義母に従っていた孫家の主力が、次々に帰陣してくる。
孫策は出迎えに立ち、通り過ぎる兵たちにも声をかけている。義母のふるう、激しい采配にも脱落しなかった精鋭ばかりなのだ。孫家の嫡男として、労うのは当然だという思いがある。孫策のそばには、麾下になったばかりの呂布の姿もあった。その背中に隠れて、陳宮がこちらの様子をうかがっている。
空いた小腹を満たすためか、呂布は干し肉をかじっていた。小動物のような愛くるしさがあり、思わず頭を撫でたくなってしまう。出迎えの最中だから、となんとか気持ちを堪えた。
やはりというか、呂布の投降が叛乱軍に与えた衝撃は、甚大だった。
動揺の拡がる辺章の陣。馬騰軍が正面から烈火の如く攻めたて、守りの薄くなった横腹を義母の部隊が突き破った。付き従った兵の話によると、義母の奮闘ぶりは凄まじく、自分たちは遅れず駆けることで精一杯だったのだという。
いかにも義母らしい戦のやり方で、この場に雷火がいたものなら、いつものように腹を立てていたに違いない、と孫策は密かに思う。
「あ……、胡車児。よかった、ちゃんと生きててくれた」
「お、おお……! ほんとうに、安心しましたぞ。ねねの拙い作戦のせいで、胡車児殿を失っていたらと思うと、申し開きの言葉もありません」
過ぎていく人の影。茫洋と見送っていた呂布の顔が、ぱっと明るくなる。ついで、実際に作戦を立案した陳宮も、喜びを爆発させていた。
明命に連れられて、呂布の影を務めていた胡車児がやってくる。深紅に染まる長髪の先が、泥で汚れていた。浅手は負っているものの、それ以上の問題はないようではある。
拘束はされていないから、呂布同様に胡車児も投降を決めてくれたのだろう。闇に紛れる術をもつ女。それだけでも、特別な価値がある。その胡車児が孫家に助力してくれるのなら、明命も心強いのではないか。
「胡車児殿。二度闘っているからご存知だとは思いますが、こちらが孫家のご嫡男の孫策さまです」
「うむ……。拙者たちの完敗です、孫策殿。あなたを足止めしきれなかったことが、こちらの敗因なのでしょうな。口惜しきことなれど、勝負は勝負。敗軍の将として、大人しく縛につくつもりでいましたが、周泰殿がその必要はないと言ってくださいました」
「はいなのです。投降を決意してくださった胡車児殿やみなさんに、罪人のような姿をさせるわけにはいきませんので。そんなことをしては、私が孫策さまにお叱りを受けます」
明命の元気な声を聞いていると、戦が終結したのだと心の底から思えてくる。
そのうち、辺章の首をぶらさげた義母が凱旋してくるのではないか。残党の追い討ちには董卓軍が出張っていて、部隊の指揮は猫がとっている。あの気迫に背中を押されたら、多少の疲労は吹き飛ぶに違いない。
「おまえの力を貸してくれるな、胡車児。呂布にも言ったが、孫家はいずれ乱世ごと、この国を喰らいつくすつもりでいる。漢もなにも関係ない。立ちはだかるなら、すべて敵だ」
「御意に。呂布殿がお選びになった道なれば、きっと間違いはないのだと思います。いまよりはあなたさまをわが殿と仰ぎ、孫家のために尽力する所存。ご期待申し上げておりますよ、殿」
地面に片膝をつき、胡車児が恭順の意を示した。
同じ呂布の麾下といえども、跳ねっ返りの陳宮とは姿勢に大きな違いがある。どちらがいいと言うわけではないが、ふくれっ面の陳宮の顔を見ていると、胡車児のことがずっとかわいく思えてくる。
「三人集まったちょうどいい機会だ。呂布、胡車児。それに陳宮にも、俺の真名を預けよう。これよりは、気軽に一刀と呼んでくれていい」
「んっ……。恋の真名は、恋という。よろしく、一刀」
「はっ。こちらこそ、よろしくお願い奉ります、一刀さま。拙者の真名は紅波。わが刃、いかようにもお使いくださいませ、殿」
それぞれの真名を預け合う。素直に応じてくれたのは、恋と紅波の二人だけだった。
陳宮がちょっと不服そうに、自分たちのやり取りを観察している。嫌ならば、別に嫌で構わない。真名の扱いはすべて本人次第であり、他人が口を出していいものではなかった。
態度を曲げようとしない陳宮を、恋がかなしそうな眼で見つめている。他人事であるはずなのに、ちょっと胸が痛くなる。恋というのは、ほんとうに不思議な女だった。
「ううぅ……。後生ですから、ねねをそんな顔で見ないでください……。ああもう……! わかった、わかりました……! ねねの真名は音々音。音、音、音と書いて、音々音なのです!」
「はははっ。ついでに俺も、ねねと呼んでしまっていいのだろうか。音々音だと、なんだか舌を噛みそうになる」
「ぐぬぬぬっ。もう、そちらの好きにしてください。ただし、ただしです……! 夜道の帰りには、よくよく気をつけることですな、この非道なるちんこ人間め……!」
「……こら。一刀に、物騒なこと言っちゃだめ。あの石頭でごちんてされるの、すごく痛かった。ねねだったら、きっと気絶してる」
「そ、そんなに……? こうなったら、なるべく接点を持たないように過ごすしかなさそうです。恋殿、なにとぞご協力を……」
なんだかんだで、仲のいい主従だと思った。恋が嗜めると、跳ねっ返りのねねも素直に言うことを聞く。
立場としては逆な気もするが、ねねの態度を軟化させるのなら、まずは恋からどうにかするしかないと思った。こうしたやり取りはいつものことなのか、紅波が二人のことを穏やかな笑みを浮かべて見守っている。
ねねの自分に対する言葉遣いが危なっかしく感じたのか、明命のほうがそわそわしていて落ち着きがない。
「ン……。ようやく、母御のお帰りのようだ。戦果のほどを、直接聞かせてもらおうではないか」
巨躯を馬上でゆるりと揺らしながら、義母が戦から帰ってくる。本人はなにもなかったような顔をしているが、近くにいる旗本が首級をぶらさげていた。
あとは、馬騰の呼びかけが韓遂に届くかどうかだった。
†
緑の少ない原野を、馬に乗って駆ける。
叛乱軍との戦から、十日が経過していた。あれから、辺章の討ち死にで戦意を失った韓遂は、盟友だった馬騰の勧めに従い、軍を解散させることを決めていた。
涼州はこれで名実ともに、董卓と馬騰の二人が旗手となって引っ張ることになる。朝廷の派遣した州牧がいることにはいるが、叛乱軍との闘いを二人に丸投げしてしまった時点で、かすかに残っていた影響力も霧散した。
気持ちのいい青空だった。快調に飛ばす馬超、馬鉄姉妹の尻を追い、孫策は乗馬に鞭をくれた。
月たちが戦後処理をしている間に、亡くした馬の代わりを見つけるつもりだった。情勢がもう少し落ち着けば、孫家は揚州にもどることになる。
「待ってくれ、翠、蒼。おまえたちに置いていかれると、俺は原野にひとり惑うことになる」
「あははっ。だったらしっかり着いてきなっての、一刀殿。ほらほら、そんな脚じゃ目的地にたどり着く前に日が暮れちまうぜ?」
「だね、お姉ちゃん。うちの管理してる牧場まではまだ結構距離があるし、私が手取り足取り乗馬を教えてあげよっか、一刀さん?」
「ははっ。人のことを散々に煽って、いつか痛い目に遭っても知らないからな」
「いやーん。蒼、一刀さんにお嫁に行けない身体にされちゃったらどうしよう。あんなことやこんなこと。あっ……、それともまさかあっちのほうまで……!?」
「ったく……。恥ずかしい妄想は、そのくらいにしとけっての。とにかく一刀殿、もうひと頑張りしてくれよな。泉に着いたら、馬にも休憩させてやりたいからさ」
馬超が翠で、妹の馬鉄の真名が蒼といった。
年代も近く、部隊の調練を重ねる中で、二人とは自然と打ち解けるようになっていた。不器用で一本気な姉と違い、蒼のほうはなんにでも興味を見せる年頃なのである。
涼州の外の話。特に洛陽の誇る威容について、関心があるらしい。かりそめの栄光だろうと、人の心を惹きつける輝きがある。それに都には、国の内外から数多の物が集まってくる。
「えへへっ。一刀さんの気に入るような子が、見つかったらいいんだけど。あ、そうだ。お留守番してる
「ううん……。鶸……、休にはともかく、岱のやつには黙っておいてもいいんじゃないか? 絶対おもしろがって、一刀殿に無茶なこと言いそうだし」
「ええー? 内緒にしておいたほうが、後々めんどくさいことになるとしか思えないけどなあ。それともお姉ちゃん、一刀さんを取り合う相手をこれ以上増やしたくないから、そんなこと言ってたりしてー?」
「んなななっ……!? そ、そんなんじゃないっての! だだ、だいたい一刀殿には、冥琳みたいに女のあたしから見ても魅力のある相手が、すでにいるんだし」
二人の口から、聞き馴染みの薄い名がいくつか出てきている。
休というのが、翠のもうひとりいる妹のことなのだろう。馬岱は、確か従妹のはずだった。
蒼の言葉を、翠が顔を真っ赤にしながら否定している。正直、その仕草に心が揺れた。翠は自分に女性的な魅力がないと考えているようだが、それは間違いだと断言できる。
引き締まっているのに、太腿にはしっかりと肉感が残っている。出るべき部分はしっかりと出ているし、なにより闘いにおける凛々しさと、時折見せる初々しい反応が、男心を敏感にくすぐるのだ。
自分が翠にいかなる感情を抱いているのか、たぶん蒼は理解している。ませたところがあるというか、男女のことに対する興味もなかなかのものがある。
「よーし。それじゃ、しばらく休憩だね。きてきて、一刀さん。水、きっと冷たくて気持ちいいよ」
靴を蹴っ飛ばし、蒼が無邪気に駆けていく。
泉は透き通った水をたたえていて、自分たちを運んできた三頭が、こぞってそこに顔を突っ込んでいる。
「ふう、あつーい。ここなら誰もいないし、もう我慢する必要なんてないよね。よいしょ、っと……」
「な、なななっ……。蒼、おまえ……っ!?」
わざとらしく手で顔を仰いでいた蒼が、汗の滲んだ上着をするりと脱ぎ捨てた。
白い肌が眩しい。下着はつけていないらしく、大きくて丸い二つの果実が、視界の中でぶるんと揺れている。軽く焦らす動作を交えながら、蒼が下のほうに指をかけていた。眼を離すことができない。それに、自分に視線で犯されることを、どう考えても蒼は望んでいる。
そういうことなら、と孫策はなにくわぬ顔をしながら、自分も服を脱ぎはじめる。馬家の牧場までの短い旅にでてから、当然ながら誰とも寝ていない。そのせいで、ちょっとした刺激に襲われただけでも、下腹部の槍は鋭敏に戦闘態勢をとってしまう。
異様な雰囲気に覆われつつある、泉の周辺。ただひとり、翠だけが身体を硬直させたまま動けずにいた。