「ウチは先に洛陽もどって、あんたらの武功あることないこと言いふらしとくわー。ふふーん。あ、もちろん大将軍相手には特に念入りにやっとくから、任せといてや」
いたずらを考える子供のように笑う霞を見送ったのが、叛乱軍を打倒してすぐのことだった。
口ぶりのせいでいささか不安な気持ちにさせられたが、任せたからには信頼するのが筋というものだろう。義母や冥琳もそれで構わないと言っていたから、あとは事態がどう転ぶかを見届けるだけだ。
「そろそろ、都が見えてくるな。くくっ……。おまえとしては、ちょっかいをかけている荀彧殿のことが、一番に気になっているのではないか?」
「底意地の悪い顔をしているぞ、冥琳。それほどまでに女狂いと思われているなら、俺としては心外だ」
「むっ……? よくそのような戯言を口にできるな、一刀。梨晏たちにも聞いてみろ。もっとも、答えなどはじめからわかりきっていることだが」
冥琳に拳で左腕を小突かれる。
女に狂っているのではない、と自分では思っていた。これでも相手は選ぶように心がけているし、下手に商売女に手を出すことを考えれば、かなり自制が効いているほうではないのか。
流矢を受けて梨晏が苦笑している。その隣にいる恋には意味がわからないようで、かわいらしく小首を傾げるばかりだった。
恋の馬に同乗している音々音と眼が合った。あの日から態度はかなり軟化しているのだが、敬愛する恋の前では、ツンとした姿勢を維持していたいらしい。慌てて作ったふくれっ面が、ぎこちない。思わず噴き出しそうになったが、音々音の面子を守ってやるためにもなんとか堪えた。
「うーん。狂っているかどうかはさておき、貪欲なことは確かだよねぇ。荀彧といえば、私にだってその……、いきなりあんなことしちゃったわけだし?」
「それは違うぞ、梨晏。俺はただ、決闘に勝った対価を正当に貰い受けただけではないか」
「えー? それだけなら、あんなに私のこと辱める必要はなかったんじゃないのかなぁ。ひいふうみい……、ってそれどころじゃなかったもんね。うっ……。あの時のこと思い出したら、なんだか身体がまたゾクゾクしてきちゃう」
「あまり旅先で好き勝手をなされると、蓮華のやつが食いきれないほどの餅を焼くことになりますよ、兄上さま。と、とはいえ……? その寛容なお心があってこそ、いまの孫家があるのかもしれませんが」
「えへへっ。一刀の妹ちゃんと会うのも、愉しみだなぁ。かなりしっかりした子なんだよね? 思春とお酒飲みながら、これでもかってくらい惚気け話聞かされたんだもん」
「ぐっ……。お、おやめてください、梨晏殿。あれはその……。旅の疲れがあったせいで、私もつい羽目を外してしまったというか」
「んっ……。思春。お酒は飲んでもいいけど、飲まれるのは絶対だめ。でないと、ご飯がおいしく食べられなくなる」
「うむうむ。恋殿のありがたいお言葉を、孫家の酒飲みどもはよーく心に刻んでおくとよろしいでしょう」
茫洋としているようで、恋は物事の本質をよく見ている。なにもしていないときは風のように漂い、戦となれば暴威となって暴れ狂う。ただし、うまい飯を眼の前にしたときの恋にも、その気がないとは言い切れないのだが。
痛いところを突かれたのか、思春が歯ぎしりをして悔しがっている。
この数日で家中にかなり馴染んだというか、肩肘を張らずに済んでいるだけに、涼州まで単独行動でやってきたのが正解のように思えてくる。何事も取っ掛かりが大切だ。これなら、あとから長江で待つ麾下と合流しても、思春が苦労することはないだろう。
「それで、恋はともかくこっちの跳ねっ返りは、兄さまといつの間に仲良くなったのかなぁ? ふふっ。ちょっと前まで、ちんこ人間とかなんとか暴言吐きまくっていたくせに♡」
年齢も体格も近しい相手と知り合えて嬉しいのか、小蓮の音々音に対する絡みには容赦がない。口に指先を添える仕草はかなり挑発的で、それだけ自分のほうが大人であると宣言しているようだった。
「ふ、ふんっ。ちんこ人間の妹なんかに、とやかく言われる筋合いはないのですっ。だ、だいたいこちらの勝手でしょう……! ねねが誰をご主人と思おうが、そんなの……」
「えー? なんて言ったのかよくわからないから、もう一回シャオにはっきり聞かせてほしいなぁ。ほらぁ、兄さまにだって届かないと意味ないんだし、もっと大きな声で言ってみなよー?」
「お、おのれ小蓮めぇ……! こうなればねね必殺のちんきゅーきっくで、こいつの桃色の頭をどうにかするしか方法は……、あてっ!?」
「きっくはだめ。あれは、友達にしていいものじゃない」
「うふふっ。さすが、恋はよくわかっているじゃない。んー、そうだなー? ねねもそろそろ、兄さまに”わからせ”てもらったほうがいいんじゃない♡ いつまでもピリピリしてたら、人生損するよ?」
「ひっ……!? な、なんですか、その悪巧みでもしているような顔はっ!? というかちんこ人間も、笑っていないでおまえの危ない身内をどうにかするべきなのではありませんか!」
音々音の絶叫が原野に響き渡る。
この世は乱世。けれども、孫家には平和な風が流れている。
†
なんとなく殺気立つ気配のある宮殿の中を歩く。
軽く探してはみたものの、霞の姿はまだ見つけられていなかった。よく見ると、普段よりも具足を着用した人間の数が多い。周囲に注意を払うと、足音にもかなり乱れがある。
武官らしき男をひとり掴まえ、大将軍はどこかと孫策は問いただした。
どうやらいまは軍議の最中のようで、都に詰めている諸侯にも収集命令がかかっているらしい。
大人数が集まれる広間の位置はわかっている。歩き慣れた場所ではないが、戦となれば孫家の出番だという気持ちもある。
「洛陽に到着したばかりだというのに物々しいな。炎蓮さまは情報収集に動かれているだろうし、もどれば詳しいことがわかるのだろうが」
同行している冥琳がそうこぼした。
異民族の侵攻というのは考えにくい。涼州では叛乱を鎮圧したばかりだし、北方で起きた問題ならば、朝廷は地方に負担を丸投げするはずだ。
そうなると、対象はかなり絞れるようになってくる。
「うはっ……!? か、顔が痛いのじゃぁ……」
「おっと、これは失敬」
閉ざされていた広間の扉。いきなり開いたかと思うと、中から飛び出てきた小さな塊にぶつかられた。
子供と形容していい少女が足下で尻もちをついている。年格好は小蓮や音々音と同じくらい。目鼻立ちは整っている。先に癖のついた金髪に、真っ先に視線を奪われた。
突っ立っていた自分にも非があると思い、孫策は少女に手をかそうとした。豪奢な服装だ。どこかの名門の子息であることだけは間違いない。
「こ、この痴れ者めがっ……! どこのどいつなのだか知りたくもないが、妾の道をでかい図体で塞ぎおって……。ここが宮中でなければ、首が飛んでいたと思え。ほれ、参るぞ張勲。見ていないで、さっさと妾を起こすのじゃ!」
張勲と呼ばれた側近らしき女に、少女が苛立ちをぶつけている。怒りの感情がむき出しになった翡翠色の双眸。軍議でいじめられでもしたのか、相当機嫌は悪そうである。
そばで様子を見ていた冥琳に耳打ちをされる。それで、相手が南陽に勢力を構える袁術だということがわかった。
「うふふっ。まったく頼りになりませんわね、袁術さんは。けれども、それも仕方のないことでしょう。あちらの家には、このわたくしのところのように、他家に誇れるだけの武官がおりませんもの。ですから賊徒の残党とはいえ、十万の軍勢を前に怖気づくのも無理はありませんわ。ねえ、曹操さん?」
「ちっ……。だからって、私に話を振るのだけはやめてちょうだい。んっ、あの男は……?」
開いた扉から内側の声が洩れている。
ひとりは相当な高飛車。そして、もうひとりの声の響きには聞き覚えがあった。
「んんーっ? おっ、一刀やん。ほんま、ちょうどええとこにきてくれてわ。いいから、入って入って」
「ここにいたのか。探していたのだぞ、霞のことを」
「すまんすまん。せやけど、こっちはいま立て込み中でな。へそ曲げてしもうたちびっ子の代わりに、あんたがきてくれて助かったわ」
ようやく見つけた霞に腕を掴まれる。
金のかかった造りをしている広間だった。中央には大将軍である何進が座していて、都合十人ほどの諸将が左右に拡がるように立っている。
先ほどの小さいのが袁術なのであれば、あの高飛車そうな女が親族である袁紹なのか。
ほかに目立つ存在を挙げるとすれば、やはり曹操だった。前回立ち寄った際のことが脳裏によぎるのか、視線はかなり冷ややかだ。あえて目立つように荀彧に対しても働きかけているし、そちらに懸念を抱いてくれているのなら思惑通りか。
霞に促されるままに、端にいた女の隣に孫策は立たされた。
大きな胸の稜線が強調された衣服。髪色は華やかだが、義母や妹たちよりも少し暗さがある。戦が好きではないのか、明らかに気が向いていないようだった。
だが、澄んだ蒼空を思わせる瞳には力がある。
「あ、あの、よろしくお願いします。ええっと、あなたは……」
「孫策伯符。西涼まで賊徒を討ちに行かされていたのだが、帰ったらまたすぐにこれだ。ほんとうに落ち着かないな、この国は」
「んっ……。孫策さん、ですか。あっ、そうそう。私は劉備。荊州牧である劉表さまの名代として、洛陽に詰めています」
そう言って、劉備と名乗った女が控えめに笑う。
冥琳に横腹を抓られる。そこではじめて、自分が劉備に魅入られていたことに、孫策は気がついた。