彼の鍛錬は続いた。誰もが夜寝静まった後でだ。それまでは朝から晩まで、術法の勉強やデュライ家の手伝いで忙しかった。
それでも不満は無かった。何故なら、忙しい1日を送っても夜に鍛錬が行える体力と気力があったからだ。2時間あるいは3時間、鍛錬の時間は毎日あった。
(素晴らしいことだ……。)
目の前の薪を見て彼は笑みを浮かべた。かつての、前世の自分であればそんなハードな一日を送るなんてできなかった。今の生活を1週間もやってみれば、熱を出して寝込んでいただろう。
国王の子息だからと大事に育てられたのもあったが、そもそも、身体が弱かった。それなのに女とのセックスはやりたい放題、気の向くままやり続けた。子供はわかっているだけでも50人はいた。10の歳から死ぬまでの20年間に為した子だ。1人をのぞいて全てが女児だったが。
(あの人生での身体に比べれば、今の人生の身体は遥かに良い。出自こそ不満だったが何よりも身軽で元気だ。健康とは、素晴らしいものだ……。)
もしあの人生で、今の様な身体だったらきっと、王国に長く名を遺す大魔道士となれただろう。彼は皮に横薙ぎの傷がついていた薪をもう一度見た。この傷は、今さっき出した『今夜の一刀』によるものだった。
(3カ月だ。3か月でここまでいけた。)
そしてこう考えた。この人生は罪滅ぼしの為に与えらえたものだ。ベイオルブという奴の打倒を目指す、戦士としての生涯を送る事だろう。胸が高鳴る。偉大なる善行を成し遂げたいという希望ではない。自分の力を示す絶好の機会を与えられたのだ。
(転生人だな、俺は。)
前世の記憶や持っていた才をそのまま、次の生涯で引き継いだ者をそう呼ぶ。才能に恵まれた者が悲運と言える出来事で命を落とすと、輪廻の理を司る存在が温情でもってそうしてくれるのだ。
では自分は、温情を与えられたのか?
(違うだろう。俺は求めらたのだ。この世界の神に。)
傲慢なまでの自尊。だが、決して油断はしない。自分は見られているのだ、神と呼ばれる者に。自重して行こうと心掛けることにした。
もう寝よう。その前に小用をしたくなった。部屋の扉を開けると驚きそうになった。自分と同い年の娘が立っていたからだ。
「……エムラさま!」
「しっ! 声が大きい!」
エムラは彼の口を手で閉ざした。それからじっとにらみつけた。
「デリタ、こんな夜遅くまで起きて、何してんのよ? 答えなさいよ!」
口が閉じられてしゃべれない。指で差し示すと彼女は手を引いた。
「術法の勉強です」
「馬鹿をおっしゃい! アンタみたいな下賤が使えるわけないじゃない!」
「でも、僕はリアザ様から術法の本や巻物を……」
「ふふっ!」
注意したくせにエムラの声は大きかった。
「それ、リアザお姉様におちょくられてんのよ!」
「はあ……そうなのですか?」
「そうそう。アンタはリアザお姉のおもちゃにされたのよ!」
エムラは知らない様だ。リアザが彼の勉強を熱心に見てくれることを。そういえばとデリタは思った。エムラからまだ、彼女が身に着けた術法を見せてもらっていない。
「そうおっしゃいますけど、お嬢さま。僕はまだ、あなたの魔法をみたことがありませんよ?」
「術法だって。何度言えばわかるのかしら? アンタ、物覚えが悪すぎよ?」
「……本当は使えないんじゃないんですか?」
エムラの顔色がみるみるうちに紅潮した。目が潤んでいた。やはり、と彼は思った。彼女は術法の習得にだいぶ遅れがでている。姉2人と比べて才能が無いのかもしれない。
「見せてやるわよ。今からいい?」
「その前に、お便所に……」
「アンタの部屋で待っているから、とっとと済ませておきなさいよ?」
□ □ □ □ □
トイレから戻るとエムラは蝋燭に火をともし、彼の寝台に腰かけていた。机の上に乗せられていた薪をじっと見て彼に言った。
「アンタ、薪を大事そうに置いているなんて変わった趣味をしているわね?」
「はあ……僕の集落には見られない木でしたから。珍しくて……」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。ほら、アタシがどれだけできるか見せてあげるわ」
その前に自分の横に座れ。エムラは寝台を叩いて彼を呼びつけた。この娘はどうにも距離を近づけたがるのだが何故なんだろうと彼は思った。
「で、あの薪、使っていい?」
「構いませんよ。どうするんです?」
「よく見ててなさいな」
エムラは右手を胸の高さまで持ち上げると掌を上にして親指と人差し指を交互に合わせる。彼女の指先から何か、煙の様なものがあがるのを彼は目にした。
(魔力……術法の力か。)
彼女は身動きをせず、しばらくは指を見つめた。その間に指から感じる力の気配が強くなるのを、彼は感じ取った。
1分経った。彼女は薪に目を向けるとその指を弾いた。薪がことん、と音を立てて倒れると、ちりちりと火がつき、煙があがった。火を消しに向かうと薪の真ん中に軽く抉られ、そこに火がついていることがわかった。
「どう?
「……すごいですね」
「でも、これをパドナお姉様とリアザお姉様は、アタシよりちっちゃい頃にできていたのよ。言いたいこと、わかる?」
これぐらいできない奴にリアザお姉様がわざわざ術法の勉強を見てもらうなんて贅沢すぎる。出過ぎた真似というものだよ。彼が火を消すとエムラは寝台から立ち上がった。
「もしも、の話だけど。アンタが術法を使えるようになって、今のアタシのあれを使える様になったとしても」
それまでにはベイオルブは生きていないだろう。
「何故なら、アタシとお姉様たちが勇者様と共に倒しているはずだもの。これ、忠告だからね。もし立身出世を目指すんだったら、術法を磨くんじゃなくって……」
彼女はあくびをした。どうにもわざとらしいと思える様な口の開け方だった。それから先を言わず、「おやすみ」と言って部屋を出て行った。
(フン、生意気な娘だ。)
心の中でそう思いながら鼻でしっかりと空気を吸い込む。エムラのにおいはきらいじゃなかった。今夜はとても楽しい夢を見ることだろう。