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試験管立てに並ぶ試験管を眺めながら順はにやにやと笑った。
「いやあ。さっすが呉羽ちゃん。仕事が速くて助かるよ」
色とりどりの試験管をしばし眺めてから順は屈めていた腰を伸ばした。大きなデスクについていた呉羽が興味のなさそうな顔でそう、と応える。つれないなあ、と笑って順は身軽にソファを飛び越えた。
「どうでもいいけど、約束は忘れてないでしょうね?」
これ以上はないというくらいに冷たい口調で呉羽が言う。順は気軽に笑って肩を竦めてみせた。そんな順の仕草をどういう意味に取ったのか、呉羽が目を吊り上げる。今にも怒鳴りだしそうな気配を帯びた呉羽に順はまあまあ、と笑みかけた。
「忘れてないってばー。そんな、怒らなくてもいいじゃん」
怒ってばかりだとしわが増えるよ、と冗談を言った順の顔面に何かが飛んでくる。もう、とぼやいて順は素早く手を振ってそれを指の間に挟んで止めた。呉羽がメスを投げつけたのだ。
広々とした呉羽の部屋には今は他には人はいない。病院内とは思えないほどに整えられたこの部屋は呉羽に特別に宛がわれたものだ。呉羽も本当ならこの病院の中枢に組み込まれるべき存在なのだが、様々な弊害からそれは実現してはいないらしい。
順は苦笑しながら軽い足取りで呉羽のデスクに近付いた。呉羽は相変わらずモニタ画面を睨むように見つめている。ほら、と順が差し出したメスを呉羽が無言でひったくる。
「何でそんなに機嫌が悪いんだよお。折角、オレがわざわざ訪ねてきてるのにぃ」
「あんたがわざわざ私を訪ねてくるからでしょ!」
データだけならメールで送れるのに。しかめっ面で文句を言う呉羽に順は軽薄に笑ってみせた。
「つれないなあ。もうちょっとくらい愛想よくしてくれたっていいじゃん。寂しいなー」
唇を尖らせて拗ねた顔をした順を呉羽が横目に鋭く睨む。用が済んだらとっとと出て行け、という意味らしい。思考が丸見えにはなっているのだが、順はあえてそのことには気付かない振りをした。
本来は一週間ほどかかる予定だった薬物の開発が早く済んだため、順は呉羽に実験用と称してその薬物を提供した。それからほんの一日しか経っていない。なのに呉羽は順の求めていた実験データをほぼ完全な形で揃えてくれたのだ。
「あんな薬、外には出さないでよ。壊れた人間が担ぎこまれたところで、こっちじゃどうしようもないんだから」
不服そうに呉羽が言う。順は判ってるよ、と苦笑して呉羽のデスクに寄りかかった。さりげなく呉羽の胸元に伸ばした手を無情に叩き落される。とほほ、と情けない顔をして順は再び拗ねた顔を作った。
「普通さあ。仮にも初めてのオトコが訪ねてきたらさあ。ちょっとはクラッと来ない?」
やれやれと肩を落として順は呉羽のデスクを離れた。相変わらず仏頂面で呉羽が鼻で嗤う。
「どうせあんたのはポーズでしょ? 中身なんて薄っぺらなんだから感動しようがないでしょうが」
ほら、行った行った。そう手を振る呉羽を振り返って順はため息を吐いた。先に渡されていた封筒をソファから取り上げて部屋の入り口に向かう。順にしては珍しく引き下がろうとしているからなのか、呉羽が驚いたように目を見張る。背後で呉羽の気配が変化したことを感じ取って順はぴたりと足を止めた。
「まあ、約束は約束だからね。守るよ。でもすぐにって訳にはいかないかな。オレの方の予定が空いてからでいい?」
順はそう言いながら振り返った。特に茶化すでもなく真面目に問い掛けたからなのか、呉羽の顔からは険が消えている。
「そりゃ、私は構わないけど……どうしたの」
よほど順の態度が引っかかったのだろう。呉羽が自分からそう問い掛ける。順は苦笑してドアに向かって歩いた。そこで再び足を止め、ドアの傍に背を預ける。
「コナかけてもなびかないオンナなんてつまんないしさ。まあ、約束は守るよ。それで文句はないっしょ?」
さらりと言って順はさっさと呉羽の部屋を出た。呉羽が唖然としていたことは判ったが、今はフォローする気にはならない。順は封筒を片手に急いで病棟に戻った。途中で待ち構えていた運転手から花束を受け取って睦月の見舞いに向かう。個室で暇そうにしていた睦月を見舞い、ついでに欲求不満を手早く解消してやってから病院を出る。そこで順は運転手に清陵高校に向かうように言って車に乗り込んだ。
呉羽は割と貧乏くじ。