刀を鞘に納めたまま、孫策は一歩前に出た。相手は背丈以上の分厚い得物を手にしている。あんなもの、正面からまともにやり合う意味はないと思っていた。雰囲気から察するに、劉表軍の正規兵なのだろう。それが、賊の襲撃を知って鎮圧にやってきた。もう少し早ければ、斬り合いの最中にかち合っていたことになる。
それと較べれば、いまの状況はずっと楽だ。
「三人はもういけ。ここは、俺が引き受ける」
「いいのかよ、一刀殿。へへっ。少々暴れたって、ここから大して状況は変わらないだろうしさ。あたしは、お供するぜ?」
「待ってください、翠さん」
やる気を見せる翠の肩に、月が手をかけた。冷えた双眸が魏延とその麾下を睨んでいる。あとは、月に任せればいいだろう、と孫策はやり取りを静観していた。
「一刀さんがやると仰っているんです、翠さん。ですから、ここは。それに、私たちが劉表軍のご厄介になるわけにはいきませんから。ゆっくりお別れを言えないのは、私だって寂しいですけど」
「うーん……。まっ、月殿がそこまで言うならあたしだってさ。いいよ、わかった。けど、雑兵を引きつけるくらいの仕事はさせてもらうよ、一刀殿」
「決まりですね。それでは、翠さん、猫さん」
月の合図で三人が駆け出した。短い旅路だったが、西涼の風を存分に感じられたとは思う。つぎ、また再会する時は、みんな一緒だ。しばらく顔を合わせていないから、詠にまた以前のような棘棘しい態度を取られるのかもしれない。常磐やその一家も、元気に原野を駆け回っているのだろうか。思うことは、いくらでもあるのだった。
手を振る三人に対し、あえて言葉はかけなかった。なにも発さなければ、別れは別れでなくなる。自分たちは、乱世という大河を同じ船で渡る同志なのだ。
「うおぉ!? な、なんだなんだ」
自分に気を取られていた魏延が、慌てて後方を顧みた。
翠を先頭に置いた陣形で、三人が魏延の部隊に突撃を仕掛けたのだ。雑兵たちは引きつけられ、追いつけもしない相手に向かって駆けていく。残るは、魏延だけだった。
「斬るべき相手すら見定められず、戦場に出てくるとはな、女。今日はどうにも、性根を叩き直してやらねばならんやつが多すぎる」
「口を閉じていろ、この悪党め。もっとも、その軟弱な腕でワタシの攻撃を受けられるとも思わないがなぁ!」
「威勢はいい。あとは、実力が伴っているかだが」
鈍器を下段に構えた魏延が、有無を言わさず突っ込んでくる。御しやすい相手だと思った。こうした手合いには、挑発がなにより効く。
横薙ぎ。直撃すれば、全身の骨が砕けることは確実だった。膂力には目を見張るものがある。そういえば、紫苑から魏延の名を教えられていたような気もしてくる。
「なるほど、いい気迫だ。だが、当たらなければどうということはない」
「ぐ、ぐぬぬ……! ちょこまかと鬱陶しいやつめ。いい加減、死ね。おのれの働いた悪事を後悔しながら、死んでいけ」
「さしずめ、猛犬だな。思い込んだら、どこまでもというやつか。ははっ。いいぞ。もっと、打ってくるといい」
ぶおん、と盛大に風を斬る音だけが響く。
確かに筋は悪くない。義母や宿老たちと闘い慣れていなければ、どこかで一発もらっていてもおかしくはない鋭さだった。魏延の息がちょっと上がっている。これだけ攻めに攻めを重ねているのだ。疲労がまったくないほうが、どうかしている。
わずかに動きを止め。魏延の大振りを誘引する。きた。そう感じた瞬間、孫策は高々と跳躍していた。
「んなっ……! き、きさまっ」
魏延が狼狽している。間髪入れずに、地面にめり込む鈍器を駆け上がった。空中で身体をひねる。頭を飛び越えた時、魏延の丸く見開かれた両眼がはっきりと視界に入っていた。
背後から魏延を拘束する。明命と一緒になって鍛えた技なのだ。まともな相手では、抜けることなど叶うはずがない。
「はへっ……!? 腕がまったく動かない。な、なんだこれは。離せ、離さないか、この変質者が……!」
賊徒に間違われたつぎは、よりによって変質者か。ただし、そちらに関してはあながち間違いではなかった。ならば、と孫策は汗の匂いを感じる首筋に顔を近づけた。
「んんっ!? や、やめろと言っているだろうが、この屑めっ。んはっ、はあっ、あっ……」
「鋭敏な感性を持っているようだ。少し、遊んでみたくもなる」
「あひっ……♡ ふえっ、あっ、あんっ……!」
背後から締め上げた状態で、魏延の胸にふれてみる。慣れ親しんだ巨乳ほどではないものの、しっかりと張りがあって指を押し返してくる上物だった。こちらには、賊徒と間違えられて斬りかかられた損失がある。それを取り返すくらいのことはやってもいいだろう、と孫策は笑った。
「な、なんでっ。なんでそんな胸ばかり、あひっ……♡ ん、んおぅ……。先のところいじられるの、ほんとにやだっ。あんっ、あっ、あーっ♡ こんな屑の指でなんて、感じたらいけないのに。はあっ、ふうっ。だ、だめだだめだ。耐えろワタシ。んぐっ、んっ……。あっ、やめ……。くふぅ、んっ♡」
「怒っているよりも、ずっといい声だ。かわいい声でなじられるなら、それも悪くない」
服の上から執拗に敏感な突起を擦る。
メスの匂い。愛撫を加えられて、じわりと濃くなっているようだった。うなじに浮かんだ汗を口で吸う。それで全身を思い切りひくつかせるのだから、魏延はほんとうに刺激に弱い体質をしているようだった。
「はっ、はへっ……。力、全然はいんない。はっ、ははっ……♡ このままどうされてしまうんだろう、ワタシ。ねぐらに連れて行かれたら、もうオシマイだ。誰も助けになんてきてくれない。こんな下衆の慰み者にされるためだけに産まれてきただなんて、ほんと最悪だ、あっ……♡」
胸への刺激だけで、魏延は軽く達しているようだった。重鈍な武器はとっくに手放されていて、派手な手甲をつけた腕が宙を泳いでいる。
賊を斬ったばかりで、自分にも昂りがあるのかもしれなかった。それに、三人とはもう少し長い夜を過ごすつもりでいたのである。その欲求を妨げられた憤りが、すべて魏延に向かっている。
「なんなら、ここでかわいがってくれようか。はははっ。おまえの部下がもどってきたら、さぞかし驚くことだろうな。凄んで出ていった隊長が、原野の真ん中で犯されているんだぞ。俺だったら、確実に幻滅する」
「や、やだやだっ。そんなの、絶対にやらっ……!? はふっ、んーっ。はあっ、離せぇ、離してくれぇ……♡ んふっ、くうぅ……♡ おっぱい、もうだめっ。またくる、きちゃうぅ……♡」
自分の拘束を受けた状態で、魏延がガクガクと腰から上を揺らす。その間も刺激は止めてやらない。イキたいだけ、イケばいいと孫策は思っていた。
瞬時のことだった。魏延の乳房を搾りながら、孫策はあたりを見回す。殺気を感じる。それも、雑兵連中が発するような弱々しいものではなかった。
「いますぐ、その手を離しなさい。おかしな動きを見せたら、ってあら……?」
あらわれたのは一頭の騎馬だった。弓。操っているのは女で、見事な構えで自分の脳天を狙っている。
淡い色をした髪が風に流されている。よく知っている声の響きに、孫策はふっと表情を緩ませた。
「かず……、孫策殿が、どうしてここに。はっ、もしや魏延が」
「おそらく、あなたのお考えになっている通りです、黄忠殿。返り討ちにするわけにもいかず、こうして」
「んへっ、あふっ……♡ た、助けにきてくださったのですね、黄忠どのぉ……♡」
「んぐっ……。い、いいから、あなたはそのだらしなくなった顔を引き締めなさい、魏延。孫策殿も、そのあたりで」
「ン……。ここからが本番だったというのに、残念だな。ほら、魏延」
「あ、ああっ……♡ って、んべっ……!?」
急に拘束から解き放たれた魏延が、したたかに地面で顔を打った。惚けた頭にはちょうどいい刺激だったのではないか。それで、立ち上がった時には、猛犬の雰囲気がもどっていた。
「ぐぬぬぬぬ。こ、この最低男をいますぐ射殺してください、黄忠殿。はあっ、はあっ……。こいつめぇ、散々ワタシの身体を弄んでぇ……!」
「いいから落ち着きなさい、魏延。こちらは、長沙の孫策殿なのよ。あなたが討伐に向かった賊などでは、決してないのだから」
「んなっ……!? というか、孫策ならそれはそれで好都合ではありませんか。どさくさに紛れて、ここで消してしまいましょうよ、ねっ? お偉方も、孫家は荊州の火種だって言っていたことですし」
「おい、魏延。言っておくが、全部聴こえているからな。それに、よく考えてもみろ。俺がここで変死をしたのなら、孫家の荒くれ者どもが一目散に飛んできて、おまえを八つ裂きにしようとつけ狙うのだぞ。とはいえ、死ぬ前にかわいがってもらえるだろうから、先程の望みは叶うだろうが」
「うげっ……!? ちょ、ちょっとした冗談を言ったまでじゃないか、ワタシは。あははっ。やだなあ、そう本気で捉えられると」
魏延の表情がころころと変化する。紫苑はこの状況に疲れ切っているようで、顔の半分を片手で覆い隠していた。
「んっ、こほんっ。面倒事を起こされても厄介です。襄陽を訪れるおつもりでしたら、孫策殿の身柄はわたくしの方で預かりましょう」
「ええっ? 追い返しましょうよ、黄忠殿。こんなやつ、われらの領内に入れていいはずが……」
「あなたは黙っていなさい、魏延。それとも、そんなに独房で寂しく反省会をしたいのかしら?」
「えっ、いやいやいやっ。それだけはご勘弁を、黄忠殿。なっ、孫策殿からも、なにか言ってやってくれよ。やらかしてしまったことは、このとーり」
両手を合わせた魏延が深々と頭をさげている。かわいいやつだと思った。猛犬かと思えば、すぐに子犬になったりもする。
「いいだろう。魏延にされたことは、内々の始末とする。それでよろしいかな、黄忠殿」
魏延が下を向いているのをいいことに、紫苑に意味深な笑みを投げかけた。
わざわざ自身の屋敷に招待すると言っているのだから、紫苑にもそうした期待はあるはずなのである。
未消化に終わった欲望のはけ口は見つかった。そのことに喜ぶ孫策は、畏まる魏延の肩を軽くたたいている。