FGOエロ小説まとめ 作:お一
人理を守護する七騎の抑止力。
人類史が始まるよりも前から存在する者もある。この星を守る七の英霊は、それ以外の全ての英霊を凡百に押し込めてしまうほど特異で強力だった。
それを、カルデアの機能で再現する。
本当に抑止の英霊にしてしまうのではなく、ノウムカルデアの拡張機能として絆を結んだ英霊を強化してしまう。それがカルデア式グランドサーヴァント。汎人類史の最先端たるノウムカルデアの冠位認定である。
その名を列挙しよう。
セイバー、ジークフリート
アーチャー、エミヤ
ライダー、ケツァル・コアトル
キャスター、ギルガメッシュ
アサシン、呪腕のハサン
バーサーカー、源頼光
そしてランサーは当然、ブリュンヒルデである。
立香が最も信頼し、最も親しんだ七騎であった。或いは違う時、なにかが違うカルデアであればまた違った面々となることもあるのだろうが、それでもやはりランサーだけはブリュンヒルデなのだろう、と立香は思う。
「ああ、あなた・・・・・・! これで、もっとお役に・・・・・・いいえ、あなたの力に・・・・・・」
敗北は幾度かあった。そのたびに自分の力不足を嘆いた。
そんなブリュンヒルデにとって、最高にして最強の一騎に選ばれたのは誇らしいと共に安堵した。まだ自分は、彼にとって最高の相棒で居ていいのだと。
「私、こんなですから・・・・・・あなたにとってもっと有用で、強力で、信頼できる方が現れたら、私よりもその方を・・・・・・」
言ってみたことがある。人理を救う戦いだから、個人の愛着で使役するサーヴァントを決めてはいけない。適材適所もあろう。いの一番にブリュンヒルデを選ぶのでは困るのである。
そんなこと、立香は百も承知している。英霊同士の戦いは個体の性能よりも相性の方が大事なことも多い。ブリュンヒルデは強力なルーンを用いるから汎用性も高く、英霊対英霊の戦闘でも他に引けを取らないが彼女一人で全ての戦場を制覇し得るほどではない。
そういう意味では同じく冠位を授けられた呪腕のハサンの仕事人気質とその実行力、賢王ギルガメッシュの知恵と判断力は時も場も選ばない。彼らにリソースを傾ける要もあるだろう。その分だけ信頼を傾けていい。そんなことが続いて、ブリュンヒルデと共に向かうことが少なくなっても、と告げたことがある。
「うん。そんな時は待ってて。貴女のために、俺は無事に帰ってみせるから」
(この、人は・・・・・・)
何故こんなにも、自分の欲しい言葉が判るのか。
一緒に戦えないのなら、帰りを待つ妻として。改めてブリュンヒルデは今世の夫と定めた人と自分の関係を思い知った。
死が、ふたりを分断かつまで。
いや、今度こそは死さえ超えてみせようと。
そんな思いが彼女に夢を見せた。
眠りを必要としないサーヴァントでありながら、悦びを分かち合った夜に、ブリュンヒルデは夢を見たのだ。
「あなた・・・・・・?」
なにもない場所が薄く煙っている。暗くはないが果ても見えない。ここがどこかよりも、自分が傍に居るべき者を探して辺りを見回す。
「あなた・・・・・・!」
居ないのはよくない。飛び立とうとした瞬間、
「ブリュンヒルデ」
背後から声が聞こえて振り返る。
「ああ、あなた・・・・・・!」
胸をなでおろしながら近づく。愛妻というよりは、子を見つけた親鳥に似ていた。
「・・・・・・?」
俯いている。いつもの、照らすような微笑みがないので身を案じて駆け寄る。
「なにか・・・・・・」
あったのか、と訊ねる前に、わ、と立香が飛び掛かってきた。
英霊であるブリュンヒルデには、生身の人間の急襲など本来は問題ではない。無意識でも避けられるはずだが、不思議なことにそのまま押し倒されてしまった。
「あなた、なにを・・・・・・」
ぐい、と首元を掴まれて、まるで野盗のような乱暴さで衣服が引き千切られた。
「っ・・・・・・!」
思わず肌を両手で隠した。何度もこの愛しい夫に見せてきたが、この羞恥には慣れない。況してや不意打ちならなおさらである。
「・・・・・・」
立香は無言のまま、ぷるん、と揺れるブリュンヒルデの乳房に指を食い込ませた。
「あ・・・・・・!」
痛い。しかしもしもこれが折檻ならば、この人にここまでさせる自分がきっと悪いのだ。ブリュンヒルデは抵抗せずに受け入れた。
「・・・・・・ん・・・・・・」
ただ、よく見えない目元に反して口元は、少し歪だが笑っている。決して不快や怒りのままの行為ではないのだと知って、取り敢えずブリュンヒルデは安堵した。
ニット生地の切れ端が、引き千切られた繊維の残骸が、乳房や胸元に食い込む。襟を失った浅葱色のリボンが、律儀に役目を果たすように首元で揺れた。
「・・・・・・あ、あな、・・・・・・た・・・・・・」
消え入りたくなるような羞恥で顔を真っ赤にしながら口元を隠し、立香の手から逃れるように身を捩る。
しかし馬乗りになった立香は、そんな可憐な抗議を無視してブリュンヒルデの白い肌に指を沈める。
「ああ・・・・・・!」
快感などは感じない。乱暴に扱われる肌が苦痛と圧迫感を訴えている。しかしそれを、唇を噛んで堪える。
こうしたいのなら、させてやればいい。こんな痛み、夫が満足してくれるなら安いものなのだ。
「ふ、ふふふ・・・・・・!」
らしからない含み笑いが降ってくる。
いつも、優しく撫でてくれる指先。ブリュンヒルデの肌を、雪を愛でるような手つきで愛してくれる。押せば崩れる儚さを尊ぶような優しさが嬉しく、時折歯がゆい。
「う、あ・・・・・・!」
女とはなんと強欲なのだろう、とブリュンヒルデは思う。
彼の優しさを一身に受けながら、僅かでもそれに不満を覚えている。優しく愛でるだけでなく、時々強引に嬲られたい。
「跪け、ブリュンヒルデ」
などと、もし命じられればと考えたことがないわけではない。
もし現実になったならその変貌に驚きよりも心配が勝るだろうが、そんなことが起こったならという空想は意外に楽しい。想像するだけで胸がときめくと同時に、下腹部に鼓動を感じた。
「あなた・・・・・・おゆるし、を・・・・・・」
口は時に気持ちを裏切る。やめて欲しいなどと思ってもいないのに唇は儚げに容赦を求める。
「あ・・・・・・!」
それに応えるように更に指が食い込む。
こういう逡巡を逞しく打ち砕いて欲しいのだ。ブリュンヒルデはその苦痛に嬉しそうに顎を反った。
「ああ・・・・・・!」
組み伏せられて、情欲をぶつけられる快さ。肉体的な快感ではなく、心の充足感がブリュンヒルデを昂らせる。宝物より愛されることが幸せならば、使われるようにして嬲られるのも幸せなのだと、過ぎるほど優しい良人を二度持ったブリュンヒルデは実感した。
(信頼感・・・・・・これこそが・・・・・・)
夫婦はただ慈しみ合い、助け合うだけではない。お互いの心と体の深いところをぶつけ合い、判り合い、そして愛し合うものだ。
(もっと、あなた・・・・・・!)
知らず、腕を首に絡める。
「ゆるして、あなた・・・・・・」
唇は正反対を紡ぐ。
体を開いて、余すところなくこの乱暴な手つきで愛して欲しい。この肌の奥までも、知って欲しい。
「あなた、あなた・・・・・・!」
赤い手形をこの肌に刻まれたい。
「んべ、れ・・・・・・」
舌を伸ばして、胸元や喉を舐め上げる。唾液のぬめりで汚し尽くしてもらいたい。
受動的な性的欲求が、ブリュンヒルデの体を苦痛の中で熱くする。
「あ・・・・・・」
立香の手が下腹部に伸びて、スカートをまくり上げる。
立香のため、好みに合わせた黒い下着が露わになる。そのヒモの部分を掴んで、強引に引き千切る。
「あ、ああ・・・・・・!」
強姦魔のような仕草に、何故かときめいてしまうブリュンヒルデ。ここまでくれば「あばたもえくぼ」であろう。
そして、剛直を割れ目にぴたりと合わせ、
「ふ、ぐ・・・・・・!」
多少濡れているものの、まったくほぐれていない膣に強引に挿入した。
息が詰まる。肉を引き裂くような、真っ赤な苦痛に背中が反った。
いつもとはまったく違う。立香とする時は入念に愛撫したりキスしたりした末の挿入だから、ブリュンヒルデが恥ずかしくなるほど濡れているしほぐれているのだが、こんなレイプ同然の行為ではそうはいかない。
みちりと詰まった肉の抵抗を意に介さず、強引に進んでいく。異物を押し出そうと収縮する膣と、それをスムーズにさせるために大急ぎで分泌される愛液。
快感の末のものではないからその締め付けは固く、握りこぶしで潰すよう。
愛液の粘度も、伝い落ちるかのようにさらりとして、挿れる側も挿れられる側も、まったく未知の感触だった。
「う、ぐ・・・・・・ぐく、は・・・・・・あは、あ・・・・・・!」
苦しげに息を吐くブリュンヒルデ。赤子を産み落とすように身を強張らせ、それが更に腰回りの筋肉を緊張させて膣の締まりを増す。
これだけ締め付ければ痛みを伴うだろうに、夢の中の立香は止まらない。先端をなんとか一番奥に届かせると、内臓を引きずり出すように腰を引く。
「んぐう・・・・・・!」
瞬間、ブリュンヒルデの体を閃光が貫くが如くに駆け抜ける快感。
思わず全身がビクンと大きく跳ねて、背伸びをするように足先がピンと伸びた。
「あ、が・・・・・・くあ、はあ・・・・・・!」
快感の槍で脳みそを串刺しにされたような。締め付ける襞を振り払う腰の引きと、
「んぐぃ、いぃひぃいいい・・・・・・!」
内臓を圧し潰すかのような力強い突き。
体が大きく揺れる。
立香の両手がブリュンヒルデの腰を捕まえて、ただただ己の快楽のために腰を遣う。
未だ馴染んでいない膣肉は硬く太い肉棒のストロークに強張り、肉棒はいちいち角度を変えて膣内を蹂躙していく。
「あ、ふぁ・・・・・・あ、ひぃん・・・・・・!」
自分でも聞いたことのない声が溢れる。
体の内から快感が溢れて止まらない、というのとはまた違う。強引に肉を犯される苦痛や圧迫感は、挿入された瞬間から言えば多少和らいだとはいえ、未だ継続中。だがそれ以上に、この体勢での女の抵抗を意に介さない立香の強引さと力強さに心がときめく。
これが組み伏せられる女の昂奮。ブリュンヒルデは愛しい人からの虐待に、悦びを以て震えた。
(もっと・・・・・・!)
もし、逃げてみせればどうなるのだろう。なにをされるのだろう。
期待に弾んだ心臓に突き動かされるように、ブリュンヒルデは頭上に手を伸ばして体をズラしてみた。
「・・・・・・!」
すると、それを叱りつけるように首に手が掛かり、イタズラをした手首が地に押し当てられる。
「ああ・・・・・・!」
期待以上の反応である。気道がキュっと締まり、次に抵抗すれば、という警告を与える。
(・・・・・・あなた、ああ・・・・・・あなた・・・・・・)
ブリュンヒルデの胸の奥から湧き上がる欲求。常に彼女を悩ませる、愛情に比例した殺意と同じくらいの、強い思い。
(ころされたい・・・・・・あなたに・・・・・・)
殺して欲しい、この良人に。
このまま彼の射精と同時に扼殺されたなら、想像するだに昂ぶりが突き上がる。
想像する。
膣内にたっぷり彼の精を受け、唇から血の泡をこぼし、白目を剥いてぐったりしている自分の死体。きっと立香は一生後悔するだろう。彼の心に、永遠に深く刻まれるブリュンヒルデ。
本物の征服とは、生殺与奪を握ることではない。未来永劫に己の存在を刻むことではないか。殺される自分が、殺した立香を支配する。
「ぐふ、ぶぐ・・・・・・! んぐう・・・・・・!」
愉しい空想だった。呼吸困難の中で浸る妄想だけで、ブリュンヒルデは達しそうになったほどである。
「ぐ・・・・・・!」
しかしそれも永遠ではない。微かに聞こえたくぐもった声の直後、
「んむぁああああ・・・・・・!」
はらわたを焼き尽くす粘っこい感触。体を駆け抜けて喉にまでせり上がるようだった。
「ヒュ・・・・・・」
喉から一瞬空気が漏れる。それが最後だった。気道を圧迫した立香の指が更に食い込んで、頸動脈までも寸断した。
意識がホワイトアウトする刹那、
「・・・・・・っ!」
この世のものとは思われない絶頂を味わった気がした。
「は・・・・・・!」
と、覚醒したブリュンヒルデは上体を起こすどころかベッドを蹴って立ち上がった。
サーヴァントに睡眠は必要ないが、生活スタイルを立香に合わせるために夜はきちんと眠っている。その姿は、白い薄手のネグリジェで、もし立香が忍んできた時のために、寝姿を美しいと思ってもらいたくて妹たちに見繕ってもらった。
そのネグリジェが、ブリュンヒルデの肌にまとわりついている。
「・・・・・・っ」
冷や汗である。夢の内容は一秒ごとに薄れていっているものの、どういう趣旨であったかは脳髄に刻み込まれたかの如くに克明であった。
なんということを夢に見るのか。
(私は、思い上がってしまっているのでしょう・・・・・・)
分際を弁えろ、と強く己を叱りつける。
自分は誰であるか。
ブリュンヒルデ。悲恋のヒロインという側面が強いが、元は主神に英霊の魂を捧げるシステム。それがたまさか自我を持ち、良人を持ち、子まで得られたのに己の責(少なくとも彼女自身はそう思っている)で、その全てを台無しにした女である。
二度目の生で、かつての夫と会えないうちに純朴な少年と縁を結び、思い合い、通じ合って現在幸せの真っ只中。そのうえにまだなにかを望もうなどと、これを超える増長が他にあろうか。
この気の緩みが、自戒を緩めて殺意の発露を許し、彼を殺めてしまうのかもしれないのだ。己の霊基に刻まれた宿業を、己が軽んじていてどうして幸せを維持できよう。
未明の時分に寝床を這い出て、冷たいシャワーを頭から浴びてみる。
体の熱を奪い去る冷たさが、思い上がった脳天に心地いい。
伝い落ちる冷たい感触。肌にへばりつく髪の、少し鬱陶しい感覚。何度も彼に愛されたこの体の、あまりにも素直過ぎる欲求を恥じながら、いつまでも消えない頬の熱さに辟易した。
それから、少しだけブリュンヒルデの態度が変わった。
(・・・・・・また、なにかあったのかな)
立香だけが気づいている僅かな差異。
まず歩調が変化した。半歩下がってついてくるブリュンヒルデが、半歩先を行くようになった。それだけならなんだというところなのだが、立香にはその理由も想像がつく。
(背中を見たくないんだ)
なにかの拍子で刺し殺してしまわないか。そんなことを恐れているのだと手に取るように判る。
次に絡んだ視線を切るのが二秒ほど早くなった。
目が合えば、なんとなくそのままで、それがおかしくて嬉しくて笑みがこぼれる。そうした視線は大抵なにかや誰かの気配を感じて中断するのだが、その感度が高い気がする。
極めつけは指の絡め方である。
手と手が触れると五指を絡めていたのに、親指と人差し指と中指だけの半端なものになった。
もし余人がこのことを知れば、バカップルの惚気同然の痴話喧嘩にしか思えないだろう。しかし当人にとっては深刻な変化だった。
こういうことは、なあなあにしておいてはいけない。なるべくなら迅速に片付けておかねばならない。
立香の天性の才というものを論じるとすれば、それは優先順位を間違えないということかもしれない。合理的判断ならばそれが出来るものは腐るほどある。立香の場合、人道的というか、自分や他人の心情をよく加味して中庸を行く判断が上手い。
その調整能力こそ生まれ持った、最も秀でた才であるかもしれない。
ということで、死ぬ気で暇を作ってブリュンヒルデに会いに行った。
ちなみにブリュンヒルデ、この状態になってしまうとなかなか頑固である。自分の中で、自分を律する結論を一度下してしまうと基本的には揺るがない。
しかしそこはマスターでもあり、もう自他を良人と定める立香である。カウンセラーばりの長い、それはもう長いやり取りを通じてブリュンヒルデの心の奥を探って、本音を聞き出す。
(真面目だなあ、相変わらず・・・・・・)
さすがに呆れざるを得ない。思い込んだら一直線の気性は健在である。よくぞたかが夢でそこまで思い悩めるものだと、立香は頭を抱えたくなった。
年若い立香でさえ、そんな願望や欲求は当たり前のものだと知っている。
どんな大好物でも同じ味では新鮮味が薄れて、変化を求める。至高の一品と知っていても、味変の一つくらい求めるのが人情というもので、奥手なブリュンヒルデだからたまには強引に求められたいと、可愛らしい欲求も湧こうというものである。
意思と感情を揺り動かして会話する相手がシグルドと立香だけという、箱入り娘という言葉でさえ追いつかない世間知らずのブリュンヒルデには、そのことが判らない。
一方、深刻になる気持ちも理解できる。彼女の胸に宿る殺意の焔は、彼女自身の油断を許さない。
「じゃあさ、ちょっとだけワガママをきいてくれる?」
ブリュンヒルデは救いを見つけたような顔で何度も点頭した。
ワガママなど、どれほどだって言ってくれていい。出自の所為もあるが、奇跡的にその縁がないだけでダメンズホイホイの奉仕体質である。
たまたま良人になった二人が健全だっただけで、並みの男ならどこまで堕落するのか判ったものではない。
「じゃあ、次の時に」
と、珍しく立香にしては気取ったようにブリュンヒルデの唇に指を当ててみた。
ブリュンヒルデ自身にもなんとも不思議なことに、それからは憑き物が取れたようにいつも通り。自罰的な気性の利点かもしれない。誰かが自分の代わりに罰してくれるのなら、それまでの全てを許す気分になれる。
しかし、意外に「次の時」というのは難しい。
まず時間がなかなか合わない。次に体力が残るかどうか。そして、二人揃ってそういう気分になるか、である。
普段ならもう少し気楽である。逢瀬の時間はなんとかして作るし、体力に余裕がなければ隣に座って指を絡めて、なにをするでもなく二人だけの世界に浸ればいい。自然とそういう気分にもなる。
今回は趣向が趣向なだけになかなか難しい。
ブリュンヒルデが不安になり始めた頃、ようやくその機が訪れた。
「横になって」
いつもなんとなく始まるから、新鮮な気持ちだった。
ブリュンヒルデは無論従う。令呪など必要ない。どんな命令でも、今は喜んで従うだろう。
「・・・・・・ごく」
思わず生唾を呑んだのは、改めてブリュンヒルデが自分のベッドに横たわっているということに、感動と欲情を同じくらい味わったからだ。
長い手足が置き場を求めるようにそわそわと。自分の頭を置いているいつもの枕に、彼女の小さな頭が乗っている。シーツに融けるように長い髪の、繊細な一本一本が美しく投げ出され、豊かな双丘が呼吸によって上下している。
前髪に隠れてしまう瞳の片方が、立香を求めるように切なげに細まっていた。
「ちょっと、腕を上げて」
少し戸惑ったようだが、これも言う通りに。袖のないブリュンヒルデは両腕を上げると腋ががら空きになる。
ちらりと見えたその無防備な肌に、少年らしい胸の高鳴りを抑えながら、ブリュンヒルデの両手首を、彼女の首元のスカーフを解いて結んでいく。
「それを解いちゃダメだよ、わかった?」
こくり、と小さく頷く。
ブリュンヒルデの素肌は雪のように白い。昂奮や羞恥で朱が差すと、それが殊更に映える。
ブリュンヒルデの腋はそれはもう完璧な処理で、指で触れるとつるつるとなめらか。毛穴の開きさえも感じられないほどだったが、羞恥に汗ばむと彼女の香気が鼻をくすぐる。立香にとってはそれを舐め取っても、またぐらにいきり立つものを感じるのだが、慎ましいブリュンヒルデは恥ずかしくて堪らない。
もぞもぞと、両腕を封じられてベッドでもがく様子は、男の悪戯心を刺激する。
「これ、本当はこういう使い方をするんじゃないんだけど、いいよね、今回ばかりは」
そう言って取り出したのは、上等な羽ペンであった。
ナメした鷹の羽をあしらったペンを逆さまに持って、その柔らかい羽根をブリュンヒルデに向けた。
「あの・・・・・・」
なにか、ブリュンヒルデが言おうとするよりも先に思い切って立香はニット生地の裾を掴んで、一気にたくし上げた。
露わになるブリュンヒルデの肌。腹は無論、胸も、胸元まで上がってノーブラの乳房が露わになる。
かあ、とブリュンヒルデの頬が赤くなる。いつ、どんな場合でもこの良人の好きにしてもらっていいのだが、心の準備がないと羞恥に消えたくなる。
「いく、よ・・・・・・?」
さすがに立香の声も上擦っている。
脇腹に、柔らかい羽根の先端が触れる。
「あ・・・・・・!」
ビクン、とブリュンヒルデの体が跳ねる。
くすぐったい。触れるか触れないか、正にフェザータッチで羽根が体を撫でる。一瞬で体の熱が一度は上がった気がした。
「ほらほら」
最初は腹の辺りを、脇腹を重点的に。
ブリュンヒルデがくすぐったそうに身を捩る。しかしそこに抵抗や拒否感がないと知ると、少し大胆になる。
乳房を下から、その輪郭に沿ってゆっくりと羽根で撫でていく。
「あ、あ・・・・・・!」
くっと背中が反り、スカーフで留められた手が揺れる。
楽しい。立香はもちろん、ブリュンヒルデにとっても。
一言命令されれば、たとえ首を掻き切られようと不動で居られるブリュンヒルデであるが、こうして立香に縛られて意のままにされるのは、ひどく心が躍った。
こんなスカーフ一枚、気をつけないと破ってしまう。しかしこの儚い一枚のスカーフが、この攻め受けの構図を明確に示すものであり、これを破らないということが遵守の誓いでもある。
敏感になった肌を、嬲られるようにくすぐられるのが、未体験の昂奮と快感をブリュンヒルデに与えていく。
(もう、このまま・・・・・・!)
どうにでもして、と心の中で叫ぶ。
この人の情欲のままに食い散らかしてもらえたなら、それがどんなに肉体的に苦痛を伴ったとしても、どれほど快いものか。
「い、いくよ・・・・・・?」
しかしそこは立香である。この姿勢を、女側から享受されようと一方的なことは出来ず、先端で乳首をくすぐるのですらなんとなく断っておく。
「んう・・・・・・!」
いつも、この人の指や舌で愛される突起。自分ではこれの良さはよく判らないが、この人があんなに熱心に愛してくれるのだから少しは魅力のある場所なのだろう。何度も愛されるうちに感覚も鋭敏になり、男好みの感度に仕上がった。
そういう自覚はある。
しかし、両手を縛られているという状況、羽根でくすぐられる感覚、なによりも立香からのものであるという意識がより敏感にしたものか、ブリュンヒルデの想像をはるかに超えた甘い快感が、頭の奥にまで広がっていった。
「っ!」
その、ブリュンヒルデの反応が予想を超えていたので、思わず立香は手を止めて反応を窺う。
痛い筈はあるまいが、もしなにか固いところがあってそれが粘膜を傷つけたなら、と心配してみるが杞憂である。ブリュンヒルデの少し弾んだ、熱い吐息に安心して、乳輪をなぞる。
「ん・・・・・・っ、う・・・・・・んん・・・・・・!」
正視に耐えない気恥ずかしさからか、ブリュンヒルデは深く目を閉じて顔まで逸らしながら、漏れ出る息遣いをどうしようもない。
その可憐な仕草が愛おしくて、もう片方の乳首も羽根でくすぐってみる。
「あっ、あん・・・・・・!」
不意打ちの快感に悶えるブリュンヒルデ。焦らされていた左の乳首は、右のそれより感度を増して、羽根の柔らかい感触に快感を走らせる。
「う・・・・・・」
過去に見たグラビアムービーを思い出す。水着姿で寝転ぶ女性にこういう柔らかいものをあてがってくすぐっていたが、自分がいざやってみると、映像で見る馬鹿馬鹿しさのようなものはあまり感じない。恋人が自分の手で悶えているという昂奮だけが天井知らずに募っていく。
「ん、は・・・・・・あ・・・・・・」
悩ましく切なげな吐息。彼女自身の望んだ趣向だけあって、いつもよりずっと体の準備が整うのが早い。感度は急激に増して、そこを愛撫された時の反応は五割増しで良い。
バ、と羽根を捨てて襲い掛かったのも、男として無理ない衝動と言えるだろう。
「ぶも・・・・・・!」
乳房の海に飛び込む。
豊かで柔らかな乳房は仰向けになると重力に従って腋の方へ流れる。それを両手で支えるようにして谷間に向けて狭める。
(あ、いつもの・・・・・・)
立香はこれが好きだ。ブリュンヒルデも、なんだか微笑ましい気分になる。
「むふー、んふー・・・・・・!」
たっぷり汗ばんだ谷間で呼吸されるのだけは恥ずかしくて消え入りたくなるのだけは、我慢が必要ではあるが。
立香は夢中になっている。両側で支える手を軽く打って乳房をたぷたぷと波打たせ、頬に跳ね返る柔らかさと弾力を楽しむ。いつもならここでたっぷり楽しんだ後で次を考えるのだが、今回はもう、情動に任せる。
(・・・・・・?)
カチャカチャと音がする。それが、ベルトを外す音だと気がついたのは立香が下着ごとズボンを下ろしてしまった後だった。
「あ・・・・・・」
いつも必ず、挿入の前に立香はブリュンヒルデに問う。
「いい?」
立香としては、直前になってもブリュンヒルデが嫌がればそこで止めるつもりである。ちょっと信じがたい善性だが、ブリュンヒルデの愛した彼らしくもある。しかし同時に、ブリュンヒルデにとって最も恥ずかしい瞬間でもある。
行為の最終同意を絶対に自分がしなくてはならない。女としては、ここまでくれば強引なくらいの方が気楽なのである。
それがワガママだと知っているから押し殺していたが、出来ればもうこんな風にして、立香から挿れてもらいたいのが本音である。
だから嬉しかった。
もう言葉でいちいち確認など取らなくていいのだと、万に一つも、この状態で拒むことなどあり得ないと知ってもらえたことが、本当に嬉しかった。
硬く熱い感触が、膣口に押し当てられる。
「ん・・・・・・」
夢で味わったあの感覚。愛しい男の意のままにされる、官能的な凌辱感。ブリュンヒルデの鼓動も期待に早くなる。
「ん、く・・・・・・!」
ずぶ、と差し込まれる亀頭。柔らかい肉の花弁を押し広げて侵入すると、押し返そうとする抵抗感に見舞われる。
膣の入り口付近の浅いところは、異物を押し返すように抵抗する機構となっている。それをねじ伏せるようにぐっと腰を深く下ろすと、
「お、おお・・・・・・!」
今度は勝手に呑み込んでいく。亀頭をクリアして半分ほど進むと吸い込まれるように一番奥へ。
この動きも知っている。ブリュンヒルデと結ばれる時、必ず味わう感覚だが、今回はまた少し違った。
(あ、すご・・・・・・!)
まずい、と直感してへその下辺りに力を入れ、尻穴をきゅっと締め付ける。
期待と昂奮にとっくにほぐれきった膣内の動きは柔らかく、うねうねと独りでに蠢いて良人のものに絡みつく。それだけでも背筋にゾワゾワとした妖しい快感を走らせるのに、膣内は熱い粘液で満たされていて肉棒を溶かしているような気にさえなる。
微細な襞が群がるように絡みつき、愛液のぬめりがその動きをより滑らかにしていく。咀嚼するような蠢きに、このまま溶けて混ざり合ってしまうのではないかと思った。
「くう・・・・・・!」
正直、これまで何度か体を重ねた経験がまったく活きないほど未知の感覚であったが、ここですぐ音を上げるのはさすがに情けない。男としてはちょっとくらい逞しいところを見せて、ブリュンヒルデに見直してもらいたい。
「うぐ、んう・・・・・・!」
乳房の海に顔を溺れさせながら、歯を食いしばって一旦腰を引き、
「んぐ・・・・・・!」
覚悟を決めて突く。
「んあ・・・・・・!」
頭の中に灼熱のミミズが侵入して、のたうち回るたびに快感を振りまくような、そんな快感に耐えている割りには、ブリュンヒルデの悲鳴は愛らしい。
本音を言えばもう少し、夢寐をさすらうが如く身悶えして欲しいのだが、快感を御するのに手いっぱいでどうすればブリュンヒルデをよく出来るかなど考えが及ばない。
立香にはブリュンヒルデの顔が見えない。見えたとしてもその余裕がない。
それがブリュンヒルデにとっては幸いだった。
目尻の垂れ下がった、ブリュンヒルデに言わせればだらしない表情。落ちていく唇の端を、自らを叱咤して引き締めようと試みると自然と歯を食いしばる形になって、良人の望むような声が出せない。
彼女の精神と肉体が、本人の無意識下で募らせていた願望である。貞淑を体現するブリュンヒルデとて、乱れざるを得ない。不幸だったのは、ブリュンヒルデ自身が己にそんな淫靡さを許していないことだった。
「ん、あ・・・・・・は、あ・・・・・・はあ、は、あ・・・・・・んあ・・・・・・っ!」
だんだんと立香にも判ってくる。
こうして肉体を通じ合う男女には、言葉も視覚さえも必要でないことがままあるようだ。
かつてないほどの媚態を見せる膣内。それに反して抑えた嬌声。変に強張った胸元と腹の感触。
「くう・・・・・・!」
こうとなれば男女の戦争である。
ブリュンヒルデの、ブリュンヒルデですら知らない女の顔を。蕩け切った雌の反応を引き出すために、快感に蕩ける体に鞭打って腰の動きを速く鋭くしていく。
「んむ、う・・・・・・っ、は・・・・・・んぃ、い・・・・・・あむ、んんう・・・・・・!」
唇を噛んで、堪えているのはもう反射的なものである。
お望みの昂奮と快感に蕩けたブリュンヒルデの脳は、もう物を考えられる状態ではない。なんのために堪えているのかも判らずにはしたない嬌声を律している。
「んっ、んぐ、んう・・・・・・!」
打ちつける腰の音に、ぬめった水音が混ざる。
速くて小刻みなのが、今の状態のブリュンヒルデには望ましいらしい。膣内の反応からそう察した立香は、その強さと間隔を覚えて腰を打ちつける。
危なかった。もしゆっくりなのが好みだったら耐えられなかったかもしれない。
一つ一つの感触や快感をきっちり処理しながらの緩慢な動きだったら、あっさりと限界を迎えていた。膣内のうねりを、絡みつく媚肉を振り切るように、立香は何度も腰を打ちつけていく。
「んんう・・・・・・!」
遂に、喉奥から搾り出すような、ブリュンヒルデらしからぬ嬌声を引き出した。
快感のため、無意識に腰をもぞつかせてブリュンヒルデ自身が望む角度になるよう調整し、奥の好いところに当たるようになったらしい。
こういう女の揺らぎを、男は決して見逃さない。年若の立香であろうと例外ではない。
「んぐ・・・・・・!」
既に根元から熱いものが込み上げてきているが、最後の踏ん張りどころと無視して腰を打ちつける。
いつもするのとはまったく違う。結合部から愛液の飛沫を飛び散らせるような激しい腰遣い。女体を貪るような動きに、ブリュンヒルデはますます満たされて、法悦の階段を一足飛ばしに登っていく。
「あ、あっ、あ・・・・・・! あ、ん・・・・・・あああ・・・・・・!」
取り繕えない、生の雌の嬌声。
逃れるためなのか、知らず背中が反るも立香の体重で抑えつけられる。この強制されるような圧迫感が、ブリュンヒルデの女を満たしていく。
ばちゅん、とひと際強く腰を打ちつける。その瞬間、
「あ、あ・・・・・・あ、はあ・・・・・・! あ、い・・・・・・ひぐう・・・・・・!」
抑えつける立香の頭と腕を振り払うほど体が跳ねる。
一瞬強く背が仰け反り、ビクビクと腰が跳ねる。
「んぐう・・・・・・!」
ブリュンヒルデの絶頂に際して、不規則に複雑なうねりを見せる膣襞。まったく予想も出来ない膣肉に揉みくちゃにされて、立香も限界を超えた。
断りもなく腹の奥に放たれる熱い精液。その感触に背筋を震わせて、ブリュンヒルデは軽く絶頂に達してしまう。
「う・・・・・・ん、う・・・・・・ぐ、んう・・・・・・!」
先刻までの逞しい腰遣いが噓のよう、ブリュンヒルデにしがみつきながら射精の快感と、それを促す膣の更なる快感に耐える。
「は、あ・・・・・・! はあ、あ・・・・・・!」
二人の全身の汗が、二人の肌を吸いつける。
荒い呼吸のタイミングも自然と重なっていく。体が溶け合ったように離れがたい。このまま世界が終わるまで一緒でいられたらと、詮無い妄想が疲れた頭に浮かんできた。
熱は必ず冷める。二人で分かち合ったこの熱も、呼吸が落ち着くと共に冷めていく。
離れがたきを振り切って身を置き上がらせ、ブリュンヒルデの手首のスカーフを解く。
「・・・・・・」
言葉はなかった。わざわざせずとも、気持ちが通じている気がする。
関係性の進展というものは当人たちにしか判らないものだが、それが錯覚のすれ違いであることもよく起こる。だが確かにこの瞬間だけは、大きななにかを乗り越えた気分だった。
「・・・・・・あなた」
ブリュンヒルデはようやく理解した。
恋人ならばそんなこともあろう。しかし夫婦であれば、これまでと同じではいけないのだ。お互いになにを望み、どう叶えるか。叶えられないならどうすべきか。そういうことを隠していてはいけない。
互いに肝胆相照らしてこそ夫婦である。
(この人なら・・・・・・)
ブリュンヒルデは思った。自分すら知らない内側を見せてもいい、いや、見て欲しい、と。
残った時間は、決して多くはないのだから。
「・・・・・・」
肩を抱いて、手を握る。
折れてしまいそうな儚い感触に胸が痛んだ。
なにもかもが終わった。
そう思った時に感じたものは、とても言葉では言い表せない。
終わったのだ、という実感。
為し遂げたという達成感。
取り戻せない、という後悔。
失われていく、という哀惜。
何故こうなったのか。どうしてこんなことになってしまったのか。
自分の道程が正しかったのかを問おうとする気持ちに、必死に封をする。今は、前に広がる輝かしい平穏よりも、後ろで自分を見送るみんなとの別れがただただ痛かった。
「あなた・・・・・・!」
ああ、なんて嬉しそうに笑うのか。
その頬に涙を伝わせながら、それでも心底から嬉しそうに笑って、彼女らしく小さく手を振っている。
「ごめんね、ブリュンヒルデ」
口にしてしまいそうになる言葉をなんとか呑み込む。それを、彼女は決して望まないだろうと判っているから。
シグルドにも終ぞ会わせてやることが出来ず、彼女の胸の愛と殺意の炎を解決してやることも出来なかった。自分にとっては幸せだった睦み合いの日々で、彼女がどれほど我慢していたのかも知っているのに。
でもそれを、良人だと定めた人に謝られるのがどれほど彼女の胸を抉るのかも、よく判っている。だから呑み込んで、
「いって、きます・・・・・・俺の、ブリュンヒルデ・・・・・・」
涙声になっているのだけは、許して欲しい。
一瞬魂を奪われたようにきょとんとして、
「いってらっしゃい、あなた・・・・・・」
夫を見送る妻の顔で、光に包まれていった。
感慨は、思ったよりなかった。
駅前の雑踏も、そのうるささも、当たり前に来て当たり前に人を運ぶバスも、抜けるような青い空も。
当然だ。ちょっと献血したくらいでなにかが変わったりしない。自分の血が誰かの助けになればいい、なんて軽い思いつきと小さな使命感を超えたくらいで、なにかが変わったりはしないものだ。
(でも、まあ・・・・・・)
少しだけ良い気分だとは思う。
ただ、なにかが違っている感覚が抜けない。
ちょっと休憩しようかと、雰囲気の良さそうなカフェを探して歩いてみると、その感覚はだんだんと強くなっていく。
(あなた・・・・・・)
誰かの声が聞こえる。いや、聞こえているのではない。幻聴に違いない。ただの二人称に過ぎないそれが、聞いたことのない誰かの声で再生されている気がする。
そしてそれを想起するたびに、あるべきものがないような、居るはずのものが居ないような、奇妙な寂莫感に襲われるのである。
「ふ、む・・・・・・」
そのためか、普通に過ごしていてもなんとなく気もそぞろ。
今も、カフェを探していたはずなのにオフィス街に出てしまった。昼休みの会社員がスーツ姿で憩いの時を求めて歩いている。
(場違いな)
と、自分でも思う。びしりとスーツのキマっている大人たちの中では、殊更に自分が子供のように思えて居心地が悪い。さっさと引き返すか通り抜けようかと足を速めた時、彼女は居た。
「あ・・・・・・」
外国の人だろう。顔が小さくて肌が白く、髪が信じられないほど長い。
長い前髪で顔の半分が隠れていて、身長が高いのにヒールまで履いているから見上げるほど。長い睫毛を伏せるようにして、陰のある細め方をした目が無聊そうに床を見ている。コツコツと独特な靴音が近づいてくる。
首から、どこかの社員証を下げて、紺色のスーツとタイトスカートを着こなした大人の女性は、格好とは裏腹な小さな歩幅で、楚々とした歩き姿が似合っている。
「・・・・・・」
目を奪われた。いやもしかしたら、口から魂がはみ出ていたかもしれない。
街の光景、雑踏の喧騒にあって、彼女だけがステレオグラムの絵のように飛び出して見えた。
伏し目で地面を見ている彼女は自分には気がつかない。気がついたとしても、彼女の美しさに見惚れた愚かな男の一人としか思うまい。
幸運なのは、このまますれ違いそうだということだ。意図せずこんな美しい人が傍に来てくれるとは、今日はツイている。
ふわり、と背中に流れる髪が舞い上がった。花のような香りが鼻腔をくすぐり、その瞬間、
「・・・・・・あ・・・・・・」
頭の中にノイズが走る。
認識できないほど一瞬のうちに、砂嵐が明滅するように知らないなにかが駆け抜けていった。
景色か、情景か、感情か、感覚か、或いはそれら全てか、覚えのないそれらが頭の中を過ぎ去っていった。
「は・・・・・・!」
と、顔を上げる。一秒も経っていなかっただろう。
しかしあれほど自分を悩ませていた寂莫の思いは、信じられないほど薄れていた。
その代わり、胸に楔のように打ち付けられた痛みがある。悲しみがある。達成感がある。安堵感もあった。それらがどうして存在するのかは、よく判らない。
「あなた・・・・・・」
いま、誰かの声がした。耳ではなく心で聞いた、知らないのにひどく懐かしい、なによりも愛おしい、彼女の声。
「あな、た・・・・・・」
今度は、確かにこの耳で聞いた。後ろからのその声に振り向くと、
「・・・・・・あ、あ・・・・・・」
すれ違った、空色の髪の乙女が立ち竦んでいた。
(誰、だろう・・・・・・)
判らない。でも、知っている。
この、胸の奥から溢れてくるあたたかい思いを、痛むような疼きを、確かに知っている。
「ブリュンヒルデ・・・・・・」
彼女の名前を、自分は知っている。
一歩だけ近づいて、鏡に差し出すように手を差し出すと、ブリュンヒルデは混乱した様子だが、同じように手を差し出した。
手が重なる。指を絡める。汗ばんだ体温が溶け合って、混ざり合って、時が止まった。
「ああ・・・・・・!」
知らない、会ったこともない。
知っている。名前も顔もその胸の奥のものさえも。
「・・・・・・やっと」
溢れてくる言葉は誰のものだろう。自分も知らない自分のものなのかもしれない。
「また、会えたね・・・・・・ブリュンヒルデ」
綺麗だ。頬を伝っていく涙を見て、心の底からそう思った。
「あなた、あなた・・・・・・!」
お互いが何者なのかは、これから知っていけばいい。今はただ、この胸を満たす嬉しさと愛おしさのまま繋いだ手を離さないでいたい。
なにかの奇跡か、或いは大神の施した報いであったのか。
取り戻した時の中で、再会を果たした。
空が、抜けるように青かった。