じゃあ、これ貰ってくね。と、軽い口調で言った順をその場にいた研究者たちが困惑の目で見る。順はそんな彼らを余所に手にしたビニール袋を覗き込んだ。鼻歌を歌いながら中身を改める。
とある研究施設の奥にある巨大な冷凍庫の中に順はいた。研究員たちは開いた冷蔵庫のドアのところで不安げに視線を交し合っている。彼らの吐く息は真っ白だ。順も同じように白い息を吐いてはいたが、防寒着に身を包んだ彼らとは対照的に一人軽装だった。アロハシャツの裾が時折、吹き付けてきた冷気にはためく。
冷気の噴出し口近くのスチール棚には白い霜がつき、短いつららがぶら下がっている。順は中身を確かめたビニール袋を小脇に抱え、再び棚に手を伸ばした。行儀良く並ぶ発泡スチロールの箱を一つずつずらして番号を確かめる。
「うわあ、懐かしい。これ、ずっと前に採取されたオレの精液だ」
無邪気な歓声を上げて順は一つの箱を引っ張り下ろした。入り口に固まっていた研究員たちが順を遠巻きにしながら慌てた声を上げる。
「じ、順様っ! それは!」
だが彼らは口々に順に呼びかけつつもはっきりと制止はしない。そんな彼らをせせら笑ってから順は手にした箱を凍りついた床に下ろした。テープで厳重に施された封を剥ぎ取る。
かつて順は自分が実験体として生まれたことを知らなかった。幼い頃は無邪気に妹と遊んでいたものだ。が、順も妹の都子も、実は木村の研究施設で作られた実験体だった。
素材に用いられたのは風龍神の死骸だった。それを基に順と都子は人工的に造り出されたのだ。そして順は検査の折に精液も採集された。蓋に記された年月日を読んで順は口許を歪めた。
あの頃、何も知らなければオレたちの生きる道はもっと違っていた。だがそんな思いはもう今はない。順は自分以外の木村の末裔を全て殺してしまったのだ。そして妹の都子も順の手にかかって死んだ。その代わりに順には強大な龍神の力が残されたのだ。
ハンターとして生きていた順が違う道を歩み始めたのはそれからだ。鼻歌を歌いながら順は発泡スチロールの箱を開いた。箱の中には細く短い試験管が立てられた試験管立てが二段に積まれている。ぎっしりと詰められた試験管の一つを順は手に取った。試験管の表面にはマジックで年月日などが記されている。
実験体01。年月日の横に記された文字に順は目を細めた。それがかつて順につけられていた番号だ。成功体の第一号として順は幾度となく検査を繰り返された。そして彼らは同時に検査の目的以外の順の活用法を見出した。順の体液は人の感覚を狂わせる媚薬となって作用することが確認されたのだ。中でも精液には恐ろしいまでの作用があった。それは後に特有の名のついた薬に加工された。
試験管の中身は凍りつくこともなく、かつての姿を保っている。順は試験管を軽く振って笑った。
「こーんなのがまだあったなんてねえ。オレも知らなかったな」
そう言いながら順は試験管を戻した。蓋を元通りに閉めてから冷凍庫の扉あたりにたむろする研究員たちを振り返る。それまで潜めた声で話し合っていた彼らは順が声をかけると一斉に話をやめた。
「ね。これがご丁寧に取ってあるって事は、レシピ、残ってるんしょ?」
「あ、あの、ですが」
研究員の中でも彼らを取り仕切る立場にある、チーフと呼ばれる中年男性が言いにくそうに告げる。
「それは貴重な資料として」
「あのねー。オレ、今あんま機嫌よくないんだわ。口答えしたら斬るけどいい?」
にこやかな笑みを浮かべたまま順はそう言った。すると途端にチーフの男性が蒼白になる。見た目にも哀れなほどに怯えた表情を見て取って、順は満足をこめて頷いた。順は洒落や冗談のようにあっさりと人を殺す。そのことを彼らはよく知っているのだ。チーフの男性だけではない。その場にいた彼ら全てが凍りついたように動かない。
「も、申し訳ありません!」
真っ先に正気に戻ったのか、チーフの男性が叫ぶように詫びて頭を下げる。順はそうだよね、と笑ってから箱を取り上げた。片腕に箱を抱えて冷凍庫の扉に向かう。たむろしていた研究員たちは順を避けるようにして左右に分かれた。その中にチーフの男性だけが取り残される。
「レシピ、あんだよね?」
「は、はい……」
真っ青な顔をしたチーフの男性が頷く。うんうん、と笑って順は腕に抱えていた発泡スチロールの箱をその男性に差し出した。何の気なしに受け取った男性が焦った声を上げて踏ん張る。両手に箱を両腕にぶら下げて呻く男性に、別の研究員たちが急いで手を貸す。
「それ、ただの発泡スチロール製の箱じゃないよ。間に金属板がかませてあってね。重量けっこうあるから気をつけてねえ」
だらしない笑みを浮かべて順は箱を支える数名に呑気に声をかけた。箱を支えた数人の研究者たちがぎょっとしたように順を見る。順が片腕で提げていた物を三人の男性がやっと抱えているのだ。順がただならぬ力を持っていてることをこの研究所に詰めている者たちは知っている。だがこうして目の当たりにさせられることは滅多にない。そのために驚愕し、同時に怯えているのだ。
順は人間相手でも、斬る、と言ったら斬り捨てます。