あ、エロシーンはありません。
水輝の元に奈月が跳んだのを確認してから桜はさっさと目的を変更した。奈月が一緒でなければ食堂に赴く理由もない。元々、桜は龍神の使い魔である故に人と同じ食事はとらなくてもいいのだ。
誰もいない一階の女子トイレを出たところで桜は立ち止まった。今日、クラスに編入していたあの奇妙な気配を探る。ほどなくその気配は桜の意識の網に引っかかった。どうやら一人でふらふらと裏庭に出ているようだ。一体、何の用事があるのか気配はゆっくりと裏庭を横切って奥のセミナーハウスに向かっている。桜は数瞬ほど迷ってから脱靴室に向かった。
下駄箱から革靴を出して履き替える。今時珍しい蓋つきの下駄箱に上履きを放り込んでから桜は裏庭に向かった。注意深く辺りの様子を探りながら先に進む。清陵高校の裏庭には小さな噴水がある。その噴水を起点に長く伸びた水路を緩やかに水が流れているのだ。生徒たちの姿はここにはない。桜は噴水を横目にさらに奥に進んだ。横に講堂を過ぎてセミナーハウスに向かう。気配を辿って進んでいた桜はセミナーハウスの壁に張り付いてぴたりと足を止めた。微かに人の声がする。どうやら複数の男子生徒の声のようだ。どうやら声の荒さから考えると、誰かが喧嘩か何かをしているようだ。桜は少しだけ身体をずらして壁の向こうを見た。
複数の男子生徒に小柄な生徒が囲まれている。それを見た桜は僅かに目を見張った。件の気配の持ち主、克人が男子生徒に一方的に絡まれているのだ。しかも克人は何ら悪びれることなく、平然と彼らを見上げている。大方、奈月に憧れる男子生徒たちだろう。
不意にわめき声を上げて一人の男子生徒が克人につかみかかる。それを機に克人を取り囲んでいた男子生徒たちは一斉に動いた。だがそれを見つめる桜は心の中でぽつりと呟いた。
無駄なことを。そう桜が呟いた通り、克人は身軽に彼らの攻撃の手をかわした。特に反撃をするでもないのに男子生徒同士が互いにぶつかり合って地面に沈む。絶妙のタイミングで避けたために、克人に突っ込もうとした生徒たちが別の男子生徒に突っかかる格好になってしまったのだ。
「このやろう!」
怒声を上げて男子生徒が凝りもせず克人につかみかかろうとする。背を向けていた克人がくるりと振り返り、その場に屈み込む。それだけで男子生徒の身体は克人のいた空間を薙ぎ、地面に突っ込んだ。桜は黙ってしばし彼らの様子を見物していた。ふと、こちらを向いた克人と目が合う。どうやら克人は最初から桜が覗いていたことに気付いていたらしい。何事もなかったかのように微笑んでから、唐突にうわあん、と泣き声をあげる。驚いたのは男子生徒たちだ。それまで攻撃らしい攻撃を避けまくっていた克人がいきなり泣き出したのだ。克人は泣きじゃくりながら真っ直ぐに桜に駆け寄ってきた。克人の走った方向に桜の姿を見止めたのだろう。男子生徒たちが一斉に息を飲む。克人は桜の目の前でわんわんと泣きじゃくっている。やれやれとため息を吐いて桜はうろたえている男子生徒たちに目をやった。すると我先にと男子生徒たちが散っていく。彼らは奈月を桜が護衛していることをよく知っているのだ。
その場から男子生徒たちが消えたのを見計らったように克人がぴたりと泣き止む。それから克人は顔を上げて桜に頭を下げた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「別にわたくしは何もしてはいません」
憮然として桜は言い返した。すると克人が困ったように笑う。
「そうですか。でも助かったのは事実ですからお礼くらいは言わせてください」
それじゃあ、と頭を下げて克人が踵を返す。桜はそんな克人の手を素早く引いた。すると克人が不思議そうに振り返る。
「ちょうどいい機会ですからお訊ねします。……何故、龍神の方々を狙わないのですか」
ハンターとは龍神を狩る者の意だ。それは古くからずっと変わっていない。なのに不思議なことにこの克人は殺気らしいものをまるで持っていないのだ。通常、ハンターは意識しなくても龍神の気配を感じると殺気を帯びるものだ。手練のハンターになればその気は押し隠すことも出来るだろうが、龍神の存在をまったく意識しないというのは普通ではあり得ない。
克人が困ったように微笑んで桜の手をそっと解く。幼い容姿の克人が、実際には周辺の生徒たちとそう大差ない年齢なのは見れば判る。
「龍神たちの事情は大昔から変わっていないのですか? 時代と共に変遷したのではありませんか? ハンターにも同様のことが言えるというだけのことです。事実、今では一切、龍宝珠を口にせず生活しているハンターもいますよ……実験場にだけですけどね」
すらすらと解説してみせる克人の言葉に澱みはない。桜は僅かに目を細めてから息を吐いた。
「ボクは確かにハンターの中では弱いかも知れませんが、己の分を弁えず、力ある者に勝負を挑むほど愚かではありません。……尤も、そんな真似をしたところであなたに瞬殺されるでしょうけれどね」
いともあっさりとそう告げて克人が踵を返す。桜は歩き出した克人に無言で続いた。どこに行くのかと思ったら克人は真っ直ぐに教室に戻ってしまう。桜も何となくそんな克人について教室に戻った。昼休憩中の教室の中は生徒たちの声で賑わっている。机についた克人にならって桜も自身の席についた。奈月が戻った様子はない。どうやら水輝は昼休憩いっぱいまで奈月を離さないつもりらしい。
「それでは何のためにこの学校に?」
椅子ごと後ろを向いて桜は潜めた声で克人に訊ねた。端末を引っ張り出してキーボードを打っていた克人が苦笑する。
「ボクはただ、学校に行くように言われただけですから」
それを聞いて桜は腕組みをした。あの木村当主がただの暇つぶしで手の者をここに寄越すとは思えない。が、確かに克人は殺気などは放っておらず、かと言って情報収集を熱心に行っている風でもない。言わばごく当り前の転入生、ただの一生徒にしか見えないのだ。
小さな指が器用にキーボードを叩く。ふと、興味を覚えて桜は克人の端末を覗きこんだ。学校で支給されるものとは若干、形が違う気がする。桜の視線の意味に勘付いたのか、克人が照れたように笑う。
「あ、ちょっと改造しちゃったんです。貰ったのはキーボードが大きくて打ち難かったから」
事もなげに言いながら克人が手早くキーボードを打つ。画面に表示されているのは次の授業内容なのだろう。古文のテキストだった。
「改造……あなたが、ですか」
桜は戸惑いを覚えながらそう訊ねた。すると克人がええ、と頷いて微笑む。
「そんな風に見えないでしょ? でも、機械はけっこう得意なんです」
コロニーにいた頃はずっとこればかりでしたしね。克人がこっそりと桜にだけ聞こえる声で言う。コロニーというのはハンターの群れの俗称らしい。そのこともついでとばかりに克人は潜めた声で説明した。
「ここはいいですね。みんな楽しそうだし、死ぬ危険も少ないし」
にこにこと笑いながら克人が言う。桜は無言で教室内を見た。確かにここにあるのは平和な光景だ。血で血を洗う戦いや争いといった類には無縁に見える。桜は先の戦いを思い出して僅かだけ目を細めた。
立城の使い魔として存在していた桜は、命令により水輝の前に立ちはだかった。だが水輝の力の前に桜は倒れ、散った。そして立城の器は水輝により破壊され、それと共に木龍神の座が不安定になった。
結果的に木龍神の座はいまは奈月の預かりということになっている。それ故に桜は奈月を常に護衛しているのだ。通常、使い魔は主である龍神が死すると同時に地に還る。だが桜はなぜかこの世に生まれてしまった。その意味を桜は座を護れということだと理解したのだ。
軽いキータッチの音がふと止まる。桜は我に返って克人を見た。いつの間にか克人が手を止めてじっと桜を見つめている。
「なにか?」
桜は硬質な声で訊ねた。すると克人が困ったような顔で首を傾げる。
「もしかしてここに居るだけでボクを殺そうとか思います?」
「手を出してこなければ反撃のしようがありません」
きっぱりと言い切って桜は椅子の向きを戻した。最初は先手必勝で克人を攻撃しようと思っていたのだ。だがそんな桜を奈月が真っ先にたしなめた。桜は仕方なく奈月の意を汲んで克人が攻撃してこない限りは反撃はしないことにした。
「じゃあ、ボクは大丈夫なのかな。攻撃の意志はないし」
小さく笑って克人が席を立つ。どこに、と桜が言う前に克人はにっこりと笑って言った。
「他のお方にご挨拶してきます」
そう言って克人が桜に手を振って教室を出て行く。端末の残った克人の机を見つめ、桜は深々とため息をついた。
半ば解説ぽくなるのは仕方ないのかな……。
読みづらかったらごめんなさい。