【完結済】眠れる師匠のわて様を好きに使っていい日 作:あいいろ ののめ
「ししょう…」
「どうしたの、ガジュ?」
診療所で作業をしていたわて様は、後ろから話しかけてきたガジュの方に振り返る。
「…っ!?」
そこに居たのはいつものガジュではなく顔や腕、全身に牙のような黒い噛み跡の空洞が幾つも空いた人型の何かだった。
「なんでこんなことしたの」
「え…?」
「なんで」
「…」
「お前のせいだ」
「っちがう」
「お前がやったんだ」
「っ!!」
「…お前が…っ!!」
―――……ッ!!!」
酷い夢、全身が嫌な感触の汗でいっぱいだった。
「最近は、こんな夢見なかったのに…」
元々吸血鬼の治癒能力は高いから度の強い睡眠薬を服用していたけど、それでも効きは段々と悪くなっている。
「っガジュは…寝てる、良かった…」
「ん……」
まだ暗い部屋の中、いつもと変わらないガジュはぐっすりと眠っていた。
昔は不機嫌そうにわて様に抱き締められながら寝ていたのを思い出すけど、今はそうでもなさそうに見えるのはわて様の気のせいかしら?
「シャワー…浴びなきゃ……」
あんな夢見の悪さの後に眠れる気はしなくて、わて様は素足でひたひたと館を歩いてお風呂場に向かう。
あの日もちょうど、こんな静かな夜だった。わて様の頭の中にはむかしの出来事が想い起こされる―――
―――わて様は医者だけど、一度だけ人を殺したことがある。
「今日も来たのかい、ロノミア」
「だって貴方がわて様の所に来ようとしたら大変だもの。だからこうしてわて様が逢いに来てあげてるのでしょう、リンド?」
星明かりの降る夜、わて様は窓辺から涼しい夜風とともに部屋へと入り込む。
ベッドに腰掛けている彼の名前はリンド。他の外で走り回るような男の子じゃなくて、とても本を読むのが好きな男の子だった。
「リンド、また本を読んでるの?」
「うん、本は僕が唯一自由に歩ける世界だから…」
リンドは生まれつき脚が悪く持病を患っていた、だから彼はほとんどの時間をこの家の中で過ごしている。定期的に医者も呼び付けるのだから、彼の病も相当なのだと思った記憶があった。
それでもわて様の覚えている限り、彼が自身の境遇を嘆いたことは一度もなく、それどころか他の人間よりもよっぽど強い心を持っていた。
それが何故かと言うと…わて様が血を求めて窓を割って入り込んだここで彼と初めて出会ったとき、彼はわて様を見て怯えるどころか目を輝かせたの。
それは吸血鬼をこんな近くで見るのが初めてだからという理由で、わて様はこれから殺されるかもしれないのに馬鹿なのと聞き返すと、彼は…。
「良いんだ、僕がそんなことだとしても役に立てるなら」って。
ここまでのお人好しは初めて見たというか、本当に馬鹿なんだって解った。
「ねぇ、吸血鬼が血を吸った相手も吸血鬼になるってホントなの?」
「ウソに決まってるでしょ、そんな生物が居たらきっとこの世界は吸血鬼だらけでしょうね」
「棺桶で寝るって言うのは?」
「陽の光を極端に嫌う奴の中にはそういうので寝るヤツも居るみたいだけど、わて様がどちらなのかは翼を見れば解るでしょう?」
「えっと…その翼で普通の棺桶に入るのは窮屈そうだね……」
彼は吸血鬼のどうでもいいことを聞いては嬉しそうな声をあげるものだから、わて様もそこまで悪い気にならずリンドの質問に答えてしまった……。
その後も、血を吸おうとしても彼ったら目を輝かせちゃって。
解ってるのかしら、吸血鬼に噛みつかれるって実際にはライオンやトラに噛みつかれるよりも痛くすることは簡単なのよ?
その気になれば首筋なんてサッと噛みちぎってやれるんだからって、そう言っても『君はそんなことするようには見えない』の一点張り、これが阿呆ってやつなのよね?
その日は結局ほかの人間から血を吸うことにした、リンドが馬鹿馬鹿しかったせいで。
―――また来てくれたんだ?」
「勘違いしないで頂戴。わて様がここに来るのは、あくまでも貴方の読んだ本の内容を知るためなのだから」
「ロノミアも本を読めばいいのに」
「はぁ、わて様がそんな動きもしない文字なんて読んでいられる訳が無いでしょう。眺めるなら歌劇に限るわね。
…そ・れ・に、リンドならその本のタメになる面白い話も要約して教えてくれるでしょっ?」
「あらすじと結果だけじゃ解らない事って、いっぱいあると思うんだけどなぁ…」
「それで、今度はなんの本を読んでいるのかしら?」
そう言って本を立てて覗き見た表紙には、医学の文字が存在していた。
「これはお医者さんが読む本だよ」
「医者…ああ、あの脆弱な人間用の設備の……」
「あはは…」
「…あ、ごめんなさい。別に貴方に言った訳じゃないのよ?
…その、わて様にとってはどの人間も変わらな…ううん、これじゃ喋る数だけボロが出てくるだけね…」
「いや、吸血鬼にとってはあんまり面白くない話だよね?」
「そんな事ないわ、吸血鬼が病院と言ったら半世紀に一度行くか行かないかくらいだもの。むしろ病院に行く時って、新鮮な体験にワクワクするものよ?」
「そ、そっか…」
―――リンドと会ってからの生活はとても楽しいものだった。
「ねぇロノのん、進路変えたってホント?」
「え、ええ…よく調べたわね。でもそれがどうかした?」
「だって、有名な魔術の学校から推薦が来てたのに断ったって…」
「…良いのよ、わて様は『戦争』がどうとか言う今の帝国は好きじゃ無いもの。」
「本当に?…だってロノのんは今までだって…」
「何、バルカリカはわて様が試験勉強くらいで魔術学の実践演習の実力を落とすと思ったの?
…貴女の戦績に比べられるのって、わて様くらいだものね?」
「違うよ、そんなトゲトゲ言葉で言わなくてもいいじゃないっ!」
「…ごめんなさい、わて様もちょっとピリピリしてたのよ」
「……。ううん、私の方こそ…ごめん、ロノのんが他の人に合わせて意見を変えるなんて、した事ないもんね」
―――…ごめんね、僕のせいで」
「良いのよ、リンドのせいなんかじゃないんだから。これはわて様が決めたこと。
…貴方の病も、その脚だってわて様が治すわ」
リンドの医者としての座学成績はほぼ完璧だった。
でも…一分一秒を争う医者の仕事場に脚の不自由な者は要らないと言われたらしい。
わて様はあまりに心無い言葉をリンドから聞いてすぐさま殴り込みに行こうとしたけどリンド自身が止めてきたので、仕方なく止めてやった。
「それに、そんなわて様のために貴方が勉強は教えてくれてるでしょう?」
「うん、本当に教えてるだけだけど…ロノミアって本読みたくないって言う割に勉強はかなりできるよね?」
「それは、この本に載っていることの大体が感覚で分かるから…わて様の家系は少しだけ、特別なのよ。
それこそ貴方の呼吸くらいなら目で見なくとも解るの、わて様の家系は風に関して他の追随を許さないから……この翼も多くの風を操れるように、わて様のお爺様の頃はより大きな翼の吸血鬼とだけお見合いして相手を探していたそうよ」
「だからそんなに大きいんだ…」
「あまり淑女をじろじろ見るのは失礼って教わらなかったの? もう…っ」
人の呼吸は様々なことを教えてくれる。
歩き方の癖、普段の運動の有無、脳の異常…一々数えていたらキリがないくらい。
だからこそわて様には解っていた、リンドに残された時間が決して長くは無いことも―――
―――っんでよ…っ!」
「落ち着いて、ロノのん…!!」
「だって戦争の強制徴収は本来、あと数年は後の筈でしょう…!?」
「…それだけ、旗色が悪いって事だよ……」
「………。」
「ねぇ、ロノのん…気持ちは判るけどさ、ロノのんは必要だよ…」
「……っ!!」
「あっロノのんどこに行くの…!?」
―――そう、良かったわ。」
「あはは…君には凄く悪い気がするよ」
「ううん、良いの。脚が悪かったお陰じゃない、徴兵に行かなくていいなんて…それこそ脚が悪くて初めて良かったことなんじゃないの?」
「いや、キミに逢えたのも脚が悪かったお陰かな?」
「……。」
「あ、あの…なんか言ってくれないかな…」
「フン、知らないわ。わて様のこと心配のひとつくらいはしてくれてもいいのにって、そんなことわて様は思ってなかったのだけど?」
「…ごめん。」
「ううん、わて様も言ってみただけよ。本当は怒ってなんか無いもの」
「じゃあ、さ…ひとつだけお願い、してもいいかい?」
「なにかしら?」
戦場に向かうのだもの、キスくらいはしてあげなくも無いって思ったけど……。
「血を吸って、くれないかな?」
「…何、そういうシュミなの?」
「違うよっ!…僕自身は戦場に行けないけど、君が吸った血としてなら一緒に行けるだろ?」
「……医者になりたい貴方がそこまでして戦場に行かなくても良いのよ」
「ううん、これは僕が決めたんだ。だからお願い。」
「…解ったわ、首を出しなさい。薄情者には、うんと痛くしてやるんだから」
もちろん冗談だけど、そう言ってもリンドが恐れる素振りは無かった。わて様を侮っているのか、それとも本当に戦場に向かうつもりで臨んでいるのか…まぁ、後者でしょうね……。
―――…流石だよね、ロノのん。ロノのんが戦場に出るようになってから増援がこっちに来るせいで、殆ど負け無しだって。
…知ってる? ロノのんが敵から『夜半の嵐』って呼ばれてるの」
「知ってるわ。でも貴女のおかげでもあるでしょうバルカリカ、貴女は今度…ナントカ勲章って言うの貰うんでしょ?」
「でもやっぱりそれはロノのんのお陰だよ。あの嵐が巻き起こるとだいたい空に居た吸血鬼は落ちてるから…」
「魔術阻害型磁気嵐ね、吸血鬼の翼は単体じゃ飛行するのに適していない。だから殆どの吸血鬼は魔術を併用することで飛行を可能としている。
だから嵐を起こして飛行を不安定なものにし、ついでに魔術を阻害する磁気のようなものを戦場に散布する…それだけで死ぬことは無いでしょうけど、地面に叩き落とされた相手は死ぬほど痛い毒に蝕まれている感覚でしょうね……」
「説明聞いてるだけでもエグいんだけど……私達に影響は無いんだよね?」
「ある程度風向きを誘導しているもの、それに一度発生すれば嵐は勝手に敵陣方向へと突き進む。その辺は普通の嵐と何ら変わらないわ」
「…この後は?」
「
わて様の阻害磁気嵐は風向きを反転させられればこちら側に戻ってくるよう術式を書き換えることが出来る。手動で対策することもできるけど、術式ひとつでオート制御できるのに越したことはないわ。
それにわて様でもこんな対策が思いつくのだから、相手も何かしらの手立ては立ててくるはずよ。」
「…ロノのん、前よりも強くなったよね……」
「……そうかもしれないわね」
わて様が誰かを救うために得た知識は、皮肉にも戦場でこれ以上なく役に立っていた。
吸血鬼は異常に治癒能力が高くこれまで医学的なアプローチは必要が無かった故に学問としては研究の進んでいなかった、吸血鬼の身体構造を戦争の手段に用いるのがとても有効だったからでしょうね。
―――…リンドっ!!」
戦争の終結とともに、わて様は帝都に帰ってくるとリンドの部屋を訪ねた。でも…そこに彼の姿はなかった。
わて様が戦争に向かった日からリンドは目に見えて病状が悪化し、程なくして亡くなったと言う。
…部屋は変に綺麗で。話の顛末を聞いている間、たったそれだけの事実を飲み込むのにとても長い時間が掛かった。
「…死んだリンドの首には吸血鬼の噛み跡があったわ」
「……っ!」
「貴女のせいよ…っ!」
「ち、ちが…」
「何が違うのよっ!!!?貴女がやった!!…貴女のせいでリンドは死んだのよ!!」
戦争から帰ってきた日、リンドの部屋の花瓶の花を変えに訪れていた彼の母親に口酷く罵られた。わて様がリンドを殺した、わて様が吸血したから彼の病が悪化したと。
最初こそ否定するような言葉が出かけたけど、わて様が聴いた彼の呼吸の音や、吸血をしようとした瞬間に躊躇った行動が…様々な物事を整理していく度、わて様が完全な無実だとは言えなくなっていた。
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