気合で笑顔を保って飛行機に乗ってから水輝はすぐに眠りについた。隣に座る紫を気遣う余裕はない。記者達に囲まれた空港で笑顔を保つのが水輝の精一杯だった。
飛行機を降りて空港でまた記者やその他大勢の人間に囲まれたところでも、水輝は出来るだけ愛想のいい態度を保っていた。それが出来なければ宣伝の意味はない。とりあえず笑っとけ、という水輝の言いつけを守って紫も始終、穏やかな微笑みを浮かべていた。
取り巻きの連中から解放されたのは屋敷についたところでだった。さすがの連中も吉良瀬の屋敷に押しかけるつもりはなかったらしい。ぐったりと玄関にへたり込んで水輝は深々とため息を吐いた。紫が使用人に指示して荷物を部屋に運び込ませる。それを横目に水輝はゆらりと立ち上がった。慣れない笑みを浮かべ続けていたおかげで顔の筋肉がひきつっている。水輝は疲れた顔を指で揉み解しながら部屋に向かった。近付いてきたメイドに今は何もしなくていい、と告げてから一人で部屋に入る。紫が不安そうに見ていたことは判ったが、今は気遣うゆとりはない。
「くそったれ」
そう毒づいて水輝は着ていたスーツを脱ぎ始めた。上着に続いてネクタイを外してその場に放る。ネクタイピンとカフスを外して机に乗せ、そのまま水輝はベッドに歩み寄った。靴を履いたままベッドに飛び込む。身体をいっぱいに伸ばしたところでようやく少し疲れが取れる。
ごろんと仰向けに寝返りを打って水輝はぼんやりと天井を眺めた。どうやら多輝が天上の城に上がっているらしい。そしてその傍には天輝だけではなく祐の存在もある。そのことを改めて確認してから水輝はため息を吐いた。
あの阿呆。最後の最後までおれを騙しやがったな。そう呟いて思わず苦笑する。多輝に埋め込まれていた力の珠のおかげで水輝も多輝を形作った者を見誤っていたのだ。やれやれ、と呟いて水輝は全身の力を抜いた。
いつだったか女だった水輝をかつての金龍神であった亮は強引に抱いた。亮と交わったのは後にも先にもあの一度だけだ。その際に両者の力が混ざったものを立城は水輝の胎から取り出していたのだろう。そして時を置いてそれを多輝の形に作り上げたのだ。
天輝もその時のことは覚えているだろう。あの時の水輝はまだ女と男の両性を行き来していたのだ。そして耐え切れなくなった器がはじき出したのが女の性を持つ天輝だ。そしてそれを導いたのも。
立城。水輝は心の底でだけそう呟いた。瞼を閉じて腕で目元を覆う。暗くなった瞼の裏側におぼろげに立城の姿が蘇る。水輝はしばらくぼんやりとその姿を眺めていた。
紫翠の時も立城の時も、水輝は自分の手で相手を殺している。地上の王と呼ばれる紫翠龍は、その余りの力の強大さに精神を犯される傾向があるのだ。そのストッパーの役目として配されているのが、地を割き清浄な気を流す役割を持つ水輝なのだ。唯一、水輝だけが地上の王を食い止めることが出来るのは、この星を水が占める割合が高いからとも言われている。だが真相は水輝にも判らない。水輝も歴史を語る役割である翠から多少聞き及んだ程度なのだ。
全ての記憶は持っている筈だが、水輝のそれには強固な封印が施されている。だが記憶を一度に取り戻す訳にはいかないことは水輝自身も良く判っている。立城が生きていた頃に度々術を使い、水輝の記憶を改ざんしていたのはそのためだ。
だがその封印は解けかけている。渚から取り出された紫翠の記憶を紫が封印して水輝に託した。その際にかけられた封印は立城のそれより甘く、すっかり消えてしまっている。水輝は腹に受けた傷を利用して無理にその封印を繋いでいるのだ。相次いで起こった事件は複雑に絡み合い、水輝が立城の力の多くを引き受けたことにより、逆に記憶にかけられた封印は解けかけているのだ。
ため息を吐いて左のわき腹を押さえ、水輝はそっと腕を退けた。目を開けてぼんやりと天井を見つめる。異様な空腹感に思わず呻き、眉を寄せる。ここ最近、水輝は意図的に力を食うのを避けているのだ。
これ以上、食っちまったらどうなるかわかんねえしな。そう呟いて水輝は勢いをつけて身体を起こした。
「蒼」
中空に向けて呼ぶ。だが相手は反応しない。水輝は瞼を半分ほど閉じて中空に向かってさらに続けた。
「そうか。来ないつもりか。じゃあそろそろ各方面に、お前が苺をおかずにオナニーしまくってることでも言い触らすかなー」
呑気に水輝が言った瞬間、空気が揺らぐ。瞬く間に現れた蒼は真っ赤になっていた。肩を怒らせて目を吊り上げた蒼が水輝を睨む。
「み、ず、き、さ、ま!」
「主の下着の匂いをかぎながらオナニーなんて、根暗か? お前は」
淡々と告げて水輝は横目に蒼を伺った。蒼は怒りに身体を震わせて唇を引き結んでいる。その様をしばし眺めてから水輝はベッドの縁に腰掛けた。真正面から蒼を見ながらシャツのボタンを外していく。
「仕方ないでしょう! わたくしにも性欲があるのですから!」
着替えを始めた水輝を睨んだままで蒼がまくし立てる。水輝はちらりと蒼を見やってからやれやれとため息を吐いた。どうやらこの使い魔は欲情しても一切そのことを主である多輝に知らせていないらしい。
「頼めばいいだろう。抱かせてくれって」
「……優一郎様がお許しになりません」
水輝の呆れた言葉に蒼が複雑な表情で切り返す。ほーん、と呟いて水輝は立ち上がった。脱いだシャツをベッドに放り、スラックスもついでに投げる。下着だけの格好で水輝は広々とした部屋を横切った。
クロゼットを開けて動き易い服を選ぶ。そろそろ暑さも本格的になってきた。水輝は袖の短いシャツとジーンズをクロゼットから引っ張り出した。手早く着込んでベルトを締める。
昨日、めちゃくちゃ暑くて倒れそうになりました……。