最近、碇シンジは気が気ではなかった。
原因はもちろんアスカである。
仕事ができてルックスもいいアスカは、元々男性社員からの人気が高かった。ただ、本人の勝ち気で完璧主義な性格もあって、周囲の人間を寄せつけないところがあった。
それが、ここのところ雰囲気が柔らかくなったと評判になり、言い寄ってくる男性社員が増えているのである。
アスカの魅力が増したのはシンジとの交際がいい方向に影響しているからなのは明らかだったが、それでアスカに近づいてくる連中が増えるのは、シンジとしては面白くない。
アスカが婚約指輪を付けて出勤するようになり、彼女に恋人がいることが部署内に知れた時は口から安堵のため息が洩れたものだったが、それでもアスカへのアタックをやめない男性社員がいることに、シンジは驚愕した。そして、アスカの相手が自分だとは部署内の誰も思わなかったことがショックだった。
「とにかくいいオンナと寝れればそれでいいってやつ、いるんだよな。むしろちゃんと付き合ったりしなくていいから、楽だとかっていうやつ」
誰がそんな台詞を自分の近くで呟いたのか、シンジは覚えていない。
ただ、業務時間が終わって、男性社員の一人がアスカに執拗に声をかけているのを見た時、自分が叫ぶように声を張り上げたことだけは覚えていた。
「アスカ! 今日は外で晩御飯食べて帰ろう!」
※
ーなんで、こうなったんだっけ……?
ラブホテルに入った後、シンジは自問した。
いや、わかっている。自分からアスカを誘ったのだ。彼女と駅前の洋食屋でディナーを食べた後、今日はまだ帰りたくない、と。
「なんか、すごい部屋ね」
「うん……」
シンジとアスカは手をつないだまま部屋の入口で立ち尽くしていた。
「窓がないんだね」
「そうみたい」
「こういう場所、初めて?」
バカなことを訊いて、シンジはアスカにじろりと睨まれた。二人ともお互いが初めての相手なのだから、来たことがないに決まっている。
「なに? アンタはあるわけ?」
「ごめん、ないです……」
アスカが伏し目がちに安堵の表情を浮かべたのが、シンジはうれしかった。
アスカは振り返って入口のドアノブに手をかけたが、開かなかった。ドアの傍にアミューズメント施設によく設置されている両替機のようなものがあり、これで精算しないと出られない仕組みらしい。
「飲み物とか、買ってくればよかった」
「ホントだ。ごめん、気がつかなくて」
ううん、とアスカは首を小さく横に振った。
「ちょっとした旅行みたいで、楽しいかも」
それから、シンジとアスカは室内を軽く散策した。
部屋は二人が住んでいるマンションのリビングと同じくらいの広さだった。思っていたよりもシックな内装をしていて、上等なペンションの一室を連想させる。煙草の匂いがしないことが、なにより二人には好印象だった。
部屋の隅に配置されたキングサイズのベッドはきれいにベッドメイクされていて、アスカは端っこにちょこんと腰掛けてぴょんぴょんと飛び跳ねていた。お互い、緊張しているのだろう。シンジはベッドから見える四隅の壁がいずれも大きい鏡面になっていることが気になって、何度も横目で視線を送っていた。
アスカが枕元のスイッチに手を伸ばす。ビジネスホテルのように読書ができる程度のランプに切り替わるのかと思ったら、部屋の明かりが一斉にムーディーなピンク色に変化して、二人の目が同時に点になった。
アスカは慌ててスイッチを戻して、視線を泳がせた。
「あ……飲み物あるみたい」
シンジが小型の冷蔵庫を探し当てて声をあげた。中には個室のように仕切られた小部屋の中に缶ビールや清涼飲料水が並んでいた。硬貨を投入して取り出すシステムのようだ。
興味を示したアスカがシンジの肩口から冷蔵庫の中を覗き込む。シンジの好きなアスカのにおいが鼻腔をくすぐって、シンジは気づかれないように小さく唾を飲み込んだ。
「こっちは何かな?」
アスカは冷蔵庫の隣にもうひとつ小型の自販機を見つけて手を伸ばした。
「あ……」
その手が自販機に届く前にピタリと固まってしまう。その自販機で売られているのが、いわゆる“大人のおもちゃ”の類だと気づいたからである。
アスカは俯くと、そのまま黙り込んでしまった。
「せっかくだから、後で使ってみる……?」
こういう時に言葉のセレクトを間違えるのがシンジである。
言ってから、「殴られる」と身構えたシンジだったが、アスカは視線を少しだけ上げ、頬をほんのり赤く染めた後に「うん……」と小さく頷いた。
ジャグジー付きの豪華なお風呂は大人二人が浸かってもまだ余裕があり、シンジとアスカは浮かぶように抱き合いながら、まずたっぷりとお互いの唇を味わった。
大型のマットや妙な形のイスがあったが、二人とも何に使うのかはわからなかった。そんなことよりも、互いの身体をソープで洗いながら、時折するキスや胸への愛撫に二人は夢中だった。
「このボディソープ、いい匂いがする」
シンジの背中を洗いながら、アスカは息を吹きかけるようにシンジの耳元でささやいた。
「市販されてるのかな。今度探してみようか?」
返事はない。アスカは少しずつシンジの前に回り込んで、彼の頬や目元、鼻先や上唇にキスを繰り返していた。
意識して、二人とも風呂場での逢瀬を我慢していた。
お風呂上がりに自販機の缶チューハイで乾杯してから、シンジはアスカの髪をドライヤーで乾かした。真っ白なバスローブに身を包んだアスカは、いつもより数倍艶っぽかった。
普段とは違う、シャンプーの香りがする。甘い、バニラの香り。
アスカの髪が乾いていくにつれて、二人は言葉が少なくなった。冷風による仕上げが終わり、髪をポニーテールに結い上げた時、シンジは静かにアスカを背後から抱きしめた。
「……いい?」
「うん……」
二人とも、下着をつけていなかった。
シンジは自分のバスローブを脱ぎ捨ててから、アスカのそれもゆっくりと脱がした。アスカの華奢な背中に「くちゅ」と音の鳴るキスをし、腰から両手を前に回して、彼女の豊かな乳房を堪能する。
「は……ん……」
淡い桜色をしたアスカのふたつの頂きはすでにかわいらしく突起していて、シンジが軽く触れるだけで彼女の身体は小さく跳ねた。シンジが指先に緩急をつけながら攻め続けると、アスカは恍惚とした表情でシンジの方を振り返り、頬を彼の首筋にすり寄せた。
互いの舌が深く絡まる。溢れる唾液をすくいとるように、角度を変えて何度も唇を合わせる。
「座って、アスカ」
アスカはとろんとした表情で頷くと、ベッドの端に腰掛けた。
シンジはカーペットの上に膝立ちになり、アスカのうなじから肩、胸にかけてキスを繰り返した。乳首へのそれは、キスではなく「むしゃぶりついた」という方が正しかった。
「あ……シンジ……」
シンジは焦らすようにアスカの内腿をなでた後、彼女の両脚を開いて、その中心へと自身の顔を埋没させた。
アスカの恥部はすでに濡れそぼっていた。
「ん……」
シンジはクリトリスへゆっくりと舌を這わせた。時折、かすめるように舌先をじっくりと上下させる。
「あ……っ」
アスカの吐息に呼応するように、シンジは自分の下腹部が肥大化していくことを自覚した。今すぐアスカに覆い被さりたい欲求を必死に自制して、口先をクリトリスから秘所へと移動させる。
「ひゃ……ん……」
ちゅぷ……じゅる……。
わざと音を立てて口全体で吸いつき、そのままアスカの奥まで舌を差し込む。指で愛撫する時のように最深部まで到達できないのがもどかしく、シンジは息を荒げながら舌を大きく前後させた。
「はっ……ん、ん……っ」
溢れた愛液が、シンジの口の端からぬらぬらとこぼれ落ちる。ふと視線を上げると、アスカは弱々しく握り込んだ右手を口元にあてながら、せつなく細めた瞳をチラチラと壁の方に向けていた。
アスカの目線を追って、シンジは納得した。
鏡に、シンジがアスカに奉仕する姿が映り込んでいる。
アスカの下腹部に自分が顔を埋めている様子は、卑猥という他なかった。自宅で愛し合う時には拝めない光景だ。
凶暴な勢いで性欲が膨れ上がる中、それでも丁寧にアスカの秘部に舌をあてがい、舐め上げる。
「はっ……! あ、ぁ……っ!」
アスカの指が、シンジの髪を上から弱々しくつかむ。
アスカが二度目の絶頂を迎えた時、シンジの理性も限界に達した。
「アスカ、僕も……」
アスカは乱れた呼吸を整えながら、シンジを自身の胸の谷間に抱き寄せた。
「いいよ。立って……」
「うん……」
シンジは立ち上がる前に、ふとベッドサイドの“おもちゃ”を手元に引き寄せた。
入浴前に自販機で購入しておいたものだ。ピンク色をした卵のような楕円形の機械から短い配線が伸びていて、それがオン・オフのみが付いた簡易な手の平サイズのスイッチにつながっている。それが「ローター」という名称らしいということを、二人は自販機のスイッチのタグで初めて知った。
「これ、使ってみる?」
アスカがわずかに頷く。
「……どう、すればいいんだろ?」
「し、知らないわよ」
そう言いながら、アスカは両脚を開いたまま閉じなかった。
こういう使い方しかないだろうーということは、シンジもアスカも直感的に理解していた。シンジがローターの卵の部分をアスカの濡れた入口にあてがった時、アスカはたまらずシンジにしがみついた。
ローターの先端はアスカの中へスムーズに沈み込み、見えなくなった。アスカの吐息を、シンジはキスで呑み込む。アスカの意識が下へいかないよう、丹念に舌を絡ませながら、シンジはローターのスイッチをオンにした。
「ん……あぁ……っ」
その瞬間、アスカはピクンと小さく身体を震えさせた。どうやら、シンジが指先で恥部をなぞる時と同じような快感があるようだった。
「立っ、て……」
シンジがベッドの上で仁王立ちすると、アスカはさらに頬を紅潮させて、アスカを求めてビクビクと固く膨張したシンジ自身に顔を近づけた。
「ん……」
数回膀胱を口に含んだ後、頂点へ向かってアスカの舌先がゆっくりと裏筋を這い上がってくる。
「ふ……あ……」
頂きの裏側、最も敏感な部分に、アスカはねっとりと舌を這わせた。甘い痺れが興奮とともにやってきて、途端にシンジの先端から透明な愛液がぷっくりと噴出した。
アスカは、その愛液ごとシンジ自身を口に含んだ。先ほどまでの焦れったい愛撫が嘘のように、アスカはいやらしく口を前後に往復させた。
「ん…ん……」
「あ、アスカ……」
先ほどアスカがそうしていたように、シンジも壁の鏡面に視線をやった。
それを目にした瞬間、シンジは先端の欲望が一気に膨れ上がったのを感じた。
ーこれは……マズイ。
そこには、うっとりとした表情で自分の前にひざまずき、愛おしそうにシンジの最も敏感な部分に吸いついているアスカの姿が映っていた。
官能的すぎる……。
鏡という記録装置で、自分たちの行為を撮影しているような背徳感があった。
シンジの呼吸が荒くなるのに、さして時間はかからなかった。
「ん…あ……はっ……ん……」
ローターの刺激が効いているのか、時折アスカの喘ぎ声が混ざって、彼女の口から受ける刺激が複雑なものになった。
こみ上げる射精感に必死で抗いながら、シンジの中に倒錯した感情が湧き上がる。
アスカが、自分以外のものから下半身の愉悦を享受している。
おもちゃに嫉妬してどうする……という思いの影に隠れて、社内でアスカに声をかける男性社員たちの姿がちらついた。
ーアスカは、僕のものだ。
嫉妬と欲望が混ざり合って、シンジは自分自身をさらに膨張させた。
そのままアスカの口内に全てをぶちまけそうになった時、シンジはアスカが泣き出しそうな表情で口を前後させていることに気づいた。
「アスカ?」
続けようとするアスカの唇から自分自身を引き離し、シンジはアスカの前にひざまずいた。
「大丈夫? 僕ばっかり気持ちよくなって、ごめん」
アスカはとうとう涙を浮かべてシンジにしがみついた。
「ちが、う……あっ……!」
「え……?」
ビクビクと身体を小刻みに痙攣させている。シンジはようやくその原因に思い至って、アスカの中心からローターを慎重に引き抜いた。
「痛かった? 気づかなくて、本当にごめん」
「ちがうっ、たら……」
アスカはシンジに深く抱きついたまま、首をぶんぶんと横に振った。
「お、おもちゃでイ、クの……いや……やだ」
シンジは驚いてアスカの顔を覗き込んだ。
アスカは俯いたまま、今まで見たことがないほど真っ赤にふやけた表情で、上目遣いにシンジを見た。
「シンジの、お、おち……ん…ち……が、いい」
シンジの中で、プツンと何かがちぎれる音がした。
「あっ! んっ! あッ!」
ほんの少し照明を落とした室内に、男女の影が重なる。
シンジが深く自身を往復させる度に、アスカの淫靡な喘ぎ声とともに大量の愛液が溢れて、ベッドのシーツを汚した。
「シン、ジ…ッ!」
「アスカ……っ」
アスカの後ろから、シンジは獣のように自身の欲望を激しく出し入れした。時にはアスカの奥深くへ限界まで挿し込んだまま、乱暴にアスカの乳房を揉みしだき、指先で乳首をもてあそんだ。
シンジもアスカも、本来は後ろから愛し合うのは好みではない。にもかかわらず積極的にそれを試みているのは、今日は鏡面越しにお互いの表情を確認し合うことができるからだった。
「はぁ……はぁ……」
執拗に自分自身をアスカの中心にうちつけながら、時折シンジは鏡の中へ視線を送る。とても人には見せられない恍惚とした表情の自分とアスカの視線が鏡の中で絡み合い、ますますシンジは腰の動きを加速させた。
「キス…あッ! ほしい……っ!」
シンジが背後から抱き寄せると、アスカは肩口から振り返って唇を合わせた。
深く、貪欲に、互いの口内の全てを貪る。
「ん……ちゅ……」
「ん…あ……」
アスカの潤んだ瞳に、シンジは我慢ができなかった。
アスカを貫いたまま、シンジは彼女を抱きかかえるようにベッドの端に腰掛け、彼女の太腿に両手を通して、大きく開脚させた。
「⁉︎ あっ! やッ!」
ベッドの前方の鏡にあられもない自分たちの姿が映って、アスカは激しく赤面した。
シンジがベッドの弾力を利用して腰を上下させると、アスカの中心に避妊具を付けたシンジのそれが出し入れされる様子が、鏡越しにはっきりと見えた。
「あッ! だめッ! シンジッ!」
かぶりを振りながら、しかしアスカの声はせつない。シンジよりも、むしろアスカの方が自分からしっかり腰を上下させていた。
「かわいい、アスカ」
「あッ! あぁッ!」
慣れない体位でうまく動けない分、二人は言葉で補った。
うなじを舐め、耳たぶを口に含みながら、シンジはアスカのクリトリスに右手の中指を這わせた。シンジの指が円をひとつ描くたびに、アスカの中から愛液がぷしゅぷしゅと卑猥な音とともに湧き出してくる。
「やッ! 私、またッ! あんッ!」
「いいよっ! アスカ」
「あッ! あぁぁーッ!」
シンジがうねるように腰を突き上げた瞬間、アスカは絶頂した。
自身ももっていかれそうになるのを、シンジは歯を食いしばって耐える。
アスカの最奥からこみ上げた大量の愛液は、いまだアスカの中で屹立するシンジ自身から膀胱を伝ってカーペットまで滴った。
その様子も、二人は鏡越しに見ていた。
「はっ……はっ……」
放心状態のアスカを、シンジは背後から抱きすくめる。
「ごめん……やりすぎた」
アスカは首を横に振ると、自分の首筋に触れるシンジの右手の指先を口に含んだ。
アスカのボディタッチは、もっと欲しいという合図だ。
シンジは一度アスカから自分を引き抜いて、もう一度ベッドの中央にアスカを寝かしつけた。アスカの息が整うのを待ってから、彼女の唇へ丁寧にキスをする。
「ちゃんと顔見て、ゆっくりしたい」
シンジが真剣な眼差しで懇願すると、アスカはぷっと吹き出した。
「私も……。奇遇ね」
甘いくちづけをかわしながら、再びシンジはアスカの中心へ自分自身を当てがった。
アスカが自分から両脚を開く。
シンジからの愛情を受け、呼吸にあわせてとろけるように上下するアスカの恥丘は、未だたぎるシンジ自身を慈しむように深く受け入れた。
「あ……ん……」
お互いの表情を、仕草を、気持ちを確かめながら、やさしく、ゆっくりと交わる。
アスカがどんな表情をしているのか。どれほど深く自分を求めてくれているのか。
確かめながら、シンジはじっくりと自分自身を往復させた。
アスカもまた、シンジの髪や頬をなで、時には背中に手を回しながら、自身の中心へシンジを飽きることなく導いた。
「はぁ……はぁ……」
「あ…あ……ん……」
ずっとつながっていたいのに、あまり長くはもたなさそうだった。
どれほど焦らしても、深く挿し込む度に終わりがひとつ近づいてくる。
「もう……アスカ……」
「うん……いい、よ……」
絶対にシンジにしか見せないその表情で、アスカがしあわせそうにほほえむ。
ーあぁ……。
刹那、シンジは静かに、やさしく果てた。
「アスカ……」
「はっ……あ……っ」
果てのないシンジの射精に応えるように、アスカの中から愛液がまた溢れて、シンジ自身を波のように包み込んだ。
互いの欲望を全て出し尽くした後、シンジはアスカを壊さないようにやわらかく抱きすくめた。
アスカもまた、シンジの胸元に唇をすり寄せる。
いつものような、激しい最後ではなかった。
代わりに、二人は互いの頬を合わせ、額をくっつけてほほえみ合ってから、長い長いキスをした。
二人だけの、幸福の余韻を味わうようにー。
※
翌日、アスカは気が気ではなかった。
なにしろ、昨夜はホテルに宿泊する予定ではなかったので、何の用意もなかった。下着はコンビニで調達できたが、服装は昨日と同じな上に、よく見るとシャツの至る所が皺くちゃでよれているのがわかる。
しゃにむに手を動かしたのがよかったのか、誰からも何も言われないままなんとか終業時間を迎えることができたが、アスカはくたくたに疲れてしまっていた。
「おつかれ〜」
週末の残業は勘弁だ。早々に帰宅準備を進めていたのに、背後からマリが近づいてきて、アスカは辟易した。
「なに?」
「今日は残業ナッシング?」
「まぁね」
「ふーん……」マリはアスカの肩口に顔を近づけると、匂いをかぐ仕草を見せた。
「シャンプーとボディーソープ、変えた? いつもと違う匂いがする」
アスカの動きがわずかに硬直する。
「そうそう、先週駅前でいいの見つけたから、変えてみたの」
「へぇーほぉーふーぅん」
「な、なによ……?」
「多分、それ、日本では売ってないやつなんだけどなぁ。ネットのお取り寄せで二週間はかかるやつ」
「え……?」
「いかりクンの匂いもかいでみよっかな♪」
くるりと百八十度向きを変えたマリの肩に、アスカは慌てて手をかける。
そのマリの肩越しから、隣のブースにいるシンジの姿を認めた時、アスカは両眉を思いきり吊り上げた。
シンジの隣に、別部署の女がいた。
「碇さん、今日、すごくいい匂いがしますね」
「え? あー……そ、そうかな?」
元々、優男で仕事もそつなくこなすシンジは社内で人気が高かったが、アスカと付き合うようになってからはさらに物腰がやわらかくなり、言い寄ってくる女性社員が増えたのだ。
ーなによ、まんざらでもなさそうな顔してさ。昨日はあんなにっ! ……あんなに、二人で、一緒に、とろとろ……だったのに。
「昨日導入されたパソコンのアプリで使い方がわからないものがあるんですけどぉ、今日は詳しい人たちみんな帰っちゃうみたいで……夕食、ご馳走しますから、教えてもらえないかなぁ〜、なんて」
マリの肩にアスカの爪がギリギリとめり込んだ。
「いっ……ッ!」
慌ててマリが振り返ると、アスカは般若のような形相でシンジと女性社員の方を睨みつけていた。
(こりゃマズイ)
マリの制止を振り切って、アスカはシンジの方に踏み出そうとした。
その時ー。
「あの……ごめんなさい。今日は……ていうか、今日も明日も、明後日も……退勤したら、僕は式波さんと帰るので」
爆速で野獣のようにオフィスを横断しかねなかったアスカの動きがピタリと止まった。怒ったような表情のまま、見る見るうちに顔に赤味が差し、口がこそばゆそうに波打ち始める。
「あ……っ」シンジがアスカに気づいて小さく手を振った。「アスカっ」
その瞬間。
ほんの一瞬ー。
アスカの表情がふにゃふにゃに崩れたのを、マリは見逃さなかった。
むはっ……とマリは目を輝かせる。
貴重なものを拝むことができた。これはきっと、シンジにしか見せないアスカの素顔のひとつに違いない。
ー気づいてる、姫? あなた、ワンコ君といる時だけ、あの頃に戻ってるのよ。
「ごちそうさま」
これ見よがしにマリはささやいたが、反応はない。
とても残念なことに、アスカの目にはシンジしか映っていなかったからである。