木の棒を手にして、孫策は華雄と対峙していた。調練に用いる備品だから、一般的な槍くらいの長さがある。華雄は普段もっと大身の戦斧を得物にしているようだが、これはこれで相手の技量を計るのにちょうどよかった。
足に擦られた土が音を立てる。あれから冥琳を含めた三人で場所を移し、互いの腕を試すことになっていた。部屋に突入してきた当初こそ面食らっていたようだが、華雄は自分たちの行為を咎めたりはしていない。単にそれほど興味がないだけなのか、とにかくいまは闘いだけに意識を向けているようだった。
上段から棒が振り降ろされる。守りごと叩き潰す。そんな気概すら感じさせる一撃で、それが華雄の信念でもあるようだった。
「受けて立とう、華雄。力勝負は、俺の得意とするところだ」
躱すようなことはせず、孫策は真っ向から反撃にでた。
ただの木の棒が激しく打ち付けられ、ほとんど悲鳴に近い声をあげている。小細工はすべて忘れ、ひたすらに打ち付け、棒を突き出した。
戦では剣を使うことが多かったが、槍に関しても不得手なわけではない。叛乱軍は董卓や馬騰と同じ西涼の軍閥だから、騎馬を中心にして攻めかかってくるはずだった。それならば、長柄の武器で戦場に出たほうが対処しやすい場合もある。華雄との闘いは、実戦に向けての肩慣らしという意味合いも強かった。
「いいぞ、孫策殿。闘いとは、やはりこうあるべきなのだと私は思う。真の闘争とは、魂のぶつかり合いをいうのではないか。だからこそ、あの呂布に私は勝ちたい。そのためには、はあっ……!」
叫びと同時に重い一撃がやってくる。それを横の動きで弾き、低い位置からの突きを見舞う。
華雄にとって、呂布は乗り越えるべき障壁となっているのだろう。
ますます、闘いの場で顔を合わせるのが愉しみになる。木片を飛び散らせながら、孫策は笑っていた。
そばで闘いを見守っていた冥琳が口を開く。日が落ちるのを見越して照明の準備をしているあたり、さすがに気が利いている。
「見ず知らずの男が、ご主君と妙に仲睦まじくなっている。華雄殿は、そのことについてどうお思いか」
「むっ……? ちょっと、質問の意味がわからんな。董卓殿が誰と仲良くされようが、私にとっては関係のないことだろう。ご自身で選ばれた道なら、外野がなにをとやかく言う必要がある」
「いや。不躾な質問をしたこと、お許し願いたい。側近の賈駆殿が苛立っておられるようなので、ほかの方々の印象はどうなのかと考えてしまったのです」
「ああ、それでか。私は、賈駆ほど董卓殿と付き合いが長いわけではない。あの二人は幼い頃からの友人で、特別な信頼があるのだろうな。賈駆が腹を立てているのだとすれば、原因はおそらくそれだ」
冥琳に言葉を返している間も、華雄が手を止めることはない。心の底から闘いを愉しんでいるようで、この女は生粋の武人であり軍人なのだと孫策には思えた。
これだけ真っ直ぐな相手と出会うことはあまりない。余計な意思を挟まず、ただおのれがやるべきことだけを全うしようとするのだ。乾いているだけと捉えることもできるが、むしろ好感を持てる。
「華雄。このあと、なにか予定は?」
「なにも。強いて言えば、飯を食って寝るだけだな。ほかには、空いた時間に身体を鍛えることくらいか」
ほんとうに、無骨さが服を着て歩いているような女だと思った。
自分の質問の意図を僅かたりとも理解していない。というか、男に誘われた経験がないから、反応のしようがなかっただけなのか。
「俺は隴西にきたばかりで、右も左も覚束なくてな。どこかにいい店があれば、酒でも飲みにいきたいのだが。それを華雄に教えてもらえると、非常に助かる」
「むっ? まさか、この私を飯に誘ってくれているのか、孫策殿は。それ自体は、別に構わないが」
珍しく華雄の歯切れ悪くなる。心なしか、繰り出される一撃にも陰りがうかがえた。
こういう表情もできる女なのだな、と孫策は内心嬉しがっていた。
「知らないぞ、退屈をしても。私は、場を盛り上げるような話などしてはやれん」
「いいさ、それならそれで。悪いが、冥琳」
「好きにしろ、まったく。私は寂しく、御母上と祭殿に愚痴を聞いてもらうことにするよ」
冗談めかして冥琳が言った。
どこまで本気なのかは知らないが、今夜は酒豪二人が酒の肴に欠くことはなさそうである。迂闊に小蓮たちが義母たちのいる部屋に踏み込まないことを願い、孫策は笑いながら頷き返した。
山の端で粘っていた日輪の影が、すっかり見えなくなっている。一度日が沈むと、あとは早かった。
†
夜風が少し冷たかった。上着を持っていない華雄をあたためてやろうと、気づかれない程度に肩を寄せる。杯にそそがれた酒は熱く、いい塩梅となって腹に落ちていく。
酒を飲むにしても静かにやるのが好みのようで、華雄の選んだのは暗がりにぽつんと浮かぶ寂れた屋台だった。
店の親父が、なにかの肉を串に刺している。それを眼の前で炙るものだから、匂いにつられて酒が進んだ。
「悪くない趣味をしている。さすがは、華雄将軍だな」
「褒められることなどなにもしておらんぞ、私は。どうせなら、親父のことをよく言ってやるのだな」
「それもそうか。時間があったら、今度は俺の連れと一緒にくるとしよう。酒も肉も、普段よりも多めに用意しておいてくれ。どちらも、満足するという言葉を知らない女だ」
義母とその宿老の顔を思い浮かべながら、孫策が言った。
皿に置かれた焼き立ての串肉を手に取る。ひと口大に切ってあるから、労せず咀嚼することができるのだ。なにかタレが塗ってあるようだったが、故郷では馴染みのない味だと思った。
西域、あるいはそのさらに先からきた調味料の類が使われているのか。串一本とっても、知らない土地では不思議な感覚に浸ることができる。
「孫策殿であれなら、孫堅殿はさらにお強いのか? 呂布にしてもそうだが、もっと見聞を広めるべきだと思わされた。西涼は狭くはないが、この国にはまだ見ぬ強者がいる。私は、それを知りたい」
「化け物だぞ、母御は。いつかその喉笛に喰らいついてやろうと、長年剣の腕を磨いてきた。それでも、まだまだ」
「ははっ。よいではないか、目標は高ければ高いほど越え甲斐がある。孫策殿はまだお若い。いくらでも、強くなる機会に恵まれよう」
ちょっと顔を赤くした華雄が、上機嫌に言葉を紡ぐ。
露出した肌。かすかに色めいていて、無骨さ以外の魅力を垣間見ることができている。燗酒の入った酒器を持ち、孫策は華雄の空けた杯に中身をそそぐ。昇る湯気を見て、女が静かにほほ笑んだ。
「真名を聞いても? おまえとは、上手くやっていけそうな気がしている。どのみち、月とは長い付き合いになるだろうしな」
「んっ……。
「他人の真名を笑うものか。それこそ、戦斧ですり潰されても文句の言えない無礼を働くことになる。俺は一刀だ。おまえとこうして契を結べたこと、嬉しく思う」
自分の杯にも酒をなみなみとそそぎ、孫策は真名を交わしたばかりの女に向けて掲げた。意図を察してくれたのか、猫がちょっと遠慮がちに杯と杯とを合わせてくる。かつん、という乾いた響きだけを残し、また静寂が訪れた。
「なあ、一刀殿」
「なにかな、猫」
食った串を手の中で数えながら、孫策は返事をする。
いい気分だ。そこまで乗り気ではなさそうだった猫も酔いが回っていて、ほどよく思考が崩れてきている。無骨な猫が気にいる店なことだけはあって、親父は黙々と仕事をこなしている。こうした雰囲気で過ごすのも、悪くないと孫策は思った。
背中で、かすかな空気の揺れを感じ取っていた。
串を数えていた手がぴたりと止まる。十。相手は、ちょうどそのくらいか。
「親父。しばらく、身を隠していたほうがいい。なにかあったら、弁償はする。董卓軍の華雄だ。その名に誓い、約束は守る」
「遊びの続きだ。静かな夜に、血を見ることになるとは思わなかったが」
言ってすぐに、殺気がやってくるのを感じた。
身のこなしが軽い。敵は訓練された暗殺者なのか。凶刃を最小限の動きで避け、孫策はひとりの身体を引き寄せた。
手にしているのは、刀ではなくただの串。それでも、下郎を殺すだけなら十分すぎる威力がある。
「うっ、ぐっ、うっ、ううっ……!」
首筋にある急所めがけて打ち込み、孫策はわざとらしく凄んでみせた。勢いよく引き抜いた先端が、血で真っ赤に染まっている。
けもの同士の闘いは、強いと思わせたほうが勝つ。猫がついさっきまで腰掛けていた長椅子を振り回し、数人を引き付けてくれている。叛乱軍にもこういう手合がいてもおかしくないとは思っていたが、仕掛けを急いだのはそれだけ自分たちが脅威に映ったということなのか。
「死にたがりの相手なら、いくらでもしてやる。虎の尾を踏んで、ただで帰れると思うなよ」
ひとり、またひとり。持ち替えた串で急所を突き、孫策は敵を絶命させていく。
物言わぬ死体が九つに増えたところで、所詮はこんなものかと思った。影から鋭い一太刀が放たれたのは、その時だった。
「恨みはないが、お命頂戴仕る。これも西涼の未来のため、ご覚悟めされよ」
聞こえてきたのは、女の声だった。
長い髪が、闇に紛れて舞っている。血をぶちまけたような濃厚な赤。こいつだけはものが違う、と孫策の直感が告げていた。
身体ごとぶっつけるような刺突。爆発的な速さがある。明命を相手にしている時とそう変わらない緊張があり、殺意にあふれているだけ気を引き締める必要があった。
「知るかよ、そんなもの。いずれは、この国ごと西涼も喰らい尽くす。俺の野心と、おまえたちのいう大義。どちらが上回るか、勝負といこうではないか」
「ふっ……。大いなる夢だ。一刀殿のそうしたところに、あの方も惹かれたのか」
長椅子を盾のように扱い、猫が自分たちの間に割って入った。
呂布に見えるまでもなく、おもしろい相手と出会うことができている。これだけでも、不用意に出歩いた成果があるというものだ。
猫の肩を引き、一歩下がらせる。こちらの隠し刀が、そろそろ到着する頃合いだと踏んでいた。
瞬間的に、闇を閃光が切り裂く。長い黒髪をはためかせ、小さな体躯が勢いよく地面に着地している。
「暗殺に長けた者がいるとの情報を得ていましたが、あなたがその胡車児なのですね。孫策様に代わり、私がお相手いたします」
「くっ……。孫家の飼い犬め、邪魔立てをしてくれるな」
「まことに残念ですが、そのお願いだけは聞いて差し上げられません。孫策様こそ、未来を担われるお方。それはきっと、孫家だけのお話にとどまらないのです」
不意をついた形勢を維持し、明命が相手を押しまくる。
闇夜の戦場。その動きには猫も見惚れるしかなかったようで、長椅子を手にしたまま闘いをじっと見守っている。
ここで決着がつくようなら、それまでの相手だと思った。さすがに、劣勢を悟らずにはいられなかったようだった。胡車児と呼ばれた赤髪の女が、懐からなにかを取り出す。咄嗟に防御の体勢に入った明命の攻めが緩むと、胡車児は玉のようなものを地面に投げつけた。
白い煙があたりにばらまかれる。敵の気配がなくなるまで、ほんとうに一瞬のことだった。
「けほっ、んぅ、けほっ……。あうぅ、とっても煙いのです、孫策様ぁ」
「殺気は消えたな。よく間に合ってくれた、周泰」
かわいらしい声で文句をぶつけながら、明命は煙を払うように手のひらを振っている。
無限に拡がる深い闇。女の消えた一点を見つめて、孫策は闘志を燃やしていた。