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時の流れというものは 1
やけに耳につく電子音に顔をしかめて克人は枕元に手を伸ばした。毛布に潜っていたせいかすぐに手が届かない。克人は寝ぼけた声を出しながら何度か手を空振りさせた。そうしているうちに徐々に目覚し時計の音は大きくなっていく。
「んー」
しかめっ面で克人は呻いて手をいっぱいに上に伸ばした。どうやらいつもよりベッドの下方に寝ているらしい。克人は届かない手を力なくベッドに落として毛布から顔を出そうとした。
身動きしようとした矢先に不意に目覚し時計の音が止まる。克人は目を見張って慌てて毛布から這い出そうとした。そんな克人の身体を何かが押さえつける。情けない声を上げてベッドに沈んだ克人を何かが引っ張り寄せる。
「朝から元気だねえ」
楽しそうに笑う声を聞いて克人は身動きするのを止めた。とても間近に感じられる声は順のものだ。克人は胸に抱きこまれる格好になったまま硬直した。剥き出しの胸に押し付けた耳から心地のよい順の声が直に聞こえてくる。どうやら順が代わりに目覚し時計を止めてくれたようだ。そのことに気付いた克人は慌てて毛布から顔を出した。
「おっ、おはようございます!」
「おはよー」
真っ赤になって挨拶した克人に順がのんびりと声を返す。気だるそうに頭をかいた順がするりとベッドを降りる。克人も急いでベッドを降りようとした。だがそこで克人は顔をしかめて身体の動きを止めた。身体のあちこちがやけに痛むのだ。
「あー。急に動かない方がいいよん。失神したの、覚えてない?」
肩越しに振り返って順が笑う。克人は瞬きを何度かして真っ赤になった。昨日は一日、学校を休むように順に言われた。その命令通りに学校を休んだ克人は順に連れられて色んなところに行った。その先々で行われた実験については克人も特に何も思うことはなかった。ずっと以前、まだ克人が順の目として行動していなかった頃、そういった実験が繰り返されていたからだ。
実験が終了したところで順は面白いところがあるんだ、ととある喫茶店に克人を連れて赴いた。そこで克人は沙耶に会うことが出来たのだ。そして短い邂逅の後、克人は順と共にここに戻った。それから明け方までずっと克人は順に抱かれていたのだ。そのことを思い出した克人はベッドに横たわったまま毛布を強く抱きしめた。
「覚えもいいし、感度も悪くないね。実験結果も良好。キミ、ちょっとすぐには死ねないよ?」
楽しそうに笑いながら順が床に落ちていたガウンを取り上げる。手早くそれを身にまとう順を克人はぼんやりと眺めていた。
克人だけではない。順の手によって作り出された人工のハンターたちは揃って短命だ。長く生きても二十年。その多くは十代半ばで命を落とすというデータが出ている。原因は未だに不明。他の実験体より遅れて生まれただけに、克人が出来た当初からその点は問題視されていた。
知り合って間もない者が一人死に、また一人死んでいく。克人は幼い頃から彼らの死を目の当たりにしてきた。彼らの時間は唐突に止まる。その死には痛みも何もない。本当に唐突に身体の器官の全てが死んでしまうのだ。
幼い克人と共に広い遊戯用のフロアで遊んでいた女の子が積み木を片手に握ったまま動かなくなった。それが克人が最初に見た実験体の死だ。克人がどれだけ呼んでも彼女は二度と返事はしてくれなかった。ほどなくして研究員たちが数人で取り囲むようにして彼女をフロアから連れ出した。そして克人は作りかけの積み木の家を前に呆然となったのだ。
やがて自分にもその時が来るのだと否応なく知ることになった。今の克人もやはり当時の彼女のように子供の姿でしかない。その時に亡くなった彼女の実年齢は十八。彼女はちょうどひと月ほど前に誕生日を迎えたばかりの、実験体の世話をする役目を負った存在だったと後で聞いた。
誰の上にも時は平等に流れていく。だが人工のハンターである克人たちにとって、生きていられる時間は短い。それが逃れられない業なのだ。少なくとも克人はこれまでずっとそう思ってきた。なのに順はあっけらかんと笑っている。
「でもボクは」
「人工のハンターだから? あのね」
途中で克人のせりふをさらって順が苦笑する。一人で寝るには贅沢な広さのベッドの中で克人は口を引き結んで身じろぎした。順は悠々とそんな克人の傍に腰掛ける。枕元のテーブルから取り上げた煙草を一本だけ器用に抜き、順はそれを唇に挟んだ。細身のライターで火を点けて煙を細く吐き出す。まるで流れるような順の挙動を克人はぼんやりと見守った。
「時間は常に動いてるんだよ。あるところで常識として掲げられてたコトが、あっさり次の瞬間には常識じゃなくなったりとかね。そんな珍しいコトでもないと思うよ」
すらすらと言って順が肩越しに克人を見返る。毛布にくるまってぼんやりとしていた克人は順と目が合ったところで慌てて頷いた。何度か頷いたところで言われたことをはっきり理解出来なかったことに気付く。克人は恐る恐る、順に訊ねた。
「で、でも原因も判らないのに」
「原因なんて別に関係ないじゃん? それともなに? 原因が判らないものはどうしようもないって放置しとけってこと?」
からかうような口調で順がそう答える。克人は少しだけ眉間にしわを寄せて押し黙った。考えてみれば順はハンターの長ではあるが、同時に龍神なのだ。自分の知らないことを知っていても不思議はないし、同じだけの知識しかないと思う方が間違っている。克人は自分の考えをすぐにそう改めた。
目覚ましを見たところで我に返り、慌ててベッドを降りようとした克人に順が言う。
「今日は早く帰ってきてね」
「あ、はい」
裸のままだということが恥ずかしくて、駆け出そうとしていた克人は焦りながらそう返事した。足を止めずに小走りに部屋の隅に寄る。設えられたたんすから着替えを出して克人はいそいそと身につけ始めた。そんな克人を眺めながら順が小さく笑う。順の視線が気になって何度となくそちらを見ては、その度に克人は後悔した。昨日までと同じなのだ、と何度も自分に言い聞かせる。だがそうしてみても克人の気分は落ち着かなかった。
順の用意してくれた朝食を摂り、予備の薬などの忘れ物がないかをチェックしてから克人は家を出た。出掛けに順が手を振っていってらっしゃい、と声をかける。克人は玄関先で順にきちんと頭を下げて行ってきます、と挨拶を返した。
地下鉄のホームについてもどことなく落ち着かない。通勤の客に囲まれて一人でホームに立っていた克人は、ぼんやりしていたおかげで電車を一本、乗り遅れてしまった。いけない、と自分を心の中で叱りつけて次の電車をつかまえる。通勤時のこの路線は五分おきに電車が通るのだ。快速列車も止まってくれるおかげで通学にはとても便利なのだ。
満員電車に揺られて克人は清陵高校の駅に着いた。電車から吐き出される多くの客の殆どは清陵高校の生徒だ。彼らの流れに紛れて克人も地上の校舎を目指す。時折、珍しそうに見ていく生徒がいるが、克人は彼らの視線に気付かない振りをした。いちいち気にしていると先日のようなことを招きかねない。
桜と奈月に助けられた一件のことを、克人は順に一応は報告した。順は克人の話を一通り聞いて納得したのか、特に何も言わなかった。だがそのことが克人には逆に気になった。何故なら克人はあの不気味な虫のことをどうしても順には話せなかったのだ。
平和だと思われているだろうこの街に魔と呼ばれる者がいるなどと、どうして誰が信じるだろう。龍神やハンターはいい。少なくとも対抗出来る可能性がある。だが人は余りにも魔に対して無力だ。
ハーメルンの仕様が変わったのにまだ慣れません……。