マーシュが言うように、ダウタの街には検問が敷かれていた。予想通り、デリタ達の馬車は物々しい街の門の前の急ごしらえの柵の中で止められた。肌の色が目立つデリタのせいだった。
「彼は私の甥の友人だよ」
マーシュのおじがそう答えると、
「僕の文通友達だよ。今度南の大陸から王都の馬揃えを見物しにやって来たんだよ。魔光王陛下の勢威が、どれだけすごいかをこの目で見たいらしくてね」
なぜ剣を持っていると兵士に聞かれると、マーシュはこう言い繕ってみせた。
「ベイオルブ王国が戦争ばかりやっているから、とても荒れた国だと勘違いしちゃったのさ。それに、南の大陸は盗賊がたくさいんいるからね。護身用の剣を持って当然な土地柄だから持ち歩いているんだ」
それに、剣を抱えていないと眠れなくなっている。
「そうだよね、ダリット?」
マーシュが尋ねて来たのでデリタはうなずいた。兵士たちは少し考えてから、通れ、と言った。
馬車に揺られ、なかなか終わらぬ城壁の天井を見つめていたデリタに、マーシュは「言っただろ?」と呼びかけた。
「それよりも、君の口の巧さに恐れ入るよ。魔法を修める人は頭の回転もいいんだね?」
「お世辞かい? このぐらい大したこと無いよ。まあ、呪文を繰り返し声に出す習慣を持ってたら、口が少しはまわる様になったんだろうね?」
ダウタはこれまで訪れた街とは、まるで規模が違った。近くに港があって貿易都市の側面もあったが、それよりも大きな邸宅が目立った。
少しばかり狭いと感じる敷地に、5階建て6階建ての外壁に装飾が施されたものばかりである。
(狭いながらもしっかり庭園もある。貴族たちの家みたいだ。王都詰めの者達の別宅を思い出すな。)
彼の『前世』の王宮の周りには、今見ているような屋敷がずらりと並んでいた。大臣や魔道伯といった王の下で働く貴族達はこうした家に住んでいた。彼等の本宅だが、与えられた領地にあり、城や水堀に囲まれた館であることが多かった。
(そういえば、こうした館には大抵の貴族は気位ばかりが高くて皴が目立つ正妻を置かず、若い副妻や愛人と一緒に住んでいたな。とかく子供や赤ん坊の声が聞こえた、にぎやかではあったな。)
「ダリット、考え事をしている様な顔をしてどうしたんだい?」
「いや、立派な家ばかりが並んでてダウタは凄いな、と思っただけだよ。貿易商の屋敷かい?」
「知らないのかい。このあたりのお屋敷はみんな、下級貴族たちの屋敷だよ」
それも本宅だとマーシュは言った。
「領地に屋敷を置いてそこに住まないのか?」
「ベイオルブじゃ聞いたことが無い話だね」
マーシュが言う。領地の経営は代官の仕事。貴族たちはいつでも魔光王様の招集を受けられるようにこの街や、北側のグログルの街に居を置いている。
グログルはイムヴァ湖畔東側にある中継都市の名前だ。北部で、最も守りが固い街と言われている。
「下級貴族は軍では下士官。王都から馬で半日もかからない北のゴランドになると、武将や元帥様がお住みになられているのさ」
「随分と詳しいんだね。君は貴族かい?」
「言ったろ。そこそこ裕福だって。詳しくは教えられないけどね」
ダウタを出るにはおおよそ1日かかるということで、北の街区にある宿屋に泊ることにした。馬揃えは10日後だが、それまでには十分間に合うそうだ。
夕食と沐浴を終え、ふかふかのベッドに身を横たえながらデリタは、テーブルに大きな本を開いて読むマーシュに問いかけた。
「その本はなんだ?」
「魔法の本だよ。未熟な練習生は日々、こういうものを開いて読まなくちゃいけないんだよ」
デリタは起き上がった。中央大陸の魔法については、子づくりをしながらバマとフラに聞かせてもらったが、本で読むことはここ最近は無かった。書籍屋には一応魔導書が置いてあったが、デュライの書庫にあるものより内容が薄かった。
「ふうん……ちょっと読ませてくれ」
「魔法も扱えないのにかい?」
「何が書いてあるだけ見てみたいんだ。中央大陸の文字はよくわからないけど、見るぐらいなら別にいいだろ?」
これは嘘だった。デリタはリアザ達から中央大陸の文字も学んでいた。デュライの家が保管している魔法の本はすべて、中央大陸の文字が使われていたから、単語や文法は頭の中に叩き込まなければ読めなかった。
「文字になると単語の並べ方とか共通語とはまるで違うよ?」
「それでもいい……ううん」
思っていることが顔に出ないように注意を配りながら、デリタは本に書かれている内容を確かめた。風の魔法や水の魔法による防壁を作る魔法について書かれていた。
デュライの家にあったものにも書かれていたが、もう少し細かく記載されている様に見えた。
(練習生の割には、なかなか高度なことをやるんだな?)
デリタはもう少し文字を追った。ページの最後まで読み終えて思ったことは、『前世』の術式との比較だった。
(あの世界の魔道術式には劣るようだな。いちいち呪文を唱えなければならないのがよろしくない。唱えるにしても、『俺の国』の魔道士であればもう少し文言を短くできる。)
それに詠唱の代わりに印を切る方法もあるのに本には書かれていない、とデリタは残念に思った。彼の前世ではむしろ、そちらが主流だった。
印が使えるのは実証済みだ。『前世』の世界よりも威力は少し落ちるが、精霊達は応じてくれた。
(それに、エルフたちならばこの魔術、これに書かれている方法の半分ぐらいの労力で術式構築ができるだろう。いや、3分の1ぐらいか……。)
次のページにも無言で、じっと文字を追い続けているデリタを見てマーシュは首を傾げた。
「そんなに面白いものかい?」
「ええと、いや……魔法の仕組みが信じられないなと思って、驚いていたんだよ」
「書かれているのは、それなりに魔力があればバカでも扱える魔法ばかりさ。魔力が無いというのは辛いもんだね?」
マーシュが笑うとデリタもそれに追従した。小馬鹿にしきった笑い方だったが悪い気はしなかった。それよりもデリタは、この少年に敬意を、少しだけ抱いていた。
(11の歳でこんなに熱心とは。俺もぼんやりとはしていられんな。)
いや、それだけでは無かった。熱心に魔法の勉強をするマーシュに、彼は『前世』の頃に自分に深く関わっていた人物の姿を重ね合わせていた。
かつての人生での、聡明で勉強熱心なたった1人の息子とマーシュを、デリタは無意識の内に重ね合わせていた。
□ □ □ □ □
ダウタを出て1週間が経った。
そこからは山道で、山地の中にある街・ゴランドを過ぎ、そのまた先に延々と続く山道を抜けた後、デリタ達が乗る馬車はついに、王都があるウスル平野に入った。
西と東の山脈の間にあり、大陸で一番肥沃だと聞く。平野の北側はその奥深くまでを、汽水湖のイムヴァ湖が入り込んでいた。
下り坂の途中で見下ろした格好のその景色を見れば、まさに風光明媚という言葉を使いたくなるだろう。
だが。
(なんだ……?)
美しい田園を描いたカンバスのど真ん中、イムヴァ湖を北に描いた恰好のそれは、緑と青の楽園に全くそぐわぬ異様な色合いで塗りつぶされていた。
その中心、まずはイムヴァ湖の南の畔である。
その畔はほかとは違い、濃い紫色に染まっていた。湖というより沼だ。毒沼。
その南にはデリタが願っていたアルケデアの都があった。けれどもその色も田畑の色とはまるで違う色あいだった。
その主の城を中心に、扇状に無秩序に広がる焦げ茶色の都。遠目から見ればそれは、草むらにひねり落された糞だった。いや、十分に消化しきれておらず、数々の異物が混じった病人の排泄物、とも見えた。
「あんなのが……世界に覇を唱えようとするベイオルブの王都なのか?」
「そうだよ。でもとても広いよね?」
「そりゃあそうだが……もっと色鮮やかな都だと思っていたんだけどな。緑も見えない。街路樹や公園は無さそうに見えるが?」
「あの都には、そんなものは無いよ」
さあ、行こうとマーシュは言った。馬車は見栄えどころか嫌悪感を催させる魔光王のおひざ元へと動き出した。
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遠目から見れば
街路は耐えがたいにおいが漂い続けていた。薄汚れた服を着た垢まみれでノミだらけの住人達が悪臭を放ち、道べりでは尻を丸出しにした小さな子供たちが、ところどころがでこぼこになっている石畳の上に、無遠慮に糞をひねり垂らしていた。
生ごみもあたりに散らばっている。中には人の死体らしいものが、家の前で放りっぱなしになっていた。野良犬や猫の死骸もあちこちにあった。
腐臭と死臭が漂い、道の真ん中にあるどぶ板の隙間からは、得体の知れない煙が立っていた。あまりの臭さで、デリタは鼻から下に布を巻いてしまった。目もチカチカとして痛かった。
(息苦しい。顔を覆ってもにおいが飛び込んでくる。気温は冷涼なのにだぞ? こんな空気の中なのにこいつらは平気なのか?)
生まれ育った南の大陸は決して過ごし易い環境とは言えなかったが、空気だけは澄んでいた。身体を洗わぬ者もそこまでにおいがひどいと思わなかった。
『中つ国』は『空賊』の版図からアルケデアの手前まで、南の大陸とはまるきり違って過ごし易い気候や環境だと思った。空気がきれいなどいうのは当然の話である。
(だが、アルケデアは全く違う! おひざ元だというのに魔光王は何を考えている!)
デリタは口元を抑えながら、汚物が放置されているが片づけないのか、とマーシュ達に尋ねると、周囲の田畑の肥料にするため回収する役人や業者が毎日来て、このぐらいなのだと返って来た。
「王都は人口が多いんだ。300万を超えるらしいよ?」
聞いたことも無い膨大な数だ。デリタの『前世』ですら、それ程までの数の人口を擁した都市は無かった。
マーシュのおじが手綱を緩めながら言う。
「ラムダ様の頃から、各地方でくいっぱぐれたり素行がわるかったりした者が、次々と王都に集まって住み着いたんだよ」
王都はそうした貧しい人々、野盗になりかねない者達を受け入れ続けた。そうして今のアルケデアとなったのだ。マーシュのおじはこう続けた。
「歴代の王様は代々、ラムダ様が願っていたことを……ベイオルブ王家の家訓を守っているんだ」
持たざる者を、救え。
それが、ベイオルブの王家の家訓だった。
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