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冥界に乗り込むぞ
ふて腐れた顔をした漆黒の青年に祐は胸を張ってみせた。大きな黒い扉に寄りかかっていた青年が深々とため息をつく。肩に乗せていた大きな黒い鎌を担ぎ直したこの青年が冥府の王、黒妖牙だ。
冥界の犬に引かれて進む祐の行く手を遮る者はなかった。どうやら冥界の怨嗟と言われる黒い獣たちは犬に逆らえないらしい。周囲を囲んでいた獣たちは犬に一吠えされただけであっけなく道を空けた。そこからこの扉まで祐は障害に当たる事なく進んできたのだ。
「まあ……開けてやるのは構わないが……」
機嫌悪そうに顔をしかめて黒妖牙が低い声で言う。冷ややかな風貌を持つこの男には、先に天輝からここを開けるように伝えられているらしい。が、気乗りしないのか扉を開けるのを渋っているのだ。
「歯切れが悪いわね。つまるところ、見返りが欲しいの?」
「いや。それはない」
意外にもきっぱりと祐の言葉を否定して黒妖牙がため息をつく。その目が祐の足元に向いていることに気付き、祐は眉を寄せた。どうやら黒妖牙が気にしているのは祐の乗っているそりらしい。
「そんなぼろいので入ると死ぬぞ」
そう言って黒妖牙が行儀良く座っている三匹の犬の頭をそれぞれ撫でる。まだ三匹の犬は黒妖牙にとてもよく懐いているようだ。それも当然だ。元々はこの三匹は黒妖牙が所有していた犬なのだ。
「忠告ありがとう。だったら、どうするべきかしら?」
そう訊ねて祐は首を傾げた。何しろ冥界になど入ったことがないのだ。どんなところかもさっぱり判らないし、何に注意すべきかも知らない。祐は注意深くそのことを黒妖牙に訊ねた。すると犬の頭を撫でていた黒妖牙が呆れたような顔になる。
「白宝珠を持っているだろう。出せ」
黒妖牙に言われて祐は片方の眉を上げた。説明も何もしてくれない辺りはどことなく水輝にも性格が似ているのかも知れない。そんなことを思いながら祐は言われた通りに胸に手をあてがった。そこで顔をしかめて黒妖牙を睨む。
「これでいい?」
無造作に器に手を突っ込んで取り出した白宝珠を祐は黒妖牙に放った。片手にそれを受け止めた黒妖牙がふん、と鼻で笑う。
「貴様には借りがあるからな。返しておかないと気持ちが悪い」
そう言って黒妖牙は握っていた白宝珠を祐の乗るそりに向かって弾いた。そりに当たったところで白宝珠が展開する。あっという間に白宝珠は頑丈な馬車に早変わりした。豪奢な白いソファに腰掛ける格好になった祐は珍しそうに馬車の中を見回してから窓を開けて顔を覗かせた。三匹の冥界の犬はいつの間にか三頭の馬に姿が変わっている。
「まるでシンデレラだな」
小さく笑って黒妖牙が言う。それを受けて祐は肩を竦めてみせた。
「お城に行くんだから、これくらいで標準じゃないの?」
くすりと笑った祐に黒妖牙がそうかもな、と苦笑する。胸ポケットから引っ張り出した煙草を咥えて黒妖牙は馬車に道を譲った。
「城につくまでに何かに誘われても決して窓は開くな。こいつらと違って貴様は生者だ。とり殺されても俺は知らんからな」
そう言って黒妖牙が扉に向き直る。天井も端もどこまで続いているのか判らない巨大な扉が軋みを上げてゆっくりと開いていく。
「ありがとう」
にっこりと笑って礼を言ってから祐は窓をきっちりと閉めた。窓越しに見える黒妖牙に手を振る。すると黒妖牙は皮肉な笑みを浮かべて片手をあげてみせた。
ゆっくりと馬車が動き始める。祐は動く馬車の窓から外の景色を見た。灰色に覆われた辺りの光景が徐々に後ろに流れていく。扉を越えたと同時に周囲は闇に飲まれてしまった。
馬の行くひづめの音と馬車の車輪の音が響く。祐は息をついてソファに腰掛けた。手荷物を向かいの席に置いて身体の力を抜く。窓の外を時折、ぼやけた光が過ぎる。祐は何となくそれを見やって目を細めた。不気味な声が光が見えるたびに響く。あれはもしかしたら死者の魂なのかも知れない。
やがて馬車は両脇に仄かな火が点々と灯る道に入った。祐は何気なく窓の外を見て目を見張った。先ほどまでとは異なり、人の形をしたモノがいるのが見える。白い陽炎のような人の形をしたモノが走る馬車を見て足を止めてはまた歩き出す。どうやら冥界というのは直接的に地獄という意味ではないらしい。ここにいるモノも特に苦しんでいる様子はない。
ガイドでもいれば観光旅行の気分くらいは味わえたかも知れない。そんなことを思いながら祐は呑気に周囲の様子を伺った。所々には現実の世界と同じように建物もある。それらが何を意味するのかは判らないが、そうして見ると闇色に覆われてさえいなければ、こちらの現実の世界とそう変わりないように見える。
不意に鮮烈な光が視界の隅に入る。祐は驚きに身を震わせてそちらを見た。思わず窓にしがみついて光のある方に目を凝らす。緋色の美しい光は明滅している。その正体を察した祐は思わず馬車を止めるように言った。馬の耳には馬車越しにでもきっちりと祐の声が届いたのだろう。ゆっくりと馬車が止まる。
闇色の景色を切り裂くように緋色の光が周囲を照らす。景色の一角、闇の奥に大きな建物がある。どうやら光はその建物から来ているようだ。祐はしばらくその建物を見つめてから馬車を出すように言った。止まっていた馬車が再び動き出す。緋色の光はゆっくりと窓の後方に流れ、やがて見えなくなった。あんな光を天輝や順が見たら黒妖牙の忠告など無視して馬車を飛び出していただろう。そのことを思いながら祐は力なくソファに腰掛けた。
静かに馬車が進む。やがて周囲の景色は暗くなっていき、再び闇だけが周囲を馬車の取り囲んだ。上も下も、何も判らないくらいに深い闇が馬車を囲んでいる。その中を馬たちが進んでいく。
どのくらい進んだのだろう。視界が急に開ける。祐は窓から差し込んできた眩しい光に目を細め、息を飲んだ。馬車はいつの間にか止まっている。どうやら冥界を越えたらしい。そのことに気付いて祐は窓から見える空を仰いだ。青く澄んだ空が広がっている。そして馬車の前には真っ白な道が伸びている。
ここより先は我らには行くことの出来ぬ道。申し訳ありません。
冥界の犬の思惟が祐の頭の中に直接響く。祐は向かいの席に乗せていた鞄を取り上げた。
「お疲れ様」
そう声をかけながら祐は馬車を降りた。白い道に足をつけた瞬間に馬車を形作っていたものが宝珠の形に戻って祐の手の中に返って来る。祐はそれを器に戻して犬に戻った三匹に礼を言った。
遠くに城がかすんで見える。ここからなら歩いてもいけるだろう。祐は鞄を持ち直して歩き始めた。祐の背後で三匹の犬が揃って頭を垂れる。祐はそんな三匹に手を振って城へ続く道を進んだ。
祐だからなぁ……w