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奈月が変身!? 1
「まあ、何事もなかったようだからいいが」
「んー」
嫌そうな声に間延びした声で答えながら順は手を伸ばした。二人の間に置いてあったせんべいを取り上げて口を咥える。
「あんまり無茶をするな。貴様と違ってオレはそんなに暇じゃないんだ」
「ほへー」
双眼鏡をあてがったまま、順はまた間延びした声で答えた。するとちっ、と鋭い舌打ちが聞こえてくる。順は双眼鏡を外して隣に座る男を見た。この暑いのにご丁寧に真っ黒い格好をしたこの男は黒妖牙と呼ばれる龍神だ。
順と黒妖牙は二人で並んでとある屋敷の屋根の上に座っていた。周囲が暗がりのために誰かに見咎められる心配はない。せんべいを齧りながら順はまた双眼鏡を目にあてがった。
紫は無事に水輝から引き剥がすことが出来た。シナリオを書いた祐は多少の不満を感じているかも知れないが、結果的にはこれでよかっただろう。優一郎から祐の人格は綺麗に切り取られ、別の器に無事に定着したようだ。
「それじゃあオレは行くぞ」
そう言って黒妖牙が腰を上げる。順は双眼鏡で街の様子を眺めながら黒妖牙にまたね、と手を振った。相変わらず勝手な奴め、と呟いて黒妖牙がその場から姿を消す。
とりあえず今日のところは清陵町は無事のようだ。そのことに息をついて順は双眼鏡を下ろした。残っていたせんべいを手早く噛み砕いてからぼやく。
「もー。クロチャンってせっかちだよねえ。折角美味しいところの用意したげたのにさあ」
器に盛られたせんべいには殆ど手をつけられていない。今、順が食べたものが一枚減っただけだ。
克人は水輝の精を何度か体内に受けた後に失神してしまった。どうやらあのままの身体ではそれ以上、水輝の力を受けるのは無理のようだ。うーん、と呟いて順は頭をかいた。幾ら龍神の力を吸える体質とは言っても限界があるらしい。自分の時には感じたことのなかったものを克人に見て取り、順は考えを改めた。克人は自分によく似てはいるが、全く同一の資質を備えている訳ではないのだ。
さらった紫は今は木村の屋敷の中で静かに眠っている。実験するのだ、とはりきっていた透にも少し待つように言ってあるから当分はあのままだろう。何しろ、紫が吸っていた水輝の力の量はただ事ではなかった。それを殆ど優一郎に吸い出され、その上、胎にこもっていた珠も出てしまったのだから力の回復にはかなりの時間がかかる。
「ええとー。呉羽ちゃんの分と克人の分、大技二発かあ。でも今の水輝ちゃんじゃちょっと無理っぽいなあ」
そう呟いて順はため息を吐いた。本当なら水輝を嵌めたあの時に一発は撃たせるつもりだったのだ。が、その直前に優一郎の呼び声が聞こえた。結局、順は水輝に術を撃たせることは一時的に諦め、紫の回収に向かった。
その上、呼びもしないものが水輝にかかり予定は大幅に狂ってしまった。順は舌打ちをして器に手を伸ばした。あれが水輝にかかったからこそ、黒妖牙がわざわざ冥界から出て来たのだ。
「死に損ないの癖して生意気だよねぇ……。水輝ちゃんってば一体何人分の宝珠握ってるんだか」
半ば呆れて言いながら順はせんべいを口に運んだ。甘辛い味のせんべいを食べているうちに自然とお茶が欲しくなる。むー、と呟いて順はせんべいの器を手にして屋根の縁まで歩いた。双眼鏡をベルトで首にかけてから口にせんべいを咥え、器のせんべいを片手で押さえる。そうして順は軽く踏み切って屋根から地面に飛び降りた。柔らかな芝生の敷き詰められた庭に音もなく着地する。順はそのまま屋敷の庭を出た。
路地に出て右に曲がり、隣に建っている喫茶店のドアを肩で押す。顔を覗かせた順を出迎えたのはウェイトレス姿の奈月だった。
「いらっしゃいませ」
トレイを抱えた奈月がにっこりと笑みかける。順はいつもの調子でへらへらと笑いながら言った。
「いやあ、今日もカワイイねえ、奈月ちゃん! どう? これからオレとデートしない?」
いつもの客がいつもの調子で言っていると思っているのだろう。他の常連客や従業員は苦笑して順を見ている。だがそんな中で桜だけが血相を変えて飛んで来た。
「無礼者! 姫様に何を言うんですか!」
これも毎度のことに含まれているために他の連中は特に桜の反応を変とも感じないようだ。慣れって怖いねえ、と内心で呟きながら順は手にしていたせんべいの器を桜に押し付けた。
「今日は紫さんはいらっしゃいませんよ」
こちらも慣れているのか平然と奈月がそんなことを言う。ああ、と苦笑して順は勧められる前に勝手にカウンターの席についた。カウンターの中に納まっていたアルバイトの青年が順に笑顔で挨拶する。それに片手を上げて答えてから順はスツールを回した。
「知ってるよん。今日はねえ。せんべい食って喉が渇いたから来てみたの」
へらへらと笑いながら言って順はアルバイトの青年にアイスティを注文した。ラストオーダー間際だからだろう。店内に客の数は少ない。
「おせんべいですか?」
順と向かい合う格好で立っていた奈月が桜を見やる。順から預けられたそれを店内に置きっぱなしにする訳にもいかないのか、不服いっぱいの顔で桜がせんべいの器を手にキッチンに引っ込む。そんな桜を見送って順はそうだよん、と笑った。
「あ、水輝ちゃんは優一郎くんのトコにいるから。ナギちゃんも一緒ね」
軽い口調で言ってから順はくるりと振り返った。タイミングよく出されたアイスティを受け取ってからまたスツールを回す。
「知っています。今日は遅くなるかもしれないと先ほど連絡がありましたから」
そう言って奈月が寂しげに目を伏せる。ありゃ、と順は力ない声で呟いた。あの状況でよく奈月に連絡を入れられたものだ。順は感心してふうんと頷いた。
「あとねえ。克人、明日ガッコ休むかも知れないからさあ。悪いんだけど担任に伝えといてくれるかなあ」
水輝の精を受け入れて倒れているのだ。今日一晩眠った程度では回復出来ないだろう。受け入れたそれが力となってきっちり発動するようになるまでにしばらく時間がかかる。添えられていたストローを無視して直にグラスからアイスティを啜りながら順は考えを巡らせた。
「はい。お伝えします」
生真面目な表情で奈月が頷く。相変わらずの様子に順は満足感をこめて頷いた。特にこちらも何も問題はないようだ。紫の代わりに祐がここに来ることになるだろうが、大した変化ではないだろう。結局のところ、ここを実質切り盛りしていたのは渚なのだ。
「あの、理由はなんでしょうか? もしかしてご病気ですか?」
心配顔で訊ねられて順はああ、と顔を上げた。
「えーと……熱?」
器に注がれた精を消化するついでに発熱しているのだから間違いではないだろう。そう考えながら順は曖昧に言った。
「ハンターさんも病気になられるんですね。お大事にとお伝えください」
「ぶほ」
奈月に心底心配されてしまったらしい。順はだが奈月のせりふを聞いて思わず紅茶を吹き出した。幸い、口の中に入っていた紅茶は殆どなく、しかも口にグラスをあてがっていたから周囲に被害はないようだ。激しく咳き込みながら順は手にしていたグラスをカウンターに乗せた。
「ハンターさんって、相変わらず、面白い呼び方、するね」
何とか呼吸を整えながら順は苦笑した。
「そうですか?」
不思議そうな顔をして奈月が首を傾げる。こういうのを天然って言うんだよね、と心の中で呟きながら順はあはは、とごまかすために笑ってみせた。
エピタイは作者のもの~。
……なんかすみません(汗)