※この作品はR-18です。

WATCH ME BURN   作:オリスケ

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第9話

 

 二日後。

 僕は、数人のスタッフと共にロドス・ターミナルの甲板に立っていた。

 空気は冷たく乾き、霞んでいた。風に運ばれた砂粒が、水たまりの代わりのように甲板の上に広がっている。ここのところずっと同じような、砂混じりの強い風が吹く暗い空模様だった。

 

 

「……離れませんね、距離」

 

 

 傍にいたスタッフの一人がそう溢す。

 視線を辿るまでもない。全員が、空寒いものを抱きながら眺めずには居られなかった。

 天災だ。僕らロドスが逃げ続けている天災が、視界一面を黒濁とした渦で覆っていた。

 大地はひっきりなしに揺れている。ロドス本艦も、ロドス・ターミナルも、最大速度で荒野を走り続けているが、それでも天災との距離は一向に離れていかない。

 褐色に輝く活性源石の渦は、まるでガス惑星の表面のような不規則な紋様を描いている。

 時折エネルギーが活性化し、天災雲に巨大な雷が走る。その衝撃は、百キロ近くを隔てたこちらの内蔵を震わせるほど強烈だった。

 まるで餓えた獣に狙いを付けられ、死ぬまで追いかけられているような。そんな底知れない獰猛さを感じさせた。

 天災は未だに、その正体を解明されていない。規模も速度も予測不能、どのようにして大地を破壊するかすら様々で、種類が多すぎてカテゴライズすら上手くいっていない。

 天災を回避するために文明が産み出した移動都市ですら絶対安全ではない。幾ら逃げようとしても追いつかれ、呆気なく蹂躙された事例は幾らでも存在する。

 何が起こるか分からないこの世界で、明日僕らが生き残っている保証はない。

 そんな世界で僕らに求められるのは、危険の芽を少しでも摘む努力を怠らない事だった。

 天災の唸りを切り裂き、一台の輸送ヘリがこちらへ近づいてくる。

 

 

「あのヘリに執行人が乗っているんですよね」

「滅多な事言うな。最も重要で責任のある任務を請け負う、凄腕のオペレーターだぞ。きっと、俺達が見たこともないくらい凄いアーツを扱える達人に違いないさ」

 

 

 同僚が小声で話し合っているのを、僕は虚ろな気持ちで聞いていた。

 愛する少女を殺す人が、あのヘリに乗っている。

 もし僕の抱く感情が真実の愛だというのなら、僕はその人に怒るべきなのかもしれない。胸倉を掴み、そんな酷い行いはさせないと声を張り上げるべきなのかもしれない。

 そんな風に思い浮かべた空想の僕は、ひどく空虚で情けなく、ちっぽけに見えた。

 いや、違う。空想でもなんでもなく、僕は無力でちっぽけなのだ。抗いがたい運命のうねりにただ流されるだけの、荒野を舞う砂粒の一つ。

 どれだけ泣こうが喚こうが、鉱石病は不治の病で、彼女は死ぬ。そもそもいまの僕の心には、叫び声をあげる気力だって残っていない。

 いま胸に蟠る、後ろ髪を引かれるような感情だって、僕には分不相応だ。僕にできる事は、ひとつだってないのだから。

 無力感。無力であることを突き付けられる無常観。僕は自分のみじめさと小ささに目を背け、ただぼんやりと頭上を見上げ、終わりの時が近づくのを眺めている。

 その様子が、ひどく疲れているように見えたのだろう。見送りのために訪れたスタッフの一人が、元気付けるように僕の肩を叩いた。

 

 

「脱出おめでとう。後の事は気にせず、ロドス本艦で悠々自適に過ごせよな」

「……ああ」

 

 

 うらやましさの滲む言葉に、僕は曖昧に生返事を返す他なかった。

 そうして、輸送ヘリがロドス・ターミナルの甲板に機影を落とした──その時だった。

 

 

 強烈な閃光が、空を焼いた。

 世界を染め上げる真紅。遅れて衝撃。

 何が起きたか分からないまま、気がついたら僕は吹き飛ばされていた。移動都市の甲板の上を激しく転がり、鈍い痛みが全身を襲う。

 

 

「がッ──な、にが……!?」

 

 

 明滅する目を開き、ピントを合わせて、愕然とする。

 頭上を飛んでいる輸送ヘリが燃えていた。上部のプロペラがみるみる回転を落とし、機体全体をふらつかせる。千切れ飛んだ尾翼が落ちてきて、激しい音を立てて甲板を突き破った。

 艦上に立っていた他のスタッフも一様に吹き飛ばされ、何が起きたか分からないまま、頭上の光景に釘付けになっていた。

 僕らの目の前で、ヘリが更に火勢を強くし、くるくると回転しながら高度を落とし──やがて甲板へと落ちた。分厚い鉄がひしゃげる、激しい音と振動が、僕らに正気を取り戻させる。

 

 

「た、大変だ! ヘリが墜落したぞ! 攻撃か!?」

「すぐに救助するんだ、火が回る前に中の人を運び出せ!」

 

 

 スタッフ達が慌てて墜落したヘリに駆け寄る。

 再びの紅い閃光と轟音が、その動きを止めさせた。

 身を竦ませた僕たちは、一様に空を見上げ、戦慄に凍り付く。

 

 

「……天災が……!」

 

 

 空を埋め尽くす、黄昏色の破壊の渦。

 大量の活性源石を抱えた褐色の暗雲が、いつの間にか僕らの頭上を埋め尽くしていた。

 それは、先ほどまでロドス・ターミナルから百キロ近くの距離を離していた天災雲だった。巨大な竜巻を作っていた雲が、いつの間にか噴火するように源石粉塵を横に拡散させ、僕らの移動都市の上空を覆い尽くしていたのだ。

 肥大化した活性源石のエネルギーが黒雲の中で衝突し、産まれた紅蓮の雷が僕らの目を焼いてくる。雷はロドス・ターミナルにも降り注ぎ、あちこちで激しい火花を起こしていた。

 

 

「何が起きてるんだ、天災がこんな挙動をするなんて聞いていないぞ!?」

「とにかく、早く移動都市の中へ! ここにいたら死ぬぞ!」

 

 

 慄くスタッフ達と一緒に、燃えるヘリへと駆け寄る。

 着陸態勢を整える段階だった事もあり、幸いにも死者はいなかった。僕達は乗組員を救助し、紅い雷が雨のように降り注ぐ中を必死に走って、移動都市の中へと避難する。

 艦のハッチを締める直前に、僕は空を見上げた。

 天災雲の光り輝く活性源石のエネルギーは、更にその濃度を濃くしている。雲の中を走る断続的な稲妻が、世界の終わりを告げるように大地を激しく戦慄かせている。

 その様はまるで、天災が僕らを押し潰そうと腕を伸ばしたような──

 

 

「おい、ハッチを閉じろ! 死にたいのか!」

 

 

 怒号と同時に、降り注いだ雷がすぐ傍に着弾した。慌ててハッチを閉じて艦内に逃げ込む。

 ロドス・ターミナル全艦には緊急事態を示すサイレンが鳴り響いていた。誰にとっても予想外の天災の接近に、バケツをひっくり返したような騒ぎに陥っている。

 

 

「ロドス本艦との連携はどうなっている!?」

「ダメです、磁場が乱れて通信ができません!」

「早く脱出するんだ! もう少しでも雷の威力が上がれば、船体に穴が空くぞ!」

「とっくに最大速度ですよ、天災雲の速度が速すぎます! ……有り得ない。こんな、ロドス・ターミナルに狙いを定めるみたいな挙動なんて……!」

 

 

 誰も彼もが青ざめていた。それも当然だ。地上のあらゆるものを蹂躙する天災に遭遇して、生きていられる確率は限りなくゼロだ。

 突然に地獄の釜に放り出されたスタッフ達は、戦々恐々としながら、艦内を駆けずり回る。

 

 

「……、………………」

 

 

 その騒乱の只中に放り出された僕は──奇妙な、運命じみた何かを感じていた。

 まるでロドスを追いかけてくるような異様な挙動の天災。

 今まさに死のうとしている、一人の患者。

 

 

『からだのなかに、とてもおおきな、なにかがいます』

『それが、わたしをよんでいるんです』

 

 

 いつかモニターの画面に書き込まれた文字が、脳裏に蘇る。

 

 

「おい、一般病棟で患者が暴れているらしい。俺たちも加勢に向かうぞ」

「すまない、他の人に頼んでくれ。僕は他にやることがある」

「は? おい、どこに行くんだ! 勝手に一人で動くな!」

 

 

 スタッフの制止も無視して、僕は走り出した。

 胸から伸びる紐を何者かに引っ張られるように、身体が前へ前へと動く。周囲の喧噪が他人事のように感じられる。

 何の根拠もない。理性的じゃない。狂った僕の頭が、都合良く結びつけただけかもしれない。

 しかし──唐突に訪れた破壊の渦に飲み込まれた僕の頭は──

 全てを諦めた上で必死に生きようとする、彼女の儚い笑みが埋め尽くしていた。

 

 

「エイヤ……はぁ、はぁ……エイヤフィヤトラ……!」

 

 

 息継ぎも惜しい。鎮圧のためロボット達が走り回るロドス・ターミナル内を全速力で駆け抜け、立ち入り禁止の規制線も飛び越えて、移動都市の下層へと続く階段を駆け下りる。

 途中、震災の衝撃で幾度となく全身を揺さぶられた。壁に身体をぶつけ、足を踏み外して階段を転げ落ち、打ち付けた顔や胴体に激しい痛みが走る。それを意に介さずに、僕は下へ下へ、機能不全に陥った特別病棟へと向かう。

 下層まで行くと、天災の騒ぎはほとんど聞こえなくなった。分厚い壁越しに断続的な雷の唸りが聞こえ、移動都市全体を揺るがす振動はひっきりなしに轟いていたが、くぐもったそれらの音はどこか他人事のようにも聞こえる。

 

 

 機能停止した窓のない空間は、闇に覆われている。移動都市が崩壊するかもしれないというのに、この空間だけ時間の流れから切り離されているような、異様な静寂を感じた。

 僕は懐中電灯を点けて、暗闇を照らす。

 廊下の先には、数日前に閉じられたまま、一度も開かれていない隔壁がある。

 しかし、そこに広がっていた景色は、数日前に僕が見たそれとは違っていた。

明かりを向けた僕は、驚きに息を呑む。

 隔壁に、風穴が空いていた。

 穴の周辺には、溶けた鉄が蝋のように流れて固まった跡が広がっている。

 

 

「……」

 

 

 穴の向こうに、微かな音を感じた。

 ガー……ガー……という、細やかな機械音。

 僕は恐る恐る、壁に空いた風穴をくぐり抜ける。

 何もかもが焼け朽ち、床は溶けた鋼鉄が流れてデコボコに隆起している。

 まるで火山の洞窟に踏み入ったよう。暗闇に灰と煤の匂いが充満している。

 ガー、ガー、という機械音に、別の音が混じってきた。かさ、という、宙を舞った紙が地面に落ちるような音。

 音は廊下を進んだ先、壁に穿たれた大穴の向こうから響いてくる。

 エイヤフィヤトラの病室だ。

 僕は穴の前に立ち、ライトの光を向けて──そこにあった光景に、凍り付いた。

 

 

「……」

 

 

 膨大な、紙の山。

 全てが焼け朽ちた筈の病室の床は、隙間がないほど大量のコピー紙で埋め尽くされていた。散らばった紙は全て、無数の穴が空けられた点字プリント紙だ。

 果たしてコピー用紙は何千枚、何万枚あるのだろう。一部では紙が積み重なって盛り上がった小山を作っている所もある。

 図書館の本を全て床にぶちまけたような、乱雑で大量の紙の山。

 まるで何者かが激しく争いあったよう。いや、現にそこでは戦いが繰り広げられていた。

 稼働しているパソコンが一台、暗闇に煌々とした明かりを灯し、ひっきりなしに点字プリントを印刷している。

 その、冷たい明かりの前に、彼女はいた。

 

 

「……」

 

 

 用紙で覆われた冷たい床に、エイヤフィヤトラが蹲っていた。

 彼女は、傍らの印刷機から出力されるコピー用紙を抓んでは、そこに書かれた点字を読み取っては放り投げ、間髪入れずに印刷された次の用紙に手を付ける。

 印刷機は二秒に一枚のペースで用紙を吐き出し続けている。なのにエイヤフィヤトラの読解速度は機械を上回っていた。彼女は両手を用紙に押しつけて滑らせ、それで全ての読解を完了させていた。用紙を放り捨て、印刷が終わるのが待ち遠しいとばかりに次の用紙に手を付ける。

 その異常な読解速度を持ってしても、この数千枚に及ぶだろう紙を読むのに、果たしてどれほどの時間が必要なのか。

 機械のように鬼気迫る挙動。それを一帯、どれほど繰り返していたのか。

 俯いたエイヤフィヤトラの顔は、暗闇に隠れて見えない。

 暗がりに浮かび上がる大量の紙に囲まれた彼女の姿は、見てはいけないものを目撃したような畏れを抱かせるような、超越者めいた気配を感じさせた。

 

 

 エイヤフィヤトラは、その生命らしさをまるで感じさせない機械的な読解を続け──不意に、その動きをぴたりと止めた。

 人形のように硬直する。それから彼女の両手が、ゆっくりとキーボードを叩く。

 文字を打ったエイヤフィヤトラが、画面をスライドさせた。

 画面に、彼女が書き込んだ文字が浮いている。

 

 

『来てくれたんですね、ドクター』

 

 

 恐れを抱かずにはいられなかった。じわりと、背中に汗が滲む。

 

 

「……どうして、僕が来たと」

 

 

 聞き終わるより早く、彼女はキーボードを叩いていた。更に画面に文字が映し出される。

 

 

『温度が伝わるんです。見えないサーモグラフィーのように、あなたの居る所が分かります。あなたが緊張している事も』

『説明が難しいです。まるで、ヒトのものではない感覚器官が、新たに産まれたみたい』

『頭も冴えています。何も見えない世界が、とても広く感じます』

 

 

 そう言ってエイヤフィヤトラは、顔を上げた。

 僕が翳したライトが、彼女の顔を露わにする。

 エイヤフィヤトラの目は潰れていた。大量の源石結晶が目元に表出し、元の顔をぐずぐずに崩れさせている。源石は活性化し、亀裂から黄昏色のエネルギーを心臓の鼓動のようなリズムで脈打たせていた。

 大量の活性源石で浸食されたその顔は、人間を辞めた怪物と表現したようが相応しいようで。

 けれど彼女は、その顔に優しい微笑を浮かべて、キーボードを叩いて僕に呼びかけた。

 

 

『何もかもが小さく感じます。自分の命でさえも』

『でも』

『それでも、ドクターに会えて嬉しいです』

『会いに来てくれて、ありがとうございます』

 

 

 竦んでいた足が、一歩を踏み出す。踏みつけた点字用紙がくしゃりと乾いた音を立てる。

 彼女の手を取る。記憶のどれよりもやつれて細い手。信じられないくらい熱くて、その体温よりももっと大きな、途方もないエネルギーを内側に感じる。

 僕は彼女の骨の浮いた手のひらの上に、自分の指を押し当てた。

 

 

 ──な、に、を、し、て、い、た、の、?

 

 

 静かに意識を集中させて、一文字一文字を読み取ったエイヤフィヤトラは、キーボードに向き直り、かたかたと文字を打つ。

 

 

『資料を読んでいました』

 

 

 それはまるで、初めて僕らが一線を踏み越えたあの日を、もう一度焼き直すかのよう。

 

 

『ロドスが観測していた天災の情報を読んでいたんです。速度、影響範囲、進行ルートの変化の仕方、活性源石の含有率などです』

『二時間単位にレポートされた数値を、過去に遡って、一ヶ月分』

 

 

 それは、人間と会話しているのかと疑わざるを得ない回答だった。

 天災は何も分からない。分からないからこそロドスは、あらゆる数値をリアルタイムで観測し、分析しようと試みている。

 観測されるデータは数十種類に及ぶ。その一つ一つが、専門の研究チームが発足されるほど複雑で難解を極めるものだ。

 それを一ヶ月分、全て読んだ? ……点字で?

 

 

『前から、一つの仮説を持っていました』

 

 

 凍り付く僕を置いてけぼりにして、エイヤフィヤトラがキーボードを叩く。

 

 

『あまりにも荒唐無稽な、俗説と言っていい類のもの。それなのにその俗説は、天災研究を進めていくにつれ、私の中で存在感を強めていました』

『そして今、私は確信を得ました』

 

 

 果たして何が起ころうとしているのか、まるで頭が追いつかない。ただ彼女の手を握り、話の続きを促す事しかできない。

 彼女は片手で僕の手をぎゅっと握りしめながら、キーボードを叩いた。

 

 

『天災。あれは生物災害です』

「……いったい、何を」

『全部がそうとは限らないかもしれません。でも、今まさにこの艦に迫る天災は、間違いなく意志を持つ生命体が引き起こしたものです』

『あの雲の中に、とても大きな、何かがいます』

『それが、私を呼んでいるんです』

 

 

 エイヤフィヤトラの目元を覆う原石が、ぼぅと薄い光を放った。

 冗談だろう、と笑い飛ばしたかった。

 精神疾患から起こる妄想だと言い捨ててしまいたかった。

 そのどれをも許さない程に、エイヤフィヤトラの書く文字は真に迫っていた。

 

 

『原因は分かりません。彼が見つけたのか。あるいは私が、彼を呼び寄せてしまったのか』

『ですが、あの天災は、私を追いかけて、ここに来ました』

 

 

 僕はエイヤフィヤトラの手のひらに指を置いた。しかし「そんなわけが──」と書いた頃には、もう片方の手がキーボードを叩き、彼女の言葉をモニターに映し出していた。

 

 

『私の中にも、何かがいます』

『私という卵の殻に、ヒビが入っているのを感じます』

『私はもうじき、全く別の何かへと生まれ変わるでしょう』

 

 

 ズズ──と移動都市全体が振動する。まるで世界の終わりのように。

 エイヤフィヤトラには、もはや人間を超えてしまったような異次元の覚悟を感じさせた。

 僕は震える指で、彼女の手のひらに文字を描く。

 

 

 ──ど、う、す、る、つ、も、り

 ──き、み、は、な、に、を、し、た、い、の、?

 

 手探りで闇の中を進むような、困惑も露わな質問に、エイヤフィヤトラは微笑んだ。キーボードを叩いて『ドクターは聞き上手さんですね。いつも、私の言いたいことを言いやすくしてくれます』と、ひどく人間味のある言葉で褒めてから、言う。

 

 

『最初は、どうにでもなれと思いました。大きな何かに混ざっていく感覚は、とても開放的で、気持ちが良かったから』

『一緒にあの渦に混ざって、全てを焼き尽くすのも悪くはないと、本気で考えました』

『だけど、やめました』

 

 

 キーボードを打つ指は止まらない。

 ぞっとするような綺麗な微笑みを浮かべた彼女の顔には、ただただ凄絶な覚悟が浮いている。

 まるで残り僅かな命の時間を燃やし尽くすよう。

 まるで、今まさに、この世界に残す最後の言葉を綴っているよう。

 

 

『真っ白な孤独の中で、何度も何度も、昔の事を思い出しました』

『一生懸命に頑張った事。つらくて泣いた事。嬉しくて嬉しくて堪らなかった事。誰かにありがとうと言われた事。どういたしましてと微笑まれた事。守れたもの。守れなかったもの。一生忘れないと誓った心躍る景色、残酷な景色、美しい景色』

『私は、このテラで沢山の景色を見てきました』

『先輩やケルシー先生や、私を導いてくれる沢山の凄い人に出会えました。私の死に涙を流してくれるような、沢山の友達に恵まれました』

『死の寸前まで、私の手を握ってつなぎ止めてくれる、優しい人にも出会えました』

 

 

 そう言ってエイヤフィヤトラは、僕の手を握りしめた。

 顔を上げた僕の前には、目元を源石結晶で覆い尽くされた彼女の、慈愛に満ちた笑みがある。

 

 

『最後まで、心の底まで絶望する事なく、自分の命を生ききる事ができました』

『私は、自分の人生を、心の底から誇りに思っています』

『だから私は、最後にあなたにお礼を言って』

『エイヤフィヤトラとして死ぬ事にしました』

 

 

 最後にエンターを一度叩き、エイヤフィヤトラの指が画面から離れた。

 彼女は凍り付く僕の身体に触れ、静かに身を寄せた。

 信じられないほど高い体温。骨の浮いた身体。そこに浮かぶ大量の源石結晶が、柔らかさと固さと痛みを僕に伝える。

 細い腕が、僕の背中に回された。

 脆い弱い身体に許された、精一杯の抱擁。

 

 

「っ……どぉ……く……たぁ……」

 

 

 耳元に寄せられた唇から、彼女の声が聞こえる。

 正しい発音なんてもう覚えていない。自分の声は二度と聞こえない。

 そんな彼女が囁く。どうか伝わりますようにと、祈りを籠めるように。

 

 

「あ……り……ggが……と…………」

 

 

 瞳に熱いものがこみ上げてくる。

 僕は震える手を、彼女の背中に回した。

 強く、強く、抱きしめる。

それが僕に許された、たった一つのするべきことで、彼女が僕に求める愛だった。

 腕の中で、彼女が心地よさげに力を抜き、僕に身を委ねるのが分かった。

 全身で感じる。彼女の、もう少し力を強めれば折れてしまうような弱さ。身体のあちこちに見えないヒビが走り、ガラガラと崩れていきそうな脆さ。

 ──ああ、もう終わりなんだ。

 その時僕は、これが最後の時なのだと、心の底から理解してしまった。

 

 

「っ……エイヤフィヤトラ……!」

 

 

 こみ上げてきた感情が滴になって、頬を伝い、彼女の肩に落ちる。

 その涙が、もうじき最期に至る彼女の心を、潤したらしかった。

 ゆっくりと抱擁が溶かれていく。

 僕はもう一度、彼女の顔を正面から見る。

 源石結晶で侵され人間らしさを失い、それでもこの世界の誰より愛おしいと感じる少女の顔。

 その、目元を覆う源石結晶が、眩く発光する。

 次の瞬間、爆発するような衝撃が僕の全身に叩き付けられた。僕は宙を飛び、病室の外の廊下まで吹き飛ばされる。

 

 

「がッ──エイヤフィヤトラ!」

 

 

 顔を上げた僕は、見た。

 宙に浮かぶエイヤフィヤトラ。

 全身の源石結晶が煌々とした光を放ち、炎を形成する。次々に生まれていく炎は意志を持つように彼女の周囲に渦巻き、まるで羽衣のような美しい光の帯でエイヤフィヤトラを包み込む。

 病室の温度は急上昇し、熱波がエイヤフィヤトラを中心に吹き出す。

 足下に散らばっていた大量の紙が熱波によって巻き上げられ、ぶわっと一斉に火を付けた。

大量の燃える紙が宙を舞い、暗闇を眩い紅蓮に染め上げる。

 渦巻く炎の全てが、エイヤフィヤトラに忠誠を誓っているようだ。それほどに、焔の中に浮かぶエイヤフィヤトラは荘厳で、美しかった。

 エイヤフィヤトラは、僕の反対側の壁に静かに手を翳す。体表の源石結晶が更に輝度を上げ、炎が手のひらの先から放たれた。圧縮された高熱はレーザーのようになって、たちまちの内に壁に風穴を空けてしまった。

 ゴウッ! と吹き込む突風。差し込む黄昏色の光。外を蹂躙していた天災の嵐が、エイヤフィヤトラの前に露わになる。

 

 

「……だぁ、い……じょ、ぅvう」

 

 

 最後にエイヤフィヤトラは僕を振り返り、笑った。

 カッと星が生まれるような光を瞬かせて、彼女は焔となって、外──渦巻く天災の中へと、その身を飛び込ませた。

 

 

 

 

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