いい風が吹いている、と馬の背に揺られながら恋は思う。
深紅の呂旗のもとに集う軍勢。一刀から下された最初の命令を遂行するため、五百の騎馬隊が攻撃の時を待っている
みんなと飯をたらふく食い、笑い合うのはもちろん好きだ。だが、それとはまた違う愉しさが、戦場にはあるのも確かなのである。
戟をふるい、迫る敵を叩き潰すと、冷え冷えとしていた血に熱さが蘇っていく。はたして、それが健全な思考であるのかという問いには興味がない。自分にとって戦は食事と同じであり、生きている、という実感を得るために必要な行為でもあるのだった。
「主軍が動きをみせましたぞ、呂布殿。ならば、こちらも」
「んっ……。いこう、ちんきゅ。孫策から、思いっきり暴れていいって許可してもらってる。だから、みんなも恋に負けないくらいがんばって」
騎馬隊から、乾いた笑いが控えめに洩れる。
快晴の空の下、埃っぽくなった原野に騎馬を駆けさせる。
敵は蜂起した賊徒の集団なのである。練度であれば、まず劣ることはないという自負が恋にはあったのだ。西涼での闘いでも、結局脱落する兵はあらわれなかった。負傷者こそさすがに出たが、それも休息を経て部隊に復帰している。
「突撃。見える敵全部に、とりあえず噛みつく。弱っちいのは放っておいていい。そんなのは、相手をするだけ無駄」
「さすがは歴戦の呂布殿です。敗走する弱兵は全体に動揺をもたらし、行動を束縛することさえありますからな」
「むっ……。あんまり褒められると、ちょっと恥ずかしくなる」
とにかく目立ってこい、と一刀から念押しされている戦だ。なるべく強そうな相手を捕食しつつ、騎馬隊を原野に駆けさせればいい。
小難しい采配を必要としない場面だから、音々音はほとんど賑やかし役のようなものである。ただそうであったとしても、不在であるとこれが呂布軍だという気がしない。
音々音は麾下から人気があり、応援しているだけでも力にはなれる。本人もそれで満足できるのだから、双方にとって意味のあることなのだ。
「守りが全然なってない。突き崩して、先に進む」
前方に意識が集中している軍勢の背後を急襲する。
まるで用意された狩り場であるかのように、簡単に首が宙に舞った。騎馬隊を駆け抜けさせる傍ら、また方天戟を一度横に薙ぐ。ふたつ、みっつ。無念の表情を浮かべた首が地面に次々と転がる中、恋は乗馬の腹を蹴った。
突撃をかける度に、麾下たちが雄叫びをあげる。
区星なんて男のことは、正直どうでもいい。この戦場は、野良犬でしかなかった自分たちに、大きな夢を与えてくれた変わり者のために捧げられればそれでよかった。
「賊軍との闘いなど、われらにとってはほんの序章に過ぎません。ご主人が真に狙う獲物は、荊州牧その人なのでありますからなあ。しかし、そのくらい大きなことをされる御方でなくては、呂布殿が助力する意味がないというもの」
「まだまだ。そのずっと先のことまで、孫策は考えてる」
「はい。その次となると、益州を治める劉璋あたりになってくるのでしょうか。漢中の動向如何で戦略は変化していきそうですが、そちらの調略はまだはじまったばかり。しばらくは、待つしかありませんか」
「まだまだ」
「は、はいっ! というか呂布殿、まずは眼の前の敵をですねぇ」
「まだまだ、まだまだ」
「むぅ……。ねねはまだ、なにも言っておりませんのにぃ……」
「……ばれた?」
帽子を抑えて背を低くする音々音の頭上を薙ぎ払った。雑兵だが、それなりにしつこさはある。相手もここが正念場だと感じているようで、どうにか粘ろうとしているのか。
体勢を立て直した一団が、必死になって向かってくる。いちいち相手をするのも面倒だから、縦に隊列を組み直し、敵の部隊を断ち割るように進軍した。
広々とした原野をどこまでも駆ける。そのまま、中心だけを目指して闘いを続けた。混乱はかなり拡がっている。孫家の主軍は包囲の構えに移行していて、賊徒たちをきつく締め上げにかかっているのだ。
戦の総仕上げは、一刀自身がやると言っていた。剣の腕はかなり立つ。気迫と勇気も、西涼でおそれられていた自分に、真っ向から挑める程度に逸脱したものがある。
「あとは、孫策に任せたらいい。ちんきゅ、みんなにそろそろ離脱するって伝えて」
「はいっ。承知いたしました、呂布殿。みなのものー! 呂布軍の働きはもう十分に示しました! このあたりで、帰って飯にするのですぞー!」
首に巻いた赤い布にそっとふれる。
土埃を巻き上げ、恋の騎馬隊は颯爽と賊軍を突き破りつつ戦場を離れた。
†
全体の指揮を冥琳に預け、孫策は自前の百の騎馬隊を率いて区星があらわれるのを待っていた。
恋の活躍ぶりは、黄忠にもはっきり届いている。たった五百の軍勢が、あれだけの働きをしてみせたのだ。その脅威は確実に劉表にまで伝わるだろうし、民衆は孫家の手際のよさを称賛するに違いなかった。
静かだった街道に軍馬のいななきが響く。
自分の部隊から発せられたものではない。馬蹄が地面を叩く音。段々と近づいてくる。その音に耳を澄ませて、孫策は右手を差し上げた。
「狩りの時間だ。大将首以外は、捨て置け」
麾下に対し、手短に命令を与える。隣で聞いていた梨晏が、黙って首を縦にふった。
馬蹄の音がまた大きくなった。敵軍は、もう手の届く距離にまでやってきているのだ。
音には、どこか忙しない響きがある。とにかく、この場を生きて逃れなければ。そうした必死さがあるのは、案外わかってしまうものだ。
愛刀を鞘から抜き放つ。笑いかけると、馬上の梨晏がぐいっと胸を反らせて伸びをした。
「いこっか、孫策。へへっ……。私が区星の首を奪ってしまっても、怒らないでよね」
「競争だな、それでは。もっとも、負ける気は少しもしていないが」
「あー、言ったなぁ? よぉし、それじゃっ……!」
雪華の馬体を腿で締め上げる。少し駆けさせたところで、逃げ惑う敵の部隊とぶつかった。
相手は、五百ほどの集団だった。手当たり次第斬り伏せ、守りを薄くしていく。練度こそ高くはないが、中心にいるであろう大将だけはなんとか逃さなくては、という頑張りを感じさせる相手なのである。
明命の配下を使って事前に調べさせてあるから、この中に区星がいることはわかっていた。
それでも、冥琳の読みはさすがだと孫策は思う。あてが外れていれば移動に手間取るところだったが、無事的中していたおかげで、落ち着いて待ち受けることができている。
「そろそろ自ら名乗り出てはどうかな、区星。堂々と死んでみせれば、後世の評判も多少はよくなろう。これが、最後の機会なのだぞ」
「どこまでも、人を虚仮にしやがって。誰だか知らんが、ここで死ぬのは貴様のほうだ」
最後の最後で我慢の効かなくなった区星が、ついに進んで姿を見せた。刀についた血を払い、孫策が雪華を前進させる。どうやら、梨晏は周囲の抑えに回ってくれるようだ。
将軍を自称するだけあって、馬を操る姿には多少威厳がある。だったら、それらしい最期を迎えさせてやろうではないか、と孫策は小さく笑った。
馬腹を蹴り上げ、殺気を剥き出しにした区星が向かってくる。振り下ろされる槍。雑作もなく、孫策は跳ねあげた。
「はははっ。これでも俺は、貴様に感謝しているのだぞ、区星」
「なにを。こちらには、おまえなんぞに礼を言われる覚えなど少しもないわっ」
呼吸とともに、穂先が突き出される。
この程度の攻めにやられるくらいなら、そもそも戦場には出てきていない。武器を使うまでもなく避けられていることに、区星は苛立ちを感じているようだった。
何度か繰り返したところで、柄を顔の横で掴まえる。それで、区星の動揺はさらに強くなった。
「貴様がやんちゃをしてくれたおかげで、孫家は長沙入りの口実を得られたのでな。実に、よい働きをしてくれた」
「そうか。その口ぶり、おまえが孫家の……」
柄を思いっきり手前に引っ張り、区星の体勢を崩した。右手に持った刀を鋭く突き出す。狙い通り、やわらかい肉の部分に切っ先が吸い込まれた。
鮮血。吹き出したかと思うと、区星の身体が力なく地面に落下した。梨晏と麾下たちがその死を大声で喧伝している。言うまでもなく、これで戦全体の勝負は決したのだ。
「孫策だ。……っと、教えてやるのが少し遅すぎたようだな」
麾下の差し出す区星の首にそう言い放ち、血に染まった刀を天に向かって突き上げた。
勝鬨の声が原野を支配する。残った敵兵を降し、孫策は悠然と戦場をあとにした。