水輝は短くなった煙草を灰皿に押し付けて布団に潜り込んだ。
「ちょっとな。奈月の喜ぶ顔がみたかったんだよ」
視界を布団で遮って水輝は小声でそう言った。実際、紫と結婚すると決めた段階から奈月はとても嬉しそうだった。結婚式でも一番泣いていたのは奈月だった。
「紫さんはこの一年で変わられました」
まるで、別人のように。布団越しに聞こえてきた奈月の言葉に水輝は目を細めた。奈月の見解は間違ってはいない。器はそのままに、中身だけが立城から紫に変わっていったのだ。その入れ替え劇は何も一瞬で行われた訳ではない。じっくりと時間をかけて二人は入れ替わったのだ。
立城が残した仕掛けは未だに生きている。水輝はそっとため息をついて布団から顔を出した。思案顔をしている奈月に唇を寄せる。触れるだけの口づけをしてから水輝は小さく笑った。
「変わったんだよ。言葉通りな」
おれがそれを知ったのは後からだけど。水輝は低い声でそう付け足した。
「一年前までは、水輝さんと属性は反発していても、互いに力を補完する、とても良い位置にあったんです」
なのに今は……。そう呟いて奈月が悲しそうに顔を歪める。言いたいことは判る。今の紫の力はそもそも水輝と比べる位置にはいない。明らかに座位に差がありすぎるのだ。そして同時に存在の持つ属性は変わってしまっている。紫は水輝と触れ合うたびに、一方的に水輝の力を吸い上げてしまっているのだ。
座位に格差のある相手に力を吸われたところで、水輝にしてみれば痛みにすらならない。が、紫の胎に仕込まれた魂は違う。紫が無意識にでも水輝の力を己に取り込んでしまえば、胎の輝きはそれを吸うことが出来なくなる。結果、胎の輝きは成長することがかなわない。
「ま、気にするな」
さらりとそう答えて水輝は身を起こした。胡座をかいて大きく伸びをする。窓から差し込む光に目を細めて水輝は力なく笑った。
「もしかして、わたしが紫さんの居場所を奪ってるのでしょうか? 水輝さんを助け、傍にいることで力を増す位置を、わたしが占めているから」
のろのろと身体を起こしながら奈月が消え入りそうな声で言う。水輝は奈月の頭に手を乗せてぽんぽんと軽く叩いた。
「それは気にする部分が根本的に違うだろう。奈月をそう作ったのは立城だ。それに奈月がいなきゃおれは困る」
真面目に言いながら水輝は奈月の顔を覗き込んだ。だから気にすることはないのだ、と言ってみる。だがまだ奈月は不安そうな顔をしている。それを見た水輝はもしかして、と呟いた。
「……紫の思考を読んだのか?」
紫が奈月に嫉妬の念を抱いていることは水輝も知っている。それだけではない。紫は平然とは振る舞っているが、水輝に近付くあらゆる女性に嫉妬し続けているのだ。金龍神である渚や風龍神の栄子、そして。
紫は我が子であるところの優一郎にすら嫉妬しているのだ。
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないだろ」
俯いた奈月にそう声をかけて水輝は手を伸ばした。落ち込んでいるらしい奈月を抱き寄せて膝の上に抱える。裸のままの奈月の肌は透けるように白い。柔らかな曲線を描く肩から胸、腰のくびれに水輝はそっと触れた。大切なものに触れるように優しく奈月を撫でる。
「紫さんはとても激しく感情的に、わたしの存在自体を消し去りたいとまで思ってらっしゃいました。防御しようとすれば可能だったかもしれません。でもそれをすれば紫さんに跳ね返って危害を加えてしまう可能性がありました。ですから……」
すいません。そう詫びて奈月が頭を下げる。水輝は奈月を撫でていた手をぴたりと止めた。だがすぐに思い直して奈月の肩を撫でる。急に感情を殺したことに不安を覚えたのか、奈月が恐る恐る水輝の顔を見上げる。水輝はため息をついて苦笑した。
「あー……ごめん」
おれが悪いよな、それは。そう付け足して水輝は奈月に頭を下げた。すると奈月が慌てたように首を横に振る。
ここで紫を無防備に放り出す訳にはいかない。属性はほぼ確定してはいるが、まだ紫は不安定なままなのだ。次代を望めないと判った以上、無理に子を産めとは言えないが、だからと言って交わらない訳にもいかない。下手に放置すると紫の嫉妬の情がどこに向かうか判らないからだ。
感情は力だ。そのことを一番よく知っていたのはかつての紫翠だろう。数多の龍神の頂点に立っていた紫翠はそれ故に自己の感情をほぼ封じ込めていた。感情一つで容易く地を崩壊させることが出来たからだ。中でも憎しみや恨み、妬みといった感情は破壊力を持ちやすい。
「やっぱり、わたし、紫さんに嫌われているのですね?」
涙ぐんで言う奈月に水輝は気にするな、と笑ってみせた。
「個人と認識して嫌ってるって訳じゃない。要するに嫉妬だろ。好き嫌いとはまた別のもんだと思うが」
でも言っても奈月には理解出来ないだろう。そう思いつつ水輝は苦笑した。奈月には驚くほど人を妬む気持ちというものがない。その部分だけがまるで欠落してしまったかのように存在していないのだ。
「判ります。嫌いな相手が、夫の傍に居たら不快になるに決まってますよね」
納得顔で奈月が頷く。水輝はいや、と慌てて首を横に振った。
「そ、それは違うぞ」
だがどう説明すれば奈月が判るかが判らない。水輝は眉を寄せて懸命に考えながら低く呻いた。存在しない感情を理解しろ、というのが無理な話なのだ。
紫の解説? でしょうか。