「名前はなんという?」
デュギの町へ向かう途中、デュライの当主が彼に尋ねて来た。名前はあった。姓こそ無かったが、母親はちゃんと彼に名前をつけてくれた。
「デリタ」
本当はデイリタという名だが言いづらいのでその様に答えた。姉の名前はティッタだった。母のはシドラだ。村には姓が無い者がたくさんいる。小作農や奴隷に苗字などいらないのだ。
「そうか。デリタか。いい面構えをしている。顔立ちも整っているな。俺にはそこのパドナを含め、3人の娘がいる。どれか1人の婿になれ」
冗談だろう。パドナが彼の頭を撫でた。真に受けないで。
「そう言ってますよ?」
「まあな。その通りだが」
彼は皮肉めいた笑いを顔を作ってやりたかった。前世では隣国に恐ろしい程に強大な軍事大国があったから心が休まらなかったが、一国の王子であった。
(貴族が奴隷の生涯を送る。悲しいことだな。でもこれが、罰というやつだ。)
たどり着いたデュギの町は、血しぶきの痕と死体だらけだった。女で若い者は汚された股をさらしたまま果てている。姉や自分と同じぐらいの女の子もだ。
街で一番の金持ちと言われるソブヤン一家も皆殺しだった。まだ小さな赤ん坊も。一家の遺体は燃え続ける屋敷の前で血だまりを作っていた。
「ひどいことを……」
「ベイオルブに
解せなかった。このような紛争が起きれば必ず国の軍隊が動くはずだ。あの平和だった前世の祖国では全く無かったが、隣国はそうだった。魔族が棲む中央山地で南北で分断されていたのに、それなりにうまく機能していた。
「仕方が無いのだ。この大陸には国がまともに動いているところなど、1つも無いからな。部族や都市が各々で好きなように決めている。法も軍備も。ベイオルブはそういうところを付け狙ってくる」
ベイオルブが何かまったくわからない。母や周りの大人から、そんなことは一度も教わっていなかった。いや、外の世界も。集落の者の誰もが、驚くほどに無知だった。
「知らんのか。なら教えてやろう」
この世界には北の大陸と『中つ国』とあだ名される中央の大陸、デリタやデュライ一家が住む南の大陸がある。ベイオルブは中央大陸に覇を唱えた国だ。3人の元帥と4人の大将軍、12人の恐るべき勇士を従えている。
その王は『魔光王』と呼ばれ、畏怖されているウルティーマ。世界で最も優れた魔術師であり、魔の世界の者の血が流れているそうだ。同じく魔人のダイスダック、ザールバック、アルルーマという三元帥を従え、中央大陸の様々な国を滅ぼし、覇王となった。今度は世界征服に乗り出そうとしている。
「それを討つ為に南の大陸は勇者を送った。大陸に伝わる闇の魔剣『死の伝道者(デス=ブリンガー)』を唯一使いこなせるというバーフレアだ」
そのバーフレアの生まれ故郷がデュギの街だった。数十の無双の戦士らとともに旅立った。その中にデュライの当主の弟が2人、加わっていた。
その勇者からは2年ほど音沙汰が無い。
「今頃は北の大陸にいる『聖者』と合流し、魔光王の軍勢と戦っているところだろう」
「『聖者』ですか?」
「大公にして聖戦士のヴァーリンデン。聖者大公と呼ばれる人物だ。まだ若いそうだが一族が持つ聖剣に選ばれている」
『光の導き手(ライト=ブリンガー)』がそれ。ヴァーリンデンの祖先はその剣で闇の王と呼ばれる魔人を討ち果たしたという。しかし魔光王は光の力もあるという。果たして『死の伝道者』と『光の導き手』でそれを、殺せるのか。
「どちらも駄目なら、伝説の伝説という様な秘宝を探すしかないだろうな」
「秘宝、ですか?」
「そうだ。『破壊の導者』と『殺戮の聖母』だ」
「それも、何かの武器でしょうか?」
「秘剣と呼ばれる二振りだ。遥か昔、破滅の神がその妻の女神が鍛えたものだという……この南の大陸での伝説だがな。あるかどうかもわからん」
デリタは疑った。そんなホラをどうして実在しているかのように考えているのだ?
(……なるほどな。あるかどうかわからないのはごまかしているだけだろう。つまりはこの御仁は在りかの見当はついている。と思った方がいい。)
そんな話をするといのは、実際にあると見込んでいるからだろう。もしかしたら自分が間違っているかもしれない、前世よりも迷信がはびこり、信じられている可能性もある。
「デリタ、これからどうする?」
集落に戻る選択肢は考えられなかった。あそこに戻っても何もできないだろう。下僕として働ける歳まで待つのは無理だろう。だいいち、あの集落には何の思い入れも無かった。
「なんなら、俺のところで暮らさないか?」
デュライの当主の申し出を彼は受けた。そちらのほうがまだ活路はあるだろう。
□ □ □ □ □
デュライの家には3人の娘がいる。長女のパドナと次女のリアザ。デリタと同い年の3女のエムラだ。
姉妹はデリタを弟の様に可愛がった。エムラは同い年だが彼を弟扱いした。「これやっといてよ!」と強い口調でこき使ってくるが、悪人ではなかった。
エムラは物知りで、人に何かを教えるのが好きだった。彼が常々知りたかった、この世界に魔法があるのかという質問にも答えてくれた。
「魔法……術法のことね?」
「そんな言い方なのですか」
「でも、魔法という言葉は正しくないわ」
「どういうことです?」
魔族の血を継ぐ者が使うのが魔法、そうでない者が使うのが術法というそうだ。デュライ家は代々、優れた術法師を輩出する一族だ。パドナは父親からいろいろと学んでいる。弓や弩で空気弾を飛ばす。
(あいつらの身体を吹き飛ばしたのがそれか。)
「そうなんですね。なんていう名前ですか?」
「
なるほどなるほど。彼は思った。術法とやらを習得して、世直しの手助けでもするか。でも適性というのが存在するだろう。エムラに聞いてみた。術法には才能が無いとダメなのか?
「あんた、なに考えてるの? まさか術法を学びたいわけ?」
「ええ。まあ……僕に才能があればの話ですけど」
「やめときなさいよ。術法は選ばれた者しか扱えないの。この辺りだとデュライ家だけだよ。あはははっ!」
術法の適性は家柄で決まるらしい。でも彼はあきらめなかった。今度はリアザに聞いてみる。術法に関する書物は無いか?
「興味があるのね。エムラにおちょくられた?」
「……頑張れば誰でもできるかもしれない、とおっしゃってました」
「うふふ。あの子らしいわ……どうせあの子をかばっての嘘だろうけど。術法の基礎を記した巻物を貸してあげるわ」
でも文字は読めるのかしら。リアザに見せてくれた巻物は確かに、見たことが無い文字が使われていた。これを一字一句理解できなければ始まらない。
「いいよ。教えてあげる」
この巻物に書かれている文字は、南の大陸の古代文字だ。28種類の文字があり表音文字だという。
彼はリアザに、文字から教えてもらう事にした。それから自主訓練を始めた。前世の世界にあった魔道士の教科書にあったことを、毎朝毎晩実践する。
(まずは考えるな、感じろ。)
(それから魔法が無い世界を想像してみろ。)
(さすれば汝は、己が魔の力を強く意識する。そして己が力になすがままになれ。)
精神統一の為の呼吸と瞑想。これだけで力が満ちた。この鍛錬はこの世界でも通用するのだろうか。1か月程して自分の身体の中に『何か』が芽生え始めたのを感じると、誰もいない部屋であることを試してみた。あの詩を口ずさむ。
「魔を制する者には魔で応じよ。力のみでは打ち勝てぬ」
右手に意識を。剣を持つようにイメージをする。
「なれど魔の力を持つ者のその根源に近き者は、肉を斬れども魂が残る」
作り出そうとするのは人ならざる者を斬る刃だ。とはいえある程度なら、物体も削げた。
「ならば、怪異と魔道の真髄を言葉として顕し、魔の力の流れを道の図として描き出せ」
この世界でも術式の基礎がそうであれば、作り出せるはずだ。
「魔を統べる者と眷属を討ち果たさん。一切無慈悲の殺戮を為す刃、それが我なり」
右手に注いでいた意識が解き放たれた。この『魔法』は霊に力を借りるものではない。己にある『魔力』で生み出すものだ。彼は目の前にあった古い花瓶に目を向けた。
(切れるか?)
薙いだ。そして昏倒した。目覚めた時には部屋の中が暗くなっていた。視界がぼやけている。しばらくしてはっきりしだすと、彼は目にした。
(……一応は使える様だな。)
その花瓶に斜め上からやられたようなひっかき傷があった。自分には術法を扱う才能があるらしい。けれども、前世のことを思うとふがいなくて仕方が無かった。
あの頃は肉体こそ虚弱だったが、無尽蔵に近い魔力があった。1日にこれを、1度や2度使ったどころで気を失うような真似をしなかった。
(けれども今は……なんてか弱いのだ?)
それでも自分はやれる。彼は自信をつけた。己への肯定できなければ人は育たない。彼は育つ事ができるのだ。