エロシーンはありません。
慣れない短いスカートに苦心しながら優一郎は急ぎ足でエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの傍で待っていた道代が丁寧にお辞儀をして最上階へのボタンを押す。扉の閉じたエレベーターの中で優一郎は深くため息を吐いた。
祐に言われたことが心の深いところに突き刺さっている。結局、祐に言われるまで優一郎はなるべく色んなことを考えないようにしていたのだ。考えてしまえばどうしても色んなことを自覚しなければならなくなる。疲れた顔で壁に寄りかかった優一郎を気遣うように道代が振り返る。
「大前さん、いろいろありがとう」
役に立たない紫の代わりに道代がこの会社を回しているのだ。そのことも含めて礼を言った優一郎に道代が静かに首を横に振る。
「それが私の仕事ですから」
そう言いつつも道代は何事かを言いたげな表情をしている。優一郎は気になって道代にどうしたのかと訊ねた。すると道代が少しの間、視線を彷徨わせてから告げた。
「祐さまを、お救いすることはできないのですか?」
それを聞いた優一郎はほんの僅かだけ眉を上げた。
「彼女はそれを望まない」
酷く冷めた声で告げてから優一郎は道代から目を逸らした。優一郎も考えない訳ではなかったのだ。が、ここまでお膳立てをしてくれた祐のことを考えるとどうしてもそう提案できなかった。
静かにエレベーターが上昇する。開いた扉から降りたところで道代は優一郎の先に立って歩き出した。
「それでは、もうひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
優一郎の先を歩きながら道代が言う。優一郎は頷いて道代を促した。
「優一郎さまと祐さまは、同一人物ですか?」
それを聞いた優一郎はぴたりと足を止めた。道代が静かに足を止めて振り返る。じゅうたんの敷き詰められた廊下に立ち止まったまま、道代が黙って優一郎を真っ直ぐに見つめる。
「違う」
本当は最初から判っていたのだ。水輝に呼ばれたあの瞬間に祐が生まれたのだ。それは自分の別の人格などではない。
「ありがとうございます。それではご武運を」
そう言って道代がにっこり笑って歩き出す。優一郎は黙って道代に続いた。大きな扉の前に立ち止まった道代が静かにノックをする。中から応えた声に優一郎は目を細めた。相変わらず呑気なものだ。執務室の中にいる紫の思惟を読み取った優一郎は怒りにも似たものを感じた。
道代が開いた扉をくぐる。机についていた紫は優一郎を見止めた途端、驚いたような顔になった。だがすぐに微笑みを浮かべて久しぶり、と挨拶する。優一郎は黙って肩越しに道代を見返り、目で頷いてみせた。道代が静かに礼をして扉を閉める。
「母上、お久しぶりです。ご旅行はどうでしたか?」
表面的に平静を保って優一郎はそう紫に声をかけた。だが紫が動揺していることはわかっている。何しろ紫にこの姿を見せたことは殆どない。
「あ、うん。楽しかったよ」
こちらも表面的には穏やかに装って紫が言う。促されるままに部屋の奥に進んで優一郎はソファに腰掛けた。紫がその正面に座る。優一郎は改めて執務室を見回した。広々としたその部屋はどことなくかつて立城が利用していた屋敷の執務室を思わせる。今、あの部屋は随分と様子が変わってしまった。屋敷を訪ねた優一郎はその変わりように驚いたのだ。以前の立城の執務室には一切無駄なものは置かれていなかった。だが今では紫の趣味なのか色んな装飾品が置かれているのだ。
「仕事はもう終わられたのですか?」
そう言いながら優一郎はテーブルに乗せられていたパンフレットを覗きこんだ。温泉旅行のパンフレットが雑多に詰まれている。中の一枚を取り上げて優一郎はそれを開いてみた。
「もうちょっとで終わる予定だけど……。そうだ。お茶でも飲む?」
よほど気まずいのか紫が慌てたように言って席を立とうとする。優一郎は上目遣いにそれを見てパンフレットを閉じた。
「いえ。こちらに来る前に、大前さんに頂きましたから」
静かに言って優一郎は手にしていたパンフレットをテーブルに戻した。そう、と小声で返事してから紫が言う。
「あの、それで何の用かな?」
こうして向かい合って座っているだけでよく判る。紫は穏やかな風を装っているが、内心では酷く優一郎に嫉妬しているのだ。特にこの格好を見たからだろう。そんな紫の感情を正確に読み取りながら優一郎は背もたれに寄りかかった。短いスカートから伸びる長い脚を組む。
「本日は誓約の管理者として、あなたに通告に参りました」
腕組みをして優一郎は冷ややかに紫に告げた。紫が驚いたように目を見張る。それを無視して優一郎は言葉を継いだ。
「まず、誓約の立会い人として、あなたが青龍王の伴侶として相応しくないと、異議申し立てを行います」
「なっ」
慌てた声を上げて紫がテーブルに身を乗り出す。
「何でそんなこと」
だがそれ以上は何も言えないのだろう。紫が唇を噛む。優一郎はそんな紫を冷ややかに見つめ、薄い笑みを浮かべた。
「この異議申し立てに反論があるなら、述べてください」
「だって、水輝は……水輝は自分でわたしと結婚したいと言ったんじゃない。わたしを好きだって言ってくれたし、だから」
上ずった声でまくし立ててから紫は優一郎に鋭い視線を飛ばした。感情が露骨に出た視線を静かに見つめ、優一郎は言葉の続きを促した。
「だからそんなこと言われる筋合いはないでしょう」
そう言いながら紫は乗り出していた身をソファに戻し、左手を大事そうに右手で包み込んだ。
「反論を受理しました。それでは誓約の管理者として反論の内容を加味した上で最終通告を行います」
覚悟はよろしいですね? そう続けて優一郎はにっこりと笑った。最終通告って、と紫が呟くように言う。だが優一郎はそんな紫を無視して静かに言った。
この話での最終通告といえば、ここ、というエピソードです。