※この作品はR-18です。

虎となりて   作:KKS

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接触、五斗米道

 西涼の商隊に紛れて、険道を進んだ。五斗米道に許可を得ての入領だから、山間に仕掛けてある罠は避けて進むことができている。それでも、楽な旅とはいえなかった。

 冷たさすら感じる秋風にあたっていようと、汗が吹きでる。涼しい顔をして歩いているのは、翠さんの連れてきた羌族の若者くらいなのではないか。同行している羌族の若者は二百人で、商隊の殿を務めるような格好となっている。馬家が独自の伝手で招集した人数であり、最終的には孫家が譲り受けることとなる戦力だった。漢中、あるいは成都を攻略するための核となる部隊を組織したい、と一刀さんは考えているようだ。

 一息ついたところで、月は湧き水を両手ですくって口にした。ついでに、携帯している竹筒の中身も入れ替える。長い歩き旅になっているから、新鮮な水ほど旨いものはなかった。

 確かに漢中は、宗教を組織するにはうってつけの土地だといえるのかもしれなかった。険しい山道は心身の修行に向いているし、敵に対しては天然の防壁となる。自分であれば、こんな土地にはまともに討ち入ろうとは考えない。いまの益州牧はそれをやろうとしているのだから、余程の勇者か、向こう見ずなだけの物知らずなのだろう、と月は思った。

 褪せた雲が一面に拡がっている。じっと見上げていると、商人のひとりが漢中の空はいつきてもこんなものだ、と教えてくれた。

 五斗米道との取引は結構な儲けになるようで、都合三十人の商人が旅には参加していた。

 冬になり、雪があたりに積もってしまえば、このあたりの販路は使えなくなる。だから、勝負をかけるのはこの秋なのだと、先ほどの男が黄色い歯を見せて笑う。

 

「平気ですか、月殿。お疲れでしたら、荷物を預かっても構いませんが」

「ふふっ。お気持ちだけ受け取っておきます、猫さん。それに、無理を言ってついてきたのに、情けない姿を見せるわけにはいかないでしょう?」

「これは、ご無礼を。しかし、月殿の我儘があったからこそ、私はこうして知らない土地を歩くことができているのです。感謝していますよ、よい経験をさせてもらえて」

「以前よりも余裕がでてきたというか、ちょっと変わりましたよね、猫さんも。それも、一刀さんの影響なのでしょうか」

「さて。自分では、なんとも。ただ、ああいう御仁こそが、天下を引っかき回すのだと思わされました。なにせ、短い滞在期間だったというのに、あの詠まで陥落せしめたのですから、感心を通り越して呆れます」

 

 淡々と脚を動かしつつ、猫さんが愉しそうに言った。それもそうだ、と月は額に浮かんだ汗をぬぐう。

 叛乱軍討伐の後、西涼を離れた孫家は、荊州進出を見事に成功させていた。どのような手立てを使ったのかまでは、自分の知るところではない。ただ、これで時はひとつ先に進んだ。

 孫家との、一刀さんとの約定を、この手で果たす。

 そのためにも、五斗米道の懐柔は必要不可欠なのである。教祖である張魯が、実際どのような人物であるのか。確かめるためにも、自分が出向くべきだと思った。

 超然としていて、俗世との繋がりがまったくないようであれば、取れる手段はかなり限られてくる。しかし現実に、五斗米道は漢中を一個の国とし、祭酒と呼ばれる役職を設けて、全体の統制を行っているのだった。

 そこに、教祖の意思が反映されていないはずがない。となれば、交渉の余地は間違いなくあるはずだ、と月は強く確信している。

 野営を挟み、さらに一日歩いた。

 移動用に楽な装束を着用していた商人たちが、段々と着替えはじめている。それで、目的地が近づいていることが月にもわかった。漢中行きの商隊に同行するのは翠さんにとっても初めてのことであり、勝手のわかっている商人たちと歩調を合わせている。

 

「教祖のいる館まで、あと少しだそうだ。もうひと踏ん張りだな、月殿」

「翠さんや猫さんの体力が、いまはすごく羨ましいです。怠けているつもりはありませんでしたが、私ももう少し鍛えないと」

「あははっ。やめとけってば、そんなこと。もし再会した月殿が筋骨隆々になっていたら、一刀殿が泡を吹いて倒れちまうかもしれないだろ?」

「うふふっ。おもしろいんじゃないでしょうか、それはそれで。馬を両手で持ち上げられるくらいになったら、山越えもきっと楽になりますし」

「やっ、それはさすがに極端すぎるっての。……っと。あれかな、例の商談会場は」

 

 五斗米道の築いた建物を、いくつか通り過ぎてきた。翠さんの指差す館はどれよりも大きく、堅牢そうな造りをしている。

 今回、馬超が一緒にきていることは、五斗米道側も知っている。そこに董卓までもが参加していることは、ひとまず伏せてあった。広い目線で、教祖を観察してみたい。必要となれば、もちろん名乗り出るつもりだった。

 館に着くと、女性がひとり駆け寄ってきた。眼鏡をしていて、理知的な雰囲気をまとっている。

 商隊の代表として、翠さんが挨拶を行っている。これが五斗米道の実務を担当する祭酒なのか、と月は一歩引いたところから見つめていた。

 

「遠路遥々、ご苦労さまです。ささやかですが、食事の用意をしてありますので、まずは休息いただければ」

「おっ。ありがたいね、そいつは。みんな慣れちゃいるが、それでも疲れるものは疲れる」

「教祖も、漢中の外からいらしたみなさまと話をされたいようです。閉じこもっているだけでは、わからないことも多いですから」

「ふうん? 五斗米道は、各地の信徒からいろいろと情報を仕入れてる、って母さまが言っていたぜ。田舎豪族のあたしらよりも、よっぽど広い耳をしていそうだが」

「たとえそうだとしても、生の情報は貴重です。どれだけ無関係を貫こうとしようが、時代は乱世。助け合える相手は、多いほうがいいと思うので」

「ははっ。宗教組織の一員にしちゃ、あんたは随分と現実的なんだな。けど、そうしてはっきり伝えてもらったほうが、こっちとしても心を開きやすくなる」

「全員が全員夢を見ている組織なんて、すぐに潰れてしまう。だから、誰かがきちんと足元を見ておかないと。でしょう、馬超さん?」

 

 女の名は、張徴というそうだ。三姉妹の末っ子らしく、それで役割に慣れているのかもしれなかった。

 館に入り、宴席の端で疲れを癒やしていると、張徴が姉と思わしき二人を伴いもどってきた。その後ろ。三人に先導されるようなかたちで、白い装束の女性が続く。

 

「お待たせしてすみません。五斗米道の張魯です。そちらが、馬超殿でしょうか」

「んっ。お初にお目にかかる、張魯殿。商売をしにきただけなのに、ご馳走になってなんだか悪いな」

「不要ですよ、お気遣いは。教団といたしましても、越冬に必要な物資を運んできてくださるみなさまとの縁は、大切にしていきたいのです。現在この国は、長く冷たい冬の真っ只中にいるようなもの。袖すり合うも多生の縁、とも言いますし」

 

 張魯の言うこの国というのは、漢そのものを指している、と月は思った。最後の例えは聞いたことのないものだったが、なんとなく意味を理解することができている。

 三姉妹に囲まれて、張魯が自分の席に腰をおろす。

 手入れの行き届いた、黒の長髪。伸びた前髪の間から覗く茫洋な瞳は、いかにも教祖といった印象が見受けられる。

 どうにも、張魯は翠さんにかなり興味があるようで、しきりに観察するような視線を送っている。錦馬超の異名は、この漢中にまで轟いているのだろうか。それにしても、妙に熱心な感じがする。ちょっと他人事のように二人のやり取りを見つめながら、月は塩気の効いた汁物をすすった。

 

「へえ……。馬騰さんと孫堅さん、それに董卓さんが結んで、西涼の叛乱軍を退治されたと。それにしても、みなさんやっぱり女性の方ばかりなのですね」

「やっぱり? その、やっぱりってどういう意味なんだ、張魯殿」

「えっ……? い、いえいえいえ! 言葉の綾でぽろっと出てしまったようなものですから、どうかお気になさらず!」

「んー。ウチの教祖さまは、天の知識を持つ預言者さまだから、それでつい言っちゃったんじゃないかなあ。さっきも遠くの方から見てて、馬超さんってすごく美人だね、って何度も私たちに興奮しながら話しかけてきたくらいだし」

「預言ねえ。それってあれか? 天の御遣いが現れてどうのこうのとかいう」

「えへへっ。私もよく知らないけど、とにかく五斗米道は天歌ちゃんの預言のおかげでここまで生き延びてこられたんだよ。ねっ、そうなんでしょ?」

「ちょっと姉さん、ここでその呼び方はやめときなよ。ちぃたちにだって、面倒事は少なくないんだし」

「ごめんね、張傀ちゃん。お姉ちゃんとして、以後気をつけます……」

 

 張徴の姉二人が、なにやら小声でやり取りをしている。

 預言の真実など半分どうでもよく、五斗米道が現存しているということがすべてだった。それに、その支配力は漢中一帯に浸透してもいる。

 

「美人って括りならさ、あたしなんて董卓殿には遠く及ばないぜ? 生まれ持った透明感、っていえばいいのかな。がさつなあたしじゃ、どうやったってああはならないな」

「そ、そうなのですね。董卓さん。美人で透明感のある董卓さん、ですか。いやでも、そう仰る馬超さんも私基準だと相当な美人さんでして……」

 

 場を取り繕うように張魯が両手を身体の前で振る。どうしてそこで考え込む必要があるのか、月にはわからなかった。

 はっきり言えば、思い描いていたような組織の教祖ではなかったが、交渉の相手には十分なり得る、と月は気持ちをかためていた。五斗米道は、同盟を組む相手を探している。静かに殻に閉じこもっているだけでは、乱世の火の粉は振り払えない。それを理解できているだけでも、張魯はしっかりと現実が見えている。

 

「少しよろしいでしょうか、張魯さん」

「はい。あなたは、商隊の?」

「黙っていた無礼を、どうかお許しください。私こそが、話題にあがっているその董卓なのです。こうしてお会いすることができて光栄です、教祖」

「へっ……? と、とと、董卓? あなたがほんとうに、あの董卓さん?」

「あの董卓というのがどなたを指しているのか、無力な私は存じ上げません。ですが、隴西郡を預かっているのは、間違いなくこの董卓です」

「はあっ、ふーっ。ほ、本気で、心臓止まりそうになったわ……。あっ……。んっ、ごほんっ。天の導きはまこと尊いものですが、それぞれのお顔までは薄靄がかかっているように隠され、なかなか見えてこないものなのです。ですから、教祖の地位に甘んじることなく、日々研鑽を積む必要があるのでしょうね」

 

 翠さんに向けられていた張魯の興味が、完全に切り替わった。

 

「あっ、そ、そうだ。このあとの展開、預言して差し上げましょうか。教祖らしい姿、ちょっとは見せておきませんと」

「ええ。よろしくお願いします、張魯さん」

「では。あなたはきっと、こう仰るんです。少し、二人だけで話がしたいとね。これからのことを語り合おうと。違いますか、董卓さん?」

 

 首を振って、月は最後に拝礼しながらほほ笑んで見せた。

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