※この作品はR-18です。

虎となりて   作:KKS

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我欲と激情と

 七乃から呼び出しを受け、いつものように文官の恰好で宮殿内の抜け道を通る。なにもなくとも三日に一度は顔を出すようにしているところを、わざわざ向こうから出頭を要請してきたのだから、相応の用件があってのことなのだろう、と孫策は思う。

 紫苑の亡命を受け入れた美羽は、璃々をそばに置いてかわいがるようになっていた。やんちゃな一面が目立ちやすい性格をしているが、名門の跡継ぎらしい器量の大きさも近頃発揮するようになっている。それは従姉である袁紹にも同じことを言えるのだろうが、生憎自分とはほとんど接点がない。

 

「なんでも、劉備さんがおいでになるそうですよ。お嬢さまに、劉表さんと孫堅さんの間に立って戦の仲裁をしてほしいそうですけど、……ねえ?」

 

 七乃の眼が、絶対お願いする相手を間違っていますよね、と言っている。

 いよいよ、戦に関する具体的な動きが出るようになってきた。ということは、亞莎と関羽の睨み合っていた前線での衝突が、はじまっているのだろうか。もしそうなら、自分のところにも近く報告があがってくるはずである。

 

「この件、劉備さんの独断で決められるようなことじゃありませんし、どうせ碌な結末を迎えませんよね。普通に考えたら、裏で糸を引いているのがあの黄祖なんですから。あっ、でも待って待って……。うんうん、それならいっそのこと……」

 

 わかりやすいくらいに、七乃の顔つきが悪くなっている。謀臣の力の出しどころなのかもしれないが、巻き込まれるのはおそらく自分だ。

 小さな呟きが生まれては消えていく。どうやら本番まで内容を明かすつもりはないらしく、孫策にできるのは肚をくくってすべての事態に備えることだけだった。

 

 

 そこから二日経ってから、劉備が宛城に到着した。ほぼ単身で乗り込んできたようで、護衛らしい護衛はつけていない。断ってもついてきそうな張飛の姿も、ないようである。

 少し前、劉表軍の一部が暴発するようなかたちで、孫家との戦がはじまっている。初撃をうまく受けた亞莎は、関羽と五分の戦を繰り広げているそうだ。一旦刃を振り下ろしたからには、はいそうですかと簡単に停戦するわけにはいかない。あるいは、煮えきらない関羽に痺れを切らして、劉表が麾下を動かしたのかもしれなかった。

 

「そうなると、美羽の軍の再編を急ぎたいところだが、さて……」

 

 こういうとき、名門であるがゆえの歴史ある土台が変化の邪魔をする。美羽のまわりには、まだまだ孫家色が濃くなることに対する拒絶反応が強い。それもそうだ、と孫策は思う。

 誰だって、いきなりやってきた若造に大きな顔をされたくないものだ。

 加えて、美羽による家の統制が強固になるほど、甘い汁は吸いにくくなる。既得権益に塗れた連中ほど、自分のことを疎ましく感じているのだろう。

 

「劉備です。孫策さんがこちらだと伺い、会いにきたんですけど……」

 

 普段人気を感じることのない隠れ家に、遠慮がちな声が響いた。寝ていた孫策が飛び起きる。まさかとは思ったが、ほんとうに劉備が訪ねてきたようだった。

 入り口から少しだけ顔を出し、招き入れる。まだ、あたりは明るい時間帯だった。

 

「張勲さんから教えてもらったときは、さすがに驚きました。まさか、ここであなたと再会できるだなんて」

「驚いているのは、俺も同じだ。まあ、座れ。じきに、騒がしくなるかもしれないがな」

 

 自分の言ったことの意味を、おそらく劉備はあまり理解できていない。

 それだけ、根が純粋な証拠だった。我欲の飛び交う乱世に、劉備のような女が芽を出している。思わずでかかった笑いを、孫策は押し込めた。

 

「戦のことは、当然ご存知なんですよね。暴発を抑えきれなかったのは、関羽ちゃんの失態なのかもしれない。義理の姉として、その非は認めます。だけど……」

「起こるべくして、起きた戦だ。長沙に赴任した段階から、劉表は孫家を敵視していたといっていい。おそろしかったのだろうな、きっと。田舎出身のけだものが、一部とはいえおのれの治める荊州で好き勝手をする。見過ごせる方が、どうかしているさ」

 

 刀を手に、外の気配を窺った。

 自分の直感が、これは杞憂ではないと告げている。あのとき見せた七乃の態度。そして、現実として隠れ家に劉備が訪れていること。到着してから間もなく、紫苑と璃々が美羽の預かりになってよかったと素直に思う。

 

「いつまでも、いまのような諍いを続けていいはずがない。そのくらい、孫策さんだって理解しているんでしょう。曹操さんと袁紹さんの結託だって、そうです。黄巾賊と闘った時みたいに、みんなで力を合わせれば、乱世だって」

「いいぞ、劉備。その調子で、おまえの我欲をもっと吐き出せ。孫家は、殻に閉じこもることをとうの昔にやめた。曹操も、未来を見据えて動いている。おまえは、どうだ」

「我欲。これが、私の掴みたいもの」

 

 椅子に座ったまま、劉備が自分の手のひらを見つめている。

 

「掴むか、捨てるか。迷っている暇は、たぶんないのだろうな」

「えっ。そ、孫策さん……?」

 

 抜刀して、身構える。驚いて立ち上がった劉備に、頭を低くしているように指示を出した。

 入り口。突き破られた。武装した男の姿が見えたのと同時に、孫策が斬りつける。立て続けに三人討ち倒し、劉備を連れて外に躍り出た。

 囲まれている。居並ぶ敵の中に、知っている顔をいくつか見つけた。排斥の決まっていた将校。あとは、美羽の影で懐を肥やしていた者たち。それで、すべてに合点がいく。

 

「最後に足がついたな、孫策。袁家に巣食う害獣退治こそがわれらの使命である。潔く、ここで散ってもらおうか」

「いいように踊らされているな、俺もおまえたちも。巻き添えになっている劉備は、かわいそうだが」

「知ったことか。乱心した孫策に、和平の使者として訪れた劉備は討たれた。われらが、その後始末をやったことにすれば、事態は丸く収まる。あとは、黄祖殿がうまく話を運んでくれよう」

 

 孫家に反感を抱く勢力のほかにも、黄祖の手勢までもが参戦しているようだった。

 敵は十や二十どころではない。霞がいてくれればよかったのだが、この時間、城の外で馬を駆けさせているはずだ。

 七乃め、と孫策が舌打ちをする。

 

「残念だが、おまえも黄祖に乗せられていたようだ。嫌になってくるな、謀臣どもの手駒として闘わされるのは」

「孫策さん。きゃっ……!」

 

 劉備を襲う刃を退け、孫策がすぐさま反撃にでる。

 腕っぷしの強そうな相手を見定め、そこから潰していく。喧嘩の常套手段だった。とにかく、全体の士気を挫く。ひとりで相手をするには骨の折れる人数だ。それだけ、敵は本気になって自分という存在を消しにきている。

 

「ごめんなさい、孫策さん。こうなるってわかっていたら、私」

「謝罪だったら、あとでいくらでも受けてやる。ははっ、そうだな。おまえの乳は、遊びごたえがありそうだ。そのくらいの我儘は、言わせてもらうぞ」

 

 劉備の息があがっている。

 この状態で、どこまで耐えることができるのか。そもそも、耐えて意味などあるのか。ただ無心に、孫策は敵を斬り続けた。

 

「よく我慢していると褒めてやろう、孫策。だが、茶番はもう終わりだ。弓兵、前へ。けだものに逃亡を許すな。確実に、射殺せ」

 

 肌という肌を、殺気に刺されているような気分だった。

 射手が弓を引き絞る。充血しきった左右の眼で、劉備がその様子をじっと見つめていた。弾けて前方に出ようとした孫策の耳に、喚声が響く。

 

「まてまてまてーい!」

 

 乗り入れてきた騎馬に、人垣が崩された。

 

「太史慈さんじょーう! 孫策の危機、みんなでさくっと救っちゃうよ!」

 

 馬上の女が戟を振るっている。

 率いる麾下は見知った顔ばかり。門番に制止されたであろうことは想像するに難くないが、強引に突破して駆けつけてくれたのだろう。

 形勢は、明らかに逆転している。完全優位を決め込んでいた横腹に、受けるはずのない痛撃を受けたのだ。ここからは、自分たちの狩る番となる。

 

「て、ていやっ!」

 

 近くにいた敵兵が、後頭部を分厚い本で殴られて地面に倒れる。その頑張りには、孫策も笑うしかなかった。

 

「あまり無茶をしてくれるなよ、桂花。だが、よく間に合ってくれた」

「はいっ! ですが、敬愛するご主人様のためでしたら、この荀彧どのようなお役目でも」

 

 しばらく顔をあわせていなかった反動か、桂花はすでに興奮気味である。麾下の騎馬隊は梨晏の指揮で掃討を開始していて、決着がつくまでそう時間がかかることはなさそうだった。

 あとは、問題の女がいつ姿をあらわすか。まとわりつく桂花の頭を撫でてやりながら、孫策は首謀者であろう男に近づいた。

 麾下に捕縛を命じようとしたところで、隣りにいた劉備が男に飛びかかる。

 

「どう、してっ。みんな、みんな闘いばかりやりたがるんです。はっ、はははっ……! この、このっ……!」

 

 馬乗りになって、劉備が男に拳を浴びせる。一発。また、一発。あえて止めることもないと孫策は思った。

 劉備玄徳の我欲が、牙を剥いているのだ。そうでなくては、乱世に生きている意味などない。衝動なくして、天下を変えることなどできるはずがない。

 なに食わぬ顔で歩いてきた七乃が、劉備の肩をぽんと叩いた。当たり前だが、美羽の姿はどこにもない。すべては、この悪女が単独で仕込んだことだ。

 

「はーい、そこまで。続きは私がきっちりみっちりして差し上げますので、劉備さんはそのくらいで」

「んっ……。はっ、えっ、あっ……?」

 

 われに返ったかのように、劉備が殴打の手を止める。いつもと変わらない胡乱な笑顔で指を一本掲げ、七乃が切り出した。

 

「いやはや、壮観ですねえ。あなたに、あなたに、そしてあなたまで。うふふっ。きーっちり、洗い出してあげますので安心してください。あと、一応裏は取ってありますので、無駄な抵抗はやめてくださいね」

 

 こうなってしまえば、あとは七乃の独壇場である。孫家に反感を抱く人間を炙り出し、一気に殲滅してしまえる。強引な手ではあるが、いまはこだわっているだけの時間がなかった。

 敵を釣る餌として、自分ほど相応しいものはなかった。ただ、それだけのことなのだ。

 

「七乃。やってくれたな、天下の大悪人め」

「はい、それはもう。ここで討たれるあなたなら、別に捨てても惜しくないと思っていましたので。だけど、どうやら」

 

 言ってからすぐに唇を吸われる。そばから、桂花の歯ぎしりの音が聞こえていた。

 七乃の舌が、絡みついて離れない。動きに応じてやると、熱い吐息が顔に降り注いだ。

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