※この作品はR-18です。

狩りの終焉 一部   作:伊駒辰葉

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このエピソードで六章は終わりです。
エロシーンはありません。


紫の思惑と呟き

 一週間の旅行が原因で随分と処理すべき仕事は溜まっている。紫は指定されたデータのチェックを続けながらため息を吐いた。広々とした執務室には今は他に誰もいない。

 

 旅行を終えた後、水輝とは数えるほどしか顔を合わせていない。避けられていると感じた紫はあえて自分から水輝に会いには行かなかった。どのみちそんな暇はない。夜は夜で報告にかこつけたパーティなるものに呼ばれていたし、朝起きてからは会社詰めだ。紫はため息をついて肘杖をついた。モニタ画面には処理すべきテキストデータが映し出されている。

 

 新婚旅行から帰る時も水輝は殆ど喋らなかった。飛行機の中でぼんやりと窓の外の景色を見ている水輝に紫は自分から声をかけることは出来なかった。水輝の思惟はぴったりと閉ざされていて何を考えているのか判らない。だがそれでも水輝が楽しい気分ではいないと紫は感じ取っていた。

 

 温泉でも行くか、という水輝の言葉を思い出して紫はそうだよね、と呟いた。温泉にでも行けば少しは気分が晴れるかも知れない。やたらと他人に取り囲まれていた旅行では水輝も気の休まる暇はなかっただろう。そこまで考えてから紫は苦笑した。そうではない。水輝は恐らくどこに行っても気は晴れないのだろう。紫と一緒にいる限り。

 

 水輝は紫に何も言わない。前は見えていたものが今の紫には全く見えなくなっているのだ。水輝も恐らくそのことには気付いているだろう。不安から紫は何度か水輝に何を考えているのかを訊ねようとした。だがその度に水輝は上手くタイミングをずらして訊くきっかけをなかったことにしてくれる。何を訊きたいのか判っていて、意図的に質問されないようにしているのだろう。

 

 一緒にベッドに入ればそれなりに抱いてはくれる。だがその度に紫は失望するのだ。傍にいるべき存在ではないのかも知れない、と思うたびに自分でその考えを否定する。例え状況がどうであろうと、水輝から求めて結婚したことには違いないのだ。

 

 結婚か。そう呟いて紫は自分の左手を見下ろした。左の薬指に嵌った指輪をじっと見つめてみる。指輪に嵌った小さな宝石は水輝が自分で作り出したものだという。美しいアレクサンドライトをしばらく見つめてから紫は目を上げた。

 

「しっかりしなくちゃね」

 

 わざと声に出してから紫は仕事を再開した。この分でいけば今日は夕方遅くには仕事を終えられるだろう。目ぼしい温泉旅行のプランを何本か揃えて水輝に会えばいいだけだ。自分から話を振ったのだから水輝も嫌とは言わないだろう。そこまで考えてから紫はキーボードに乗せた手を止めた。旅行中のことをふと思い出したのだ。

 

「そういえばどうしてあんなに」

 

 眉を寄せて紫はぽつりと呟いた。引っかかるのは水輝の摂っていた食事の量だ。元々、水輝は人よりよく食べる傾向がある。下手をすると一度で五人分くらいの食事は楽に摂ってしまうのだ。が、旅行中に水輝の食べていた分量はそれを考えてもかなり多い。

 

 何でだろう、と考えて紫は腕組みをした。龍神である自分達は食物を完全に器に取り込むことが可能だ。それ故に排泄そのものが必要ない。取り込んだ食事は完全に消化されてしまうからだ。だが例えば紫が水輝と同じだけ食べることは出来ない。必要ないからとも言えるが、身体が受け付けないのだ。

 

 そういえば水輝にどうしてそんなに食べるのかを訊いたことがない。紫はそのことに初めて気付いて呆然となった。何でこれまで少しも不思議に思わなかったのだろう。考えてみれば妙な話なのだ。水輝は例えばアルコールの類は殆ど摂取しない。あれだけの食事をするにも関わらず、何故か水輝はアルコールに異常なほど弱いのだ。

 

 だが紫は逆にアルコールの類は幾ら摂取しても酔うということがない。アルコールだけではない。薬物の類は殆ど効かないのだ。これまで紫はそれが当り前なのだと思ってきた。どうしてそうなのかを考えたことがなかったのだ。

 

「もしかして水輝には薬物が効くのかな」

 

 そう考えてから紫は真面目な顔で唇を引き結んだ。人の世には色んな薬が存在する。試してみたことはないが、もしも水輝にそれらが効くのなら。そこまで考えてから紫はくだらない、と呟いた。例え水輝に薬の類が効くとしても、口にすれば何が入っているかくらいには気付くだろう。そんなものを無防備に水輝が器に取り込むとも思えない。

 

 暗い考えに傾きかけた自分の思考を頭から追い出して紫は再び手を動かし始めた。どれだけ考えてみたところで人の心が自由に出来る筈はない。水輝に関わるあらゆる女性から引き剥がせたら、と考えては紫はその考えを頭から追い出した。

 

 嫉妬しているという自覚はある。一番羨ましいのは水輝の傍にいる奈月だ。一緒にいるところを見るたびに、紫は何故自分が奈月の位置にいないのだろうと思うのだ。水輝は奈月にはとても穏やかに笑みかける。そして奈月もまた水輝の傍にいる時が一番幸せそうに見える。二人にとって共にいることが何よりも自然なのだ。

 

 どうしてわたしじゃないんだろう。水輝が色んな女性と関係を持っていることは結婚する前から知っていた。その時には大して何も感じなかったのに、ここ最近はそのことが妙に腹立たしい。考えを巡らせるうちに紫の表情は怒りのそれへと変化した。

 

 やっぱりちょっと考えてみようかな。そう呟いて紫は薄い笑みを浮かべた。龍神としての力は水輝には到底、かなわない。が、人の作り出した便利なものを利用すれば水輝を自分だけのものにすることも可能なのではないか。そう考えながら紫はのろのろと仕事を進めた。指定されたアドレスにメールでデータを送り、また次のデータを開く。

 

 水輝が自分のことだけを考えてずっと傍にいてくれる。その考えは紫にとってとても甘美なことに思えた。傍にいる者たちを全て排除するのは不可能だ。が、水輝が彼らのことを考えないように仕向ければどうだろう。そんなことも考えていられないほどに何かに囚われればいいだけの話だ。

 

 ふと、紫は窓の外に目をやった。暗い雲が空の端から迫っている。もしかしたら雨になるかも知れない。明るい青い空と暗い雲の同居する景色を紫はしばらく無言で眺めていた。




ホントに独り言ですw
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