新米冒険者が、悲惨な人生を送ってきたダークエルフの奴隷少女を買った話。 作:仮面紳士
「ッッ!?」
目の前に、恐ろしいほどの威圧を纏う男が現れて。
ダンは反射的に後ろへ飛んだ。
頭では何も考えていない。
勝手に身体が動いた。
本能が、目の前の男を恐れていた。
「さて。ライラの魔力を纏っているということは、お前がライラの元主人ということか?」
「……!?」
口が動かない。
冷や汗が出てきて、カタカタと剣を握る手が震える。
まるで蛇に睨まれたカエルだ。
「そうです、陛下! そいつがライラに隷属魔法を刻んでたクソ野郎です!」
「ふむ。ノーチェ、お前の生い立ちを思えば毛嫌いする気持ちもわかるが、冷静さを失っているな。少し静かにして頭を冷やせ」
「…………はい」
ノーチェは叱られた子犬のように、シュンとした。
「ライラの元主人。まずは謝罪しよう。悪かった。お前の大切な女を奪って」
「…………ぇ?」
謝られた。
想定外の事態に頭が真っ白になる。
「皇帝として、公の場ではふんぞり返る必要があるが、誰も見ていないここでは本音を話そう。
反逆者どもに紛れ、大帝国の中枢まで女を取り戻しに来る気概は見事だ。
ノーチェは大いに嫌っているが、私としては、お前のことが好きになったぞ」
……なんなんだ、こいつは?
その言葉から嘘を感じない。
侵入者のダンに対して、笑顔を向けてくる。
意味がわからなくて、余計怖い。
「その上で言うが、やはり大帝国にはライラが必要だ。
私の妻の一人となり、我が子を産んでもらいたい」
「…………は?」
「だが、お前がここまでライラを大事にしているとわかった以上、引き離すのも忍びない。
どうだ? お前も私の配下とならないか?
お前の子を産ませるわけにはいかないが、去勢の上でライラの情夫となる程度なら認めてやれるぞ?」
「はぁぁぁ!?」
ちょっと何を言っているのかわからない。
去勢? 情夫?
冗談にしか聞こえないふざけた話なのに、もの凄く真剣な顔で言ってくるから、頭がおかしくなりそうだ。
「い、意味がわからない……!? そこはライラを返してくれるとか、そういう話になるんじゃないのか!?」
「残念だが、それは無い。さすがに、ライラを譲るほどの価値を、お前に感じはしないからな」
皇帝は語る。
一般庶民で他国出身のダンとは、致命的に価値観も常識も異なる話を。
「私は侵略国家の王。必要であれば何でも奪う。悪いとは思うが、良心の呵責ごときで国益を損ねる真似はしない」
「そ、そんなのおかしい!!」
「そう叫ぶのは勝手だが、叫んだところで、誰もおかしさを正してはくれないぞ?」
皇帝が歩みを始める。
ダンに近づいてくる。
一歩、一歩、近づくほどに、潰されそうなほどの圧力が強まっていく。
「利益を損ねるほどの譲歩というものは、武力で容易に解決できぬと思わせること、あるいはそれ以上の価値を示すことで、初めて引き出せる。
この場におけるお前の価値は、ライラに想われていることと、その気概に対する私の関心だけだ」
「ぁ、ぁ……!?」
威圧に、潰される。
これが武力。これが権力。
どれだけ理不尽だろうと、全てを押し通しうる力。
「これ以上を望むなら、勝ち取るしかない。世界は優しさで動いていない。私のように勝手な権力者の都合で回っているのだ」
「う、うわぁあああああああ!!」
斬りかかった。
全力で、仕留めるつもりで。
真の力を解放したライラに貰った力を、剣に乗せて、思いっきり叩きつけて──
「そんなものか?」
「なっ……!?」
皇帝は、ノーガードだった。
無防備のまま、ダンの剣を肩口に受けて──無傷。
鋼のような筋肉に、本物の鋼が通らない。
「今のライラに支援魔法を貰って、この程度。心意気以外は、そこらにあふれている雑兵(モブ)だな」
「ごぇ!?」
「ご主人様!?」
殴られた。
全く腰の入っていない、軽いボディブロー。
そんな程度の拳が、ダンの鎧を砕き、巨大な魔物に衝突したかのように弾き飛ばし、轟音を立てて、彼の身体を城にめり込ませた。
「キャーーー♡♡♡ 陛下ーーー♡♡♡」
さっきまでのシリアスを完全に忘れたノーチェが、目をハートマークにして黄色い歓声を上げる。
「い、ぎっ……!?」
痛い、痛い、痛い。
ダンの身体が悲鳴を上げる。
同時に、心も悲鳴を上げる。
たった一発でわからされた。
この敵は次元が違う。
今のライラの支援魔法を貰ってなお、かつて天才と呼ばれた幼馴染に、支援魔法なしで嬲られていた時以上の実力差がある。
この皇帝はきっと、この世界という舞台の主役級だ。
選ばれた勇者か何かが、試練の果てに対峙しなければならない
そういう類いの存在だ。
間違っても、ライラがいなければ、ただのその他大勢に過ぎない男が戦っていい相手じゃない。
「さあ、どうする? 世の中には心意気だけでは越えられない壁があるぞ。どう足掻いても勝てない敵がいるぞ」
現実は残酷だ。
いくら愛を叫ぼうとも、いきなり覚醒して強くなることは無い。
肉体も技術も、急に強くなったりしない。
ライラは、特別じゃない少年の、唯一特別な切り札である。
その切り札が切られてなお、全力の一撃で、かすり傷一つ付けられないほどの差が開いている。
そして、これ以上の何かは彼には無い。
つまり──勝てない。
『Cランク冒険者』のダンに、『皇帝』ライオース・レーオス・ジ・アレキサンドを倒す方法は存在していない。
「さあ、どうする、少年」
絶対に倒せない理不尽が、迫ってくる。