※この作品はR-18です。

虎となりて   作:KKS

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投稿開始してから一年らしいです。


風の来訪

 朝。頭の上にあるのは、見慣れない薄汚れた天井だった。

 孫策が身体を起こそうとすると、隣で眠っていた女がすがりついてきた。かけてやる情はない。たまたま入った妓楼で、買っただけの女なのだ。手を使って突き放す。遊ばれていると勘違いしたのか、女がそれらしい表情を浮かべてみせるが、一瞥もせずに孫策は立ち上がった。

 昨夜何度もせがまれたが、商売女に子種をくれてやるつもりなど端からなかったのだ。こちらから使ってやるのは、指と舌だけ。女の感度を高めるだけ高めて、見飽きたら捨て置く。気が狂いそうだと泣きつかれても、興味が湧くことはなかった。それで壊れるのなら、壊れてしまえばいい。妓楼には遊びにやってきたのだから、情を向けている女相手にはできない真似を、やるだけだった。

 女狂いに育つのは上等だが、抱く相手だけは間違えるな。親子と男女の境目が曖昧になった頃から、義母から幾度となく叩き込まれてきた教えだった。道を違えかけた時には、平然と鉄拳が飛んでくる。剣の稽古と称して、宿老どもに手ひどくかわいがられたこともある。改めて考えると、あれで腹を立てた自分の愚痴を笑って聞き流してくれていたのだから、周瑜という女は昔から人間ができていたのだろう。

 美羽の手持ちの戦力を強化するために、まずは足下から見つめ直すべきだと思った。

 漢随一の名門を自負するだけのことはあって、校尉の質はそれなりである。物見遊山の体で袁術軍の演習を外から眺めたが、練度の低さから兵が命令についていけない場合が少なくなかった。加えて、派手な動きをすることで美羽の歓心を買おうとする輩もいる。七乃に手を回させて、そうした下心のある指揮官格は、すべて失脚させる腹づもりだった。

 女が袖を引いてくる。愛嬌のある顔をしているが、どこにでもいるような女だった。

 

「ねえ、お兄さんってば。せっかくなんだし、もうちょっと休んでいきなよ」

「用は済んだ。仲間が、また遊びにくることもあるだろう」

「えー? あたしは、兄さんがいいんだけどなぁ」

 

 特に後ろ髪を引かれることもなく、孫策は上乗せした金だけを置いて、部屋をでた。

 妓楼の入口で男が数人待機している。どれも昨日行われた演習で堅実な動きをしてみせた校尉であり、士気を高めるために孫策が遊びに誘った。酒を飲み、愚痴や冗談を言い合う。進んで身分を明かすことはせず、七乃の陣頭指揮によって、部隊の再編成があることだけは暗に伝えた。それで、最後に訪れたのが妓楼なのである。

 袁家の金で好き放題遊んだのだから、気分は爽快だった。校尉たちも、それぞれすっきりとした表情を浮かべている。

 あとは、七乃の補佐兼見張りとして、霞を袁術軍の柱に据えていく。面倒事を押しつけられたと霞は憤っていたが、再編がうまく進めば、どこよりも自由に振る舞える職場を作り出すことができるのである。小規模であっても、孫家は将の頭数だけは揃っている。だから、美羽のもとで立場を固めることは、霞にとってもそう悪くない話のはずである。

 上機嫌な校尉たちを引き連れ、孫策は欲望の坩堝から去った。

 

 

 拠点にしている街外れの邸宅にもどると、普段着用しないような文官の衣装で孫策は外に出た。大将軍姉妹を長沙にやってから、表向き自分は南陽を留守にしていることになっている。

 黄祖の襲撃で受けた傷がひどくなっている。劉表との決戦を見据えて、脱兎のごとく本拠に帰還した。あるいは、外の女にうつつを抜かし、各地をほっつき歩いている。流す噂の種類など、なんでもよかった。そもそも、標的である黄祖がくだらない流言を信じるとも思っていなかった。ただ、いざ戦となった時、わずかな間でも相手に無駄な思考をさせることができればいい。

 美羽と七乃の様子を見るために、洛陽にある宮殿を模したような建物に向かった。

 

「おっ。朝帰りとはいい御身分やないか、極悪雇用主さん。やらしい匂い振りまいて、こいつめぇ」

「そう焦るなよ、霞。これからだ、これから」

 

 孫策の姿を見つけて、霞が肩をぶつけにやってくる。冗談と本気の入り混じった口調だった。袁術軍で仕事をすることに、霞はまだ踏ん切りがついていない。とはいえ、一応美羽との折り合いはついているようだから、孫策は大して心配していなかった。七乃は、美羽の決めた事柄には逆らわない。主君の良人という立場になったからか、最近では自分の言うこともそれなりに聞いてくれる。

 それよりも、霞は話したいことがあるようだった。目立たないよう柱の影に身を隠す。微妙に熱を帯びた吐息が、耳をくすぐった。

 

「あのな、一刀。ついさっき、袁紹と曹操からの使者やー、って女が美羽の嬢ちゃんに謁見しにいったわ。これは間違いなく、ひと悶着起きるでぇ。くくくっ。愉しみやなあ、部外者としては」

「どこが部外者だ。まもなく、おまえは袁術軍の采配を握ることになるのだぞ。そこのところを、しっかり胸に刻みつけておけよ」

「ああん、いやぁん……。って、なにどさくさ紛れに乳揉んでくれとんねん! 衛兵に突き出してもいいんやで、無銘の文官さん?」

 

 さらしを巻いただけの無防備な乳房。ぐにぐにと遊ぶように両手で潰すと、霞から神速の突っ込みが返ってくる。

 妓楼の女とでは、味わうことのできない心地よさなのだ。牙を剥く霞を無視して、しばらく乳房にふれ続けた。昨晩使っていない下腹部の槍が、さっそくかたくなっている。

 

「はあ、もうええもうええ。とにかく、ちょっとばかし賑やかしにいこうや。一刀だって、もちろん気になるやろう」

「ン……。まあ、そうだな。曹操の仕掛けた遊びに、付き合ってやるとしようか」

 

 曹操は袁紹と結んで、素早く軍を動かしたようだ。あの二人の同盟は、確実に脅威となる。孫家は天下の大簒奪を狙っているのだから、そのくらいの壁がなければ面白くもなんともない。感覚としては、義母もおそらく同じだろう。

 二人の興した軍隊は、西に向かっていると間諜から知らされていた。曹操の狙いは、帝であるに違いない。混乱の最中にある洛陽に急行し、輝く玉を支配下に置く。悪くない判断だとは思った。行動を渋ってしまえば、運気はどこかに逃げていく。ただし、帝を帝たらしめる玉璽がすでに都から失われていることを、曹操たちはまだ知らないはずだ。

 

「おう、あれやあれ。なりこそちっさいけど、胡散臭さは抜群やな。洛陽でも、曹操の側にいるとこ何回か見かけてるわ。あんたも知ってるんと違う、一刀?」

「確か、程昱だったか。桂花を譲り受けた時にも、顔を見ている」

 

 小さな体躯に、長い金髪。最も特徴的なのが、頭に乗った妙な人形だった。

 曹操の世話になっていた頃の話を、桂花はあまりしたがらない。かつての憧れに対する義理を通しているのかもしれない。あるいは、話題にしたくない程度の苦い経験が、そこにあるのか。

 気配を殺し、孫策は霞と一緒に会談を見守ることにした。いつも通り美羽は玉座にふんぞり返っていて、すぐ側に七乃が控えている。程昱は、一段下がった場所から話をしていた。

 

「とまあ、挨拶と世間話はこのくらいにしておきましょうか。こほん。わが主君の同盟者である袁紹さまは、お身内であらせられる袁術さまのことを、いたく心配なさっておいででして、内容をこのまま申し上げても?」

「よい。続けよ、程昱とやら」

「はい、それでは」

 

 やはりというか、美羽はあまり興味がないようだった。おのれこそが、袁家の正当であるという矜持がある。しかも美羽には、孫家と手を携えて、天下に覇を唱えるという目標ができたばかりでもあるのだ。遠くにいる七乃と、一瞬だけ眼があった。七乃も七乃で、今更なにを袁紹に心配してもらうことがある、といった顔をしている。

 

「自分たちの船に乗るなら、今しかないと袁紹さまは仰せになっているのですよ。われらは洛陽の混乱を収め、帝のお力を再度高める所存でして。あとになってやっぱり一口かみたい、とお願いされてもそれは難しいじゃありませんか。なにせ、袁術さまは正真正銘の箱入りお嬢さまですので、それはもう究極の世間知らずだとお聞きしております。いろいろと成し遂げてからこう……、ごちゃごちゃっとなるくらいなら、ねえ?」

「うはははっ。もっと褒めてもよいのじゃぞ、程昱とやら。のう、曹操もなかなか面白き女を使者に立てたとは思わぬかえ、張勲?」

「ですねー、お嬢さま。それでそれで、袁紹さまの提案に、まんまとお乗りになってしまうつもりなんでしょうか」

「うーむ、そこなのじゃがのう」

 

 早くも酒が欲しくなってきたのか、霞が手で杯を傾ける動作をしてみせる。

 美羽こそ愉しげに笑っているが、七乃と程昱の間には見えない火花が激しく散っているのだろう。曹操も袁紹も、どこまで本気なのかわかったものではない。美羽が大人しく乗ってくるなら、別にそれでも構わない。歯向かうのであれば、勅命をもって叛逆者として斬り捨ててしまうつもりなのか。

 

「愉しませてもらって悪いがのう、程昱。妾は、その提案には乗ってやれぬ」

「おおっ、やはりそうきましたか。袁術さま、それでその心は?」

「うむ。無論、妾にも漢室を守り立てる意志はある。代々の名門として、それは果たさねばならぬ責務でもあるしの。じゃが、やはり」

「ああ……! お嬢さま、今日はなんだかとっても輝いておいでです。昨日の夜に、内緒でおかしなものでも召し上がられたのではないかと思ってしまうくらいに」

 

 玉座から立ち上がり、美羽が程昱を見据えていた。七乃が感動する気持ちもわからなくはない。ひとまず主君になるであろう相手の言葉を、霞も興味津々に聞き入っていた。

 

「麗羽姉さまは、曹操のやつと天下を共に戴くと決めたのじゃろう。つまりは、そうした相手が妾にもいるということなのじゃ。どこかにおる孫策は、この袁術の兄であり良人でもある。その主さまに対し、不義理を働くことなぞどうしてできようか。帰ってそう伝えるがよいぞ、程昱よ」

「ふむふむ……。こうなってしまっては、もはや風に打つ手は残されていませんね。よーくわかりました、袁術さま。……それでなのですが、とんぼ返りするのも面倒なので、今夜一日くらい泊めていただいてもー?」

「んん? あはっ、うははっ。そのくらい、好きにせよ。張勲に部屋を用意させるゆえ、朝までくつろいでいくがよいぞ、程昱」

「はいー。それではお世話をよろしくお願いいたします、張勲さん」

「うふふっ。お嬢さまのご命令ですから、仕方がありませんねえ。……せっかくですし、極上の空間をご用意いたしましょうか。愉しみにしておいてくださいね、程昱さん♡」

 

 美羽の発する言葉に感じるものがあったのか、霞は珍しく神妙に聞き入っていた。公にするのが少し早いと思いはしたが、いずれは誰もが知るところになるのである。それが美羽の意志によるものであれば、わざわざ腹を立てることもないと孫策は頷いた。

 しかし、あれだけ喧嘩をふっかけておいて堂々と宿泊宣言をしてしまえるのだから、程昱の胆力はかなりのものである。それでも、相手がタダで転ぶはずのない七乃であるのがよくなかった。引っかかりのある物言いである。あの悪女は間違いなく、今夜なにかしでかすつもりであるという確信があった。

 三人の会話を笑って見つめている孫策の頬を、霞が無造作に引っ張った。

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