※この作品はR-18です。

狩りの終焉 一部   作:伊駒辰葉

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エロシーンはありません。


水輝の呟き

 ベッドの上に広げた荷物を見つめて水輝は腕組みをして低い唸り声を上げた。広げられているのは着替えや化粧品、それに土産物だ。

 

「これ、全部詰めるのか? 本気で?」

「そう」

 

 よいしょ、とベッドにスーツケースを乗せた紫が事もなげに頷く。水輝は頭をかいてちらりと振り返った。水輝の荷物は実に簡単にまとまってしまっている。着替え程度のものしか最初から持って来ていないからだ。

 

 どう見ても紫のスーツケースは荷物に対して小さい気がする。水輝は頭をかきながら言われるままに近くにあった土産物を紫に手渡した。慣れているのか、紫は手早く荷をケースに詰め込んでいく。

 

 一週間に渡る新婚旅行は色気も何もなく終了してしまった。外に出れば記者やファンとかいう連中に追いまわされ、部屋にいればいたで電話が次々に鳴る。そんな中で落ち着いて旅行を楽しむなど到底出来る筈もない。水輝はこの一週間のことを思い返して深いため息を吐いた。

 

 まあ、宣伝も兼ねてたから仕方ないか。一週間のことを思い出しながら呟いた水輝に紫が小さく笑う。

 

「なあに? もしかしてもっとゆっくりしたかった?」

「旅行っていう感じじゃなかったしな。妙にばたばたしてて落ち着かなかったし」

 

 不満を漏らしつつ水輝はベッドの端に腰掛けた。次々に荷を詰めていく紫の手元を何気なく見やる。紫の左手の薬指には水輝の贈った結婚指輪がしっかりと嵌っている。水輝はそれをしばし見てから自分の左手を見つめた。紫にはアレクサンドライト、水輝の指輪には青いサファイアがついている。どちらの石も婚約指輪とは異なり、目立たないくらいに小さい。日常生活の邪魔にならないようにあえてプラチナの指輪に埋め込む格好になっているのだ。だが宝石の品の方はとてつもなくいいものだ。

 

「やっぱ、温泉行こうぜ。温泉」

 

 旅行してこんな風に疲れるなんてばかげてるだろ。水輝はありったけの不満顔でそうぼやいた。すると紫が手を止めて不思議そうに水輝を見る。

 

「この間から随分と熱心だね。もしかして帰りたくないの?」

 

 そう言われて水輝はどきりとした。だが顔には感情は出さずに少しだけ笑ってみせる。紫は水輝の感情の動きには気がつかなかったのだろう。変なの、と笑って再びスーツケースの中に荷物を詰めていく。

 

 帰りたくない、というのはある意味では当たっている。だが帰らなければならないことも水輝はよく判っていた。このまま逃げ続けたところで何かが解決する筈もない。かと言って自分から波乱を巻き起こす気には到底なれない。あの地に戻れば何かが必ず動くだろう。

 

 いや、もう動いているだろうな。そう胸中で呟いて水輝は立ち上がった。煙草を咥えて部屋を横切り、電話を取ってルームサービスを注文する。まだ食べるの、という呆れた紫の声に笑ってから水輝はリビングのテーブルについた。

 

 奈月から聞いたあの名前を思い出す。克人と水輝は以前顔を合わせたことがある。一時的に水輝は克人の所属していたコロニーに居たことがあるのだ。結果的に克人には水輝の正体がばれ、そして水輝はコロニーを離れた。奈月が言っていたのはその克人だろう。そうなると順が直に送り込んできたということになる。

 

 龍神の属性は表と裏で構成される。例えて言うなら水輝の属性である水は火である順の裏属性になる。その両方が存在していなければ力は正しく働かない。だがこの話はなにも龍神に限られた話ではないのだ。

 

 あの国を二分する力と言われる吉良瀬と木村。その両者は表と裏の役割を持つ。その木村の頂点にいる順が動き出したということは、同時に吉良瀬の側にも何らかの変化があるということなのだ。

 

 肘杖をついて考え込む水輝の口許で煙草が揺れ、長く伸びた灰がテーブルに零れ落ちる。そこで水輝は我に返って慌てて灰皿を取りに立ち上がった。零れた灰を指でかき集めて硝子の灰皿に落とす。そうしている間にドアのベルが鳴り、注文したサンドイッチと紅茶が運ばれてきた。呼び鈴に反応して出ようとしていた水輝を奥の部屋から紫が制す。何事かと首を傾げた水輝に紫は言った。

 

「この間、喧嘩してたでしょ? チップを渡す渡さないで」

 

 だから駄目、と笑って紫が部屋を横切る。ドアに向かって行く紫をぼんやりと見つめ、水輝はそっとため息を吐いた。表面的には紫は何も変わっていない。少し痩せた感はあるが、恐らく体重を実際に測っても変化はないだろう。紫は少しの間、談笑をしてからトレイに乗ったサンドイッチと紅茶を手に部屋に戻ってきた。

 

「本当に食べるの?」

「悪いか」

 

 差し出されたトレイを受け取って水輝は空のティカップを紫に無造作に突き出した。困ったような顔で笑って紫がティポットを傾ける。注がれた紅茶に細い息を慎重に吹きかけ、冷めた表面だけを少しずつ啜る。

 

 わたしは荷造りをするから、と紫はそれからすぐに寝室に引っ込んだ。紫を見送ってドアの向こうに消えたのを確認してから水輝はそっと息を吐いた。

 

 どんなに望んでも手に入れられないものはある。いつだったか忘れたが立城がそう言っていたことがある。そのことを思い出して水輝は舌打ちをした。

 

「都合のいい鍵ばかりかけやがって」

 

 そうぼやいて水輝はサンドイッチに手を伸ばした。立城はこの世にいた間にたくさんの記憶を封じていった。そのやり方はまるで紫翠のようだった。そして水輝は知らない内にそんな立城に荷担する格好になっていたのだ。

 

 今現在、立城を構成していた力はたくさんに分かれて存在している。その内の大部分を引き受けているのが水輝だ。そのことにより弊害が出始めていることを水輝も自覚している。だが判ったところでどうすることも出来ないのが現状だ。下手に動けば弊害はより酷くなるだけだろう。

 

 皿に乗っていたサンドイッチを平らげて水輝は椅子の上で伸びをした。空腹感はまだ残っている。だがこれ以上、食料を要求すれば紫が不審に思うだろう。水輝はため息を吐いて腹を押さえ、カップに残っていた紅茶を飲み干した。

 

「金色の扉、白銀の翼、時とはざまの翠の影」

 

 椅子に深く寄りかかって天井を仰ぎながら水輝は呟いた。水輝の呪文に従って周囲の空気が僅かに揺れる。

 

 漆黒の門、純白の城、紅の断罪。そこまで続けて水輝は唇を引き結んだ。こみ上げてきた衝動に慌てて口許を手で覆う。ちらりと背後を振り返って紫の気配に変化がないことを確認してから水輝は立ち上がった。急いでバスルームに駆け込んで洗面台に屈み込む。蛇口をいっぱいに開いて大量の水を流しながら咳き込む。水輝の咳の音は激しい水流の音にかき消された。衝動のままに咳き込む水輝の口から鮮血が散る。だがその赤い血もすぐに水に流れて排水口に消えた。

 

「永久の誓約、凍土の風、天空の雷、琥珀の夢」

 

 血を吐きながら水輝は殆ど声にならない声でそう続けた。咳の衝動が何度もこみ上げてくる。水輝はそれを堪えて片手をゆらりと上げた。何もなかった中空に現れた小さな輝きをつかむ。右手に握ったそれを水輝は自分の左の胸に押し付けた。激しい痛みと熱が輝きの触れた部分から身体に入り込む。それと同時にわき腹に鋭い痛みが走る。

 

 もうちょっとだけ、と呟いて水輝は右手で強引にそれを体内に押し込んだ。鎔けかけていた記憶の鍵が器の中で形を取り戻す。そのことを確認してから水輝はほっと息を吐いた。血に汚れた顔と口の中を水で洗って蛇口を戻す。その場にあった新しいタオルで顔を拭いて水輝はリビングに戻った。いつの間に荷造りを終えたのか、紫がスーツケースを手にリビングに立っている。何食わぬ顔で水輝は紫に笑みかけた。

 

「早いな。もう終わったのか」

 

 そう言って水輝は椅子に腰掛けなおした。ポットに残っていた紅茶をカップに注いで一気に飲み干す。そろそろ迎えの車が回ってくる頃だ。

 

「詰めるだけだしね。すぐに済むよ」

 

 にっこりと笑って紫が頷く。そうか、と返事して水輝は自分の荷物を取りに寝室に向かった。紫のものより一回り小さいスーツケースを取り上げる。リビングに戻った水輝は紫の手から大きなスーツケースも取り上げた。

 

「いいよ、自分で持つから」

「女にこんなもん持たせてたら格好つかないだろ。いいから早く行けよ」

 

 苦笑して言って水輝は顎をしゃくってみせた。困ったように笑って紫が歩き出す。その女らしい細い背中を見つめて水輝は浮かべていた笑みを消した。




ちょっち状況説明ぽいでしょうか。
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