は彼女のヒステリックな叫び声を聞いた瞬間に薬も治療器具も放り出し、防火シェルターが降りるギリギリの所で病室から脱出した。そうして僕はシェルターの向こう側、焼却炉のようになった病室の中から響く地獄のような悲鳴を延々と聞き続けた。

 消化冷却作業が完了したのを確認してから、僕は彼女の容態を診るため病室へと踏み込む。

 今でもハッキリと覚えている。マットレスの燃え尽きた耐熱樹脂製ベッドの骨組みの上に、エイヤフィヤトラは静かに座っていた。虚空を見上げて、ぴくりとも動かない。

 僕が肩に手を置くと、エイヤフィヤトラは我に返ったように僕を見上げ──ぱぁっと顔を輝かせ、僕のお腹に抱き付いた。

 

 

「先輩! 会いたかったです!」

 

 

 訳も分からず凍り付く僕のお腹に嬉しそうに頬を擦り付けて、彼女は言った。まだ、辛うじて意味の通じる言葉を喋れていた頃だった。

 それから彼女は、担当医である僕を『先輩』と誤認したまま、ひと月もの間嬉しそうにふれあう事を続けている。

 

 

 

 

 彼女のこの症状は、ロドス本艦の鉱石病研究チームも招いて協議がされた。

 神経系のダメージがとうとう深刻な域に達したか、それとも激痛に耐えきれず精神が崩壊したか──四回目の発作の際に記録された温度が耐火シェルターの限界値に迫っていたのもあり、会議の雰囲気は葬式のように重苦しかった。

 

 

「このままでは、ロドス・ターミナルは恒星を抱える事になるかもしれない」

 

 

 エリートオペレーターの一人が呟いたその言葉を、冗談と笑い飛ばすものはいなかった。

 一度は真剣に安楽死すら検討されたが、結局、その意見は全て見送られることになった。発作を乗り越えたエイヤフィヤトラの病症が、これまでにないほど安定していたからだ。

 失明失聴の影響で口答での意思疎通は不可能となったが、彼女は別人のように明るくなった。点字の本を意欲的に読み、ご飯を美味しそうに食べ、窓の方を見て──光の温みを感じて、向日葵のようにその方向へ顔を向けているのだろう──上機嫌に唇を綻ばせる。

 そうして彼女は、ただの医療オペレーターである僕がやってくると、生き返ったように明るくなり、僕に抱き付いて笑うのだった。徐々に聞き取れなくなっていく「先輩」という呼称で僕を呼んで。僕の事を敬愛するドクターだと思って。

 

 

 病状と精神の安定が、ドクターと会えるという心の支えに起因している事は、誰の目から見ても明らかだった。僕に抱き付いて触れ合いをねだるエイヤフィヤトラの様子は童心に返ったように無邪気で、末期病棟には似つかわしくないほど輝いて見えた。

 だから、ロドス・ターミナルが僕にドクターの役を演じ続ける事を命じるのも、ある種必然的な事だった。

 最初に命令を聞いた時、無茶を言わないでくれと思った。ただの医療オペレーターである僕が、ロドスのトップである戦略家のフリをするなど無理な相談だ。

 それに、バレたらどうする。既にエイヤフィヤトラのアーツはタガを外れている。もし親しげに語っていたのがドクターでないと知られたら──発狂した彼女の放つ業焔は、今度こそロドス・ターミナル全艦を焼き尽くすかもしれない。少なくとも、僕が助かる見込みは万に一つもないだろう。

 僕は必死にそう訴えたが、チーフスタッフは首を横に振り、言った。

 

 

「エイヤフィヤトラさんは、天災研究家およびエリートオペレーターとして、ロドスに多大な功績を残した方だ」

「死は平等に訪れ、避けられないものだとしても。彼女に訪れる最期は、可能な限り安らかなものであるべきだ」

 

 

 ここは末期病棟。治療というものは存在しない。痛みを取り除き、死の恐怖を和らげて、いずれ訪れる死を受け入れさせる事。それが施術の全てだ。

 もし欺瞞が苦しみを取り除く特効薬となるのであれば、どうしてそれを使う事を躊躇する必要があるだろう。

 

 

「それに、恐れる事はない。君がドクターでないと、エイヤフィヤトラさんがどうやって気付くというんだ? 何も見えず、聞こえもしないのに」

「何なら僕らは、確率で言えば、彼女以外の錯乱した患者に殺される可能性の方が高いよ」

 

 

 疲れた顔でそう皮肉を言った院長は、僕の肩に手を置いて「まあ頼むよ」と、酷く無責任な声色で僕に大役を押しつけた。

 そんな経緯で僕は、エイヤフィヤトラが愛する『先輩』として、彼女に抱きしめられている。

彼女の細腕に、獲物を捕らえた蛇のような強さで抱きしめられていると、えづきたくなるほど苦いものが口にこみ上げてくる。

 

 

「……もう離してくれ。苦しいだろ」

 

 

 どうせ聞こえないから、悪態と一緒にエイヤフィヤトラの手を引き剥がす。

 目元を包帯で覆い隠していても、エイヤフィヤトラは年頃の少女らしく表情豊かで、口を切なげに開いて「まだ足りない」とアピールしてくる。彼女の頭に手を置き、髪を撫でると、打って変わってくすぐったそうにはにかむ。

 僕の心が、零下まで冷え込み、荒んでいく。

 

 

「君は、何も気付かないのか。僕の、末期患者ばかり相手にしている薬品臭い手が、ドクターに似ている筈がないだろう」

 

 

 顔も知らない男の手に触れられて、幸せそうに微笑むなんて。恋する少女のような可憐な表情を、名前も知らない僕に向けるなんて。

 同時にその笑顔を見ていると、騙している事の罪悪感が胸を強烈に締め付けてくる。今すぐ手足を振り乱して声を限りに叫びたくなるような、耐えがたい苦しさ。

 僕は頭を振って正気を引き戻すと、今日の分の錠剤をエイヤフィヤトラに握らせた。飲み続けているから、どんな薬かは彼女も覚えている。彼女はこくんと頷いて、手のひらの三分の一、五種類ほどの錠剤を飲み込む。

 

 

「じゃあ、また明日の回診で」

 

 

 肩を優しく叩き、踵を変えそうとする。

 その服の裾を、きゅっと握られた。

 

 

「……勘弁してくれ。僕は忙しいんだよ」

 

 

 口から飛び出した声は、自分でも驚くほど殺気立っていた。

 敵意を込めて睨み付けた僕の視線には気付かず、彼女はただ迷子の子供みたいに切なげに僕を見上げている。

 彼女が、ベッドの脇のモニターを指さした。そこには、先ほど打ったテキストが浮いている。

 

 

『また、会いに来てくれますか? 先輩』

 

 

 まるで、鉛玉を飲み込んだような異物感。

 

 

「……こんな所、来たくて来る訳がないだろ」

 

 

 そう吐き捨てながら、僕は彼女の手を取り、指先で「や、く、そ、く、だ」と書き込んだ。ようやく安心したらしい彼女の手を振りほどいて、病室を出る。

 ドアを閉める前に振り向くと、エイヤフィヤトラはドアの方に手を振り続けていた。

 僕が出たかどうかなんて、彼女が分かる筈がない。僕が去った後、誰も居ない部屋でドアに向けて手を振り続ける彼女の姿を想像すると、苦々しさに歯を食い縛らずにはいられなかった。

 

 

「……くそ、くそ。何でこんな事になってしまったんだ」

 

 

 一人になると、つい悪態が口から漏れる。

 エイヤフィヤトラは僕の呪いだ。

 本当ならば今ごろ、僕はこのロドス・ターミナルを抜け出していた筈なのだ。

 僕が出した異動申請は、彼女の担当であるからという理由で取り下げられた。

 彼女のせいで、僕はこの地獄のような場所に縛り付けられている。

 

 

 重い足取りで、ロドス・ターミナルの病室を回診していく。ロドス・ターミナルの入院者は現在二八五名。そのうちエイヤフィヤトラを含めた四二名が僕の担当だ。

 エイヤフィヤトラの病室は、移動都市ロドス・ターミナルの下部にある。主に感染初期~中期に優れたアーツ適正のあった人のための特別な部屋だ。エイヤフィヤトラの高熱のアーツの他、氷や植物、精神操作まで、様々なアーツの暴走に対応できる病室が並んでいる。僕は特別病室から聞こえる呻き声や絶叫を必死に無視して、逃げるように上階へ向かう。

 

 

 上階が一般病棟と銘打たれた区画だ。比較的危険のない末期感染者がここで死を待っている。

 目立つのは廊下の広さだ。一般的なロドスの病棟と比較しても三倍以上はあり、警備用のロボットが数台うろうろと巡回している。等間隔に並んでいる病室の扉はとても厚手で頑丈だ。扉は常に電子ロックがされており、開けるためにはスタッフが持つカードキーが必要になる。

 ロドス・ターミナルの建設には、難攻不落と言われるマンスフィールド刑務所の設計が参考にされている。それだけで、ロドスがここを医療施設と見ていない事がよく分かるだろう。必要に迫られ急増で作られた事もあって、内観は鉄骨の鈍色が目立ち、照明は少なく薄暗い。

 ロドス内部では、ロドス・ターミナルへの異動を収監、あるいは死刑宣告なんて揶揄する人が少なくない。気持ちは分かる。僕だって蚊帳の外で働いていれば、そう言って話の種にした事だろう。感染者としてでもスタッフとしてでも、あそこにだけは行かなくて良かったと。

 僕は重い溜息を吐きながら、回診者のカルテを捲りつつ、カードキーで病室のドアを開ける。

 

 

「回診で──」

 

 

 事務的な挨拶を最後まで言い切る前に、僕は開きかけていたドアを閉じる。

 その瞬間、弾丸のような速度で飛来した源石が、甲高い音を立ててドアにぶつかる。

 

 

「逃げるなああああああぁぁぁぁ! レユニオンのクソ野郎共め! この俺から逃げられるとでも思ってんのかぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 ドア越しにすらビリビリと痺れるほどの絶叫が轟く。隙間から覗き込むと、患者の周囲にアーツが渦巻き、握り拳ほどの大きさの源石片が無数に浮かんでいた。男性の体表には、氷柱のように巨大な源石結晶が突き出ている。

 身体から割り取った源石片をアーツで操っているらしい。見開かれた彼の目は爛々と光り、明らかに現実でない何かを見ていた。

 

 

「逃げるなレユニオン! ガーフを殺した罪を償え! 生かしてはおかない! ガーフと同じ箇所を抉って殺してやる! レユニオン! れゆにおおぉぉぉぉおおおおおん!!」

「ッ──Lancet‐Bφ! 患者を鎮圧しろ!」

 

 

 僕が叫ぶと、廊下を巡回していたロボットの一体が反応した。球形のボディをしたロボットは、キャタピラを使って素早く駆けつけ、僕が開けたドアの隙間から室内に滑り込んだ。

 そのままロボットは、患者の放った源石片を物ともせず接近すると、するりと伸ばしたスタンチューブを患者に押し当てた。バチンッと電流の弾ける音に「うぐっ」という唸り声が重なり、静まり返る。

 恐る恐る扉を開けると、患者は床に倒れ伏していた。隣に控えていたロボット──Lancrt-2のシステムを流用した医療・警備兼用ロボットが、僕にカメラを向けて言う。

 

 

『209号室、患者名ローレンス・バニティの鎮静を確認しました』

「ああ、ありがとう……」

『心拍数122。体温39.2℃。神経系に起因する痙攣を感知。鎮静剤の投与を推奨します』

「投与してくれ。それと、患者のレベルを2から3に引き上げて」

『了解しました。ローレンスの病症指数を2から3へ引き上げます』

 

 

 女性的な機械音性で事務的に応じながら、ロボットのボディから伸びた点滴管が患者の腕に刺さり、薬剤が流し込まれていく。

 遅れてやってきた恐怖が、そこで僕に襲いかかった。冷や汗が一気に吹き出して、僕はドアに背を押し当てへなへなとへたり込む。

 心臓が痛い。ばくばくとした拍動が耳の中に木霊している。そんな状態でも、さっき投げつけられた、心の底からの絶叫が耳にこびり付く。

 点滴を投与し終えたロボットは、きゅるっとキャタピラを回して、僕の傍へと移動してきた。

 

 

『心拍数に異常が見られます。鎮静剤はご入り用ですか?』

「っ……要らない」

『体温の低下を観測。自律神経に不調があるようです。薬の投与を推奨し──』

「要らないって言ってるだろ! もういい、行ってくれ!」

 

 

 僕が叫ぶと、ロボットは追求せずに病室を出て、通常の警備ルートへと戻っていく。

 僕は深呼吸を繰り返してようよう気持ちを落ち着けると、床に倒れたままの患者に駆け寄った。体表に浮いた源石で傷つかないように、慎重に持ち上げてベッドに乗せる。

 暴れた時に打ち付けたのか、身体のあちこちに打ち身の跡があった。露出した源石周辺から血が滲み、病院服を赤く濡らしている。気絶させられた顔は涙で濡れ、悲痛に歪んでいた。

 

 

「ローレンス……レユニオン事件の時の、オペレーターか。酷いものを思い出したな。幻覚なら、せめて楽しいものを見ればいいのに」

 

 

 僕はローレンスの手足に革ベルトを巻き付けた。目覚めた時に暴れないという保証はないのだから、必要な措置だ。しかしその行為はどうしても、罪人の首に縄をかける様を連想させる。

 きっと彼は、ここに来る前はとても良い人間だったのだろう。感染者の盾となるロドスのオペレーターは、人を憎むような人格の持ち主に務まるものではない。

 彼にはきっと沢山の友人がいて、沢山の感染者や非感染者を助けたに違いない。正義のために戦い、誇りに思える数々の活躍をしたに違いない。

 それらの全てが、ここでは塵の一粒程度の役にも立たない。

 僕の目の前にいるのは、もうオペレーターのローレンスではない。鉱石病に身体も脳もやられ、見境なく人に襲いかかる、余命幾ばくもない狂った末期感染者だ。

 そして、彼が特別に不幸な訳ではない。

 どんな戦士も、どんな学者も、大人も子供も関係ない。

 ここにはただ、差し迫る死だけがある。

 

 

 僕は冷や汗を拭いながら病室を出て、刑務所のような広い廊下を、覚束ない足取りでふらふらと歩く。回診用の患者のカルテは、まだまだ二十名以上の分厚さで僕の手の中にある。

 早く終わらせよう。呪文のようにそう唱えながら、僕はカードキーを当てて、分厚い病室の扉を解錠する。

 

 

 次の患者は、迫る自分の死に耐えきれずに重度の欝を発症していた。命は残り僅かと突きつけられてしまい、どんな娯楽も命を無駄遣いしているように思ってしまうのだ。結局何をするのもつらくて、部屋の隅に蹲って時を過ごしている。彼は僕から鉱石病治療薬と抗うつ剤を貰う時に必ず「僕の命はあとどれくらいですか」と聞いてくる。ロドスの技術ですら鉱石病の全容は把握しきれてないのだから、分かるわけがない。慰めても、説き伏せても、彼は手のひらで顔を覆い、この世の終わりのような顔でさめざめと泣くのだった。

 

 

 次の患者は、源石の体表露出が特に酷かった。親指ほどの大きな結晶が全身のあちこちに浮かび上がり、見る者をぞっとさせるブツブツの斑模様を描いている。その激痛は並大抵のものでは無く、彼は常に鼓膜が割れんばかりの叫び声を上げている。痛みは彼の心から余裕を奪い去り、何に対しても怒りを撒き散らしていた。幾度となく傷害未遂を起こしており、既に彼の両手足は革ベルトでベッドに繋がれている。僕がカルテを取り投薬を行う間、彼は凄まじい声量で、思いつく限りの罵詈雑言を僕に浴びせかける。人ひとり治せない無能、愚図、人殺し、人の苦しむ様を眺めて楽しむサディスト、エトセトラエトセトラエトセトラ──僕を口汚く罵ることだけが、彼に許された唯一の娯楽なのだった。

 

 

 次の患者は、八歳程度の幼い子供だった。不幸にも血中の源石の塊が血管を通って脳に入り込み、脳細胞に傷を付け、全身に麻痺を発症していた。補助なしで立つことはできず、喋れず、まともに咀嚼する事もできない。僕は絵本を読んだり、好きな映像作品を用意したり、時間の許す限りのケアを試みたが、彼女は瞼のひくつく目から静かに泣くばかりだった。彼女は数日前に紙とペンを所望すると、震える手でペンを持ち、ミミズが這ったような文字で『ころして』と書いて僕に見せた。ロドスではステージ4以上の患者しか安楽死を認めていない。彼女のステージは2。苦しみは、まだこれから長く続く予定だった。

 

 

 

 

 患者から患者へ、死の恐怖から、また別の死の恐怖へ。僕はただ毎日の業務をこなす義務感をエネルギーに、足を動かしていく。早く終われ、早く終われ……呪文のように脳内でそう繰り返しながら。

 

 

 ──もう何人、同僚が心を病むのを見ただろう。

 ロドスは全ての鉱石病患者を救うための組織だ。しかしその崇高な使命を以てしても、鉱石病は未だ不治の病のまま。ロドスは鉱石病による死から、ただの一人も救えていない。

感染者は未だ、死と共に活性源石を撒き散らす危険な爆弾として扱われる。

 感染者の死は危険なものとして扱われ、そこに本人の尊厳は介在しない。感染者は誰にも看取られず、ただひとり孤独に死ななければならない。そんな目を背けたい残酷な現実が吐き捨てられるゴミ溜めが、このロドス・ターミナルだ。

 ロドスの救いの手からあぶれた手遅れ達が、次々とここに送り込まれては処分されている。

 当然にして、そんな最終処分場に働く人達が、マトモな精神でいられるわけがない。ここで感染者の末路に向き合うくらいなら、激戦区の中で死にそうになりながらも、感染者に「君たちを助けに来た」と手を差し伸べる方を選ぶだろう。

 ロドス側もそれは把握しており、給与面での僕らの待遇は破格だ。一般医療スタッフである僕の給料は、ロドス本艦で働く二つ上の役職の先輩より高い。それでも、精神を病んで異動や退職を希望する医療オペレーターを、僕は何人も見てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「この嘘吐き!」

 

 

 つんざくような怒声に、上の空だった僕はハッと覚醒する。

その時にはもう、投げつけられた錠剤のトレイが、僕の額をしたたかに打ち抜いていた。

 ベッドに蹲るのは、新しく入院してきたばかりの少女だった。真っ赤な顔は、源石の痛みによる高熱だけのせいではない。ギリと歯を食い縛り、ぽろぽろと珠のような涙を流している。

 

 

「わ、私は、この病気を治してもらいに来たのよ。ロドスは感染者の味方だって。大勢の感染者を助けてきたって! だから命がけで荒野を抜けて、ロドスの所まで来たのに──」

「……」

「なのに、もう助からないって何よ! 余命三ヶ月ってどういうことよ!? 私はここに治療を受けに来たのよ。死にに来た訳じゃない! ロドスは助けてくれるんじゃなかったの!? 私を助けて、殺さないでよ! 嘘吐き! 嘘吐き嘘吐き! 嘘吐きぃぃぃぃ!」

 

 

 少女は手当たり次第に物を掴んでは僕に投げつける。ロドス・ターミナルで患者に提供する器材は、どれも障害や自殺を防ぐ柔らかな樹脂製だ。けれど彼女の言葉は、何よりも鋭い武器になって僕の心を抉ってくる。

 ぐらぐらと足下が揺らぐような気持ち。視界に霞が差し込み、認識がぼやける。

 

 

 果たして彼女にどんな言葉をかけ、どうやってその場を後にしたのか。気がつけば僕はふらふらと危うい足取りで広い廊下の真ん中を歩いていた。

 同じく回診していた医療オペレーターが、僕と目が会い、挙動不審げにお辞儀をする。ケージの隅で震える鼠のような目。病んでいるという劣等感を共有する、醜い仲間意識の滲んだ目。僕はきっと、彼よりも酷い顔をしているに違いない。

 

 

「……、………………」

 

 

 だいぶ前から時間の感覚が曖昧だ。チャプターを飛ばすみたいに、記憶が途切れ途切れに断裂している。食べるものに味がしないし、思考がまとまらない。

 精神疲労が限界を迎えている証拠だ。深い裂傷と同じで、一日二日の休暇で治るタイプの傷ではない。今すぐに休暇申請を出し、数週間はメンタルケアに当てなければいけないだろう。

 しかし、僕にその自由はない。

 僕がロドス・ターミナルで最も危惧すべき末期感染者エイヤフィヤトラの担当であり、彼女が僕をドクターと誤認しているからだ。

 彼女がアーツを暴走させず、可能な限り平穏に命を終わらせる事は、この移動都市の存続に関わる重要な問題だった。そのためならば、ひとりの医療従事者が多少の犠牲を払う事は致し方ないと考えられている。

 であればエイヤフィヤトラだけに集中させてくれと要望を出しはしたが、それも無理な相談だった。あまりにも異動や退職が多く、ロドス側の人員補給はまったく間に合っていない。今では、従業員の心身のケアも欠かさないという条文自体が形骸化しかかっている状態だった。

 結局、エイヤフィヤトラの『先輩』のフリという重すぎる責任を抱えた僕は、逃げる理由を失い、この監獄の中に取り残され、精神を摩耗させ続けている。

 まるで、弱火でじっくりと、焦げるまで焼かれ続けるよう。

 

 

「次は……今日はこれで最後か」

 

 

 回診のカルテの最後のページを捲りながら歩いていた僕は、顔を上げて、そこで足を止めた。靄がかっていた意識が、冷や水を浴びせられるみたいに強引に現実に引き戻される。

 広い廊下に並んだ扉。その内のひとつ、目的の病室の上に、赤いランプが煌々と灯っていた。

 

 

「……」

 

 

 覗き窓から中を確認し、深く視線を下げる。

 病室は、暗雲に塗り潰されていた。

 黒濁とし、時折金色に輝く粉末──感染者の死体が撒き散らす活性源石の粉塵だ。

 

 

「……、……………………くそ」

 

 

 何度見ても、脳が一旦理解を拒む。そうしてじわじわと、耐えがたい痛みが胸を突く。

 また一人、感染者が死んだ。

 こんな窓越しに見るくぐもった鈍色の景色が、一人の死を現すなんて。言語化できない悔しさに、僕は拳を弱々しくドアにぶつけた。

 

 

 感染者は死体を残さない。肉も骨も、感染源である源石粉塵に変わってしまう。

 だから、感染者は埋葬をされない。

 彼らの死後に執り行われるのは、もっと惨くて事務的な、防疫処理だ。

 

 

 ドアの脇のコンソールが、操作されるのを待っていた。僕はカードキーを翳して操作権を得ると、浄化システムを作動させる。

 換気口のファンが唸る轟音がして、病室内の源石粉塵が──昨日まで患者の肉体だったものが吸い込まれていく。

 いつ死ぬとも分からない感染者に対し、病室と死に場所を分けるのは危険な行為だ。だから病室を棺桶にしてしまおう。その理に適った発想が、死んだばかりの感染者の遺体を、掃除機でもかけるみたいに機械的に処理していく。

 

 

 粉塵がダクトに吸い込まれていく様子を見ながら、僕は思い出していた。

 この病室にいたのは、一人の少女だった。まだ二十歳にもなっていない若い女性だ。

 他の人と同じように、沢山苦しんで、あらゆるものを奪われた彼女は、数日前に漠然と自分の死期を悟ったらしい。彼女は回診に来た僕に、青ざめた唇を綻ばせて言った。

 

 

「もういいよ、足掻くのはやめた。楽になれると思えば、決して悪いことばかりじゃないと思えるもの」

「でも……でもね先生。やっぱり、怖いの」

「ねえ、お願い先生。死の瞬間に一人なのはしょうがないけれど。死の少し前まで、私の手を握っていて欲しいの」

「私は一人ぼっちっじゃないって、思わせてほしいの。お願いよ、先生……」

 

 

 つい一週間前。彼女はそう僕に言った。

 彼女が死んでから、ようやく僕はそのことを思い出したのだ。

 

 

「ッ──!」

 

 

 もう一度拳をドアに叩き付けた。今度はありったけの力を籠めて。監獄のような広い廊下に鉄の鳴る鈍い音がする。迸る絶望感がそうさせるままに、立て続けにもう一発。

 さらに振るった三発目は、鉄製の扉の突起に強かにぶつかった。視界に火花が散るような痛みに、思わず呻く。

 

 

「っが……う、く……くぅぅ……!」

 

 

 骨が砕けそうな鈍い痛み。そんなもので、胸の痛みはちっとも和らがない。

 拳を打ち付けた鉄扉の音はあっという間に反響すら消え失せ、後にはただ、扉の向こうの、源石粉塵を吸い込んでいく無慈悲な機械音だけが木霊するばかり。

 僕はドアに背を預け、ずるずると崩れ落ち、その場で頭を抱えて蹲った。広い隔離病棟の廊下でそうしていると、まるで道ばたの石になったように、全てが無為で無力なものに思えた。

 

 

 罪悪感。虚無感。無常観。厭世観。

 己の申し訳なさ。哀れさ。無力感。

 そして、どうしようもないほどの、心の徒労。

 ──ずっと、ずっと、ずっと、胸が痛い。いっそこの心臓が止まってくれたらと請うほどに。

 

 

「っ何が、感染者の治療だ……何が、全ての命を救うだよ……」

 

 

 震える唇から、怒りが漏れ出る。

 ロドスの語る救いなんて戯言だ。どんなに綺麗事を騙り、優しさで覆ったとしても、死はその全てを取り払い、残酷な真実を露わにする。

 ロドス・ターミナルに、幸せに死んだ人間は一人もいない。痛みに叫び、幻覚に怯え、迫り来る終わりに狂い、源石に頭の中まで犯され自分が何物かすら分からなくなって死んでいく。

 それが鉱石病だ。ロドスにもどうしようもない絶望の病だ。

 痛みに喘ぎながら「こんな筈じゃない」と泣く人がいた。

 余命を数え、「よくも騙したな」と顔を悲痛に歪める人がいた。

 ここで何度、ロドスへの呪詛を聞いただろう。

 一人は怖い。痛いのは嫌だ。死にたくない。そんな言葉ばかりが渦巻いて。

 何が救いだ。

 ロドスは彼らに、人間らしい死すら与えてあげられないじゃないか。

 

 

「っく……ぐす……」

 

 

 気がつけば僕は、病室の扉の前に蹲った格好のまま、すすり泣いていた。

 患者の死のショックだけではない。それをきっかけにして、心に溜まっていたどろりとした膿のようなものが、とうとう破けてしまったのだ。

 同じように心を壊して泣く同僚を、何度となく見送ってきた。僕も、僕以外の従業員だって彼らと変わらない。

 心はとっくにひび割れだらけで、砕け散る最後の一押しがまだ訪れていないだけ。その最後のきっかけが、とうとう僕にも訪れた。ただそれだけの、ありふれた絶望だった。

 

 

「もう嫌だ……こんな所、耐えられない」

 

 

 今すぐにでも、ここから逃げ出さなければ。

 ロドス本艦への異動でも、退職したって叶わない。ここにいては、世界そのものに絶望しかないと洗脳させられる。

 でも、僕は逃げられない。

 あの危険な末期感染者、エイヤフィヤトラが、僕をドクターと誤認し、それを精神安定の要としているから。

 ロドス全体のために、僕はここから逃げ出す事を許されない。

 

 

「………………」

 

 

 ──だが、それがどうしたというんだ。

 ──それでも僕は、ここに居たくない。

 

 

「逃げる事が許されないなら……いっそ、終わらせた方がマシだ」

 

 

 僕は立ち上がり、歩き出す。

 覚束ない足取りで、身体をゆらゆらと揺するその様は、どう見てもマトモではなかった。疲労で隈の這った僕の目は、平時とは明らかに違う病的な覚悟に爛々と輝いていたに違いない。すれ違うスタッフ達は、そんな僕の様子を気にかける事もしない。ロドス・ターミナルでは、スタッフが狂う事なんて珍しい事でもないのだから。

 

 

 

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