「あの女は、もう水輝さんの子供を産めないわ。座位の差とかそういうことじゃない。属性の問題よ」
言葉の端々に感情を滲ませて祐がそう告げる。順はちらりと横目に祐を伺って心の中でだけ笑った。
「紫ちゃんは元々、オレに近いからね」
薄暗いところに近付かない方がいいと思った。テレビなどで映し出された紫はとても幸せそうに見えたからだ。近付かなくて済むならそれもいいだろう、とあの時の順は思ったのだ。
だが実際には歪みは発生してしまっている。
「あのね。これ言ったら否定されそーだけどさ。オレ、紫ちゃんのことはスキなんだよ?」
へらへらといつものようにだらしない笑みを浮かべて順は言った。
「あなたが内面でどう思ってようとあたしには関係ないわ」
きっぱりと言い切って祐がそっぽを向く。そりゃそうだ、と笑って順は正面を向いた。
「じゃあビジネスライクに行こうか。基本はギブアンドテイク。オレは紫ちゃんが欲しい。出来れば胎に水輝ちゃんの珠がない状態でね」
すらりと言って順は唇に挟んでいた煙草を指で剥ぎ取った。煙を細く吐き出しながら続ける。
「オレがキミに提供出来るのは、水輝ちゃんの監視の目がない状態の紫ちゃんの時間だ」
「あたしはあの女が水輝さんの傍に居られない状態になればどうでもいいわ。吉良瀬と木村のバランスとか、そういう事を考えて悩んでた糞真面目な人もここに居るけどね」
自分の頭を指差して祐がくすくすと嗤う。なるほど、と頷いて順は煙草を唇に挟んだ。
「キミがきちんと掃除をしてくれるなら、オレが責任を持って紫ちゃんを引き取ろう。これでいいのかな?」
そう言って順は隣に座る祐を伺った。
「ええ。三時間もあれば上手くやってみせるわ」
即答して祐が頷く。順は了解、と笑って片手を上げた。三時間程度なら確実にフリーの時間を確保出来るだろう。だが今すぐにという訳にはいかない。何しろ実験はまだ終了していないのだ。順は口許に手をあててしばし考えてから言葉を継いだ。
「三日後くらいが妥当かな。それ以上伸びると水輝ちゃん、次の旅行企てそうだし」
水輝は今現在のこの状況から何とか逃れようとしている。が、そのために紫を踏みつけることは出来ないのだろう。
「あの女は刻を逃した。あの女の歪んだプライドのせいで、水輝さんたちがどれだけ苦労したか。そして、今、この期に及んでも、あの女は自分のことしか考えていない」
スカートを握りしめて祐が低い声で告げる。おやおや、と苦笑して順はそっと祐から目を逸らした。恐らく祐の感想には紫への憎悪がこめられている。母親であるところの紫が余りにもだらしなく思えても当然かも知れない。
まあ、だからオレには要るんだけどね。心の底でそう呟いて順は口許に淡い笑みを浮かべた。
「誰も動けないなら、あたしが動くしかないわ。それに木村を支えるには姉さんだけでは足らないでしょう?」
くすりと笑った祐を順は横目に見た。
「べっつにオレは財閥なんてどーでもいいんだけどねー……」
曖昧に答えて順は窓の外を向いた。透を手元に置いているのは何も木村財閥という大きな力を支えさせるためだけではない。が、そんなことを祐に言ったところで無意味だろう。
さあ着いた、と順は停まった車から降りるように促した。運転手が開いたドアから祐が車を降りる。続いて降りた順はさっさと目的の店に向かった。郊外の静かな場所に建つこの店は、小さくはあるがとても美味い料理を出してくれるのだ。
「あんまり、あたしを馬鹿にしないでよね。世間に出ている財閥という存在が氷山の一角に過ぎないことくらいわかってるわよ。表と裏のバランスとでも言ったほうが良かった?」
順に続いて歩きながら祐が顔をしかめて言う。順はあはは、と笑って運転手が開いてくれたドアから店に入った。
「バランサーが生きている限り、そんなことはオレたちが気にする必要はないんだよ」
呟くように答えて順は店の奥に向かって歩いた。ギャルソンに案内された席についてナプキンを膝に乗せる。順の向かいに腰掛けた祐も同じようにナプキンを半分ほど開いて膝に乗せた。どうやら教育の方は行き届いているらしい。
「こいつもあなたほどお気楽に生きられたら楽でしょうにね」
そう言って祐が自分の頭を指差す。順は思わず小さく笑った。
「そりゃ無理っしょ。今のバランサーは優一郎くんだもん」
運ばれてきたメニューに目を通して順は二人分の料理とワインを注文した。祐が不服の声を上げかける。どうやら自分に選ばせろということらしい。まあまあ、と笑って順はシェフに任せるのが一番だから、と説明した。
「確かにそうね。そのための専門家なんだし」
頷いてから祐が何気ない動きで周囲を見回す。幾ら小さな店と言っても自分達以外に客がいないのが不思議なのだろう。それを見た順はああ、と笑った。今日はどんな話をするかはっきり判らなかったから貸切にしてあるのだ。そう言うと途端に祐が眉を寄せる。祐にしてみれば順と無駄な話をするつもりはないということだろう。
「貸切にするくらいなら、先に服を買ってくれるくらいの配慮は欲しかったわね」
「貸切だから服なんて気にしなくて済むんしょ? オレだってほら」
そう言って順は着ていたアロハシャツを指でつまんでみせた。ちなみに順はどんな店に入るときも大抵はラフな格好をしている。それ故に順が木村の当主だと知らない部下も大勢いる。格式ばった場所には替え玉を送り込むというのが順のやり方だ。
「あなたがアロハだからあたしが制服でいいってわけじゃないでしょ? 別に着飾ってもいいじゃない」
不機嫌そうな顔で祐が言うのを聞いて順はあはは、と笑った。
「服が欲しいなら欲しいって言えば? 買って上げるよ。そのくらい」
行儀悪く肘杖をついた順を祐が睨む。近付いてきたソムリエにおすすめのワインをよろしくね、と頼んでから順は改めて祐を見た。どことなく沈んだ面持ちで祐は自分の格好を見下ろしている。
「制服着てくるつもりじゃなかったのよ……。姉さんの衣装ケースには制服と白衣しかなかったの……」
「いいじゃん。カワイイ服は水輝ちゃんに見せてあげれば? オレなんざ気にしたって仕方ないし、ここの店の人は気にしたりしないよ」
ソムリエの注いでくれたワインを確かめて頷いてから順はグラスを置いた。赤いワインが静かに順と祐のグラスに注がれる。
「じゃあ、帰りに買ってもらうわよ」
そう言って祐がくすりと笑う。順はそうしたらいいよ、と笑ってグラスを持ち上げた。かんぱーい、とおどけて言って祐のグラスの縁に自分のそれを合わせる。
食事が済み、宣言通りに服を買ってから順は祐を学校に送り届けた。そのまま行っても大丈夫なのか、という順の心配に平然と頷いてから祐が車を降りる。一緒に車を降りた順は校門に向かう祐を咥え煙草で見送った。
人格は魂に付加された標識に過ぎない。いつだったか水輝が言っていたことを思い出して順は唇を歪めた。新しい服の包まれた紙の箱を大切そうに抱えた祐が校舎の中に消える。
「あのコ、ホントに判ってんのかね?」
ぼやくように言って順はボンネットに寄りかけていた身体を起こした。行くよ、と運転手に告げて車に乗り込む。恭しく礼をした運転手がドアを閉める。
「どちらに参りましょう」
「清陵中央病院。んでもその前にどっか花屋につけて」
そう指示して順はシートに深く寄りかかった。
優一郎とは別人格、的な祐です。