※この作品はR-18です。

虎となりて   作:KKS

60 / 82
月の訪問

 原野に騎馬隊を率い、土煙を巻き上げる。近くでは、兵と兵とがぶつかり合っていた。自分はいまここに生きている。そういうことを、強く感じさせる光景だった。抜いた刀身を振るい、向かってくるひとりを突き落とす。

 大声で笑ってから、孫策は右腕を突き上げた。

 

「いくらでも相手になってやる。土を舐めたい者から、順にかかってくるのだな」

 

 投げかけた挑発の言葉に、敵兵が色めき立っている。麾下の騎馬隊をまとめて、孫策は突撃の態勢となっていた。

 前方にある軍旗が揺れる。『甘』、それに『孫』の一文字の染め抜かれた旗だった。自分がまず中央に打って出て、大将首目当てに伸びた敵軍を、恋の騎馬隊との連携で撃滅する。罠の匂いを感じていようと、出てくるしかないような状況だった。静観を決めこむならそれで、機動力を駆使して追い散らしてやるだけなのである。

 孫家家中での調練だった。

 陸上でも甘寧の部隊は強いが、本領を発揮しようとすると、やはり船軍なのである。騎兵のいなし方を覚えたいという要望から受けた相手だったが、恋と組むのはさすがにやりすぎのように思えてくる。あとは、小蓮得意の奇襲に注意を払うくらいなのか。

 

「殿。呂布殿の軍勢、手筈通りに続いております」

 

 軍馬を寄せてきたのは紅波だった。血をぶちまけたような長髪が、日差しを受けて独特の色味となっている。明命を使ってもよかったのだが、呂布軍と合わせるなら紅波に軍配があがる。諜報の腕は多少劣るが、剣技の見事さでは紅波も引けを取っていない。それに、一度忠義を誓ってからの従順な姿勢を、孫策は愛してもいた。

 駆けながら、紅波が額当ての位置を少し調整している。最近になってから、明命に贈ってもらったのだという。

 

「それで、鼠はあらわれたのか、胡車児」

「はっ。呂布殿が出撃なされてから、ちらほらと。それにしても、あの方の武威の凄まじいことです。どこにいようと、注目の的になってしまうのですから」

「眩いほどの輝きだ。だが、それも使い方次第だな。一歩間違うと、あいつ自身を焼き尽くすことにも繋がりかねない」

「そのための、殿でしょう。孤高の猛将であられることが、呂布殿の正しき姿なのだと、拙者も陳宮殿も認識しておりました。野性を捨て、飼い犬になどなるべきではない。たとえ野良犬同然になるまで身を落としても、そうあるべきなのだと」

 

 恋に首輪をつけている、と思ったことなどなかった。その気になれば、あいつはいつでも自分を殺せる。

 腹いっぱい飯を食わせる。ただの武器としてではなく、人らしく扱う。取り決めた均衡が崩れた時、盟約は簡単に解消される。

 ただし、それは自分がいまの自分であるかぎり、失われるようなことではなかった。

 

「いい女だよ、あいつは。唯一無二の、武人でもある。そばにいると、常に身が引き締まる思いがするのさ」

「ご謙遜を。殿の剣には、呂布殿も敬意を払っておいでなのです。あの折の勝利は、偶然などではないと存じておりますよ、拙者は」

 

 孫家と戦をするなら、まず呂布を警戒する必要がある。紫苑からの報告で、劉表の意識はそうなっているはずだった。

 ここにきて、呂布を隠すつもりはなかった。むしろ、そちらに意識が向いただけ、他の攻撃が通りやすくなる。

 右後方から、鋭い気配を感じる。移動を雪華の本能に任せ、孫策は気配のする方向を斬り払った。

 

「兄さま覚悟、ってちょっと反応が早すぎない!? せっかく、いい位置から狙えたと思ったのにー」

「かわいい妹の気配を、俺が見落とすはずがないだろう。相手が違えば、もう少し反応が遅れたかもしれない。悪くない奇襲だった、尚香」

「むむむー。兄さまに一撃入れようとするなら、まだまだ修行が必要そうだね。今度は、胡車児にも付き合ってもらおうかなぁ」

「拙者でよろしければ、いつでも。妹君には、陳宮殿も世話になっておりますし」

「えへへー、だよね? 陳宮は強がりだから、絶対そんなことないですぞ!、ってふんぞり返るんだろうけどさ。どう考えたって、シャオがお世話してあげてる側なんだから」

 

 そう話す小蓮のがら空きになった額を、ぺちんと指で弾く。これで、大将のひとりを討ち取った。あとは、恋がどうとでも料理をするだろう。思春にはかわいそうだが、しっかり打ちのめされた方が、反発は強くなるはずだった。水上であれば、もちろんこうはいかない。それに、戦場はいつでも選べるようなものではなかった。

 

「おーい、ご主人。なんだか、むかつく声が聞こえた気がしたのですが。どこの生首が、うだうだ語っていたのでしょうなあ?」

「甘寧の頭、こつんってしてきた。痛そうだったけど、たぶん平気」

「うえっ……。いやいや、早すぎってやつじゃないわよ、こんなの。もう、兄さまったらずるすぎだってばぁ。この二人に寄ってかかられたら、母さまだってさすがに厳しいんじゃないの?」

「はははっ。少なくとも、そうやって弱音を吐いたりはしないだろうな、あの母御なら」

「孫策。恋、闘ってお腹が空いた。お城に帰って、みんなでご飯。甘寧のことも、さっきついでに誘っておいた」

「ふむう。呂布殿の寛大なお心遣いに、敗れた甘寧も涙を流して喜んでいることでしょうなぁ、くくくっ」

 

 自由奔放に振る舞っていても、嫌味に感じないあたりが恋のよいところではある。とはいえ、何処から思春の恨み節が聴こえてくるようだった。

 その思春が、本当に姿を見せた。打たれた箇所に痛みがあるような振る舞いはしない。そうした意地だけは、通そうとする女なのだ。

 

「面目次第もございません、兄上さま。自分から名乗りを上げておいて、このざまとは。いくら呂布が強いとはいえ、こうもあっさりと……」

「これ以上なく、倒し甲斐のある相手だろう? 飯でも食いながら、対抗手段を考えればいいさ、甘寧」

「くっ……。こうなれば、大食いで私と勝負をしろ、呂布。この命尽きようとも、必ずや一矢報いてやる……!」

「んっ……。ご飯は、美味しく愉しく食べるもの。競争するためのものじゃない。ねっ……、一刀?」

「うぐっ……。こ、これが、兄上さまを危うく仕留めかかった呂布奉先という女なのか。はあぁ……。今日のところは、大人しく引き下がろう。私の負けだ、負け」

 

 やわらかな雰囲気となった恋が、さり気なく真名で呼びかけてくる。それで、遠くからやってきた思春の姿が、また小さくなっていった。

 

 

 帰城した孫策は、出迎える人影の中に、珍しい顔を見つけていた。旅の装いをしてはいるが、小さな身体から発せられる闘気と気高さは、あの時のままだった。

 明命から、先日あった漢中での出来事は聴いている。

 自らの支配力を顕示しようとした劉璋が、五斗米道の軍にこっぴどくやられた。もともと、漢中は防衛の術に優れている。そして、劉璋とその側近は、あまり戦が得意ではないらしい。それでも、見事な負け方だったのだ。

 そばまで近寄り、雪華から飛び降りた。相変わらず、血の匂いのする女なのである。

 月、と声をかけると、穏やかな笑みが返ってきた。

 

「おかえりなさい、一刀さん。ふふっ。西涼から訪ねてきた私が、言う台詞ではないのかもしれませんが」

「長旅で、疲れただろう。それに、漢中ではひと暴れしてきたそうだな。俺も、できれば参加したかった」

「腑抜けた戦をする方たちだな、と思いました。翠さんや猫さんが、本気を出すまでもありませんでしたので。五斗米道の教祖の話では、向こうにもいろいろと事情があるそうです。それに時期が来れば、相手も息を吹き返すかもしれない、と」

「それは、教祖の預言なのか? なにやら、積もる話がありそうだな。調練を終えて、汚れを落としたいと思っていたところだ。月たちと、一緒に湯を使えれば嬉しいのだが」

 

 五斗米道との接触は、おそらく上手くいったのだろう。月の様子からして、敵対するようなことはなさそうだった。それは、なによりの僥倖だと言っていい。

 月がゆっくりと頷く。誘いを断られるようなことはない、と思っていた。

 

「あっ。おーい、一刀殿じゃないか。へへっ、久しぶりだなあ」

「なにやら、呂布のやつと調練をしていたそうではないか。いま少し早く到着していれば、私も参戦していたものを」

 

 手を振っているのが翠で、難しそうな顔で腕組みをしているのが猫だった。

 二人からも、旅の疲れは感じなかった。さすがに、西涼で戦続きだっただけのことはある。

 

「一刀さんが、お湯を用意してくださるそうです。ですので、ここはご厚意に甘えて、みんなでお風呂にしましょうか」

「ふーん? いいじゃないか、さっぱりできそうで。……って、えっ? みんな、みんなでってことは、まさか一刀殿も一緒に入るのか!?」

「いまさら、なにを慌てることがある。おまえだって、一刀殿と寝たことがあるのだろう。旧交を温めるには、よい機会ではないか」

「そうですよ、翠さん。うふふ。たくさん愉しみましょうね、一刀さん?」

 

 月が静かに手を握ってくる。

 懐かしい三人の声の響き。風に乗って、西涼の乾いた原野の匂いがしてくるようだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。