「うあっ……!?」
ごちん、という鈍器をぶつけたような音が鳴る。同時に、緊迫した戦場にいるとは思えない、頓狂な声が孫策の耳に届いていた。
吐息すら感じる距離にいる呂布が、瞬きを何度もしながら額を両手で抑えている。
最後にできる足掻きとして、渾身の頭突きをかましてやったのだ。正直言って、視界に火花が飛ぶ程度には頭がくらくらしている。なんにせよ、呂布の燃え上がる闘気を削ぐことに成功した時点で、孫策は自分の勝ちを確信していた。
気力を振り絞り、呂布の身体を地面に押し倒す。精神が昂揚しているから、背中の痛みはどこかにいっていた。きっと、思い出した頃にしみじみと痛みだすのだろうが、それはいい笑い話になるはずだった。
予想外の展開が起き続けているせいか、自分の身体の下で眼を丸くした呂布が、あっと声を出した。
「俺とこい、呂布。腹がはち切れる寸前まで、この乱世を喰らいつくしてやろうではないか。退屈なんてしている暇はないぞ。それに、全力で走り回っただけ、飯はうまくなる」
「んっ……。お腹、いっぱいになってもまだ食べていい? 恋、見た目と違ってよく食べるって、いままで何回も言われてる」
「おまえだけでなく、家族にもたらふく食わせてやる。涼州の外にも、うまいものはいくらでもあるのだぞ。それを知らないまま死することに、おまえは我慢できるのか、呂布?」
「おまえ……、やっぱりとびきり変なやつ。でも、ふふっ」
不思議そうに話を聞いていた呂布の口から、ついに笑い声が洩れた。
呂布が凶暴な野良犬なら、力で上回り制圧するしかない、と闘う前は思っていた。周囲にあった喧騒が、徐々に止んでいく。呂布の麾下は、主の反応の変化を機敏に感じ取っているのではないか。ぶつかりあったのは一度きりだが、繋がりの強さはよくわかった。
奇妙な静寂が訪れた空間。それを斬り裂くように、歩兵の部隊が割り入ってくる。旗は、味方のものだった。
長い黒髪を振り乱し、女が乗ってきた馬から飛び降りる。相当急いでやってきたのか、冥琳の額には大粒の汗が浮かんでいた。
平気なことをあらわすように、冥琳に向かって片手を差し上げる。拘束をゆっくりと解くと、呂布はもぞもぞと器用に動き、身体の下から抜け出した。
「孫策! 孫策……っ!」
「いいところにきたな、周瑜。ちょうどいま、呂布を口説き落としたばかりなのだよ」
「なっ……? はっ、あはははっ。捕らえたのではなく、よき女だと知って口説いてみせたというのか、おまえは。それで、そちらが」
「恋の名前は呂布。字は、奉先という。口説かれるっていうのはよくわからないけど、たくさん食べさせてくれるって約束したから、孫策についていくことにした。それで……、いい?」
「くっ、ふふっ。いいもなにも、あなたも相当な変わり者のようだな、呂布殿。おっと……。無論、それはいい意味でなのだが」
せっかく張り詰めさせていた気が、無駄になった。苦笑しながら首を振る冥琳を見ていると、そうやって文句を言っているようにも思えてくる。
地べたに座る呂布の眼が、息も絶え絶えになっている一頭に向けられている。
ここまで、よく自分の無茶についてきてくれた軍馬だった。その頑張りがあったから、呂布にもどうにか対抗することができたのだ。だから、最期は苦しませることなく、終わらせてやる。
刀を握りしめていた腕を、呂布に掴まれた。まさか瞬時に気が変わったのかと、騎馬隊の牽制をしている梨晏と霞が闘気をふくらませる。
呂布の眼には、優しさと悲しみの色が同居していた。これが、涼州を騒がせた猛将の真の姿なのか。小さく頷くと、孫策は刀を呂布に預けた。
「とどめは、恋に任せてほしい。この子には、すごく悪いことをしたから。んっ……。ごめんね、痛いことをして」
悲鳴のようないななきが、乾いた風の中に呑まれていく。呂布の麾下は、それぞれ神妙な表情を浮かべて、主の行動を見守っている。
「はあっ、ふうっ……! りょ、呂布殿ー! 呂布殿は、いずこにおられますか」
「あっ……、ちんきゅ」
小さな塊が駆け寄ってくる。見るからに子供だったが、戦場に出ている以上、そんなことは関係なかった。雰囲気からして呂布の麾下なのだろうが、騎兵として闘えるようには思えなかった。
刀身についた血を、呂布が服の袖で拭う。返却された愛刀を鞘にしまいながら立ち上がり、孫策は呂布に右手を差し出した。
あたたかい手のひらだった。
「ありがとう、孫策。それから、ごめんなさい」
「気にするな、呂布。あれは、俺の代わりになって命を燃やしてくれたのだ。その姿を誇りに思いこそすれ、おまえを恨む理由はない」
呂布のかたかった表情が、それでちょっとやわらかくなる。茫洋としているようでいて、じっと観察していると意外とわかりやすい性格をしているのが、呂布という女なのか。
「こ、このような状況は予想外ではありますが、呂布殿の危機は、この陳宮公台がお救いするのです! とぉええぇえい! ちんきゅー、きいいぃいいっく……ぅ!」
「あっ……。孫策にきっくは、だめ」
よくわからない宣言とともに、小さな塊が飛び上がった。そこから自分の顔目掛けて、右足から一直線に突っ込んでくる。
威勢だけは買ってやれるが、それだけだった。梨晏や霞、それに一番近くにいた冥琳も、やり取りをほほ笑ましく見守っている。
先程まで、激しく干戈を交えていた同士だとは思えない。呂布の麾下ですら遠慮がちに笑っているのだから、ほんとうに妙な気分だった。
謎のちんきゅーきっくに素早く対応し、呂布が小さな塊を制圧した。名を、陳宮というらしい。元気な少女で、呂布の腕の中でも必死に両足をばたつかせている。
「ど、どうしてお止めになるのですか、呂布殿。こいつは、ねねたちの敵で、ううっ……」
「敵じゃない。孫策は変なやつだけど、恋のことを敵を殺すだけの武器として見たりしない。だから、ちんきゅーもちゃんと挨拶して?」
「ほ、ほんとうに? そんなにあっさり信じてしまっても平気なのですか、呂布殿?」
「ちんきゅーは、意外と心配性。けど、恋の直感が、孫策なら大丈夫って言ってる。ちんきゅーは、恋を信じられない?」
「し、信じます……。恋殿を人質に取られたら、ねねはぐうの音も出せませんから。はあ……。まだ、あまり気は進みませんが」
呂布の腕に抱かれたままの陳宮が、疑念の宿った双眸を向けてくる。
主君に諭された手前、一応恭順の姿勢を取ることにはするが、完全に心を許すわけではない。丸く大きな琥珀色の瞳が、そう訴えかけてくるようだった。
「陳宮です。仕方がないから、よろしくしてやりましょう。ですが! この陳宮公台のご主君は、呂布殿ひとりであるということだけは忘れないでいただきたい。その条件を呑んでもらえないときには……」
「ン……。そのときには、おまえはどうなるのだ、陳宮?」
「え? あの、ええっと……。ぐっ、うっ、ぐぬぬ……。いちいち細かいことを気にする男は、馬に蹴られて地獄に落ちろ、なのですぞ! はっ……! あ、あのう、呂布殿、いまのはほんの弾みで出た言葉でして……」
よく口の回る子供だ、というのが陳宮に対する初対面での感想だった。
事態に収拾がついたことに気がついたのか、月たちが様子を見ながら近づいてくる。剣を手にした賈駆が露払いをするように先頭を進んでいるのが、ちょっとほほ笑ましい。
「へへっ。ともかく、一件落着だね。私としては、孫策が無事だったことが、なによりかな」
「せやなあ。あんたが落馬したときは、さすがに心臓止まりそうになったで。あんなきっつい場面、周瑜には絶対見せられへんなあ、色男さん?」
「ははっ。そんなにやわな女ではないさ、あいつも。太史慈、張遼。俺たちは、呂布の投降を、叛乱軍に喧伝して回るとしようか。心の支えを失った兵ほど、脆いものはない。それで、すべてに決着がつく」
具足についた土埃を払い、孫策は方針を口にした。
陳宮を抱きしめたまま、呂布はぼんやりと原野の先を見つめている。
最近意図して♡減らしているんですけど、読んでる方的にはどうなんですかね?
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このままで
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もうちょっと欲しい