城壁の通路にいた敵はあらかた片づけ終えたデリタは、一旦本丸に戻ってみるとヘイジャに出くわした。
「どこをほっつき歩いていたんだ! お前はお嬢様のお側にいろ!」
軽く頬を殴られてエムラがいる部屋の前に行くと、入口に異様な力が張られているのを感じた。中をのぞくと壊れた壁と散乱する瓦礫や椅子が見えるだけで、エムラの姿は見えなかった。
おかしい。近づいて手で触れ、目を凝らして見る。
(特別な術法か?)
いいや、この感覚は違う。
(どうも、この世界の術法とはまた違う力のようだな……)
この力場から術式の構成を感じ取った。似たものの記憶があった。『魔族』のそれであった。あの淫魔どもが用いていたのと一緒だ。
(この世界にもいる、という訳か。それは好都合だ。)
デリタは剣を握りしめた。覚えていてまだ使えることを知った、魔族殺しの力をそれに込めた。切っ先で切る真似をすると感触があった。魔道の防膜を切り裂いたのだ。
そうして中の様子が明らかになった。見たことが無い老人と大男。エムラはどこだ。彼女はいた。大男に抱きかかえられ、いやらしい形をした幾本もの触手の責めを受け、恍惚の表情を浮かべて喘いでいた。
その大男に、彼はある種族と同じ気配とにおいを感じた。しかし生臭い。精液でぬめった不潔な男性器みたいだ。あの村の男達から時折漂っていたものと同種のにおいだった。
(男の淫魔は違うのか! 女淫魔は菓子の様なにおいをさせていたが、この世界の女はそういうのを好まんのか!)
しかしエムラの様子を見れば、悪臭に包まれたがっているとは思わなかった。あの大男ならこの剣で傷つけられるだろう。真っ先に向かった。しかしすぐに殺気を感じて床に転がった。彼の背後に炎が起こった。
「魔光王陛下の未来の奥方様の、悦ばしい修養を邪魔されようとなされましたが、何者ですか?」
名乗るつもりは無かった。飛び起きると淫猥な軟体でエムラを凌辱し続ける大男に斬りかかった。エムラの膣だけでなく尻の穴にまで軟体を挿入し始め、よがらせてねばっこい体液を注ぎ込むことに夢中になっていた大男はデリタが持つ剣の殺気に気づけなかった。
その声は不快極まりない響きに満ちていた。やっとのことで振り向くと大男は振り向いた。デリタが飛び上がって脳天を割ろうとしている。が、すぐにデリタは背中から血を流す大男に抱きついてすぐに離れた。老人が術法を繰り出して来たからだ。
「やりますね?」
デリタを狙った老人の術法は大男の尻に当たった。太い空気の針だった。その衝撃で魔物は前に倒れた。抱え込まれたエムラだが、軟体が背中をまさぐっていた最中だったので、強く打ち付けられずに済んだ。
デリタはすかさず大男の脳髄を剣で抉った。大男はその末期に、軟体の先から大量の体液を放出してエムラをさらに汚した。おぞましいほど生臭いにおいが彼女とデリタを包んだ。
「……殺せたか」
でもエムラは無事では済まされないだろう。この手の触手が女にどんな呪いをもたらすのか想像できた。死病あるいは精神汚染だろう。
連れて来た部下を殺された老人だが、それに怒ることは無かった。デリタの素早く無駄のない身のこなしと、魔物をいとも容易く討つ力に見とれていた。
「鍛錬を重ねた武技と、強靭な造魔の頭蓋をも割る不思議な力をお持ちの様ですね……まさか、デュライの息子ですか?」
(違う。イーガ王国の最高の師範から学んだ剣術と退魔の術だ。だが答える気は無いぞ。貴様の様な奴に教えるのが勿体ないからな。)
エムラを汚した罪は倍にして返してやる。そう意気込んで剣を構えるが、老人に勝てる気はしなかった。術法のかなりの使い手だろう。デュライの当主と同レベル、いや、それ以上か。
どちらにしろ勝てるとは思えなかったが、ここで退けばエムラを連れ去られてしまうかもしれない。だから、やるしか無いのだ。
「覚悟ッ!」
デリタは初めて叫んだ。名乗りも一騎打ち前の口上も不要なものだ。相手を殺す事だけに専念しろ。
老人も彼の小さな身体から放たれる殺気を感じて受け止めた。快く笑みを浮かべながら、期待と希望に満ちた眼差しを彼に向けていた。この少年はきっと、魔光王に届きうる力を得るかもしれぬ。成長した暁には、大いなる脅威となるかもしれない。
「ここで貴方の鼻っ柱を、その首と共に叩き折って見せましょう」
デリタが踏み込んだ。応じて老人が術法を繰り出した。無数の目に見えぬ空気の針がデリタに飛び込んできた。しかし見えぬが気配を感じた彼は、エムラに当たらぬように避けて間合いを縮めた。
老人はローブの中から小剣を取り出した。赤色に輝く魔剣だった。デリタは構わず突っ込んで斬りかかった。ザルモールの剣に触れると刃が圧されて真っ二つに折れた。
「……刃砕きの剣か!」
「よくご存じで!」
デリタは真上と背後から術法の気配を悟った。転がりながら退いて起き上がる。すぐに飛び上がった。足元の床が割れ、幾度も弾けて粉々になった。
全く侮れない相手だ。力押しでは一撃すら与えられない。ザルモールは剣を構えた。彼はただの術法士ではなかった。中つ国の剣も習得していた。自分に似た剣術の使い手かもしれない、と思ったデリタは折れた剣を横に構え、盾を持った手の指を動かした。
「次の手は、どう為されますかな?」
盾を握りしめると走り出した。ザルモールへ一直線に向かう。老人はにんまりと笑いながら術法を繰り出した。空気の針が飛んで来た。デリタは直前で左にそれていなし、持っていた盾を投げつけた。
「その距離では届きませんよ!」
しかし彼が投げつけたのはザルモール本人ではなく、老人の目の前の床板だった。革盾は床板に触れるとともに鉛の様に重くなり、床に強い力をかけた。石の板は割れて飛び散り、老人の油断を誘った。
デリタはこの一撃に賭けた。全速力で走り、老人の懐に飛び込んだ。ザルモールはなおも剣で防ごうとしたが、デリタはがら空きだった彼の右腹を刃で切り裂いた。
「やりおる!」
感触はあった。とても深く斬れたはずだ。飛び込んできた老人の刃を防ぎきれず、右耳を切り裂かれたあげくに肩にも喰らった。だが、それほど力はなく皮膚にとどまった。
デリタは床に落ちた自分の右耳を見るがすぐに革盾を手にして身構えた。老人は腹を抑えてうずくまっていた。
(とどめを刺さなければ!)
しかしそこが今の身体の限界だった。デリタはめまいを覚え、膝をつけてしまった。ザルモールもまた、傷口から腸を出しながら荒く息をついてデリタに言った。
「今日の訪問はここまでに致しましょう。しかし、エムラ様はもはや貴方がたではどうにもなりませぬ。魔光王陛下のお子を産む為の素地が出来上がられたご様子。いずれ、ご自身の足で陛下のもとへ向かわれるでしょう」
デリタの視界からザルモールの姿が消えた。彼は自分の耳から漂う血のにおいを嗅ぎ取りながら目を閉じた。深い眠りについた。
□ □ □ □ □
目を覚ますと自分を覗き込んでくる、当主とパドナとリアザの顔があった。デリタが呼びかけると「まだ眠っていて」とリアザが声をかけた。耳の痛みはいくらか引いていたが、左耳からしか声が聞こえなかった。斬られただけでなく衝撃で鼓膜もやられてしまったのだ。
「……ここは?」
リアザが答えた。デリタ達がいた北の砦の地下にある、負傷者達の為の収容室だ。デリタは床に敷いた布に寝かされた格好だった。デュライ家の怪我をした他の戦士達も一緒だった。
しかし、国境の砦に閉じ込められて籠城をしていたという当主とパドナが、なぜここに来ているのかが気になった。
「それは虚報だ。私もパドナも勝って戻って来たが、それを信じたシビラがお前たちが北の砦に入れたと答えたので急ぎ駆けつけた」
表門を攻めていた賊は、挟み撃ちにあって壊滅した。まるでなっていない雑兵ばかりだったが、驚くべきは険しい崖をよじ登って潜入したのが十数名いるということと、エムラに覆いかぶさっていた、首を断たれた魔人の死体だ。
「……エムラお嬢様は!」
「あの娘はシビラが屋敷に連れ帰っている。あの魔物にひどい目に遭わされた……」
小さなエムラは凌辱され、脳を壊されてしまった。これを為した魔物は、中央大陸を支配するベイオルブが作り出したようだ、とデリタは言った。それから、魔物を連れて来たと思われる術法の使い手の老人についても。
「魔光王の子の母親になる為の準備、と言っていたのか?」
「はい。よくはわからないのですが……」
本当はわかっている。あれは多分、淫魔に産ませた合成魔獣だろう。サキュバスにはその様な出産ができる者がいる、と前世で聞いたことがあった。
(何を隠そう、俺も間近で見たことがある。部下に命じてそれができる女を捕まえさせて試してみたのだがな。)
しかし結果は失敗だった。生まれた魔物はすぐに死んだ。下位の淫魔だったからうまくいかなかったのだろう。しかし魔光王はうまくやれたようだ。
「そうか……」
デュライの当主は頭を抱え、パドナとリアザの目に涙が浮かんだ。重い気配が漂い出した。
「だんな様、どうしたのです?」
「デリタ、あの子は、エムラはもう駄目だ」
魔光王による多淫の呪いにかかってしまった、とデュライの当主はつぶやいた。愛する我が子が、生きながら死んでしまったと嘆き泣き出した。