「おれ、結婚してたのか?」
ぼそりと呟いた水輝がのろのろと振り返る。ラスティはため息を吐いて寄りかかっている壁に手をあてがった。静かに結界を張ったラスティを気配で察したのだろう。慌てたように奈月が振り返る。
「はい。水輝さんはこの方、紫さんと結婚してらっしゃいました。つい先日までは」
そう言って優一郎が頷く。水輝はそれを聞いてからまたのろのろと顔を戻した。今度は不審そうに紫を見下ろしている。
「何のために? そりゃ、こいつは洞だから媒体には持って来いかも知れないが」
淡々と言った水輝を奈月が悲しそうに見る。
「さまざまな誤解が絡み合った結果。と申し上げておきましょう。とりあえず、僕は誓約の管理者という仕事を持っています。水輝さんと紫さんが夫婦であることが弊害をもたらしていることに気付き、関係を強制的に解除しました」
水輝に負けないくらいに淡々と優一郎が語る。その途端に奈月が声を張った。
「どうして!」
怒った奈月を水輝がのんびりと振り返る。奈月は怒りに目を吊り上げて優一郎を睨んでいた。
「奈月さん。あなたとは、後で一対一でお話しましょう。今回の件についてはあなたにも責任がありますから」
もちろん、それで事態をここまで放置した僕の罪が消えるわけではありませんが。そう続けて嗤った優一郎にラスティは軽く手を上げてみせた。ちょっといいか、と言葉を挟んだラスティをその場にいた三人が注視する。
「よく判らんが、俺はちょっと外すぞ。阿呆な主のお陰でこの辺りがめちゃくちゃだ」
しかめっ面で言ってからラスティは返事を待たずに部屋から出た。怒りに任せてドアを閉めてから大股で外に出る。凄まじく嫌そうな顔をしている常磐に悪い、と断ってからラスティは空を仰いだ。
気が揺れている。くそ、と呟いてラスティは家を含むその場一帯に結界を張り巡らせた。最初からこうしておけば良かったのだ。
「やったらやりっ放しで逃げやがる癖に、問題だけはでかいのを引っ張ってくれる」
唐突に四人の龍神が現れたことで、この世界が揺らいでいるのだ。下手をすると各地で天災が起こっている可能性もある。ラスティは苛々しながら鞄と荷物をテーブルの上に引き寄せた。手際よく荷を鞄に詰め込みながらため息を吐く。
「いや。どちらにしても避けられないものだった。彼も馬鹿ではない。きちんと対処はしている」
常磐が言いながらテーブルの荷を詰めるのを手伝い始める。ラスティは乾いた声で笑ってから家を振り返った。
「それにしたって翠がいない時に来なくても……まるで」
そこまで言ってラスティは言葉を切った。まるで、狙っているようだ。そう続けようとしたところで喉の奥で言葉が凍る。
まるで誰かがタイミングを測ったように色んな事態が重なっているように見える。その場に硬直したラスティに代わって荷物を鞄に詰め込みながら常磐が小さく笑う。
「頭を冷やせ。逆だ」
「逆?」
どうやら今回は常磐も一緒に出かけるつもりらしい。テーブルに自分の鞄と荷物を引っ張り寄せた常磐をラスティはぼんやりと見つめた。
「翠が居ないからこそ、平衡を保つために他者の力が現出しているのだ」
淡々と言いながら常磐が荷物を詰めていく。ラスティは今度はそちらを手伝いにかかった。着替えや簡易食物と一緒に何故か常磐が荷にロープを詰める。おい、と声を低くしたラスティに常磐が意味ありげに笑う。
「翠は個体じゃないんだぞ?」
出来るだけ絞った声でラスティは告げた。すると常磐が荷を詰めていた手を止める。
「お前が何人の翠に会ったことがあるかは知らないが、全て同一だ」
「違う。翠は個人を指す名称じゃないんだ」
いつか見た翠を思い描きながらラスティは苦しさに顔を歪めて言った。魔法に組み込まれている名だというのは確かだし、普通は翠は個体の姿を取るから勘違いしやすいのだろう。だが、あれは個人じゃない。ラスティは口早にそう説明してから常磐の荷を整え終えた。
「あれは現象を指す名称だ。時そのもの、だから本来は不在になる筈のないモノなんだ」
時間は誰の上にも平等に降りてくる。ラスティは眉を寄せてそう続けた。このタイラードですら、時間は存在する。
「お前は難しく考えすぎていると思うぞ。正確に言えば今、翠は存在していないわけではない。しかし、姿を現すことはできない」
そう言いながら常磐が鞄を取り上げる。ラスティはゆらりとその場に屈みこんだ。地面に手をあてがって周囲の気配を探る。呪文を口の中で詠唱してからラスティは結界の上にもう一枚の結界を重ねた。これでこの家の中で起こることは周辺に影響しなくなるだろう。
「難しく、か」
そう呟いてラスティは腰を上げた。自分の鞄を取り上げて担ぎ上げる。
「どっちにしろ、守護神に顔見せて詫び入れて、ついでに乱れたとこを修復するって手間は必要な訳だな! くそったれ」
苦い顔で文句を言ってからラスティは無造作に常磐に手を差し出した。苦笑しつつ常磐がラスティの手につかまる。
「その心配は今のところ無い。災厄は一箇所に集中している。先ほど、南方の海上にかつてないほどの規模の嵐が発生した」
「南……うわあ……すげえ嫌な場所だ」
きっとあの火の守護神は嬉々として私闘を申し込んでくるに違いない。そんなことを思いながらラスティは常磐と共に火の国に跳んだ。
奈月にはかなりのショックだったようです。