※この作品はR-18です。

虎となりて   作:KKS

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迫りくる死

 短めの槍を片手に、孫策は戦場を疾駆していた。

 両軍の、主力同士がぶつかっているという報告がすでに入っている。手を突き合わせて押しあい、力の均衡をとっていてはいつまで経っても戦が終わることはない。義母はそのことを意識して、動いているはずだった。

 まずは、辺章を叩き斬る。そうしてもう片方を追い込める状況にしておくことが肝要だった。馬騰と韓遂は旧知の仲であり、性格は互いに知り尽くしていると聞いている。辺章に誘われて勢いで立ち上がったようなものだから、鼻っ柱さえ折ってしまえば投降させることは難しくない。

 敵軍すべてを斬り伏せるのは、現実的なやり方ではなかった。それに、叛乱終熄後の処理のことを考えても、馬騰と並ぶ古強者である韓遂を生かしておくことは、理にかなっている。

 

「見えてきましたぜ、大将。噂の呂布の騎馬隊ってのは、あれですかい」

「戦闘態勢に移る。この戦、俺たちこそが主役なのだ。呂布を打ち倒せば、皆の名はこの西涼に響き渡る。城に帰ったら、女のほうから幾らでも声をかけてくるぞ」

 

 麾下の騎兵から歓声があがる。

 単純な男たちだ。だが、そのくらいの気持ちでいなければ、戦場では迷いが生じる。殺すこと、闘うことに迷えば、おのれが死の影に覆われるのだ。

 敵影。徐々に大きくなっていく。

 掲げているのは、深紅に染まった『呂』の一字の旗。紛れもなく、呂布の軍勢であることを指し示す軍旗だった。

 

「後方の周泰に伝令を走らせろ。判断はそちらに任せる。好機だと思えば、いつでも乱入してきていいとな」

 

 頷いた一騎が踵を返して駆け出していく。

 明命の歩兵には、騎馬の動きを制限するための柵を持ってこさせている。呂布を引き離し、仲間が助けられないような状況を作り出すことが目的なのである。そうなったら、あとは自分と呂布との勝負になる。

 

「へへっ。存分に死んできたらええからな、孫策。骨くらい、あとからウチが拾いにきたる」

「うんうん。短い間だったけど、あなたと育んだ愛情はいつまでも忘れないんだから。周瑜が未亡人になっても、私が絶対幸せにしてあげる。うふふっ。だから孫策、安心しなってば」

「おまえたちにそう言ってもらえると心強い。突撃開始。まずはひと当てして、敵の力量を見てやろう」

 

 霞と梨晏の二人が、凄みすら感じさせる笑みを浮かべる。

 どちらも生粋の武人であり、危険な闘いにむしろ血が湧き立っているようだった。美しい姿をしている、などと場に似つかわしくない思考がちょっと過ってしまう。滾った欲望は、あとからいくらでも発散すればいい。

 先頭を駆ける敵の姿がくっきりと見える。

 隊列に乱れがない。呂布軍は流れ者の軍団だと馬超は話していたのだが、それでこの纏まり具合なのだから、相当な調練を積んできていることが瞬時に理解できる。

 襲い来る一騎の槍を打ち払い、孫策は目標だけを視界に捉えて馬を走らせた。

 血をぶちまけたような赤い髪。首に巻いた赤い布にしても、聞いていた情報の通りの姿だった。呂布がいる。実際打ち合えば、どれだけの衝撃がやってくるのか。正直、愉しみで心がふるえた。

 

「死にたいやつから、われの前に立つがいい。漢による支配など、この涼州にはもう不要なのだ」

「孫策伯符だ。狩らせてもらうぞ、呂布」

 

 呂布が叫ぶ。

 いい気迫をしていると思った。しかし、全身を呑まれるだけの、圧倒的な威圧感はどこにいったのか。あれだけの使い手である猫や馬超が、闘志を燃やすだけの相手なのだ。なにか違和感があるまま、孫策は槍を突き出した。

 一撃が交錯したのは瞬間的なことだった。流れのままに、麾下の騎馬隊が駆け抜けていく。駆け抜けた後にすぐさま反転し、その応酬を何度か仕掛ける。馬超との調練のおかげで、全体の統制は揚州にいた頃よりもとれるようになっていた。

 

「どうかしたの、孫策? お目当ての呂布とようやく闘えたっていうのに、なんだか不服そうじゃない」

「ン……。俺が期待しすぎていただけなのか、それとも。とにかく、もう一度だ。太史慈、張遼。つぎは、三人で仕掛けるぞ」

「おっ、やっとウチらの出番がきたみたいやな。ほんならいっちょ、ぶちかましたろうやないか」

 

 感触としては悪くない。だが、手の中にある痺れがすっと消えていることに、孫策は再び小さく首をひねる。

 軍馬のあげた砂塵の中を突き抜ける。先程と同じく呂布は先頭を駆けていて、麾下を盛んに鼓舞していた。

 どこかに、焦りがあるのか。

 無駄な言葉など必要ない。呂布が話に聞いていたような武人なら、その闘う姿を見せるだけで、兵らの士気を高めることができるはずだ。率いる人間の闘気が伝わり、それが部隊全体を覆うことで、軍勢はより精強なものへと姿を変えていく。それができるのが、真の軍人であるのだと孫策は義母を見ていて常に思う。

 自分がその域に達せているのかどうかは、まだわからない。というより、あくまでそれは他者から見たうえでの感想であり、戦場においては余計な思考を捨てることが鉄則だった。

 

「太史慈。まずは、ウチとあんたで」

「よぉし……! やっちゃおうか、張遼」

 

 霞と梨晏の二人が左右に拡がる。呂布は武器を横に倒し、迎え撃つ体勢を整えていた。

 偃月刀と戟が呂布を襲う。見ていて、どうにかあしらっているようだと孫策は感じていた。

 やはり、なにかがおかしいと直感がざわめいている。眼前にいる呂布の闘気。どうしてか、それを自分は知っているような気がしているのだ。

 

「おまえは、ほんとうに呂布なのか」

「ぐっ、ううっ……。戯言をほざいている暇があったら、武器をふるえ。この呂布奉先のおそろしさ、骨の髄にまで記憶させてやる」

 

 息を上げて二人の相手をしている呂布に向けて、馬を走らせた。

 槍の穂先が、呂布の頬を掠めて抜けていく。流れる血液。それ以上に、孫策の眼を惹くものがあった。

 纏めていた紐を断ち切られて、赤く染まった長髪が大きく広がった。風を受けて、繊細な線がはらはらと舞っている。その光景を見て、先日の襲撃者を孫策は思い出した。

 

「そうか。その美しく長い髪、おまえはあの時の」

「貴様の言っている意味が、わからないな。わが名は呂布、字は奉先。貴様たち官軍に、死を贈る鬼神なり」

 

 思考にかかっていた靄が、一気に晴れていく。

 自分が闘っているのは、確か明命が胡車児と言っていた女だった。だとすると、本物の呂布はどこにいるのか。考えるまでもない。影を使ってやることなど、ひとつしかありはしなかった。

 

「はははっ。原野を彷徨う凶暴な野良犬だと思っていたのだが、これは認識を改める必要がありそうだ。それも胡車児、おまえの奮闘があってのことなのだろうが」

「なにを笑っている、孫策。ここは、貴様の死に場所なのだぞ」

「馬鹿を言え。おまえの相手、いつまでもしていられるものかよ」

 

 槍の石突を使って、胡車児の方天画戟を弾く。

 今頃、本物の呂布率いる騎馬隊が、董卓のいる本陣を襲っているのではないか。すぐさまこの地を離れ、迎撃に向かう必要があると孫策の直感が告げていた。

 

「胡車児の抑えは周泰に任せる。いますぐ歩兵を突っ込ませるように、伝令を飛ばせ」

 

 胡車児の顔に焦りが浮かんでいる。

 呂布たちの思い通りにさせるわけにはいかない。声を張り上げ、孫策は麾下に小さく纏まるように命じていた。

 

 

 『董』の一字の旗が、苦しそうに揺れている。

 軍勢の中で、どうにか呂布に対抗し得る武人である猫は、辺章軍との闘いがあるから手を離せないでいる。それでも人数だけでいえば、董卓軍のほうが、呂布の騎馬隊よりもずっと多いのである。楽に十倍ほどはある兵数の差を覆すだけの力を、呂布は備えているのか。ほんとうに面白い存在だ、と孫策は思った。

 簡単に死んでくれるなよ、月。周囲に聞こえないくらい小さなで呟き、孫策は乱戦の中心に騎馬隊を突進させた。

 接近するほどに、ひりつくような闘気が肌を刺した。

 五人ほどの兵士が、ひと振りで吹き飛ばされている。呂布の眼に写っているのは、月の姿だけなのだろう。さながら獲物となっている月なのだが、周囲をかためる旗本、それに軍師の賈駆とともに、動じず呂布の襲来を待ち受けていた。

 

「うっわ、こいつがほんまもんの呂布かあ。ええやんええやん……。なんや、身体が芯からぞくぞくしてくる気がするやんか」

「うへえ……。張遼ってば、自分の仕事忘れちゃってるんじゃないかなあ……? 孫策。私たちで、まずは董卓さんを」

 

 半分惚気けている霞を捨て置き、呂布に向けて梨晏が馬を駆けさせた。

 すれ違いざまに霞の肩を叩き、孫策は梨晏に続く。呂布の火の出るような突撃を止められる者はどこにもおらず、月を守る壁は着実に剥がされつつあった。

 

「あっ、ふふっ。お待ちしておりましたよ、孫策さん」

「少々手間取っていたせいで、来るのが遅れた。あれが、呂布なのだな」

「闘われるのでしたら、どうかお気をつけて。お邪魔にならないよう、私はここから見守ることにします」

「ははっ。どちらかというと、御大将である董卓殿には、もっと離れていてもらいたいのだが。まあ、無理な相談なのだろうな、それは」

「はい、孫策さん。一軍を率いる将が、この程度のことに怖気づいていては、戦になんてなりませんから。それに華雄さんだけでなく、馬騰さんや孫堅さんも、もっとも危険な場所で剣を振るわれている。そんな状況で、私だけ安全な場所に逃げるだなんてこと、できるはずがありません」

 

 月が力強く言い放つ。

 呂布という脅威が間近に迫っているのに、おそれる様子は少しもない。肝が据わっているというか、どこか生に対する執着が薄いようにも思えてくる。だからこそ、月という女は儚く気高い美しさを備えているのか。

 下から袖を引かれて、孫策は視線をそちらに向けた。

 賈駆がいる。顔が紅潮しているのは、乱戦による緊張のせいなのか。一応剣を手にしているものの、闘えるような雰囲気ではなかった。呂布とぶつかれば、まず間違いなく瞬時に首が飛ぶ。

 

「あの……。助かったわ、孫策殿。ボクには、この子を守ってあげられるだけの腕はないってことが、今回でよくわかった。お、大きな声では言えないけど、正直怖かったんだもの」

「賈駆。礼なら、あの野良犬を退けてからでいい。だが、自分の中の恐怖と向き合うのは、悪いことではないと思うな。どんな武人だって、最初はそこからはじまる。ははっ。俺の母御などは、生まれた時からそうではなかったのかもしれないが」

「う、うん。けど、ありがと。孫策殿の言葉で、ちょっと勇気でた……かも」

 

 俯いている賈駆のことを、月が優しげに見つめている。

 こうやって素直な部分に触れていると、むずむずとするような感情がやはり湧いてくる。それを振り切るように、孫策は槍を一度扱く。

 熱波が押し寄せてくる。呂布の勢い。とどまる気配が少しもなかった。馬の腹を蹴り、孫策が騎馬隊と駆け出す。胡車児の連れていた人数よりもさらに少ないようだったが、呂布による統率があるだけ、敵の騎馬隊が放つ雰囲気は鋭かった。

 呂布の構える方天画戟目掛けて、槍を突き出す。手の中に残る痺れには、ずっしりと重い響きがある。これが真の呂布か、と孫策は微笑していた。

 

「ようやく会えたな、呂布よ。噂の武勇、見せてもらおう」

「んっ……? おまえ、だれ。見たことのない顔。もしかして、どこかから援軍にきたって人?」

 

 一瞬でも気を抜けばやられる。そうした感覚が、打ち合うほどに強くなった。

 呂布だけでなく、麾下もかなり鍛えられている。梨晏と霞による支えがなければ、かなり苦しい闘いになっていたことは明白だった。

 茫洋とした表情。そこから、重みのある一撃が軽々と繰り出される。汗が背中を伝っていく。呂布は、涼しい顔をしたまま淡々と攻撃を続けていた。

 

「江東の孫策だ。やはり、天下は広いのだな。おまえのような武人が西涼の片隅にいるだけでなく、こうして叛乱軍に手を貸している」

「役人は好きじゃない。みんなをいじめて、お金もご飯ももっていく。そうやって苦しくなった人たちが、恋と一緒に闘ってくれてる」

「ン……、そうだな。そんな時代は、もう終わりにするべきだ。旧体制にしがみつくだけでは、いつかこの国は腐り果ててしまう。あるいは、もう手遅れになっているのかも。だからこそ、そんな息苦しさを打ち破れるだけの力が、俺は欲しい」

「んっ……。おまえの言ってる意味が、恋はよくわからない。孫策は漢の仲間。だから、こうして董卓たちの援軍に駆けつけた」

 

 呂布の眉根が不機嫌そうに寄っている。

 重たい攻撃を受け続けているせいで、槍の柄が段々とひしゃげてきているのがわかっていた。なまくらでは、さすがに相手にはならないか。用済みになった槍を投げ捨て、孫策は刀を抜いた。

 

「孫策には、孫策の考えがあるってことだよ。これだけたくさんの人が、この国には暮らしているんだもん。ちょっとおかしな理想を抱く誰かがいたって、ちっともおかしくはないよね」

「……それは、そうかも? 誰だか知らないけど、教えてくれてありがとう」

「へへっ。どういたしまし……てぇ! というか、ありがとうって気持ちがあるんだったら、少しは手加減してもらいたいよ。ほんと、手がつけられないってこのことを言うんだね」

「おっしゃぁ! ほんならつぎは、ウチが加勢する番やな。ウチはバリバリの官軍やけど、個人としてあんたに勝負を挑みたい。いししっ……。はっきり言って、孫策にも引っ込んでてもらいたいくらいやもん」

「変なやつが、また増えた。おまえたち、ほんとに邪魔」

 

 横から割って入った梨晏と霞の攻撃を、悠々と受けてから呂布は反撃にでる。

 明命の部隊による援護は期待できなくなってしまっているし、正直どうしたものかと孫策は息を吐いた。だが、諦めるつもりなど最初からなかった。そんな考えになるくらいだったら、呂布を捕縛するなどという馬鹿げた作戦、そもそも実行してはいない。

 

「この国を喰らいつくす第一歩がおまえだ、呂布。野心なんてものは、大きければ大きいほどいい。片田舎で半端に燻っているだけの人生など、俺はごめんだ」

「国を、食べる……? ふふっ。孫策は、かなり変なやつ。そんなの食べても、絶対おいしくない」

「やってみなければ、何事もわからないではないか。それともおまえは、眼の前にうまそうな食材が転がっているのに、黙って指を咥えて見ているつもりか」

「むんっ……! それは、やだ。ご飯はおいしく食べてあげるもの。でないと、作ってくれた人に申し訳がたたない」

 

 あまり噛み合っていない感じのする会話が続く。

 三人で攻勢をかけているから、さすがの呂布も防御に専念するしかなくなっている。董卓の麾下も徐々に体勢を持ち直しつつあるから、それを利用すれば呂布軍を包囲することも可能なのではないかと孫策は算段を立てていた。

 変なやつという感想は、きっと互いに抱いていることなのだろう。茫洋としてはいるが、まったく感情が揺れないわけではない。そういうところに、呂布という女の面白さがあるのではないか。

 乗馬のいななき。ふとした瞬間に、身体が宙に浮き上がる。なにが起きたのか、すぐには理解できなかった。

 空が見える。ほかにわかっているのは、背中に痛みがあることくらいだった。

 自分は、馬から投げ出されたのか。頭を振ると、すぐそばに崩れ落ちた乗馬の姿があった。

 

「孫策っ! 待ってて、いまっ……!」

「ちょ、くうぅう……! おまえら、どけっちゅうねん! ああもう、次から次へと……!」

 

 梨晏と霞の叫びが聴こえる。

 二人は、殺到する騎馬隊に手こずっているようだった。呂布の姿はどこにある。右手で刀の在り処を探りながら、孫策はそれだけに意識を向けていた。

 

「逃げてくれないなら、殺すしかない。孫策。これで、終わりにする」

 

 瞬間、黒い影に視界を覆われた。

 間近に迫る呂布の顔。両手の指が首にかかり、息が詰まる。このままでは、確実にへし折られると思った。

 目鼻立ちが整っていて、紛れもなく呂布は美人だった。しかも胸が大きくて、肉づきもいい。異民族の風習なのかどうか知らないが、植物を模倣した刺青も、不思議な魅力を生み出している。

 どうしようもない状況で、どうしようもないことを考えてしまっている。自分のことながら、正直呆れるしかなかった。

 

「ははっ、は……!」

 

 不埒な思考のおかげで、気力がまだ少しも死んでいないことを確かめられたのだ。

 だからこそ、と孫策は歯を食いしばった。

最近意図して♡減らしているんですけど、読んでる方的にはどうなんですかね?

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