デリタはその路地裏にある空き地の、生ごみと汚物が混ざった上で転がっていた。
女神の声の様に心地よい、魔光王の『ささやき』で何度も激しい射精を繰り返したせいか、下腹のあたりが冷たくてべとべととしていて気色が悪かった。
全身が痛い。特に背中だ。気を失っている途中で逃げる群衆らにに巻き込まれ、踏みつけられてしまったか。マーシュ達は無事だろうか。
(しかし……服にべっとりとついていて耐えられん!)
デリタは周りを見渡し、気配も探った。誰もいなかった。素早く印を切った。
まずは彼の頭上に大きな水球が現れ、彼の首から上にすっぽりと入るとぐるぐるとまわって髪や顔についた汚れを落とした。もう一度印を切ると首から抜け、近くにある下水溝の中に落ちた。
また印を切る。今度は胴体が足元まで温かい水の円柱に覆われ、ぐるぐると回り始めた。服に付着したほこりや汚物のかけらを取り除いた。
汚れた水のかたまりが離れ、あたりで水たまりになる。また魔法のサインを切って暖かな風を身にまとわせて身体と服を乾かしながら思った。まだ下腹がべたついたままだ。
(通りで気持ちが良かったわけだ。相当、粘り気のある精液を漏らしたみたいだな。溜めていたからそうなったのか。)
毎日打ち尽くすまでバマとフラの2人に精を放っていたから、自然と鍛えられてしまったのだろう。女の身体への渇望をふいに覚えた後、そういえばと懐や腰を探った。剣と路銀を入れた袋が無くなっていた。
宿に戻ろう。そこにならマーシュ達がいるはずだ。だがこの辺りが街のどのあたりかがわからなかった。この路地裏の空き地がどこなのかわからなかった。そして周囲にはまだ、だれもいない。
遠くを見渡そうと彼は、近くの家屋の壁をよじ登った。腐った板ばかりの屋根にあがるともっと高い建物に飛び移った。そこでようやくあたりを見渡すことができた。
あのような美しい王が住むにはふさわしくない、薄汚れた王城は、南東からだいぶ離れたところにあった。そして近くにイムヴァ湖の波打ち際が見えた。何者かによって、だいぶ遠くに担ぎ込まれたのだろう。
(宿は王城の南側にある繁華街にあるが……これはどうも作為を感じるぞ。俺はどうしてここまで運び出されたのだ?)
もしかしたら自分が何者かばれたか。魔光王も気づいていたようだった。そう考えると、宿に戻らないほうが良いかもしれぬ。
(マーシュ、すまんな。)
彼は北へ向かう事にした。港があるそうだ。そこから西まわりの航路を辿り、カシャ家の領地との境までうまく逃げ込もうと考えた。
□ □ □ □ □
一番近くの港湾は封鎖されていた。次の湊までは3日もかかった。街道をはずれて荒れ野で鼠や蛇を捕まえたり、木の実を取り、それを喰らう日々が続いたがデリタの頑強な身体は身体を壊さなかった。
それもこれも魔法のお陰だ。『前世』で身に着けた知識と技術は、彼の旅を割と快適なものにしてくれた。足の裏に血豆ができて痛みが出れば、治癒魔法でそれを治した。
そうして港町まで来た。レイザリアという街だ。東側に小高い山があり、かつてはカシャ家が築いた城が置かれていた。だが、今では廃墟だった。
街へはその山から入り込むことができた。番をする兵士達はどこにもいなかった。三方が険しい崖に囲まれ、そこからよじ登ることは無理だと思われていたのだ。
慎重に這い登って頂上にたどり着くと、朽ちた城跡を目にした。建屋はあらかた崩れて遠目ではわからなかったが、そこそこの規模はあったようだ。
(守りを固める為の支城に良いと思うが、どうして放ったままにしているのだろうな。)
深い草をかき分けながら、周囲に気を配り、慎重に前へ進む。足元は予想以上にでこぼことしていた。崩れた石材のせいだ。
草をかき分ける音が気になる。気づかれたりしないだろうか。消音の魔法術式をかけようかと思ったその時だった。
「そこに誰かいるのかい?」
崩れた壁の向こう側からだった。デリタは素早く印を切った。剣が使えなくとも風の刃の魔法を使えばいい。但し、炎なんかを出すのは駄目だ。見張りに気づかれるだろう。
「怖がらなくてもいいよ。私はきみには危害を加えるつもりは無いからね」
聞き覚えがある声だと思ったデリタは、風の魔法での警戒を解いた。近づいて壁の向こう側に行くと、3日前に見た人物の姿があった。
白銀の鎧に身を包んだ金髪の男。3本の剣をさげ、背嚢を抱えていた。
北の勇者と呼ばれる聖者大公・ヴァーリンデンだった。手ひどく怪我をしているようで、服のあちらこちらが破けていて、乾いた血に染まっていた。
間近で見るとかなり若いと見受けられる。体格で気づかなかったが、自分と大して歳は違わないだろう。いや、バーフレアとデリタの間ぐらいか。
「……貴方は!」
「言わなくてもいい。ところできみは何者だい? 見たところ、南の大陸の人の様に見受けられるけど、どこに向かうつもりなんだい?」
「カシャ家の領地に。僕は南の勇者のバーフレアの配下です。彼の命令で王都まで潜伏の旅を続けておりました」
とっさについた嘘だったが、ヴァーリンデンはそれで理解してくれた。
真っ白な肌の若者はデリタに尋ねた。そんな目立つ姿で諜報の真似事など危なっかしい。
「顔を覆ったりしておりましたが、途中で知り合った者からそこまで警戒しなくてもいいと、助言されまして……」
「確かに、この国には南の大陸の人達はよく来るからね。平和な頃は海を越えての結婚も頻繁にあったらしい。南のほうだとね」
とはいえデリタも自分と同じ、肌の黒い旅人が道を歩いているのを何度も見た。ダウタの街では混血児と思える者もたくさんいた。他の街でもちらほらいた。
そのことを話すとヴァーリンデンは腕を組んで考えた。
「でも、馬揃えを見に来る黒い肌の人は、そんなにいなかったはずだよ?」
「そういえばそうでした。けど、僕はこれまで検問で拘束されたりしませんでしたよ。王都までの旅は順調でした」
「それが引っかかったりしなかったかい? まあ、考え過ぎだとは思うけどね」
自分でも薄々と感じていた事だが、デリタは彼の言葉を頭の中で
にしても、どうしてこの男は傷ついてここにいるのだろう?
「魔光王は、倒せなかったのですか?」
「はは……あいにく返り討ちにあったよ。『
北の勇者はあの後のことを話した。南門のあたりを焼き尽す戦いとなったが、魔光王は強大だった。次第に実力の差が出て、とうとう逃げる羽目となった。
態勢を立て直したベイオルブ軍からのしつこい追撃があった。近衛の名だたる猛者を何人か討ち取ったが、王都を出るまで手負いの身体で寝る間も無く、剣を振るい続けたという。
「そうして王都を出て3日、恐る恐る旅を続けてここまで来たんだ」
その後も散発的に追っ手が来たという。それを蹴散らしながら北の勇者はここに逃げて来た。
「どうしてレイザリアに潜入しようとしていたんですか?」
「傷薬が欲しかったんだ。あと、少しでもいいから食べ物が欲しかった。何にも食べていないんだ……」
「食べ物は今は無理ですが、傷なら治せます」
デリタは印を切り、ヴァーリンデンの身体に手をかざした。
その身体の打撲傷や、漿液にまみれていた深い切り傷がみるみるうちに治った。5分もかからぬ内にヴァーリンデンの身体の傷は、全て癒えた。
「ありがとう……これが『術法』なのかい?」
「いえ、僕が『前世』で学んだ治癒術式です。これだけは肉と骨を断たれた傷でもすぐに塞ぐぐらい、鍛錬を積み重ねておりましたから」
「つまり、『廻命者』だったのか。前世はすごい大魔道士だったのだろうね。魔光王の部下にも、そうした魂の経歴を持つ者が何人かいると聞くけど……」
「やはり、僕の『同類』はいるのですね」
「ザルモールというのが集めて育てているらしいよ。あれを含めて、かなりの遣い手ばかりと聞いている」
その中には、戦場に出してはならない年齢の子供もいるという。そしてその子はあの魔道師の一番のお気に入りらしい。
「名前は……?」
「わからない。ザルモールの秘蔵っ子らしいんだ。でも悍ましい話も耳にしている。あの男はその子を夜な夜な、寝所に招いて弄んでいるとね……」
ヴァーリンデンは、それ以上を触れなかった。それから懐から銀貨を数枚取り出し、デリタに頼みを込んだ。
「申し訳ないけど、これで何か食べるものと飲むものを買って来てくれないか? 傷は癒えたんだけどお腹が空いて仕方が無いんだよ」
デリタは黙ってそれを手に取った。この山から街に入るまでの方法を聞いた。
どうもこの街の守備隊は山に護りの兵を置いたり見張りを立てたりする様な、用心深さは無いそうだ。
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