ため息を吐いた文と恐縮する奈月とを見比べて学は苦笑した。どうやら順は無事に紫の所にたどり着いたらしい。運転手はしっかりと寝かせつけてあるから気付かれることはないだろう。気になったらしい桜が順の後を追ったようだが特に問題はない。素早くそれらのことを確認してから学はまあまあ、と二人の間に割って入った。
「アタシは文ちゃんも奈月ちゃんもカワイイと思うけど、出来れば仲良くしてもらいたいわぁ」
身体を無意味にくねらせながら学は二人にそう訴えかけた。すると慌てたように奈月が言う。
「あの、わたし文さん好きです!」
ストレートなその表現をどう思ったのか、文がいつもは冷静な顔を僅かに歪める。だがすぐに文は顔から感情を消した。
「私は奈月さんを尊敬しています」
微かな笑みを浮かべて文が言う。そこで学は二人の少女を両腕にがっしりと抱きしめた。
「ああん、文ちゃんも奈月ちゃんもカワイイわあ! いいわよねぇ、女の子って!」
そう言いながら学は二人の肩に頬擦りをした。実際、傍にいるとこの二人からは清浄な気が流れてくる。殺伐とした気配が嘘のようにその場にだけないのだ。
「ま、学さんっ」
恥ずかしそうに頬を染めた奈月が言えば、学の左腕に納まった文はうっとりとしている。学はしばし二人の少女の気を堪能してから腕を解いた。順の気配が遠ざかる。その代わりに三人の傍に桜が戻ってきた。
「姫様」
姿を現した桜が控え目な声で呼びかける。慌てたように奈月が桜を振り返った。桜は本来は木龍神の使い魔だ。が、今はその座が奈月の預かりになっているために、奈月の傍から離れないらしい。
「そうだ、学さん! 紫さんは無事ですか!?」
はっとした奈月が学に懸命な面持ちで訊ねる。学は無事よ、と微笑んでみせた。確かに身柄は保護してある。が、紫に以前の面影はなかった。淫魔の術に完全におちてしまっているのだ。だがそのことを学は奈月には言わなかった。ほっとしたように奈月が胸に手を当てる。
「姫様は後でいらしてください、と」
桜が言葉少なに告げた途端、奈月の顔が曇る。あの場面を見た直後だ。奈月が順に対していい感情を抱いていないことは明白だ。学はそんなことを考えながらちらりと周辺に目をやった。
「わかっているわ。紫さんは、わたしが傍に近づくことさえ、不快に思ってらっしゃるようだったもの」
力ない声で言って奈月が俯く。学はまあまあ、と奈月の肩を叩いた。のろのろと顔を上げた奈月に片目を閉じる。学は奈月と桜、文を連れてすり鉢状の穴から抜け出した。
「折角、会ったんですものっ。仲良くお茶を飲んだりしてもいいわよね?」
うきうきとした顔で言って学は順繰りに三人の顔を見た。桜は相変わらずの冷静な表情、文はいつもの無表情、次いで奈月は消沈した顔をしている。あらあ、と眉を寄せて学はしゅんとうなだれた。
「寂しいわあ。カワイイ女の子がみんな笑っていないなんて」
しくしく、と口で言いながら学は目元を拭った。
「えっと、あの、学さん、すいません」
急に奈月がおろおろし始める。学はぐすん、と口で言ってから奈月の肩を抱き寄せた。髪に頬擦りしていると隣で文が顔を曇らせる。
「紫さんは不幸な方ですね」
ぽつりと文が漏らす。学は顔を上げて奈月を解放した。戸惑ったような顔をする奈月に桜がさりげなく寄り添う。
「同じ土俵に立つ事さえできない。遥か高みから見下ろされている。そんな風に思われたのでしょうね。姫君は眩しすぎますから」
「まあまあ、文ちゃん」
あんまり言うと奈月が辛くなる。そう思いつつ学はやんわりと文に制止の声をかけた。文は言いたいことをすぐに理解したのだろう。唇を引き結ぶ。だが恐らく文は言わずにはおれなかったのだ。
紫は結局、一番愛されたいと願った水輝には愛されないという辛い思いを積み重ねることしか出来なかった。水輝の間近に常に奈月が居て、互いが互いを必要としていたのが酷く羨ましかったのだろう。不器用な水輝のことだ。奈月との関係を隠そうともしなかったに違いない。
「やっぱり、わたしのせいなんですね」
涙ぐんだ奈月に吐息をついて学は肩を竦めた。
「そんなことないわよぉ。要するにアレね。水輝くんがいいかげんなことをしていたのがまずかったのね」
厳密に言うとそれも違う。だが学はあえて判りやすくそう表現した。すると途端に奈月が血相を変える。どんな状況になっても奈月は水輝を大事に思っていて、それを貶すものを絶対に許せないのだろう。
「誰のせいでもありません。そのような環境を生み出した状況が全ての原因でしょう。そして」
淡々とした口調で文が言うのを学は慌てて止めようとした。が、不思議なことに奈月の傍らに立つ桜が動こうとした学を目で制する。奈月を護ることだけに命を賭けている筈の桜のそんな反応に学は訝りを覚えた。
「それは、一部の方が思っているように、裏から操る存在によって計算し尽くされて演出されたものなどでは決してありえないと、私は思います」
きっぱりと言い切った文を学は苦笑して見つめた。この世は生きる者、全てのものだ。誰か個人のものではなく、共有の財産なのだ。紡ぐ時も現象も、そして生きとし生ける者には平等に力が与えられている。
「ああっと。とりあえずここじゃなんだし、アタシの別荘にいこっか。おウチは凍り付いちゃって入れないし」
学はにっこりと笑って三人を促した。頷いた三人を連れて学は待たせてあったタクシーに乗り込んだ。運転手を叩き起こして当り障りのない世間話をしつつ、木村の地を後にする。一番近い別荘地にタクシーで乗り付けて学は三人を小さな家に案内した。ここはよく密会に使う場所なのだ。愛らしい木作りの家が気に入ったのか、奈月が嬉しそうにしている。
「よく手入れされていますね。素敵です」
にっこりと笑った奈月に学も微笑みを返した。
「ありがとっ。ここもね、文ちゃんにいつもお世話してもらってるのっ」
喜びを身体で表現しつつ学は家の奥に奈月と桜を案内した。文は早速、四人分の茶を準備し始めている。木立の中に立つ小さな家の煙突からはすぐに白い煙が上がり始めた。森の中には夜の鳥の声が響いている。
ふと、学に桜が寄る。はしゃいで家の中を珍しそうに見ている奈月を横目に学はなに、と桜に問うた。
「学様はここまで、と。あの方からの伝言です」
「……あの赤いヒトもねえ……」
学はしかめっ面になって眉間を指で押さえた。順の言わんとしていることは判る。恐らく順は今回の件に誰も巻き込むつもりがないのだ。確かにお伝えしましたから、と桜が学の傍をさりげなく離れていく。学はうう、とこっそり呻いてこめかみをかいた。窓辺に置かれた飾り物の小鳥を手にした奈月が嬉しそうに笑っている。その笑顔を護りたいと思った水輝の心境が何となく判る気がする。まあいいか、と呟いて学は奈月の傍に近づいた。
学も律儀なんですよねーw