「同級生」という古いゲームの、忘れられた男女のその後です。
OVA版「同級生2」田中美沙編の後日談。
CVは、ぜひ田中美沙=こおろぎさとみさんと、諸岡わたる=岩田光央の兄貴でお願いします。
ハーメルンとpixivで挿絵が異なります。
ごめんな、美沙。
美沙がいなくなって、俺、お前のことがどれだけ大切だったか、やっとわかったんだ。
あたしこそ……ごめん。
こんなに、まだ……ずっと……好きなのに。
怖かった……わたるがいなくなって、寂しかったんだから!
好きだよ、美沙。
あたしも……大好き、わたる。
※
喧嘩をして、別れてしまった。
あの夏の日。
互いを許し合ったわたると美沙は、二人の街へ帰るのももどかしく、そのまま避暑地の外れのペンションへ駆け込むと、シャワーも浴びずに抱き合った。
「わたる、あたしね……あたし……」
話さなければならないことがある。
自暴自棄になって、わたると似た人に心を傾かせた。
わたると行くはずだったあのリゾート地で、わたるとするはずだったことをその相手とした。
プールも、テニスも、遊園地も、ディナーも。どれも。
わたるのことを忘れられるなら、それでいいと思った。
「ごめんね、わたる。ごめん……」
言葉は拙い。
美沙の声は、震えていた。
そんな美沙の唇を、わたるはくちづけで塞いだ。
それがわたるの答えだった。
「ん……わたる……」
「話してくれてありがとう、美沙」
口内で舌先を絡めながら、二人はじっくりとお互いの存在を確かめ合った。
互いに服を脱がし合う。
生まれたままの姿でベッドへ横になると、わたるは美沙の身体中にキスを繰り返した。
「あ……ん……」
唇から、頬、うなじへと、美沙のくぐもった喘ぎ声を確かめながら、わたるは美沙の豊かな乳房の中心にある、桜色の突起へと舌先を這わせた。
「あっ……わたる……」
わたるが吸いつくように乳首を舐め回すと、美沙はたまらずわたるの頭を両手で抱え込んだ。
「美沙……」
美沙の右手がわたるの腹部から太ももを滑るようになでる。
わたるも美沙も、お互いのことは知り尽くしている。
わたるが体を起こして、横たわる美沙の顔の前へそそり立つ自分自身を差し出すと、美沙は愛おしそうに手を添え、しごいた。
「はぁ……はぁ……」
わたるも美沙の下腹部へと右手を伸ばす。美沙がうっとりとした表情でわたる自身を口に含んだのとほとんど同時に、わたるは美沙のクリトリスに中指をそっと当てがった。
「ん……あ…ん……」
浅く、深く、美沙の口が前後するだけで、わたる自身はビクビクと跳ねるようにあっという間に硬度を増した。
自身の先端に美沙を感じながら、わたるは中指の腹で円を描くように、緩やかに美沙のクリトリスを刺激した。
「んっ……んん……っ!」
快楽に震える美沙のくぐもった声が、美沙のフェラチオをより甘美な刺激へと変化させる。
わたるは、指先をさらに美沙の中心へ移動させた。そこはすでにわたるの予想よりも濡れそぼっていて、わたるの中指と薬指をたやすく中へと埋没させた。
「んっ!」
美沙が好きな入口上部を緩くなでる。そこから指を慎重に前後させるだけで、美沙の愛液はさらに溢れて止まらなくなった。
「指だけじゃ、や……やだ」
「俺も、美沙」
二人とも、もう我慢ができなかった。
小鳥のようなキスを数回交わした後、わたるは美沙の前へ移動した。美沙は潤んだ瞳でわたるを見上げながら、両手を内ももに添えて、自ら両脚を開いた。
「ほしい、わたる」
わたるは美沙を見つめながら、やさしく笑い返す。
「好きだよ、美沙」
その笑顔は。
十八歳のあの夏の日に——。
保健室で初めて見た、わたるの笑顔だった。
「あたしも、大好き、わたる」
ゆっくり、わたるが美沙の中に分け入って——。
二人はひとつになった。
「あ……っ」
わたるが美沙の最奥に到達し、互いの下腹部がぴったりと密着した瞬間、美沙はぶるっと小さく震えて、迎え入れたわたるを溢れた愛液で包み込んだ。
挿れただけで達してしまった気恥ずかしさに美沙は頬を赤く染め、そんな美沙の可愛らしさに、わたるは目を細める。
「うれしい、美沙」
「バカ……」
自分の中に、わたるを感じる。
心も体も、無くしたピースが再びぴったりと合わさったのを感じた。二度と戻らないと思っていた大切なものが、手の届く場所から自分にあの笑顔を向けている。
「夢じゃ、ないのね……」
わたるの頬をなでながら、美沙は大粒の涙を流した。
「ちゃんといるよ、美沙」
掠れたハスキーボイス。
美沙の好きな声。
「美沙……」
「わたる……あ……っ!」
わたるは慈しむように、美沙の両膝に両手を添えてやわらかく腰を前後させた。
「あっ……わたる……っ!」
「いいんだ、美沙」
「あッ! あッ!」
「すぐに、また、俺のことしか見えなくさせてみせるから」
「うん……っ」
わたるはやさしかった。
いつもそうだった。
わたるはスケベでアホでバカだったが、いつでも美沙にはやさしかった。いつもやさしく彼女を抱いた。
時間をかけて、二人はお互いを求め合った。
ゆっくりと美沙の中を往復しながら、わたるが美沙の双丘にある桜色の頂きに舌を這わせる。そんなわたるの頭を、美沙は子供をあやすようにそっとなでた。
「わたる……んっ……あ!」
バックから獣のように突き上げられる度、美沙は体をしなやかにのけ反らせて、中心から溢れた愛液がベッドのシーツを汚した。わたるの動きに合わせて、美沙もいやらしく腰を前後させる。
「あっ! やっ! わたる!」
「すごいよ、美沙……っ」
「あ! んんっ! 見て、わたる」
わたるに跨りながら、美沙はM字に両脚を開いて、二人がつながっている様を見せつけた。上体を前に倒し、深いくちづけで互いの口内を味わいながら、わたるは上下する美沙の腰の動きに合わせて、自分自身を下から激しく打ちつけた。
「あッ! あぁッ!」
わたるが上体を起こして、美沙はたまらず彼の首に両手を回してしがみつく。
「わたる……っ!」
それは初めての感覚だった。
哀しさや寂しさではなく、ただ大切な人と共にいられることの悦びが身体の内側から溢れていた。それが自分とわたるを包み込んでいくのが、美沙にはわかった。
「ひっ……く…ん……」
腰を前後に擦りつけながら、美沙は泣きじゃくった。
「も、もう……離れるの…や、やだ……んっ! わたると離れるの、いや! いやなの」
美沙の涙を、わたるはついばむようなキスでいたわった。
「俺もだよ、美沙」
「わたる……」
美沙に、少しずつ笑顔が戻っていく。
体位を変える毎に、美沙は絶頂を繰り返し、わたるは美沙の一番奥深くで幾度も果てた。その度に、美沙はなおも屹立するわたる自身を口に含んで、何度も射精を促した。
「み、美沙……。う、あ……無理しなくていいんだぞ?」
「ん……いいの……。わたるの、もっと、欲しいから……ん、ん……出して」
睾丸に舌を這わせ、わたる自身が快楽に負けて先端から透明な愛液を滴らせると、美沙は裏筋を舐め上げながらそれらを全て舐め取り、もう一度わたる自身を呑み込んで、しごきあげた。
「んっ……ん……っ!」
「も、もう、美沙ッ!」
「ん……いいよ、わたる」
「あ! み、美沙ッ!」
ほんの少し腰を浮かび上がらせ、わたるは白い欲望を美沙の口内へ放出した。
びゅ……びゅる……と、愛液はとめどなく溢れて美沙の中へ注ぎ込まれる。
ようやくわたるの先端が落ち着いた頃、わたるの全てを美沙はこくりと飲み下した。
時間は、いくらあっても足りなかった。
「わたる……わたる……ッ!」
涙は枯れることなく、美沙はずっとわたるの名前を呼び続けた。そうしていなければ、再び彼が手の平から滑り落ちて、今度こそ見失ってしまいそうだった。
「美沙……ッ!」
深くつながり、突き上げながら、美沙が名前を呼ぶ度に、わたるもそれに応え続ける。
「もう、絶対……あ! 離れない、から!」
「そばに、いるよっ……美沙!」
「イク……! また、イッちゃう、わたる!」
「俺も、美沙……!」
それは何度目の放出だっただろう。
唇と秘部を深く結びながら、わたると美沙は同時に達した。
美沙が確かに自分のものであることを主張するように、わたるの先端は美沙の奥深くに白い印を刻みつけ、美沙は両手と両脚でわたるにしがみついて、彼の想いの全てを受け入れた。
震えるような、わたるの射精が続く。それが収まる兆しが見えても、美沙はわたるを離さなかった。
「ん……」
幾重にも、キスを重ねる。
「はぁ……はぁ……」
わたるが未だ衰えない自分自身を引き抜くと、美沙の中心から大量の白濁した愛液が溢れた。それを拭き取ることもせず、美沙はわたるの腕枕に甘えて、二人は横になりながら見つめ合った。
「おかえり、美沙」
「ただいま、わたる」
瞳を閉じ、深い——深いキスを交わして。
ようやく二人は、あの頃の自分たちに戻った。
それから三日間、二人はほとんど休むことなく愛し合った。
四日目の朝。
チェックアウトの後、ペンションの裏手にある小さな湖の湖畔で、美沙とわたるは手をつないで朝日を眺めていた。
「あのさ……」
「うん」
「美沙が三年になったら、戻ってこれるだろ? そしたら、その……」
「うん……」
「また一緒に、暮らさないか?」
「……いいの?」
「美沙が言ったんじゃないか。もう絶対離れないからって」
わたるよりも先に、美沙の方がつないだ指先にやさしく力を込めた。
「ずっと、そばにいてね」
「ああ」
「約束だよ?」
美沙はわたるの肩にそっと頬をすり寄せた。避暑地の夏の風は涼しく、わたるの好きな彼女のポニーテールが、そよそよと風に揺れていた。
※
「あぁーもう! 腹立つなぁ!」
美沙の怒声に、店内の客たちが一斉にこちらを振り返る。
叩きつけるようにグラスをテーブルに戻した美沙を尻目に、美穂と舞は愛想笑いを周囲へばら撒いた。
「またわたる君とケンカしたの、美沙?」
ストローでオレンジジュースに口をつけながら、美穂はさして心配した様子も見せずに言った。
鈴木美穂と桜木舞。
どちらも美沙の高校時代からの友人だった。特に美穂とは、今でも頻繁に連絡を取り合う親友である。
「そうなんだよ! こっちは大事な話をしようと思ってたのに! またあいつったらさ! アパート出てくる時に足までくじいちゃうし、もう散々だよ、まったく!」
やれやれ——と、美穂と舞は互いに目配せする。
「今日の相談って、その話?」
舞になだめられて、美沙はようやく声の調子を戻した。
「あ……そうじゃないんだけど。おっきい声出して、ごめん」
美沙は二人と自分を見比べて目を伏せる。
美穂は相変わらず幼い容姿をしていて、これで自分と同じ二十八歳とは信じられないが、学生の頃よりもはっきりものを言うようになった。
舞は品格さが増し、立ち振る舞いもしっかりしている。言い寄ってくる男の数は、あの頃の比ではないだろう。
——変わってないのは、あたしだけか……。
「え?」
美沙が辿々しく言い終えると、美穂と舞は大きく目を見開いた。
「よかったじゃない、美沙」
「おめでとうっ、美沙」
「いや、まだ、ちゃんと検査とか受けたわけじゃないから」
喜びと不安は同程度だった。こんな気持ちは、わたるとつきあい始めた頃の感覚に似ている。
その時、コンコンと窓を叩く音が響いて、三人は同時に振り返った。
道路に面した全面張りのガラスの向こうから、わたるが笑顔で手を振っていた。
「美穂も舞ちゃんも、久しぶり」
わたるは店内に入ってくると、美穂と舞に向かって軽く手を上げた。白いTシャツにデニムというシンプルでラフな服装だったが、酷く汗をかいていて、息も少し乱れていた。美沙とお揃いの白いスニーカーを履いていることを、美穂も舞も見逃さなかった。
仕事は、肉体労働だっただろうか、それとも美沙にあわせてスポーツを嗜むようになったのか——舞は思う。背が伸び、身体も逞しく引き締まっていて、学生の頃のような子供っぽさが抜けている。年相応の、魅力的な大人の好青年だ。これで性格があの頃のままなら、美沙はずいぶん苦労しているかもしれない。
「こんにちは、わたる君」
「美沙のお迎え?」
「そうなんだけど……」美沙はむすっと頬を膨らませて窓の外に顔を向けていたので、わたるは頭をかいた。
「まだヘソ曲げてるみたい」
「むかっ」と美沙は口に出してから、わたるの方を振り返った。
「だいたい、わたるがあたしが大事にとっておいたケーキ黙って食べたのが悪いんじゃない!」
美穂と舞の目が同時に点になった。家を飛び出したケンカの原因って、もしかして、それ?
「そりゃあ。黙って食べたのは悪かったけど。あのケーキはな、美沙。賞味期限が三日も切れてたんだよ」
「え?」今度は美沙の目が点になる番だった。
「うそ……」
「商店街のケーキ屋はな、うまいけど添加物使ってないとかでスーパーのやつとかより賞味期限が短いんだよ。夏だし、腹壊したら大変だろ? だから、後から買い直しておこうと思って、もったいないから俺がもらうことにしただけなのっ」
「そ、そうなんだ。ごめん……」
こういう時、素直に謝れるようになった美沙に、美穂は感心した。
「わたる君も一緒にどう?」
舞の提案に、わたるは首を横に振った。
「せっかくだけど、遠慮しとくよ。汗臭い男が混ざると、美女三人の華やかな雰囲気が台無しになっちまう。近くのコンビニで涼んで、時間がきたら美沙受け取りに来るから」
「わたる、すごい汗……」
ようやく美沙はわたるのTシャツが汗で濡れていることがわかって、自分の席のドリンクをわたるに差し出した。
「お、さんきゅー」
美沙が支えるストローを、わたるがちゅうちゅうと吸い上げる。
「これ、炭酸水?」
「いや?」
「おいしいけど、せっかくなんだからジュースかアイスコーヒーでも頼めばよかったのに」
美沙はわたるの言葉を無視して、美穂と舞の方に視線をやった。わたるの大量の汗の意味がわかって、早くあのことを伝えたいのだと、二人は理解した。
「ちょうど食べ終わったし、一緒に帰るよ」
「え、よかったのか?」
美穂と舞が同時に頷いたので、わたるは今度は頬をかいた。
「なんか、変な感じ」
会計を済ませて外へ出ると、夏の強い日差しがアスファルトを照らしていた。
西暦二千年を過ぎても、ノストラダムスが予言したような世紀末はやってこなかった。パソコンや携帯電話と呼ばれるものがインフラ化し、世の中は加速度的に変化して、古い建物や人間だけが置き去りになっている。
「二人の顔、久しぶりに見れてよかったよ」
無邪気な笑顔を美穂と舞に見せた後、わたるはおもむろに傍らの美沙の前に片膝をつくと、彼女を無理矢理背中におんぶした。
「え? えぇ⁉︎」
両脚を抱えて、わたるはあっという間に立ち上がったので、美沙は抵抗することができなかった。
「や、やめてよ、わたる! 恥ずかしい! 子供じゃないんだから」
「家出る時、足痛めてただろ。いいよ、これくらい。長引いたり癖になったりしたら、仕事できなくなるぞ」
「今日、スカート短いんだから! 下着、見えちゃう」
「じゃあ、見えないように押さえてるから」
「ば、バカ! お尻触りすぎ!」
「いいじゃん、それくらい。昨日一緒に風呂入った時はもっと触ってって言ってたくせ……あだーっ!」
美沙はわたるの後頭部をボカっと殴りつけると、両手でわしゃわしゃとわたるの髪の毛を掻きむしった。
「言うな、バカ!」
「なにすんだよ」
「お・ろ・せッ!」
「あったまきた。絶対降ろさないからな」
仲良いわね、とクスクス笑っている舞を尻目に、美穂はどこかうれしそうな笑顔を美沙に向けた。
(ほんとに、よかったね、美沙)
もう八年も前のことになる。
ちょっとした行き違いでわたると別れたあの夏の日。
美沙は壊れた。
大丈夫だから。
吹っ切るまで、ちょっと時間がかかってるだけだから。
そううそぶく美沙を、美穂は見ていられなかった。
あそこまで笑顔を見せず、寂しそうな美沙を、美穂は見たことがなかった。
後悔していたのはわたるも同じだったはずだ。だから彼は、突然アルバイト先のフラワーショップを訪ねてきたのだろう。
『どうしたの?』と、俯いたまま何も言わないわたるに美穂は訊いた。
別れたという話は美沙から聞かされていたが、自分からは言わなかった。わたるは、美穂にとっても初恋の相手である。意地悪な気持ちが働かなかったかといえば嘘になる。
『いや、なんでもないんだ。ちょっとふらっと寄っただけで……』
『美沙と連絡つかないんでしょ? だから、わたしに訊きに来たんじゃないの?』
わたるは項垂れたように俯いたままだった。
『わたる君、ほんとにいいの? 美沙と別れちゃって』
『いいんだ、もう……』
『ただの恋だったの? 高校のアルバムに挟んである……あんな子とつきあってたこともあったねって思い出すだけの……美沙とは、そんな恋だったの?』
泣き出しそうなわたるの顔を、美穂はその時初めて見た。
大丈夫だと思った。だから、美穂はわたるに美沙が宿泊しているリゾートホテルの電話番号を教えたのだ。本当は、美沙がわたると旅行するためにこっそり予約していたホテルの番号を。
今考えると、美沙もまた、わたるに自分を見つけてほしかったのだと思う。でなければ、傷心旅行で宿泊するホテルの番号を、わざわざ友人である自分に教えておくことはないはずだ。
「もうケンカやだよ、俺。暑いし。帰りにコンビニでアイス買って帰ろうぜ」
「バイクでくればよかったのに」
そうしなかったのは、美沙がアパートを飛び出してしまって、気が気ではなかったからだろう——と、美穂と舞は思う。Tシャツが汗でぐっしょりと濡れ、息を切らしていたのは、それだけ走り回って美沙を探していたからに他ならない。
「どこで二人と会うのか聞かされてなかったんですけど、俺?」
「あ、あれ? そうだっけ、あはは」
「お前なぁ、なんか今日おっちょこちょいだぞ」
(しあわせなんだね、美沙)
わたるといる時、美沙は活き活きとしていて、しあわせそうだ。全力で言い合いができるということは、彼にだけは、自分を全部さらけ出して、甘えることができるということだろう。
美沙の全部を受け止めてくれる人がわたるでよかったと、美穂は思う。
「じゃあ、美沙もらってくね」
「お昼ご飯、つきあってくれてありがと、美穂、舞。今度は晩御飯に誘うから」
「どうせなら、二人の自宅で晩餐でもいいわよ?」
「う……。狭いし、部屋が汚いから、それはやめた方がいいかも……」
遠ざかっていくわたると美沙を、美穂と舞は二人が角を曲がって見えなくなるまで見送った。
「美沙、ちゃんと伝えられるかな?」
あの話を聞かされた時、あの問題児の諸岡わたるがどんな顔をするのか、直接見てみたかった気もする。
美穂と舞は、顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
河川敷の土手を、二人は歩く。
空は夏らしい抜けるような青空で、川の水面は降り注ぐ陽光で煌めき、遠く続く川の向こうには、大きな入道雲が見えた。
「ごめんね、わたる。あたしの勘違いで飛び出して」
ふぅ、ふぅ、と隠すように息を吐き出しているわたるの背中に、美沙はそっと額を当てた。わたるのTシャツはじっとりと汗ばんでいて、夏と……いつも二人肌を重ねる時に感じる、わたるのにおいがした。
「あんまりくっつくと、汗臭いのうつるぞ」
「いいよ。わたるの匂いなら」
美沙がわたるの首筋にそっとキスをして、わたるはくすぐったそうに背筋を正した。
「今日の晩御飯、そうめんでもいいか? この前美沙のお養母さんにもらった野菜、天ぷらにしてさ」
家事は当番制にしているが、わたるは料理だけでなく、掃除や洗濯までそつなくこなしていた。美穂や舞に話して聞かせたら驚かれそうだが、高校の頃から一人暮らしをしているので、自活能力が高いのかもしれない。実際、美沙よりわたるが作った料理の方が、味はおいしい。
「しょうが、冷蔵庫にあったかな?」
「ないかも。美沙のケーキも買いたいから、やっぱりコンビニじゃなくて商店街寄って帰るか」
「さすがにその時は自分で歩くから」
他愛ない会話をしながら、ふと前方の土手の下に、自転車が横倒しになっているのが見えた。
自転車の傍らには制服姿の女子高生がうずくまり、隣に同級生らしい男の子が片膝をついている。
美沙の中で、とくんと想いが跳ねた。
人生には、いくつかの重要な分岐点がある。自分にとってのそれは、間違いなく高校三年生の夏と、わたると一度別れた二十歳の夏だろう。
高校生の夏、自転車で転んで怪我をした時、もしわたるが通りかかって自分をおんぶしていなければ——。
わたると別れた二十歳の夏、もしわたるとすれ違ったままだったら——。
自分はどんな人生を歩んでいただろうか。
わたるのいない生活を考える。わたるではなく、別のパートナーと人生を歩んでいる自分を考えてみる。
それだけで、涙が出た。
それはとても寂しい想像だった。
このスケベでアホでバカな男との生活で、これまで何か特別なことがあったわけではない。
ただ、楽しかった。
バイクでツーリングへ行き、スポーツをして、二人で手をつないで買い物をする。
つきあって初めてのクリスマス、わたるが指輪をプレゼントしてくれた時、うれしくて人目もはばからずに号泣し、困ったわたるがその場で泣き止むまで抱きしめてくれたぬくもりは、一生忘れないだろう。
プレゼントされた左手中指の指輪は、今は二人の薬指のマリッジリングへ変わったが、それで二人の関係が大きく変わるわけではなかった。仕事が終わって二人で入るお風呂や夕ご飯に、抱き合って眠る毎日。一日の終わりに、わたるが自分の名前を呼び、美沙がわたるの名前を呼ぶ日々。
それだけで、美沙はしあわせだった。
〝すぐに、また、俺のことしか見えなくさせてみせるから〟
その言葉の通り、わたるはほとんど毎日美沙を求め続けた。美沙の体調が悪い日を除いて、二人がつながらなかった日が一週間以上空くことはなかった。
〝好きだよ、美沙〟
その言葉が聞きたくて——。
美沙もまた、幸福と安らぎの中で、わたるの名前を呼び、求め続けた。
——他の人もこんなにするものなのかな?
経験の少ない美沙にはわからない。
土手の下で、男の子が女の子を背中に背負っているのが見えた。かつて——そして今日も——わたるが自分にそうしたように。
「素直にならなきゃ」
あの時、意地を張らずにわたると向き合うことができていたら。
バカな破局なんかせず、わたると歩んでいく自分がいたのかもしれない。
——がんばって、あの頃のあたし。
遠く顔も見えないその二人に、美沙は小さく手を振った。
「大丈夫か、美沙? 暑いだろ。ごめんな」
「ううん、大丈夫。ありがと、わたる」
「絶対商店街でアイス食おうぜ」
「……………」
「ふぅ……ふぅ……」
「……わたる?」
「ん?」
「父親になるかもしれないって言ったら、どうする?」
「え?」
「来ないんだ、あれ。まだ、わかんないけど」
むしろあれだけ毎日身体を重ねていて、これまで妊娠しなかったことの方が奇跡だ。
わたるはピタッと足を止めた。
狼狽えたのかな? と美沙は思ったが、そうではなかった。
わたるは一度美沙を地面に立たせると、今度はお姫様抱っこで美沙を抱き上げた。
「え? わ、わたる?」
「おんぶだと、美沙のお腹によくないから」
わたるがよろこんでいることがわかって、美沙は顔中を真っ赤に染め上げた。
「わたる、お前わかってるのか? 子供ができたら、あたしのジムの仕事だってどうするか考えなきゃいけないし、今の部屋だって狭すぎるし、二人で考えなきゃいけないことがたくさんあるんだからなっ。え……えっちだって、今みたいに毎日はできなくなるし……」
「なんでもするよ、俺。美沙のためなら、なんでもできるから」
またいい加減なことを——とは、美沙は思わなかった。
わたるはスケベでアホでバカだが、興味がないことをやらないだけなのだ。事実、自炊や家事の能力は主婦なみで、美沙は頭が上がらないことも多い。美沙の家へ挨拶に行った時、堅物の両親とわたるがあっという間にうちとけたことに、美沙は驚いた。見栄や偏見に捉われず、裏表なく人と接することができるのがわたるのいいところだから、子供ができても、わたるも自分も何も変わらないのかもしれない。
二人で一緒に考えていこうと、美沙は思う。勝手に悩んで、傷つけて……そんなことは、あの一回だけでもうたくさんだ。
「なぁ、美沙」
「なぁに?」
「しあわせになろうな」
「あたし、もう、充分しあわせだよ、わたる」
「もうちょっとしあわせになってもいいんじゃない?」
「でも、ホントに妊娠してたら、しばらくプールも海も旅行も行けないね」
「いつでも行けるさ。二年後でも、五年後でも」
「うん」
美沙はわたるの首に両手を回した。そうして、周りに人がいないことをきょろきょろと確認してから、顔を近づけてわたるの唇をそっと奪う。
遠く夏の入道雲が、そんな二人を見て笑っていた。
※
「ん……や、だめ……わたる」
わたるの舌先が恥部の奥を舐め回して、美沙は右手で抑えていた口元から微かな喘ぎ声をもらした。
「あっ……い、イク……っ」
ぶるっと小さく震えた後、美沙の中心からとろとろの愛液が溢れた。わたるはそれを、口と舌で吸いつくようにもらさず呑み込んだ。
「ん……」
満足そうな表情で美沙の足の間から顔を上げたわたると、美沙の視線がぶつかる。
「だめ、わたる。子供、起きちゃうから」
寝室の隣のリビング。座布団の上ですやすやと居眠りをしている幼児を、美沙は盗み見た。
「いらないの? ほしくない?」
「……………」
わたるの質問を、美沙は無視する。
「げ、元気すぎ。あたしたちもう、学生じゃないんだから」
「俺はおじいちゃんになっても、美沙とするつもりだけど」
いやか? というわたるのまっすぐな瞳に、美沙は頬を赤く染めながら、せつなく目を細めた。
「いや……じゃない」
くちづけを合図に、美沙がわたるの首元に両手を回し、二人は敷布団の上へゆっくり倒れ込んだ。
「好きだよ、美沙」
「わたる……大好き」
心が迷わないように。
互いの名前を呼び合いながら。
わたると美沙の青春は、大人になった今も、続いている。
了