そのような退廃的で官能的な日々が、更に一週間ほど経ちました。
真っ白な私の世界は、時折ズズ──と揺れるようになりました。
背後に迫る天災が、移動都市の走る大地そのものを揺さぶっているのです。回診に来たドクターが言うには、かなり大規模で高速な天災で、ロドス本艦もロドス・ターミナルも、ほぼ最大船速での移動を続けているとの事でした。
不規則に揺れ、時に床を傾かせるまでする振動は、以前ドッソレスのビーチで乗ったボートを思い出させ、私たちの住む場所が一つの巨大な乗り物であることを改めて意識させました。
途方もなく大きな、『うねり』としか表現できないものが、後ろから迫ってくる。
天災を前にして、一〇〇パーセント安全なんて保証は誰にもできません。ドクターの手つきや態度にも、隠しきれない不安と緊張の色が感じられます。
まるで太陽が遮られた日陰に身を隠すような、冷えて重い空気が辺りを満たしていました。
そして、その陰気が入り込んだように、私の病気は悪化の一途を辿っていました。
高濃度になった血中源石は、私の体内で結晶化し、血流によって体中を巡ります。
それは、大量の注射針に全身を突き刺されるような、途轍もない激痛です。その痛みの前には、どんな薬物も効果を見せません。
私は発狂寸前まで悶え苦しみ、何度かアーツを暴走させる事をしました。
身体から放たれ、病室を恒星のような高温で包む業火の事を、私の意識は正しく認識する事は叶いません。
感じるのは、周囲を蠢く、ごうごうとしたうねり。
それはロドス・ターミナル全体を揺るがす天災のうねりと奇妙な共鳴を見せ、私の意志を完全に外れて暴れ回ります。まるで巨大な蛇が、私の周囲にとぐろを巻き、私を飲み込もうとしているような、理解しがたい超越的な存在を感じさせるのです。そのうねりを前にして、私はただ叫び声を上げ、身体を蹲らせる他ありません。
その恐ろしく巨大なうねりが去った後には、私の病室の全ては、塵へと変わっているのです。
──今回君の放ったアーツは、病室の耐火温度の九七パーセントにまで達した。
──ロドス・ターミナルの設備で、これ以上の耐火性の増強は理論上不可能だ
指先でなぞる文字列には、無機質な点字の筈なのに、ドクターの悲痛な気持ちが滲んでいるようでした。
私はベッドに横になって、ドクターが印刷した紙を読むと、震える手を虚空に差し出します。ドクターが、キーボードを私の身体のすぐ隣に差しだしてくれるので、私は人差し指を使って、かた……かた……と、じれったいほどゆっくりとキーを叩きます。
私はもう、自分の意志で起き上がる事ができなくなっていました。まるで注射針の海に横たわっているみたいで、ほんの少し身じろぎするだけで激痛が走るのです。
何も喉を通らなくなり、腕に刺さった管から流れてくる点滴だけが食事でした。身体はいよいよ痩せ細り、ただキーボードを叩くだけでも、意志を総動員させた死に物狂いの努力が必要でした。
『まだ、つよくなります』
ドクターが、私の肩に触れます。その手は微かに震えて、迷子の子供のようでもありました。
『からだのなかに、とてもおおきな、なにかがいます』
『それが、わたしをよんでいるんです』
包帯で覆った目が、じわりと滲みました。
痛みのせいで、私は嗚咽すら漏らす事ができません。
『どくたー』
『もし、もうむりだとはんだんしたら』
『そのときは、いちばんいいせんたくをしてください』
ドクターが私の手を取りました。手のひらに指を乗せ、文字を書きます。
──そ、ん、な、こ、と、い、う、な
身体は常に高熱に脅かされていて、手のひらの感触も、もう随分と遠いです。
『わたしのさいごに、だれかをまきこみたくないんです』
ズズ──と、また移動都市が揺れました。
真っ白な世界が、抗いがたい大きなうねりによって、揺さぶられる。
手のひらの上のドクターの指も、震えていました。
──こ、わ、い、ん、だ、ろ、う
目を覆う包帯が、また、熱い物でじわりと滲みました。
真白な世界。空気のうねり。震える指。正常なものなど世界に何も残っていないみたい。かつて色彩に溢れた筈の世界は無常の白に塗り潰され、幸せは、もう痕跡すら探せない。
『こわいです』
『しにたくないです』
『どくたーにどれだけあいしてもらっても、このきもちは、ちっともよくなりませんでした』
『でも、わたしは』
『これいじょう、だれかをきずつけることが、いちばんこわいのです』
私の身体が、別物になっていく気配を感じました。
木が燃えて灰になっていくように、私を構成している大切な物が削られ、硬く脈打つ源石の存在が大きくなっていくのを感じています。
だんだんと、私が私でなくなっていく。
最期には私は、おぞましい活性源石の粉塵となって、世界を穢す癌となって死に絶える。かつて私だった物は、源石に食い尽くされて一欠片も残らない。
だったら、せめて私が私であるうちに、終わりにしたい。
こわくても、それがきっと、一番いい選択だから。
ドクターは、私の手を握ったまま、キーボードで打ち込まれる願いを静かに聞いていました。
やがて私の手のひらに、ぽたりと滴が落ちます。一粒。二粒。やがて、雨のように。
──き、み、を、う、し、な、い、た、く、な、い
──き、み、が、い、な、く、な、っ、た、ら
──ぼ、く、は、ど、う、し、た、ら、
そこで感極まったように、ドクターは私の手を両手で握りしめ、そこに自分の額を押し当てました。私の痩せ細った手に、熱い涙が滴り落ちていきます。
痛みに摩耗し、老人のように疲弊した私の心が、再び蘇るのを感じました。
痛みも厭わずに、喉がしゃくり上がります。ドクターと名前を呼びたくて、動物のような唸り声を漏らします。
『どくたー』
私は涙を溢れさせながら、キーボードを打ちます。
『まだ、わたしをあいしてくれていますか』
これを愛と呼ぶのは、烏滸がましいのかもしれません。
私たちが交わしたのは、じれったいほど遅い会話と、暴力スレスレの退廃的な愛だけでした。
私たちはお互いに傷ついて、疲れて、摩耗して。その欠けたものを埋め合うためにお互いを求めた。そういう、現実逃避と我が身かわいさによって結びついた繋がりでした。
現に私は、ドクターの顔も名前も知らないままです。ドクター自身も、その恋人と呼ぶにはかけ離れすぎた線引きを越えようとはしませんでした。
数年前の、まだ先輩と肩を並べて戦っていた私が見れば、自分の将来に絶望して泣き叫んだかもしれません。
でも──そんな、醜い生き汚さに塗れた爛れた関係の中でも──
──あ、い、し、て、い、る
──き、み、を、こ、ろ、す、せ、か、い、を
──の、ろ、い、こ、ろ、し、た、い、ほ、ど、に
手のひら越しに染み込んでくる、炎のように痛烈な気持ちが私の胸を温める喜びを、どうして否定する事ができるでしょう。
全身に走る激痛はとうとう耐えがたくなり、もうキーボードを打てませんでした。私は繋いだドクターの手にもう片方の手も重ねて、その手をお腹に抱きかかえて、胎児のように丸くなりました。あなたのお陰で、もう少しだけ生きていられると、伝わるように。
ドクターが私の痩せた髪を梳いて、静かに口づけをしてくれました。
水気を失いひび割れた私の唇に伝わる、優しく温かな愛。私は深く呼吸を繰り返して、最後に残った光り輝く宝物を、大切に心に刻み込むのでした。
──それから私は、夢を見ました。
激痛に疲労し、鎮静剤で浸された私の脳は、現実と虚妄の境目を危うげに行き来することを繰り返します。
お腹に抱いていた筈のドクターの手はいつの間にかなくなり、ぬくもりすら感じられませんでした。ドクターを感じられない私の時間はいつもひどく曖昧で、一秒を正確に刻む事すらできず、一瞬と永遠が同じ長さのように感じられます。
盲目の真っ白なキャンパスに投影されるように蘇るのは、かつて私が過ごした日々の数々。
記憶の断片が、走馬灯のように浮かんでは消えてを繰り返す。
ある時、私はアーツロッドを手に前線に立ち、感染者街を襲う暴徒を鎮圧する任務に就いていました。前衛オペレーター達の敷いた包囲網を抜け出た暴徒の一人が、指揮をする先輩に向けて火炎瓶を投擲しました。後衛で援護をしていた私が放ったアーツは、火炎瓶を空中で砕き、先輩の頭上に巨大な火球を産み出します。私は両手を翳して火球に全神経を注ぎ、火を圧縮してソフトボール大の大きさにすると、暴徒の人達の中心目がけて放ちました。炎は暴徒を吹き飛ばし、それが決定打となって、鎮圧任務は無事に成功を収めました。火急に驚いて尻餅を付いていたドクターは、私の方を見て礼を言った後「エイヤフィヤトラはすごいな」と、しみじみと言ったのでした。まだ新人オペレーターと呼んで良い頃だった私は、その言葉に、全身の毛が逆立つみたいなぞわぞわとした喜びを感じたものでした。自分のアーツで戦い、誰かを守る事に、意義を感じた初めての瞬間でした。
またある時は、私はロドス本艦の植物園にいました。入院する感染者達の憩いの場として解放されているとても大きな植物園は、パフューマーさんやポデンコさん達の手で、とても綺麗に整えられています。私は手が空いた時にたまにお手伝いをしていたのですが、その日はパフューマーさんのお誘いで、お昼のお茶会に招待されました。テーブルの真ん中には、私が頑張って育ててようやく花が咲いたスミレの植木鉢が飾られていて、私は園芸部の皆さんや、セイロンさんにシュヴァルツさん、遊びに来たスズランさんやミントさんと、とても楽しい時間を過ごしたのでした。その日は抜けるような快晴で、頭上のサンルーフから柔らかな陽光が差し込んで、世界全部が宝石のように輝いているようで。そこで飲んだ紅茶は、世界でいちばん美味しいと感じたのでした。
またある時、私はロドスから遠く離れた土地で、活性火山の調査をしていました。火山の活度と地盤の原石鉱脈の活性率との相互関係を調べる調査で、ゆくゆくは大地を覆う天災の究明にも寄与すると期待される研究でした。万全の準備をしているとはいえ、命の危険もあり感染リスクも高い研究でしたが、ロドスの数人のオペレーターさんが私の意志に共感を示してくれ、いつしかロドス内に専門の研究チームが発足しました。研究を重ねる内に、私たちの間には固い絆が産まれていきました。火山で現地調査をする幾度目かの夜、私はスタッフの皆さんと、コーヒーを片手に景色を眺めていました。月もない漆黒の空。山嶺は黒く塗り潰されてシルエットしか見えず、その黒い山の山頂から流れ出した溶岩が、幾本もの赤い筋になって流れ落ちています。最も古株のスタッフさんは、それを「美しく、そして恐ろしい光景です」と称し、それから私を見て言いました。「私がこのチームに志願したのは、この研究が好きだったからでもありますが……エイヤフィヤトラさん。何よりもあなたを、この光景の中に取り残したくなかったからなのです」と──
沢山の光景が、真っ白い景色に靄のように浮かび上がっては、現実的な痛みによって掻き消される。現実と空想を行き来する度に、その境目が曖昧になって、肉体の感覚がほぐれていく。
まるで私の魂が、死ぬ準備をしているよう。
薬と痛みでぼけた意識が、海に揺られる木片のように、浮いては沈んでを繰り返します。
それは必ずしも、悪い気分ではありませんでした。
浮かび上がる記憶の光景の数々は、いずれも思い出深く、同じようなものがほとんどありません。私は自分に許された時間を目一杯に使って、あちこちを旅して、研究し、頼もしい仲間達と共に戦ってきました。
数々の思い出の、輝きの多さが、私が必死に生ききった事を思い出させて、自分自身を誇りに思わせてくれるのでした。
だから私は、怖くも不思議に満ち足りた気持ちで、現実と夢想の浮き沈みを繰り返します。
次に浮かび上がった光景は、珍しく、私が見たことのない場所でした。
鮮やかな緑に包まれた、小高い丘です。青々とした野草の中に、背の低い真っ白い花があちこちに咲いていました。高い青空には、濁りのない白い雲が流れています。
さんさんと輝く太陽はとても眩しいのに、どうしてか温度を感じませんでした。
涼しい風が吹いて丘の草葉を揺らし、陽光を反射した光の波を描きます。しかし、さぁぁぁ……という爽やかな草葉の擦れる音は、全く聞こえませんでした。
楽しそうな気配を感じて視線を向けると、丘の中腹の所で、見知った三人が、蹲って花を摘んでいました。
アンジェリーナさん、スズランさん、アーススピリットさんでした。アンジェリーナさんが私を見つけて、ぱっと笑顔を浮かべて駆け寄り、手を取ってくれます。
「ちょうどいいところに来てくれたね。一緒にお花を摘もうっ」
弾む声でそう言ったアンジェリーナさんは、私を三人の輪の中に混ぜさせました。私は丘にしゃがみ込み、真っ白な花を摘みます。
間近で見ると花は意外と大きく、私の拳ほどの大きさがあります。茎の真ん中からぷちんと千切ると、とろりとした透明な液体が断面から滴ってきました。五枚の花弁を持つ花は、私の手のひらでもぞもぞと身を捩らせています。アンジェリーナさん達は、くすくすと楽しそうに微笑みながら、そのもぞもぞ動く花をぷちぷちと摘んでいました。
「この花で何をするんですか」と私が聞くと、スズランさんが両手一杯の花を抱えて「飾るんです」と言いました。「これから皆でおみおくりをするんです」と。
頷いたアーススピリットさんが、私に言いました。
「常ならむ寄食の齟齬は地下鯨の寝首と等しい重さの相互作用的観念物質からなるトロッコの猫だから、反転して暗色に帰依するのは当然なんだ」
それを聞いたアンジェリーナさんとスズランさんは明るい笑い声を上げ、アーススピリットさんは照れ臭そうにはにかみました。真面目な彼女も冗談を言うことがあるんだなと、私は意外に思いました。
私が一掴みの花を摘むと、三人は立ち上がり、丘の一番上を目指し駆けていきました。茎の断面から滴った沢山の液体が、三人の足跡にどぽどぽと透明な水たまりを落としていきます。
私は三人の後を追いかけて、小高い丘を登ります。
丘のてっぺんには、私の腰ほどの大きさの、真っ白な石版が立っていました。石の前に長方形の穴が開けられて、その中に透明なガラスの箱が埋められています。
それは、お墓でした。
「さあ、おみおくりをしよう」
そう言って、アンジェリーナさんが、私の背中を押して、ガラスの箱の前に立たせます。
私は穴の中の、これから埋葬される人の顔を見ます。
棺の中には、私が収まっていました。
目元を包帯で覆い、痩せ細り、青白い皮膚をした私の死体が、そこにありました。
──あ、いけない。
──この夢、見てはいけないものだ。
「さあ、私たちでエイヤフィヤトラさんを永遠の向こうに送り出そう!」
血の気が引く私の背後で、アンジェリーナさんが笑顔でそう言います。
今すぐにここから逃げなきゃ──そう思うのに、私の身体は言うことを聞かず、叫び声を上げることもできません。
突然に、「あ゙ぁーーーーーーーーーー!!」と絶叫を上げて、スズランさんが泣き叫びました。両目を見開き口を裂ける程に開け広げて「あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! あ゙ぁーーーーーーーーーーーーー!!」とサイレンのような大絶叫を轟かせます。
「エイヤフィヤトラお姉ちゃんが死んじゃった! 死んだ死んだ死んだ! かわいそうに! もう誰にも会えない! 焼け崩れて人間じゃなくなっちゃう! かわいそう! かわいそうかわいそう! かわいそうに!!」
「一七軸平行弦の装甲列車の窓越しに見る岩雪崩に蝶々の羽を砕いて振りかけるべきだ! 蜷局を巻く第二関節の火花に商店街と抗欝剤とドッグフードが喝采を上げている! 世界は調停を必要としている! 調停! 調停を!」
スズランさんの絶叫に、アーススピリットさんの意味不明の怒声が重なる。その声が重さすら感じさせる迫力で私を飲み込み、金縛りにあったみたいに指一本も動かせません。
突然に、どんっと背中を押されて、私は穴の中へと落ちていきます。棺のガラス扉はいつの間にか開かれていて、私が落ちた瞬間にばたんと閉まり、私を閉じ込めました。
その瞬間、私の視界は真っ白に染まりました。目元に包帯の感触がして、末期感染者としての私に、棺に収まり葬り去られる私に入れ替わった事を悟ります。ガラスの棺は冷たくて硬くて、恐ろしく狭いものでした。
早く夢から覚めて! 半狂乱になって暴れさせる私の手足は、硬いガラスにぶつかります。
「さようなら、エイヤフィヤトラ。成れ果てへの生まれ変わりを楽しんで!」
アンジェリーナさんがそう言うと、三人は、両手一杯に抱えた白い花束を、棺に向けてばっと落としました。
白い花は棺をすり抜けて、私を埋め尽くします。茎から滴るねっとりした液体が、すぐに私の身体をじっとりと濡らします。
「羽化」と、アーススピリットさんの声がしました。
もぞり──という不気味な感触を、全身に感じました。
花が蠢いて、私の身体を登ってくる。五枚の花弁を私の腕や腰やお腹や頬に押しつけて──いや、それは絶対に花弁などではありません。
指です。花のように見えていたそれは、骸骨のように痩せ細った手なのでした。
私は狭い棺桶の中で、数十数百もの小さな腕に囲まれ、身体を這い回られていました。
ぞっとし、悲鳴を上げながら両手足を振り回そうとしました。しかし全身に絡みついた沢山の小さな腕が、私の手足を凄まじい力で抑えつけ、身動きを封じます。細く小さな指が皮膚に食い込むのは、大量の虫に全身を這い回られるようなとてつもない嫌悪感でした。
私はあっという間に理性を失いました。恐怖のあまり叫びます。助けて、この夢から出して。ドクター! ドクター! ドクター!! その声はガラスの棺の中で反響して外に出て行きません。それなのに「羽化」という声があちこちで聞こえました。アンジェリーナさん、スズランさん、アーススピリットさん、彼女ら以外にも無数の声が「羽化」と私に呼びかけます。
うぞうぞと身体を這い回る腕が、私の胸を登り、首を小さく裂きながら登り、私の顔に登ってきます。私は必死に首を振って払い落とそうとするけれど、無数の手が私の髪や耳を引っ張り、まるで標本にするように棺の底へと縛り付けます。
そして、私の顔まで這い上がってきた大量の腕は、私の目を覆う包帯の隙間に、うぞりと潜り込んできました。
「羽化」
やめて、と全力で叫びました。その唇をがっと掴まれ、開け広げられ、小さな手が口の中に落ちていきます。
瞼の薄い皮膚にガリと指を食い込まされ、こじ開けられる。いやだ、やめて。やめて!
「羽化」
そうして逃げ場のない私の眼球に、大量の指が食い込んで来ました。
ぶちゅりと音を立てて、大量の手が私の目を突き破り、中に潜り込んできました。焼けた石炭をねじ込まれるような激痛。大量の手が私を抑えつけ、ほんの少しの身じろぎも許しません。
私の中に潜り込んだ腕は、更に私の奥へと突き進んでいきます。まるで土を掘り返して、そこに埋まった何かを掘り出すような動き。目や口から飛び込んだ沢山の腕が私の中を掻き回す。
やがて私の身体の中、光の差し込まない奥の奥に、恐ろしい熱を感じました。
どろりとして、肌が震えるような猛烈な熱。それは溶岩に似ていました。沢山の腕が、私の肉をかき分け、その恐ろしい熱を引きずり出していきます。
熱がこみ上げてくる。やがて押しつけられている床全体が、オーブンのようにジリジリと熱くなっていきます。肌の触れた箇所から小刻みに震え、すぐに耐えられないほど熱くなり、刺すような痛みへと変わります。いやだ、助けて、ここから出して!! 私は必死に叫んで身悶えますが、全身を縛り付ける大量の手はびくともしません。
服に火が付き、背中が焼かれました。水分が蒸発する猛烈な痛みが全身を貫きます。棺の中の温度は際限なく上昇していきます。炙られる背中が端から炭になって崩れていくようでした。
どれだけ泣き叫んでも無駄でした。奥から湧き上がってくる熱は、私を生きたまま火葬する絶望の業火でした。
──いえ、いいえ、あれは葬るための火なんかじゃない。
「羽化」
あれは、私は私でなくさせる炎だ。
私の身体は焼け焦げ、既に炭になっていました。
もう指一本も動かせない。悲鳴も零せない。
熱がもう、すぐそこまで迫っている。
ぱきん、と身体がひび割れて、崩れて、壊れて、
私の中から、まっかなほのおがながれでてきて
「羽化」
そしてわたしは──