「記憶がなくなっているのは判っていたけれど、妙な再構成の仕方をされていない?」
そう告げた渚を水輝はぼんやりと見つめた。腕組みをして胸を反らした渚は、さっきの祐とは対照的に柔らかな顔立ちをしている。なのに表情がやけに険しいのだ。
「そうなんですが……僕も一時的に記憶を失っているんです。渚さんなら、何か対処ができるかと思ったのと、そして」
そこで一旦、優一郎が言葉を切る。だが優一郎が言葉を付け足す前に渚が口早に言った。
「彼よ。力が動いたのがはっきりと見えたもの。でも私には対処もなにも出来ないわ。かなう訳ないもの」
きっぱりと言い切って渚が肩を竦める。どういう意味だろう。水輝は訝りに眉を寄せて目の前に並ぶ二人を見比べた。渚は腕組みをしたまま険しい顔をしている。対する優一郎は何事かを考えるような顔をしていた。
「僕は水輝さんの記憶に唯一残っていた人物のところに行くしかないと思っています。水輝さん、その人物について渚さんに話してもらえますか?」
にっこりと笑った優一郎に頷いて水輝は奈月の名前を出そうとした。が、渚がため息をついて水輝より先に喋りだす。
「奈月でしょ? そんなこと、聞かなくても判るわよ」
先に言われて水輝は目を見張った。瞬きを何度かしてから首を傾げる。何故、渚は自分が言うより早くそのことを知ったのだろう。
「でも名前しか」
覚えてない。水輝は低い声でそう付け足した。するとそう、と渚が頷く。
「恐らく引き剥がせなかったんでしょうね。彼女のことだけは」
やけにはっきりとした喋り方をする女だ。水輝は渚に対してそんな感想を抱いた。するとまるで心の中を見透かしたように渚が嫌な顔をする。
「会わせてみるのが一番手っ取り早いと思うんですけど。彼女、今、龍宝珠界に居るんですよね」
タイミングが良すぎると、思いません? そう続けて優一郎が眉を寄せる。すると今度は渚が考えこむような表情になる。何の話をしているのか理解出来なかった水輝は二人のことを静観することに決めた。どのみち、何も覚えていないのだ。口を挟むだけ無駄だろう。
「それは水輝が出かける前から思ってたけど……水輝、あの時に記憶がなくなるかもって言っていたのよね」
だから私は不思議には思わないんだけれど。そう続けて渚がちらりと水輝を見る。水輝は訝りに思わずしかめっ面になった。渚の言ったことを信用するなら自分は記憶がなくなるのを承知でいたということになる。
「そうだったんですか……」
流石水輝さんだ。そう続けた優一郎を渚が嫌そうに見る。
「さすがじゃないわよ。あの子、相当に無理していたのよ。考えてもみてごらんなさいよ。ここ最近の一連の事に加えて彼の力を預かっていたのよ? その上、どこかの誰かさんはちんたらしてるし」
不満いっぱいの顔で言いつつ渚が部屋の奥に向かって歩き出す。何事かと思っていると渚はソファにどかん、と腰を下ろして立ちっぱなしになっていた水輝と優一郎に手招きをした。渚の勧めに従うことにした水輝は大人しくソファに腰掛けた。隣に優一郎が静かに腰掛ける。
「それで、奈月さんの居場所ですが、龍宝珠界にいらっしゃるというのは本当なんでしょうか?」
「ほぼ間違いないんじゃないかしら。水輝の傍に飛んでこないのも気になるし」
優一郎にそう答えて渚がちらりと水輝を見る。水輝は眉を寄せて沈黙を守った。二人の話が殆ど理解出来ないのだ。居心地の悪さを感じながら水輝は無意識にシャツの胸ポケットに手をやった。空っぽのポケットを指が空振りする。そこで初めて水輝は自分がポケットに何かを探していたことに気付いた。まじまじと手を眺めてから目を上げる。すると何故か二人ともが水輝をじっと見つめている。二人分の視線を受けて困惑した水輝は何となく目を伏せた。
「渚さん。煙草はありませんよね?」
ふと、隣に腰掛けていた優一郎が告げる。水輝はのろのろと顔を上げた。なるほど、自分は煙草を探していたのか。遅れてそう理解した水輝の正面で渚が顔をしかめる。
「ないわよ、そんなもの」
そう言って渚が肩を竦める。水輝はじっと二人の顔を見比べてからおもむろに立ち上がった。ゆらりと歩き出した水輝の背中に慌てたように渚が声をかける。
「ちょっと、どこに行くの」
水輝は足を止めて二人を見返った。戸惑いの表情をした渚と優一郎とを見比べる。水輝はため息を吐いて言った。
「居てもつまんねえし」
それだけ言って水輝はまた歩き出した。
「退屈だと仰るなら、さっさと奈月さんの下へ移動しましょう」
優一郎の言葉に水輝はぴたりと足を止めた。また振り返ると今度は優一郎が立ち上がっていた。戸惑った渚に優一郎が笑みかける。
「渚さん、ご協力お願いできますよね」
「いや、あのさ。奈月とか言うのに会ってどうすんだ? そもそも何でおれはそいつと会わなきゃならないんだ?」
水輝はめいっぱい顔をしかめてそう言った。すると渚が目を吊り上げて大股で水輝に近づいてくる。何事かと眉を寄せた水輝の頬を予告なく渚が平手で打つ。水輝は目を見張って打たれた左の頬を押さえた。
「あなたの記憶を戻す必要があるでしょう! それにあなた、奈月に会いたくないの!?」
鋭い声で言われて水輝は機嫌の悪さに顔をしかめた。ぴたりと渚を指差してから水輝は優一郎を見た。
「こいつ、殴り返していい?」
低い声で言った水輝に再度、渚が手を振り上げる。だが今度は水輝も黙って殴られてはいなかった。振り下ろされた渚の手を受け止めて捻り上げる。素早く背中に腕を回して水輝は渚を床に組み伏せた。
奈月に続いて渚のことも完全に忘れてます。